2018年12月03日

『万葉集』を訓(よ)む(その1324)

 今回は、979番歌を訓む。題詞に「大伴坂上郎女与姪家持従佐保還歸西宅歌一首」とあり、訓み下すと「大伴坂上郎女(おほとものさかのうへのいらつめ)、姪(をひ)家持(やかもち)の佐保(さほ)より西(にし)の宅(いへ)に還歸(かへ)るに与(あた)ふる歌(うた)一首(しゆ)」となる。「西宅」について、吉井『萬葉集全注』は次のように述べている。

○西の宅 西宅については、西方の別宅とするのが一般である。川口常孝(「“佐保の宅”と“西の宅”」『大伴家持』)は、さらにこれを具体化して、西宅は、奈良京造営と共に大伴安麻呂に与えられた左京二条四坊に位置する地の宅を言い、後、外京の左京二条五坊九・一六坪(一坪は百十九メートル四方の地。佐保小学校の北にあたる)に新たに建てたのが佐保本邸であろうと推定する。旅人の薨後も、坂上郎女は大伴家の家刀自として本邸にあり、そこから約五百メートル西の旧大伴邸である西宅に、家持が居住していたと推定するのである。

写本の異同は、5句二字目<家>を『西本願寺本』などには、「宅」とあるが、『元暦校本』『類聚古集』『紀州本』に「家」とあるのを採る。原文は次の通り。

  吾背子我 著衣薄 
  佐保風者 疾莫吹 
  及<家>左右

 1句「吾背子我」は「吾(わ)が背子(せこ)が」と訓む。この句は268・639番歌の1句と同句 。「吾」は自称「わ」に連体修飾の格助詞「が」を補読して「吾(わ)が」。「背子(せこ)」は、広く男性を親しんでいう語で、ここは大伴坂上郎女が、甥の大伴家持をに対して使ったもの。阿蘇『萬葉集全歌講義』の注に「わが背子 長女の夫にと願っている甥の家持に対して、親愛の情をこめて愛人に対して呼びかけるような表現を用いている。」とある。「我」はガ音の常用音仮名で連体修飾の格助詞「が」。 
 2句「著衣薄」は「著(け)[着]る衣(きぬ)薄(うす)し」と訓む。「著」は「着」と同字で、ここは、カ行上一段活用の他動詞「きる」の連用形キ+ラ行変格活用の自動詞「あり」の連体形アル=キアルが約まった「著(け)[着]る」と訓み、「着ている」の意。「衣」は「きぬ」とも「ころも」とも訓むが、ここは「ころも」で「衣服」の意。「薄」はク活用形容詞「うすし」の終止形「薄(うす)し」。「うすし」は「物の厚みが少ない」ことをいう。
 3句「佐保風者」は「佐保風(さほかぜ)は」と訓む。「佐保風(さほかぜ)」は、「佐保の地を吹く風」をいう。「佐保(さほ)」(949番歌他に既出)は、現在の奈良市北部、「佐保川」(79番歌他に既出)の北側の法蓮町・法華寺町一帯をいう。「者」は漢文の助字で、係助詞「は」。
 4句「疾莫吹」は「疾(いた)くな吹(ふ)きそ」と訓む。「疾」(263番歌に既出)は、ク活用形容詞「いたし」の連用形から副詞となった語で、「疾(いた)く」と訓み、「ひどく。はなはだしく。ずいぶん。」の意。「莫」(946番歌他に既出)は、「勿」と同じく否定・禁止に用いる漢文の助字で、和語の禁止を表す副詞「な」に用いたもの。副詞「な」は下に「動詞の連用形+そ」を伴って用いられることが多いが、ここもその例で、「莫吹」は、副詞「な」+カ行四段活用の自動詞「ふく」の連用形「吹(ふ)き」+終助詞「そ」(無表記だが補読)=「な吹(ふ)きそ」。「疾(いた)くな吹(ふ)きそ」は「ひどくは吹かないでおくれ」の意。
 5句「及家左右」は「家(いへ)に及(いた)[至]るまで」と訓む。「及家」は、漢文的表記で、間に返り点のレ点をつけて「家(いへ)に及(いた)[至]る」と訓む。「家(いへ)」は題詞にある「西(にし)の宅(いへ)」を指す。「及(いた)る」は、ラ行四段活用の自動詞「いたる」の連体形。「いたる」は「ある場所に行き着く。到着する。」ことをいう。『名義抄』に「及  オヨブ・トシク・ツヒニ・イカカ・カヘス・イタル・トモニス・トトノフ」とあり、イタルの訓が見える。「左右」を、時間的・空間的な限度を示す副助詞「まで」と訓むのは、両手(左右手)を「真手(まて)」といったところからの戯書で、747番歌他にも既出。
 979番歌の漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。

  吾(わ)が背子(せこ)が 著(け)[着]る衣(きぬ)薄(うす)し
  佐保風(さほかぜ)は 疾(いた)くな吹(ふ)きそ
  家(いへ)に及(いた)[至]るまで

  あなたが 着ている衣服は薄い
  佐保風は ひどくは吹かないでおくれ
  あなたが家に着くまで
posted by 河童老 at 15:33| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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