2018年09月04日

『万葉集』を訓(よ)む(その1301)

 今回は、960歌を訓む。題詞に「帥大伴卿遥思芳野離宮作歌一首」とあって、大宰府の帥であった大伴旅人が、遥かに吉野の離宮を偲んで作った歌である。
写本の異同としては、4句の末字<尓>を、『西本願寺本』が「之」と書いて、その上に「尓」を上書きしていることが挙げられる。諸本には全て「尓」とある。原文は次の通り。

  隼人乃 湍門乃磐母 
  年魚走 芳野之瀧<尓>
  尚不及家里

 1句「隼人乃」は「隼人(はやひと)の」と訓む。この句は、248番歌1句と同句。「隼人(はやひと)」は、古代、大隅・薩摩(鹿児島県)に住み、大和政権に従わなかった集団をいう。五世紀後半頃には服属したらしく、やがて中央に上番して宮門の警衛などに当たり、一部は近畿地方に移住した(畿内隼人と称される)。令制では隼人の司に管轄され、宮城の警衛に当たった。一方、在地の隼人は、律令時代に入って反乱を繰り返し、『続日本紀』には、文武四年(700)、大宝二年(702)、和銅六年(713)、養老四年(720)に、その反乱の記録がある。これらの反乱の原因の多くは、隼人支配の強化、特に造籍班田(戸籍を造り、田を収公し耕作させて稲を供出させること)に対する反抗であったと思われる。「はやひと」の呼称については、敏捷勇猛であることからハヤブサに因んで隼人と称されたとする説のほか、南風(はや)の地の人とする説もある。「乃」はノ音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)で、連体助詞「の」。
 2句「湍門乃磐母」は「湍門(せと)の磐(いはほ)も」と訓む。「湍門」は、「せと」と訓み、「両方から陸地がせまった狭い海峡。」の意。現在では「瀬戸」の字が宛てられるが、『万葉集』では「迫門」「湍門」の字が用いられている。「乃」は一句に同じで、連体助詞「の」。「磐」は「いはほ」と訓み、「大きな岩」の意。「母」はモ音の常用音仮名で、係助詞「も」。
 阿蘇『萬葉集全歌講義』は「隼人の瀬戸」について、次のように述べている。

 隼人の瀬戸 北九州門司区和刈町と下関壇ノ浦との間の早鞆の瀬戸とする説もあるが、ここは、「隼人の薩摩の瀬戸を雲居なす遠くも吾は今日見つるかも」(長田王 3・二四八)とも歌われた鹿児島県阿久根市黒之浜と出水郡長島との間の瀬戸。いま黒の瀬戸と呼ばれる。長さ三キロ、幅は狭い所で約二〇〇メートル。退潮時には不知火海の海水がいっきにここを奔流するという(犬養孝「万葉の旅」)。荘厳な景色は早くから大宰府の官人たちの間に聞こえていたらしく、大宰帥大伴旅人も訪れる機会をもったのであろう。
 
 3句「年魚走」は「年魚(あゆ)走(はし)る」と訓む。「年魚」は「鮎(あゆ)」のことで、鮎が一年で生を終えることに基づく義訓。「走」はラ行四段活用の自動詞「はしる」の連体形で「走(はし)る」。ここの「はしる」は、「鮎が素早く泳ぐ」ことをいう。
 4句「芳野之瀧尓」は「芳野(よしの)の瀧(たき)に」と訓む。「芳野(よしの)」は、「吉野」のことで、吉野が美しいところであるところからの表記。「之」は漢文の助字で、連体助詞「の」。「瀧(たき)」(910番歌他に既出)は、「急な斜面を激しい勢いで下っている水の流れ。急流。奔流。激湍。早瀬。」の意で、ここは吉野川の激流をさす。「尓」はニ音の常用音仮名で、場所を示す格助詞「に」。
 5句「尚不及家里」は「尚(なほ)及(し)かずけり」と訓む。この句は、350番歌5句「尚不如来」と表記は異なるが同句。「尚」は「なほ」と訓み、一つの判断や意志を、対立する判断や意志を付けることによって、確認する気持を表わす語(副詞)で、「やはり。どう見ても。」の意。「不及」カ行四段活用の自動詞「しく」の未然形で「及(し)か」+打消しの助動詞「ず」(連用形。「不」で表記。)=「及(し)かず」。「しく」は、115番歌3句「追及武[追(お)ひ及(し)かむ]」の「及」と同じく「及ぶ」の意。「家」はケ(甲類)音の常用音仮名、「里」はリ音の常用音仮名で、「家里」で以て、詠嘆の助動詞「けり」を表す。「けり」は「そういうことなんだと気がついた」という意味で気づきの助動詞とも言われる。
 960番歌の漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。

  隼人(はやひと)の 湍門(せと)の磐(いはほ)も
  年魚(あゆ)走(はし)る 芳野(よしの)の瀧(たき)に
  尚(なほ)及(し)かずけり

  隼人の 瀬戸の巨巌も
  鮎がすいすいと泳ぐ 吉野の激流に
  やはり及ばないのだなあ
ラベル:万葉集
posted by 河童老 at 15:25| Comment(0) | 小説/文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: