2019年05月13日

『万葉集』を訓(よ)む(その1363)

 今回は、1017番歌を訓む。題詞に「夏四月大伴坂上郎女奉拝賀茂神社之時便超相坂山望見近江海而晩頭還来作歌一首」とあり、これを訓読すると「夏(なつ)四月(ぐわつ)に、大伴坂上郎女(おほとものさかのうへのいらつめ)、賀茂神社(かものやしろ)を拝(をが)み奉(まつ)る時(とき)に、すなはち相坂山(あふさかやま)を超(こ)えて近江(あふみ)の海(うみ)を望(のぞ)み見(み)て、晩頭(ゆふぐれ)に還(かへ)り来(き)たりて作(つく)る歌(うた)一首(しゆ)」となる。「相坂山(あふさかやま)」は、「逢坂山」のことで、京都市と滋賀県大津市との境の山。
 写本の異同は、3句三字目<越>と5句四字目<吾>の二箇所。3句三字目は、『西本願寺本』などが「超」とするが、『元暦校本』『類聚古集』に「越」とあるのを採る。5句四字目は、『西本願寺本』以降の諸本に「子」とあるが、『元暦校本』『類聚古集』『紀州本』に「吾」とあるのを採る。原文は次の通り。

  木綿疊 手向乃山乎 
  今日<越>而 何野邊尓 
  廬将為<吾>等

 1句「木綿疊」は「木綿(ゆふ)疊(たたみ)」と訓む。この句は、380番歌1句と同句。「木綿(ゆふ)」は、「楮(こうぞ)の樹皮をはぎ、その繊維を蒸して水にさらし、細かにさいて糸としたもの。」をいう。「疊(たたみ)」は、動詞「たたむ」の名詞形で、記紀に八重畳、菅畳の用例があるので上代からあったことが知られるが、「木綿(ゆふ)疊(たたみ)」がどのようなものかは不明。「ゆふだたみ」と連濁して訓まれることもある。『デジタル大辞泉』には「木綿(ゆう)をたたむこと。また、たたんだもの。神事に用いる。」とあり、西宮『萬葉集全注』は「木綿で作った敷物とも、木綿を折りたたんだ幣帛とも言うが、どのようにした形を持つものか不明。」とする。何れにしても神事に用いられたものであるのは間違いない。ここは「木綿(ゆふ)疊(たたみ)」を神に手向ける意で、次の「手向」の枕詞として用いたもの。
 2句「手向乃山乎」は「手向(たむけ)の山(やま)を」と訓む。「手向(たむけ)」は「道の神に旅中の安全を祈るところ。特に、越えて行く山路の登りつめたところ。」をいう。「乃」はノ(乙類)音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)で、連体助詞「の」。「手向(たむけ)の山(やま)」は、「道路の神や坂の神などが祭られている山」のことで、もと、一般的な呼び名であったものが、滋賀県の逢坂山や奈良市若草山の西方など、固有名詞となったもので、ここは題詞にある通り、逢坂山をさす。「乎」はヲ音の常用音仮名(片仮名の字源)で、格助詞「を」。
 3句「今日越而」は「今日(けふ)越(こ)えて」と訓む。「今日(けふ)」は「話し手が今身を置いている一日」をいう。「越」はヤ行下二段活用の自動詞「こゆ」の連用形「越(こ)え」。「こゆ」は「山、峠、谷、川、溝、関所など、障害となるものを通り過ぎて向こうへ行く」ことをいう。「而」は漢文の助字で、接続助詞「て」。
 4句「何野邊尓」は「何(いづ)れの野邊(のへ)に」と訓む。「何」は『名義抄』に「何 ニナフ・オホセリ・ナニ・ナゾモ・ナゾヤ・ナゾ・イヅクソ・イカニ・イヅレ・コレ・ニハカ・ツクル・カス」と多くの訓を示すが、ここはイヅレ。「何(いづ)れ」は不定称代名詞で、「多くの事物の中から一つを取り出して示す。どれ。」の意。次の「野邊(のへ)」にかかるので、連体助詞「の」を補読する。「野邊」は「野辺」で、「野のほとり。野原。」の意。「尓」はニ音の常用音仮名で、場所を示す格助詞「に」。
 5句「廬将為吾等」は「廬(いほり)為(せ)む吾等(われ)」と訓む。「廬(いほり)」は「旅行中に泊まるために造る粗末な小屋」をいう。「廬将為」は、その「廬(いほり)」にサ行変格活用の他動詞「す」がついて動詞化した「いほりす」の未然形「廬(いほり)為(せ)」+意思・意向の助動詞「む」(漢文の助字「将」で表記)=「廬(いほり)為(せ)む」。「吾等」(250番歌一本に既出 )は、一人称代名詞「われ」(複数)を表したもので、「吾等(われ)」と訓む。
 1017番歌の漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。

  木綿(ゆふ)疊(たたみ) 手向(たむけ)の山(やま)を
  今日(けふ)越(こ)えて 何(いづ)れの野邊(のへ)に
  廬(いほり)為(せ)む吾等(われ)

  (木綿畳) 手向けする逢坂山を
  今日越えて どこの野辺に
  仮寝の廬を結ぼうか 私たちは

[参考]本歌の作歌事情について、阿蘇『萬葉集全歌講義』の【歌意】に次のようにある。

 四月に賀茂神社に参詣に行ったとあるから、四月に行われる賀茂神社の祭りに合わせて参詣に赴いたのであろう。歌はしかし賀茂の神祭とは関わらず、逢坂山を越えて近江の海(琵琶湖)を眺めて帰ってきて後に詠んだものという。帰ってきて後に詠んだとあるが、「いづれの野辺に廬(いほ)りせむわれ」と、今夜の宿泊の場所もきまらぬ旅の不安を詠んでいる。賀茂から足を延ばして歌枕を訪ねたことも、郎女の文芸的志向をうかがわせるが、宿に帰ってきて後に、行方定まらぬ旅の不安を詠んだこの歌は、題詠歌や羇旅歌に関心を寄せ、積極的に主題を求め創作を試みた郎女の姿勢を示す。
ラベル:万葉集
posted by 河童老 at 10:58| Comment(0) | 小説/文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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