2018年07月31日

『万葉集』を訓(よ)む(その1292)

 今回は、951番歌を訓む。「五年戊辰幸于難波宮時作歌四首」の二首目。
 写本に異同はなく、原文は次の通り。

  見渡者 近物可良 
  石隠 加我欲布珠乎 
  不取不巳

 1句「見渡者」は「見渡(みわた)せば」と訓む。この句は283番歌3句・326番歌1句と同句。サ行四段活用の他動詞「みわたす」の已然形「見渡(みわた)せ」+順接の確定条件を表す接続助詞「ば」(「は」の訓仮名「者」を流用して表記)で、「見渡(みわた)せば」。「みわたす」は「こちらからかなたをはるかに見やる。」ことをいう。ちなみに、「見渡(みわた)せば」の句は、本歌を含め『万葉集』に八例あり、1句に使われているのが五例(326・951・1872・1913・1970)、3句に使われているのが三例(283・1030・1160)で、全て表記は同じ「見渡者」である。
 2句「近物可良」は「近(ちか)きものから」と訓む。「近」はク活用形容詞「ちかし」の連体形「近(ちか)き」。「ちかし」は、「空間・距離の隔たりが少ない」ことをいう。「物可良」(766番歌に既出)は、逆接の確定条件を示す接続助詞「ものから」を表す。「ものから」は、形式名詞「もの」(「物」で表記)に名詞「から」(カ音・ラ音の常用音仮名「可良」で表記。「良」は片仮名・平仮名の字源。)の付いてできたもので、活用語の連体形を受ける。この「から」を格助詞とする説もあるが、中古以前の原因・理由を表わすと見られる「から」はまだ体言と考えなければならない。
 3句「石隠」は「石隠(いはがく)り」と訓む。ここの「石」は、948番歌29句と同様、「いし」ではなく「いは」と訓む。「石隠」は、ラ行四段活用の自動詞「いはがくる」の連用形で「石隠(いはがく)り」。「いはがくる」は「岩の間に隠れる。岩かげに隠れる」ことをいう。
 4句「加我欲布珠乎」は「かがよふ珠(たま)を」と訓む。「加」「我」「欲」「布」は、各々、カ音・ガ音・ヨ(甲類)音・フ音の常用音仮名で、「加」は片仮名・平仮名の字源。「加我欲布」は、ハ行四段活用の自動詞「かがよふ」(連体形)を表し、「きらきら光ってゆれ動く。きらきらゆれる。」意。「珠(たま)」は、「玉」に同じで、球形あるいはそれに近い形の美しくて小さい石などで、装飾品となるものを総称していう。「乎」はヲ音の常用音仮名(片仮名の字源)で、格助詞「を」。
 5句「不取不巳」は「取(と)らずは巳(や)まじ」と訓む。「不取」は、ラ行四段活用の他動詞「とる」の未然形「取(と)ら」+打消の助動詞「ず」(連用形。漢文の助字「不」で表記)=「取(と)らず」。下に係助詞「は」を補読。「不巳」は、マ行四段活用の自動詞「やむ」の未然形「巳(や)ま」+否定的意志を表す助動詞「じ」(漢文の助字「不」で表記)=「巳(や)まじ」。「取(と)らずは巳(や)まじ」は「取らずにはおかないつもりだ」の意。
 951番歌の漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。

  見渡(みわた)せば 近(ちか)きものから
  石隠(いはがく)り かがよふ珠(たま)を
  取(と)らずは巳(や)まじ
 
  見渡すと 近いところなのだが
  岩にかくれて きらきら光ってゆれる珠を
  取らずにはおかないつもりだ
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2018年07月10日

『万葉集』を訓(よ)む(その1286)

 今回は、948番歌の5句からを訓む。
 5句・6句「山上丹・霞田名引」は「山(やま)の上(うへ)に・霞(かすみ)たなびく」と訓む。5句は、多くの注釈書が「山峡(やまかひ)に」と訓むが、澤潟『萬葉集注釋』は「山(やま)の上(うへ)に」と訓む。澤潟の説を支持して、ここは「山(やま)の上(うへ)に」と訓みたい。「丹」は「に」の常用訓仮名で、場所を示す格助詞「に」。澤潟『萬葉集注釋』に次のようにある。

