2018年08月09日

『万葉集』を訓(よ)む(その1294)

 今回は、953番歌を訓む。「五年戊辰幸于難波宮時作歌四首」の最後の四首目。一首目の950番歌のところでも述べたが、この歌の左注に「右、笠朝臣金村之歌中出也。或云、車持朝臣千年作之也。」とあって、950番歌〜953番歌の四首は、笠朝臣金村の作とも車持朝臣千年の作とも伝えられていることがわかる。
 写本の異同としては、1句二字目<壮> があり、これを『西本願寺本』以下の諸本に「牡」とするが、『元暦校本』『類聚古集』『紀州本』に「壮」とあるのを採る。原文は次の通り。

  竿<壮>鹿之 鳴奈流山乎 
  越将去 日谷八君 
  當不相将有

 1句「竿壮鹿之」は「さを壮鹿(しか)の」と訓む。「竿壮鹿」は「さを壮鹿(しか)」と訓み、「おすの鹿。牡鹿。」をいう。「竿」は「さを」を表すための借訓字。「さ」「を」はともに接頭語。502番歌2句の「小壮鹿」を「小壮鹿(をしか)」と訓んだ例があった。「之」は漢文の助字で、格助詞「の」。
 2句「鳴奈流山乎」は「鳴(な)くなる山(やま)を」と訓む。「鳴」は、カ行四段活用の自動詞「なく」の終止形「鳴(な)く」。「なく」は、「ね(音)」と同語源の「な」が動詞化したもので、「生物が種々の刺激によって声を発する。」ことをいう。「奈」はナ音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)、「流」はル音の常用音仮名(片仮名の字源)で、「奈流」は、伝聞・推定の助動詞「なり」の連体形「なる」を表す。「山(やま)」(950番歌他に既出)は象形文字で山の突出する形に象る。「乎」はヲ音の常用音仮名(片仮名の字源)で、格助詞「を」。
 3句「越将去」は「越(こ)え去(ゆ)[行]かむ」と訓む。「越」はヤ行下二段活用の自動詞「こゆ」の連用形で「越(こ)え」。「こゆ」は、「山、峠、谷、川、溝、関所など、障害となるものを通り過ぎて向こうへ行く。」ことをいう。「将去」(936番歌他に既出)は、カ行四段活用の自動詞「ゆく」の未然形「去(ゆ)[行]か」+意志・意向の助動詞「む」(連体形。漢文の助字「将」で表記。)=「去(ゆ)[行] かむ」。
 4句「日谷八君」は「日(ひ)だにや君(きみ)が」と訓む。ここの「日(ひ)」は、「時間の単位としての一日」をいう。「谷」は借訓字で、副助詞「だに」を表す。「日(ひ)だに」は、「その日さえも」の意。「八」は「や」の常用訓仮名で、疑問の係助詞「や」。「君(きみ)」は「敬愛する人」をさしていうが、女から見て男をいうことが普通。ここは下に格助詞「が」を補読する。
 5句「當不相将有」は「當(はた)相(あ)[逢]はず有(あ)らむ」と訓む。「當」は『名義抄』に「當 マサニ・〜スベシ・アタツル・ツカサドル・ツネ・マホル・ムベ・ムベナリ・マカス・マサシ・ソコ・ムカフ・アツ・カナフ・ナホシ・ハタ」とあり、ここは「當(はた)」と訓む。副詞「はた」は、他の事柄と関連させて判断したり推量したり、あるいは列挙選択したりするときに用いる語で、ここでは当然のこととして肯定する気持ちを表す。「やはり。思ったとおり。」の意。「不相」(740番歌他に既出)は、ハ行四段活用の自動詞「あふ」の未然形「相(あ)[逢]は」+打消の助動詞「ず」(連用形。漢文の助字「不」で表記)=「相(あ)[逢]はず」。「将有」(730番歌他に既出)は、ラ行変格活用の自動詞「あり」の未然形「有(あ)ら」+推量の助動詞「む」(漢文の助字「将」で表記)=「有(あ)らむ」。「あはずあらむ」を「あはざらむ」と訓む説もある。
 953番歌の漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。

  さを壮鹿(しか)の 鳴(な)くなる山(やま)を
  越(こ)え去(ゆ)[行]かむ 日(ひ)だにや君(きみ)が
  當(はた)相(あ)[逢]はず有(あ)らむ 

  男鹿の (妻を求めて)鳴いている山を
  越えて行く その日さえもあなたは
  やはり逢ってくださらないのでしょうか
ラベル:万葉集
posted by 河童老 at 15:08| Comment(0) | 小説/文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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