2018年09月12日

『万葉集』を訓(よ)む(その1303)

 今回は、962番歌を訓む。題詞に「天平二年庚午勅遣擢駿馬使大伴道足宿祢時歌一首」とあり、訓み下すと「天平(てんぴやう)二年(ねん)庚午(かうご)、勅(みことのり)して擢駿馬使(てきしゆんめし)大伴道足宿祢(おほとものみちたりのすくね)を遣(つか)はす時(とき)の歌(うた)一首(しゆ)」となる。「擢駿馬使」については、吉井『萬葉集全注』が詳しく注しているのでそれを見ておこう。

 ○擢駿馬使 すぐれた馬を選抜するために派遣される使。直木孝次郎(「騎兵隊の成立と馬の飼育の発展」『日本古代兵制史の研究』)によれば、九州と馬との関係について、次の三点が挙げられている。「雄略紀」二十三年是歳条に、「筑紫安致臣、馬飼臣等、船師を率ゐて以て高麗を撃つ」とあり、安致臣は日本に馬をもたらした阿直吉師の後裔・阿直史と関係ある氏族であり、「筑紫」が「安致臣」「馬飼臣」にかかるならば、筑紫と馬との関係がここに見出せる。第二に、「推古紀」歌謡(紀・一〇三)に「馬ならば日向の駒太刀ならば呉の真鋤」の表現がある。第三に、「兵部省式諸国馬牛牧」条に、九州では、肥前国に三ヶ所、肥後国に二ヶ所、日向国に三ヶ所の馬牧が挙げられており、これらの牧の馬が五、六歳になると、大宰府に送られる規定になっている。

 「大伴道足宿祢」については、阿蘇『萬葉集全歌講義』に「馬来田の子。大宝四年(七〇四)正月、従五位下。讃岐守・弾正尹・民部大輔・右大弁など歴任、天平三年(七三一)八月、参議、時に正四位下。天平七年九月、訴人の事を裁理しなかった罪に坐したが、詔があって許された。時に、右大弁、正四位下。大伴系図には、『天平十三年薨』とある。旅人没後、一時大伴氏の氏上であったと思われる。」とある。
 なお、この歌には作歌事情を述べた左注があるので、その原文と訓読文および口語訳を次に記しておく。訓読文は吉井『萬葉集全注』に、口語訳は阿蘇『萬葉集全歌講義』によった。

 [原文] 右、勅使大伴道足宿祢饗于帥家。此日、會集衆諸、相誘驛使葛井連廣成言須作歌詞。登時廣成應聲、即吟此歌。

 [訓読文] 右、勅使大伴道足宿祢を帥(そち)の家に饗(あへ)す。この日に、会(あ)ひ集(つど)ふ衆諸(もろもろ)、駅使(はゆまづかひ)葛井連広成(ふじゐのむらじひろなり)を相誘(あひさそ)ひて、歌詞を作るべし、と言ふ。登時(すなはち)広成声に応(こた)へて、即(すなは)ちこの歌を吟(うた)ふ。

 [口訳] 右は、勅使大伴道足宿祢を大宰帥旅人卿の家で馳走しもてなした。この日集まった人々が、駅使の葛井連広成に勧めて、歌を作るように言った。即座に、広成はその言葉に応えて、この歌をくちずさんだ。

 写本の異同はなく、原文は次の通り。

  奥山之 磐尓蘿生 
  恐毛 問賜鴨 
  念不堪國

 1句「奥山之」は「奥山(おくやま)の」と訓む。この句は、299・397・791番歌1句と同句。「奥山(おくやま)」は「人里離れた奥深い山。山の奥深いところ。」の意。「之」は連体助詞「の」。
 2句「磐尓蘿生」は「磐(いは)に蘿生(こけむ)し」と訓む。「磐(いは)」(791番歌他に既出)は、平らかで円く大きな形状の岩石」をいう。「尓」はニ音の常用音仮名で、場所を示す格助詞「に」。「蘿生」(228番歌に既出)は、サ行四段活用の自動詞「こけむす」の連用形で「蘿生(こけむ)し」と訓む。「こけむす」は「苔が生える。苔で一面におおわれる。」の意であるが、多くは「古くなる、古めかしくなる、永久である。」ことのたとえに用いられる。
 1句・2句「奥山(おくやま)の・磐(いは)に蘿生(こけむ)し」は、「奥山の岩に苔が生えて神々しいように」の意で、3句の「かしこく」を起こす比喩の序詞になっている。
 3句「恐毛」は「恐(かしこ)くも」と訓む。この句は、199番歌の9句「懼母」と表記は異なるが同句。「恐」(600番歌他に既出)は、ク活用形容詞「かしこし」の連用形で「恐(かしこ)く」。「かしこし」は「おそるべき霊力、威力のあるさま。また、それに対して脅威を感ずる気持を表わす。おそろしい。」の意。「毛」はモ音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)で、係助詞「も」。「恐(かしこ)くも」は「おそれおおくも。もったいなくも。もったいないことに。」の意。
 4句「問賜鴨」は「問(と)ひ賜(たま)ふかも」と訓む。「問」はハ行四段活用の他動詞「とふ」の連用形で「問(と)ひ」。「賜」はハ行四段活用の他動詞「たまふ」の終止形で「賜(たま)ふ」。「問(と)ひ賜(たま)ふ」は「お求めになる」の意。「鴨」は借訓字で、詠嘆の終助詞「かも」を表す。
 5句「念不堪國」は「念(おも)ひあヘなくに」と訓む。この句は、671番歌の5句「不堪念」と表記は一部異なるが同句。「念」はハ行四段活用の他動詞「おもふ」の連用形「念(おも)ひ」。「不堪國」は、ハ行下二段活用の自動詞「あふ」の未然形「あへ」+打消しの助動詞「ず」の連体形「ぬ」のク語法「なく」+格助詞「に」=「あへなくに」。「あふ」は「たふ(堪)」と同意で、「堪える。我慢する。抵抗し負けまいとする。」ことをいう。『万葉集』には「あふ」の仮名書き例は見られるが、「たふ」の仮名書き例は見られないことから、集内の「敢・勝・堪」は「たふ」でなく「あふ」と訓むことが定着している。ここの「あふ」は、他の動詞(この場合は「念(おも)ひ」)の下に付いて、補助動詞的に用いているので仮名書きとしたもので、「十分にそうする。完全にそうする。押し切ってそうする。」の意。「あふ」を補助動詞的に用いる場合は、下に打ち消しを伴う「あへず」の形で用いられることが多く、ここもその例。「不」は打消しの助動詞「ず」の連体形「ぬ」のク語法「なく」の「な」の表記として用いたもの。「國」はク語法「なく」の「く」と格助詞「に」の「くに」を表すための借訓字。
 962番歌の漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。

  奥山(おくやま)の 磐(いは)に蘿生(こけむ)し
  恐(かしこ)くも 問(と)ひ賜(たま)ふかも
  念(おも)ひあヘなくに

  奥山の 岩に苔が生えて神々しいように
  恐れ多くも お求めになるのですね
 (歌を作るなど)思いもよりませんのに
ラベル:万葉集
posted by 河童老 at 18:53| Comment(0) | 小説/文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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