 山の上に ― 「上」の字、元に「匕」とあるので前の「背匕(ソカヒ)」(九一七)と同じく、匕(カヒ)の借訓文字として新訓に「山峡(やまかひ)に」とした。それも一案であるが、ここは元以外、紀、西、その他すべて「上」とあり、元も左に赭「上」とあり、右に片カナ赭ヤマノウヘニとあり、紀、細、もヤマノウヘニ、西その他いづれもヤマノウヘニとある。「夜麻可比尓(ヤマカヒニ) 佐家流佐久良乎(サケルサクラヲ)」(十七・三九六七)の如きは認められるが、霧ならばともかく(四・五〇九参照)、霞に山峡はふさはしくなく、他に用例もなく、「上」の方は「霊寸春(タマキハル) 吾山之於尓(ワガヤマノウヘニ) 立霞(タツカスミ)」(十・一九一二)の例もあり、元一本により「山峡」とする事は從ひ難い。

「霞(かすみ)」(735番歌他に既出)は、動詞「かすむ(霞)」の連用形の名詞化したもので「空気中に広がった微細な水滴やちりが原因で、空や遠景がぼんやりする現象」をいう。「田名引」は、カ行四段活用の自動詞「たなびく」の連体形「たなびく」と訓む。「田」と「名」は、「た」「な」の常用訓仮名で、「引」は「びく」を表すための借訓字。「たなびく」は「雲や霞が薄く層をなして横に長く引く」ことをいう。
 7句・8句「高圓尓・鴬鳴沼」は「高圓(たかまと)に・鴬(うぐひす)鳴(な)きぬ」と訓む。「高圓(たかまと)」は、230番歌に既出の「高圓山(たかまとやま)」のことで、奈良市白毫寺町にある春日山の南に峠道を隔てて続く、標高462メートルの山をいう。「尓」はニ音の常用音仮名で、場所を示す格助詞「に」。「鴬(うぐひす)」は「ヒタキ科ウグイス亜科の鳥。雄は全長約一六センチメートル、雌は約一四センチメートル。雌雄とも背面は褐色を帯びた緑色で、腹部は白っぽい。早春、『ホーホケキョ』と美声でさえずるので、飼い鳥とされる。夏は平地から高山までの各地の笹やぶにすみ、地鳴き(笹鳴きともいう)は『チャッチャッ』と鳴く。冬に山地のものは平地に降りてくる。鶯の卵はホトトギスの卵とよく似ているので、鶯はしばしばホトトギスの卵を孵化(ふか)して育てる。はるどり。はるつげどり。うたよみどり。きょうよみどり。においどり。ひとくどり。ももちどり。はなみどり。あたごどり。学名はCettia diphon 《季・春》」(『日本国語大辞典』より)。「鳴沼」は、カ行四段活用の自動詞「なく」の連用形「鳴(な)き」+完了の助動詞「ぬ」(「ぬ」の常用訓仮名「沼」で表記)=「鳴きぬ」。
 9句・10句「物部乃・八十友能壮者」は「物部(もののふ)の・八十(やそ)とものをは」と訓む。9句は、928番歌の17句と同句で、10句も928番歌の18句「八十伴雄者」と表記は少し異なるが同句。「物部乃」は、「朝廷に仕える氏族の総称」の意で「物部(もののふ)の」と訓む。「もののふの」は、氏族の数の多い所から「八十伴緒」「八十氏」「八十」などにかかる枕詞として用いられることが多いが、ここでは「朝廷に仕える文武百官」という実質的な意味をもち、次の「乃」(ノ(乙類)音の常用音仮名で片仮名・平仮名の字源)は、同格の格助詞「の」で次の「八十友能壮」に続くとみられる。「八十(やそ)」は数の多いことを言ったもので「多くの」の意。「友」は「とも」を表すための借訓字、「能」はノ(乙類)音の常用音仮名、「壮」は「大きい男」の意を持つことから「男」「雄」と同じく「を」を表すのに用いたもので、「友能壮」で以って「とものを」を表す。「とものを」は、本来は「伴の緒」と書き、「伴う一連のもの」の意。『万葉集』では「伴緒」の表記例は1047番歌の一例のみで、あとは「伴男」「伴雄」などと書かれているので男子の意に解していたものと思われる。「者」は漢文の助字で、係助詞「は」。
 11句・12句「折木四哭之・来継比日」は「折木四(かり)[雁]が哭(ね)の・来継(きつ)ぐ比日(このころ)」と訓む。「折木四(かり)」は、743番歌5句の「諸伏(まにまに)」と同様、朝鮮半島の伝統的な遊戯の一つである樗蒲(ちよぼ)に由来する戯書。樗蒲は、年末から年始に行われる遊びで、木製で平たい楕円形の四つのさいころの一面を白く、他面を黒く塗り、黒い面二面に牛を、白い面二面にきじを描いて投げ、出た面の組み合わせで勝負を争う。日本では「かりうち」といったことから、「折木四」を「かり(雁)」に宛てたもの。「かり(雁)」は、ガンカモ科の大型の鳥の総称。下に連体助詞「が」を補読して次の「哭(ね)」に続く。「哭(ね)」は「虫、鳥、獣などが鳴く声」の意で、ここは「雁の鳴く声」。「之」は漢文の助字で格助詞「の」。「来継」は、ガ行四段活用の自動詞「きつぐ」の連体形「来継(きつ)ぐ」。「きつぐ」は「次々と来る。引き続いて来る。」ことを言う。「比日」は、436・648番歌に既出で、「比日(このころ)」と訓む。王羲之の書簡文『文集帖』に「此日省卿ノ文集ヲ尋ヌ」、『雑帖』に「吾レ此日極メテ不快、眠食スルコト得ズ」などと「この頃」の意で使われていることから、「このころ」にあてたもの。
 13句以降は、次回に続く。
posted by 河童老 at 14:44| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月17日

『万葉集』を訓(よ)む(その1262)

 今回は、931番歌の11句からを訓む。
11句・12句「月二異二・日日雖見」は「月(つき)に異(け)に・日(ひ)に日(ひ)に見(み)とも」と訓む。11句は、698番歌の5句「月二日二異二」の「日二」がない形。「月(つき)」は、時間の単位。「二」はニ音の常用音仮名(片仮名の字源)で、格助詞「に」。「異(け)に」は形容動詞「異(け)なり」の連用形。「異(け)なり」は「異なるさま。格別のさま。」をいう。「月(つき)に異(け)に」は、「月毎に変わって。月を追う毎にますます。」の意。「日日」は、副詞の「日(ひ)に日(ひ)に」で、「日ごとに。毎日毎日。」の意。「雖見」は、マ行上一段活用の他動詞「みる」の連用形「見(み)」+、逆接の仮定条件を示す接続助詞「とも」(漢文の助字「雖」で表記)=「見(み)とも」。「日(ひ)に日(ひ)に見(み)とも」は、「毎日見ても」の意で、14句の「あき[飽き]足(た)らめやも」に続く。
 13句・14句「今耳二・秋足目八方」は「今(いま)のみに・あき[飽き]足(た)らめやも」と訓む。「今(いま)」(790番歌他に既出)は「過去と未来との境になる時。現在。」をいう。「耳二」(372番歌12句に既出)は、限定を表わす副助詞「のみ」(限定・強意を表わす漢文の助字「耳」で表記)+格助詞「に」(11句に既出の「二」で表記)=「のみに」。「秋足」は、ラ行四段活用の自動詞「あきたる」の未然形「あき[飽き]足(た)ら」。「秋」は「あき」を表すための借訓字。「あきたる」は、「十分満たされたという気持ちになる。満足する。」の意。「目八方」(763番歌他に既出)は、推量の助動詞「む」の已然形「め」+反語の意を表す係助詞「や」+詠嘆の終助詞の「も」=「めやも」。「目」「八」は、「め」「や」を表わす常用訓仮名。「方」は「おも」と訓むことから「も」に用いたもので、「跡(あと)」を「と(乙類)」の常用訓仮名として用いたのと同じ。「今(いま)のみに・あき[飽き]足(た)らめやも」は「今見るだけで、満足できようか、いやできない。」の意。
 15句・16句「四良名美乃・五十開廻有」は「しらなみ[白波]の・い開(さ)き[咲き]廻(めぐ)れる」と訓む。「四」はシ音の音仮名、「良」はラ音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)、「名」は「な」の常用訓仮名、「美」はミ(甲類)音の常用音仮名(平仮名の字源)。「四良名美」は、「しらなみ[白波]」で、「白い波、白くくだける波」の意。「乃」はノ(乙類)音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)で、格助詞「の」。「五十」(674番歌他に既出)は、数の五十を「い」と言ったのに基づく借訓仮名で、語調を整える接頭語「い」を表す。「開」は、カ行四段活用の自動詞「さく」の連用形「開(さ)き」。「開」を「さく」と訓む例は、912番歌他に既出。「さく」は「花のつぼみがひらく」ことをいうので「ひらく」の「開」の字があてられたもの。「廻有」は、ラ行四段活用の自動詞「めぐる」の已然形(音韻上は命令形)+完了・存続の助動詞「り」の連体形「る」(「有」で表記)=「廻(めぐ)れる」。「めぐる」は「物の周囲をひとまわりするようにとりかこむ」ことをいう。15句・16句は、白波の白い波頭を花に見立てて、「い咲き廻れる」と詠んだもの。
 余談になるが、15句の「四良名美(しらなみ)」の表記について考えて見たい。『万葉集』には「しらなみ」を詠んだ歌が六十二首あり、その表記を調べて見ると、漢字表記が、「白浪」三十五例と「白波」五例の四十例、漢字仮名交じり表記として「白那弥」の一例があって、残りの二十一例が仮名表記である。その仮名表記の内訳をみると、「之良奈美」十五例、「志良奈美」二例、「思良奈美」二例、「思良名美」一例、「四良名美」一例となっている。以上から、仮名表記では、常用音仮名のみで表記した「之良奈美」が圧倒的であり、訓仮名の「名」を交えたものは、「思良名美」「四良名美」の二例のみであり、これが特殊な表記であることがわかる。「良名美」には、「良い名を持つ美しい」という意味を持たせたものと考えて間違いないのではないだろうか。本歌の場合では「良い名を持つ美しい」が末句の「住吉(すみのえ)の濱(はま)」を修飾しているように思うがどうであろう。また「し」の表記を数字の「四」としたのは、本歌では、「み」に「三」、「に」は「二」を用い、それ以外にも「千」「五百」「八」「五十」など多くの数字を使うなど、数字遊びによる表記をおこなっているためだと思われる。
 17句「住吉能濱」は「住吉(すみのえ)の濱(はま)」と訓む。「住吉」(394番歌他に既出)は、摂津国の古郡名で、平安初期以降「すみよし」と呼称される。歌枕の一つ。「吉」はエともエシとも訓まれたので、日吉神社ももとヒエであったのがヒヨシとなったのと同じで、「住吉」も萬葉の時代には「すみのえ」と訓まれ、後に「すみよし」となったもの。「能」はノ(乙類)音の常用音仮名で、連体助詞「の」。「濱」(394番歌他に既出)は、「浜」の旧字で、「海や湖の、水ぎわに沿った平地」をいう。
 931番歌の漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。

  鯨魚(いさな)取(と)り 濱邊(はまへ)を清(きよ)み
  打(う)ち靡(なび)き 生(お)ふる玉藻(たまも)に
  朝(あさ)なぎ[凪]に 千重(ちへ)浪(なみ)縁(よ)[寄]せ
  夕(ゆふ)なぎ[凪]に 五百重(いほへ)波(なみ)因(よ)[寄]す
  邊(へ)つ浪(なみ)の 益(いや)しくしくに
  月(つき)に異(け)に 日(ひ)に日(ひ)に見(み)とも
  今(いま)のみに あき[飽き]足(た)らめやも
  しらなみ[白波]の い開(さ)き[咲き]廻(めぐ)れる
  住吉(すみのえ)の濱(はま)

  (鯨魚とり) 浜辺が清らかなので
  ゆらめいて 生い茂っている玉藻に
  朝凪には 千重波が寄せ
  夕凪には 五百重波が寄せる 
  その浜辺の波の あとからあとから寄せてくるように
  月を重ねて 毎日毎日見ていても
  今見ているだけで 満足できようか
  白波が 花のように美しく咲きめぐる
  住吉の浜は 
posted by 河童老 at 21:49| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする