2016年07月04日

『万葉集』を訓(よ)む(その1061)

 今回から、794番歌を訓む。題詞に「日本挽歌一首」とある。二十九句からなる長歌で、後ろに五首の反歌(795〜799番歌)を伴う。799番歌の左注に「神龜五年七月廿一日 筑前國守山上憶良上」とあるので、これらの作品は、前回まで訓んできた漢詩文とともに、山上憶良が、神亀五年七月二十一日に、大宰帥大伴旅人に献呈したものであることがわかる。井村哲夫「報凶問歌と日本挽歌」(『万葉集を学ぶ』第四集)は、「神亀五年七月二十一日」の日付は、旅人の妻大伴郎女の死後百日に当たるもので、その供養設斎を期して献呈したものであったと推測しているが、正鵠を射たものと言えよう。また井村の同論文は、「日本挽歌」の名称について次のように述べている。

「日本挽歌」の名称については、「右ノ詩(注、悼亡詩)ニ対シテ日本トハイヘリ」(『代匠記』)とも言われようし、また、中国の挽歌・挽歌詩に対して此の国の挽歌の「伝統的儀礼的格式を意識して作った気持の反映(中西進・「日本挽歌」『山上憶良』)とも言われよう。憶良が長屋王邸の七夕宴において七夕詩でなく倭歌を詠ずる人であったこと、また古今の倭歌を集めた『類聚歌林』の編纂者であったことなどは、あるいは「日本ノ挽歌」と題したと同じ意識に出るものかもしれない。そこには、後世の我々によって六朝詩や初唐詩の追随模倣と評される天平詩壇の状況にあきたらず、倭歌の伝統をふまえた新しい創造が可能であると言う憶良の主張があったとも思われる。

写本の異同としては、7句の四字目<尓>が『西本願寺本』には無いことが挙げられるが、ただ『西本願寺本』も、「陀」の下に○印をつけ、その右に「尓」を小文字で記している。原文は次の通り。

  大王能 等保乃朝廷等 斯良農比 筑紫國尓
  泣子那須 斯多比枳摩斯提 伊企陀<尓>母 伊摩陀夜周米受 
  年月母 伊摩他阿良祢婆 許々呂由母 於母波奴阿比陀尓 
  宇知那毗枳 許夜斯努礼 伊波牟須弊 世武須弊斯良尓
  石木乎母 刀比佐氣斯良受 伊弊那良婆 迦多知波阿良牟乎
  宇良賣斯企 伊毛乃美許等能 阿礼乎婆母 伊可尓世与等可
  尓保鳥能 布多利那良毗為 加多良比斯 許々呂曽牟企弖 
  伊弊社可利伊摩須

 一句・二句「大王能・等保乃朝廷等」は「大王(おほきみ)の・とほの朝廷(みかど)と」と訓む。304番歌の1句・2句「大王之・遠乃朝庭跡」と表記は異なるが同句。「大王」は、大和国家の王者が諸豪族に超越する立場を獲得するに至って「王(きみ)」のうちの大なる者の意で「大王(おほきみ)」と称するようになったもので、主に天皇を尊敬して云うのに用いられ、現在では「大君」と表記されるのが一般的。時の天皇は聖武天皇。「能」はノ(乙類)音の常用音仮名で連体助詞「の」。「等」「保」「乃」は、各々、ト(乙類)音・ホ音・ノ(乙類)音の常用音仮名で、「保」と「乃」は、片仮名・平仮名の字源。「等保乃」は、ク活用形容詞「とほし」の語幹「とほ」に格助詞「の」がついた「とほの」で、「隔たりの程度がはなはだしい。遠くの。遠方の。」の意。「朝庭」は「みかど」と訓む。「みかど」については、50番歌32句のところで、「みかど」は、本来「御門」と書き、接頭語の「み」がついた「門」の尊敬語であり、そこから家や屋敷の尊敬語となり、特に天子・天皇の居処をいい、朝廷を表わす言葉となったと述べたが、ここは、遠方の朝廷、すなわち太宰府をはじめ、国府その他地方にあって天皇の政事の行なわれるところの意に用いたもの。「等」は上に既出のト(乙類)音の常用音仮名でここは格助詞「と」に用いたもので「…として」の意。
 3句・4句「斯良農比・筑紫國尓」は「しらぬひ・筑紫(つくし)の國(くに)に」と訓む。「斯」はシ音の常用音仮名、「良」はラ音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)、「農」はヌ音の音仮名、「比」はヒ(甲類)音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)。「斯良農比」は、336番歌1句「白縫」と同じく、「しらぬひ」と訓み、国名「筑紫」にかかる枕詞。語義およびかかり方は未詳で、の仮名書き例により、ヒは甲類であることが分かるから、「不知火(しらぬひ)」と解するわけにはいかない(「火」は乙類の仮名)。到達するまでにかかる日数が分からない意で「知らぬ日」だとする説や、「領(し)らぬ霊(ひ)憑(つ)く」意でかかるとする説などがある。「筑紫(つくし)の國(くに)」は、古く、九州地方の称で、九州地方全体を指す場合、九州の北半、肥の国・豊国を合わせた地方を指す場合、筑前・筑後を指す場合、筑前国、もしくは大宰府を指す場合などがあるが、ここは大宰府のある筑前を指す。「尓」はニ音の常用音仮名で、場所を示す格助詞「に」。
 5句以下は、次回に続く。
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2016年03月10日

