2018年11月24日

『万葉集』を訓(よ)む(その1322)

 今回は、977番歌を訓む。前歌(976番歌)と同じく、「五年癸酉(きいう)」の年に「神社忌寸老麻呂(かみこそのいみきおゆまろ)」が「草香山(くさかやま)」を越える時に作った歌である。
 写本の異同としては、2句の四・五字目<弖師>を『西本願寺本』以下の諸本に「師弖」とあること、4句四字目<海>が『西本願寺本』には無いこと、5句の末字<蒙>を『西本願寺本』以下の諸本に「裳」とあることが挙げられるが、いずれも『元暦校本』などの古写本に従った。原文は次の通り。

  直超乃 此徑尓<弖師>
  押照哉 難波乃<海>跡 
  名附家良思<蒙>

 1句「直超乃」は「直超(ただこ)[越]えの」と訓む。「直超」は、「直超(ただこ)え」と訓む。副詞の「直(ただ)」に、ヤ行下二段の自動詞「こゆ」の連用形「超(こ)え」が付いて名詞化したもので、「まっすぐに越えて行くこと」の意。「特に、大和の平群郡から生駒山の南を越えて難波に至る道にいう」と『日本国語大辞典』にある。「乃」はノ(乙類)音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)で、連体助詞「の」。
 2句「此徑尓弖師」は「此(こ)の徑(みち)にてし」と訓む。「此」(973番歌他に既出)は、近称の代名詞「こ」で、それに連体助詞「の」を補読して「此(こ)の」と訓む。「徑」は「径」の旧字で、道路の近道をいう。『名義抄』に「徑 ワタリ・ツラヌ・ミチ・タダチ・アト・トホル」の訓があり、ここはミチと訓む。一句からここまでを「直越えのこの道」として、阿蘇『萬葉集全歌講義』は、次のように注している。

 直越えのこの道  日下の直越え(雄略記 大后若日下部王は、もと日下に住んでおり、雄略天皇は、日下の直越えの道を通って訪ねたと伝える)。奈良からまっすぐ越える近道。けわしい山道で、山の西側の河内平野は、昔、草香江などの大きな入江で、万葉の頃も、沼沢の多い湿潤の地であったから、一般には迂回路の竜田越えの道がとられていた。沼沢地が陸地化していったのは、宝永元年(一七〇四)に大和川の川筋を堺の方につけかえてから後のことであるという。今は、山頂から大阪湾はほとんど見えない。枚岡市日下町の春日社の善根寺越えの登り口に「孔舎衙坂直越登り口」の標石が立っている。

 「尓」「弖」は、ニ音・テ音の常用音仮名で、「尓弖」は格助詞「にて」を表す。「にて」は格助詞「に」に接続助詞「て」が付いてできた語で、口語の「で」に当たり、場所を指示する。「師」はシ音の音仮名で、副助詞「し」を表す。
 3句「押照哉」は「押(お)し照(て)るや」と訓む。「押照」は、619番歌1句に既出で、「押(お)し照(て)る」と訓み、「難波(なには)」にかかる枕詞。「哉」は漢文の助字で、間投助詞「や」。
 4句「難波乃海跡」は「難波(なには)の海(うみ)と」と訓む。「難波(なには)」は、大阪市の上町台地以東の地域の古称で、孝徳天皇の難波長柄豊碕宮、天武天皇の難波宮、聖武天皇の難波宮などが営まれたところ。「乃」は1句に同じで、連体助詞「の」。「難波(なには)の海(うみ)」は、前歌一句の「難波方(なにはがた)[潟]」と同じく、大阪湾、特に旧淀川河口付近の海をいう。「跡」は「と(乙類)」の常用訓仮名で、格助詞「と」。
 5句「名附家良思蒙」は「名附(なづ)けけらしも」と訓む。「名附」は、カ行下二段活用の他動詞「なづく」の連用形で「名附(なづ)け」。「なづく」は、「名をつける。命名する。」ことをいう。「家」はケ(甲類)音の常用音仮名、「良」はラ音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)、「思」はシ音の音仮名で、「家良思」で以って、回想の助動詞「けり」に推定の助動詞「らし」の付いた「けるらし」の約まった「けらし」を表す。「蒙」はモ音の音仮名で、詠嘆の終助詞「も」。
 977番歌の漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。

  直超(ただこ)[越]えの 此(こ)の徑(みち)にてし
  押(お)し照(て)るや 難波(なには)の海(うみ)と 
  名附(なづ)けけらしも

  まっすぐに難波へ越える この道においてこそ
  (おしてるや) 難波の海 と
  名付けたのであるらしい
ラベル:万葉集
posted by 河童老 at 11:51| Comment(0) | 小説/文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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