『万葉集』を訓(よ)む(その986)

 今回は、723番歌の7句からを訓む。
 7句・8句「野干玉之・夜晝跡不言」は「ぬば玉(たま)の・夜晝(よるひる)と言(い)はず」と訓む。7句「野干玉之」は、525五番歌3句・702番歌1句の「夜干玉之」、619番歌27句「夜干玉乃」、639番歌3句「夜干玉能」と表記は異なるが同句で、「ぬば玉(たま)の」と訓み、ぬばたまの実が黒いところから、黒色やそれに関連した語、例えば「黒駒」「黒馬」「黒髪」や「夜」に関する語などにかかる枕詞として使われた。ここでは次句の「夜」にかかる。なお、『日本国語大辞典』は「ぬばたまの【射干玉―】」の語誌欄に次のように記している。

(1)「万葉」では仮名書き例のほか、挙例のように「烏玉」「黒玉」「野干玉」「夜干玉」といった表記が見られる。「本草和名」には「射干〈略〉一名烏扇〈略〉和名加良須阿布岐」とあり、「十巻本和名抄‐七」には「狐〈略〉射干也、関中呼為野干、語訛也」ともあり、「射干」と「野干」は通じるようである。これにより、「万葉」の「野干玉」の表記は烏扇(檜扇)という植物の黒い実に結びついたものと考えられる。
(2)いくつかの語源説があるが、烏扇の実の名がすなわち「ぬばたま」の語源であると考える説と、「白玉」と同じように「ぬば」は元来は黒い色を表わす語であったと考える説とが有力である。後者の場合、「沼→泥→黒」というような意味的連環を想定し、白玉が特に真珠を意味するように、黒い玉の意味の語が烏扇の実と二次的に結びついたとするのである。

 8句「夜晝跡不言」は、193番歌2句「夜晝登不云」と一部表記は異なるが同句で、「夜晝(よるひる)と言(い)はず」と訓む。「夜晝」は「よるひる」で、「夜(日没から日の出まで)と昼(日の出から日没まで)」の意。「跡」は「と(乙類)」の常用訓仮名で、格助詞「と」。「不言」は、ハ行四段活用の自動詞「いふ」の未然形「言(い)は」+打消しの助動詞「ず」(「不」で表記)で「言(い)はず」。「夜晝(よるひる)と云(い)はず」は、「夜と言わず、昼と言わず」即ち「昼夜を分かたず」の意。現在では「昼夜」というのが普通だが、当時は「夜晝」と言ったようで、『続日本紀』宝亀二年〔771〕二月二二日・宣命にも「天下の公民の息安(やす)まるべき事を、旦夕(あさよひ)夜日(よるひる)と云はず、思ひ議り奏(まをしたま)ひ仕へ奉れば」(原文「天下公民之息安〈麻流倍伎〉事〈乎〉旦夕夜日不云思議奏〈比〉仕奉者」)とある。
 9句・10句「念二思・吾身者痩奴」は「念(おも)ふにし・吾(わ)が身(み)は痩(や)せぬ」と訓む。「念」はハ行四段活用の他動詞「おもふ」の連体形「念(おも)ふ」。「二」はニ音の音仮名(片仮名の字源)で、接続助詞「に」。「思」はシ音の音仮名で、副助詞「し」。「吾身」は間に連体助詞「が」を補読して「吾(わ)が身(み)」と訓む。「吾(わ)」は作者の坂上郎女をさす。「吾(わ)が身(み)」は「私の身。自分の身。その人自身の身。」の意。「者」は「は」の訓仮名で、係助詞「は」。「痩」はサ行下二段活用の自動詞「やす」の連用形で「痩(や)せ」。「やす」は「体重が減りからだが細くなる。」ことをいう。「奴」はヌ音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)で、完了の助動詞「ぬ」。
 11句・12句「嘆丹師・袖左倍沾奴」は「嘆(なげ)くにし・袖(そで)さへ沾(ぬ)れぬ」と訓む。「嘆」はカ行四段活用の自動詞「なげく」の連体形「嘆(なげ)く」。「丹」は「に」の常用訓仮名で、接続助詞「に」。「師」は「し」の常用訓仮名で、副助詞「し」。「袖(そで)」(614番歌他に既出)は「衣服で、身頃(みごろ)の左右にあって、腕をおおう部分。」をいう。「左」はサ音の常用音仮名(平仮名の字源)、「倍」はヘ(乙類)音の常用音仮名。「左倍」で以って副助詞「さへ」を表す。「沾」(194番歌他に既出)はラ行下二段活用の自動詞「ぬる」の連用形で「沾(ぬ)れ」。「ぬる」は「物の表面に雨、露、涙などの水がたっぷり付く。」ことをいう。「奴」は10句と同じで、完了の助動詞「ぬ」。9句・10句「念(おも)ふにし・吾(わ)が身(み)は痩(や)せぬ」と11句・12句「嘆(なげ)くにし・袖(そで)さへ沾(ぬ)れぬ」とは二句対の対句。9句「念(おも)ふにし」・11句「嘆(なげ)くにし」の「し」は、一般に強意の副助詞と言われているが、強意と言っても、係助詞「そ」のような、人に教示してやるという強めでも、「こそ」のような、逆接を予想する強調を示すものでもない。ここの「し」は、対句の声調を整える役割を担うとともに、話し手が「念(おも)ふ」「嘆(なげ)く」という気持ちの強いことを控え目に表現するのに用いたものであり、「念(おも)ふ」「嘆(なげ)く」の意を強める働きがあるという意味においては、強意の副助詞と言っても良いだろう。
 13句以降は次回に。
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2015年10月05日

『万葉集』を訓(よ)む(その884)

 今回は、622番歌を訓む。題詞に「佐伯宿祢東人和歌一首」とあり、前の621番歌(以下、「前歌」という。)に「夫君」である「佐伯宿祢東人」が答えた歌である。
 写本に異同はなく、原文は次の通り。

  草枕 客尓久 成宿者 汝乎社念 莫戀吾妹

 1句「草枕」は「草枕(くさまくら)」と訓む。「前歌」3句と同句。草を枕に野宿する意で「たび(旅)」にかかる枕詞。
 2句「客尓久」は「客(たび)に久(ひさ)しく」と訓む。「前歌」の4句「客(たび)なる公(きみ)が」に承応したもの。「客」を「客(たび)[旅]」と訓むことは「前歌」のところで述べた。「尓」はニ音の常用音仮名で、格助詞「に」。「久」はシク活用形容詞「ひさし」の連用形(副詞法)で「久(ひさ)しく」。「ひさし」は「時の経過が長い」ことをいう。
 3句「成宿者」は「成(な)りぬれば」と訓む。この句は、619番歌25句「成奴礼婆」と表記は異なるが同句。「成」はラ行四段活用の自動詞「なる」の連用形「成(な)り」。ここの「なる」は「その時刻や時期に達する。その時に至る。また、時が経過する。」の意。2句の「客(たび)に久しく」を受けている。「宿」は、完了の助動詞「ぬ」の已然形「ぬれ」を表すための借訓字。「宿」は、ナ行下二段活用の自動詞「ぬ」の已然形「ぬれ」の意をも込めた用字で、旅の宿寝を重ねたことを表したものかと思われる。「者」は「は」の訓仮名であるが、ここは、順接の確定条件を表す接続助詞「ば」に流用したもの。
 4句「汝乎社念」は「汝(な)をこそ念(おも)へ」と訓む。「汝(な)」は奈良時代にはもっとも一般的な対称代名詞(二人称)として用いられている。特に歌ではもっぱらこの語を使用するが、敬意は高くなく対等もしくはそれ以下の相手に対して用い、動物や植物などに呼びかける時にも用いられる。前に「千鳥」に対して用いた例(266・371番歌)があった。ここは夫である佐伯宿祢東人が妻に対して親しみをこめて言ったもの。「乎」はヲ音の常用音仮名(片仮名の字源)で、動作の対象を示す格助詞「を」。「社」(605番歌他に既出)は、強い指示を表わす係助詞「こそ」。「社」をコソと訓むのは、「社」(=神社)に祈願することから、願望の意の助詞コソに「社」の字を当てるようになったもの。「念」はハ行四段活用の他動詞「おもふ」の已然形「念(おも)へ」。上の「こそ」の係結び。
 5句「莫戀吾妹」は「な戀(こ)ひそ吾妹(わぎも)」と訓む。「莫」(577番歌他に既出)は漢文の助字であるが、「な」の訓仮名として禁止の意を表す副詞「な」に用いたもの。「戀」はハ行上二段活用の他動詞「こふ」の連用形「戀(こ)ひ」であるが、ここは下に禁止を示す終助詞「そ」を補読して、「莫戀」で「な戀(こ)ひそ」と訓む。「な……そ」の形は、活用語の連用形(カ変・サ変は未然形)をはさんで、その動作を禁止する働きをするが、「……な」という禁止表現とは違って、懇願する意になる。「吾妹(わぎも)」は「わがいも」が変化したもので、自分の、妻や恋人である女性、または広く女性を親愛の気持をこめて呼ぶ語。親愛の意を表わす接尾語「兒(こ)」がついた「吾妹兒(わぎもこ)」の例が多い。この句について、阿蘇『萬葉集全歌講義』は「『な恋ひそ』は、『恋ふ』行為をやめるよう懇願する表現。不在の夫を恋うことは、辛く思い苦しむこととして、『な恋ひそ』といったもの。『吾妹』は、愛しい我が妻よ、の意で、妻への呼び掛け。」と注している。

 622番歌の漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。

  草枕(くさまくら) 客(たび)に久(ひさ)しく
  成(な)りぬれば 汝(な)をこそ念(おも)へ
  な戀(こ)ひそ吾妹(わぎも)

  (草枕) 旅に出てから久しく
  なったので お前のことばかり思っているよ
  そう恋しがってくれるな、いとしい妻よ

 [参考]621・622番歌の贈答歌について、伊藤博『萬葉集釋注』が述べているところを引用しておく。伊藤は、621番歌の「戀(こ)ふれ」の主語を旅先の夫としており、そこの解釈が違うが、面白い見方だと思う。
 二首の漢字仮名交じり文を記した後に次のようにある。

 右の歌は、天平四年(七三二)八月、西海道節度使の第三等官に任ぜられた佐伯東人が任地に赴いてからの贈答であるから、天平五年頃の詠としてここに置かれたのであろう。東人の歌に「旅に久しくなりぬれば」とあるのを額面どおりにうけとるのは危険であるけれども、赴任して年を越えての表現としてふさわしい。
 妻の六二一の歌は、
  やむ時もなく、あなたが恋い続けて下さるためで
  ありましょうか、旅に出ているあなたの姿が見え
  ます。
の意。相手が一心にこちらを思うと相手が夢枕に立つという俗信を踏まえてうたっている(四九〇参照)。返す夫の六二二の歌は、
  旅に出て日数をたくさん重ねたのだもの、
  むろんそなたのことしか思っていないのに……。
  そんなに苦しまないでおくれ、お前。
という意。これは、妻の歌の背後に、「この夢、信じてよろしいのね」という底意を感じとっての歌と見える。ことさらな強調に懸念を抱きながらも、このようにきっぱり言ってもらうと一往納得するのが女心なのであろう。
posted by 河童老 at 15:33| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする