2019年01月11日

『万葉集』を訓(よ)む(その1331)

 今回は、986番歌を訓む。前歌に続いて「湯原王月歌二首」の二首目で、「湯原王(ゆはらのおほきみ)」が「月(つき)」を詠んだ歌である。
 写本に異同はなく、原文は次の通り。

  愛也思 不遠里乃 
  君来跡 大能備尓鴨 
  月之照有

 1句「愛也思」は「愛(は)しきやし」と訓む。この句は、454番歌1句・466番歌5句・787番歌3句の「愛八師」と「やし」の表記は異なるが、同句。「愛」はシク活用形容詞「はし」の連体形で「愛(は)しき」。「はし」は「いとおしい。かわいらしい。慕わしい。」の意。「也」はヤ音の準常用音仮名、「思」はシ音の音仮名で、間投助詞「や」と「し」を表わす。この句は、3句の「君」を修飾する。この句について、吉井『萬葉集全注』は次のように注している。

○はしきやし ハシは愛恋や親愛の詠嘆的表現。その連体形ハシキに間投助詞ヤシがついたもの。愛(は)し妻(8・一五二一)。愛しき(2・二二〇、3・四七四、18・四一三四)。またハシキヨシ(5・七九六、17・三九六四)やハシケヤシ(4・六四〇、6・一〇五九)の形としても用いられる。なお、第一句を独立句とする説(私注)、君を修飾するが、独立句への傾向があるとする全註釈説、里にかかるとする注釈説がある。君を修飾すると見るのが妥当であろう。

 2句「不遠里乃」は「不遠(まちか)[間近]き里(さと)の」と訓む。「不遠」は、「遠からず」の義から、ク活用形容詞「まちかし」の連体形「間近(まちか)き」の表記にあてたもので、義訓。「里(さと)」(952番歌他に既出)は、「人家のあつまっている所。人の住んでいる所。村落。」をいう。「乃」はノ(乙類)音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)で、連体助詞「の」。
 3句「君来跡」は「君(きみ)来(こ)むと」と訓む。「君(きみ)」は「敬愛する人」をさしていう語で、女から見て男をいうことが普通だが、稀に男性同士、女性同士にも用いられた。「来」カ行変格活用の自動詞「く」の未然形「こ」に推量の助動詞「む」を訓み添えて「来(こ)む」と訓む。「跡」は「と(乙類)」の常用訓仮名で、接続助詞「と」。
 4句「大能備尓鴨」は「大(おほ)のび[大野辺]にかも」と訓む。「大能備尓」の訓みについては、「大野辺(び)に」とする『萬葉考』と、「大伸(の)びに」とする『萬葉集全註釈』の二説があるが、澤瀉『萬葉集注釋』の論説(後ろに[参考]として引用しておく)を支持して、前説を採ることとする。前説の欠点は、「能」がノ(乙類)音の常用音仮名であり、一方「野」を表す仮名は「努」「弩」などの甲類であることであるが、この甲乙の混同は早くから見られるのでここもその例と見てよい。「備」はビ(乙類)音の常用音仮名で、「辺(び)」を表す。「尓」はニ音の常用音仮名で、場所を示す格助詞「に」。「鴨」は疑問の係助詞「か」+詠嘆の係助詞「も」=「かも」を表すための借訓字。
 5句「月之照有」は「月(つき)の照(て)りたる」と訓む。「月(つき)」は710番歌他に既出で「天体の月」。「之」は漢文の助字で、格助詞の「の」。「照有」は、ラ行四段活用の自動詞「てる」の連用形「照(て)り」+完了・存続の助動詞「たり」の連体形「たる」(「有」で表記)=「照(て)りたる」。「たる」と連体形となっているのは4句の係助詞「か」の結び。「たり」を「有」で表記しているのは、「たり」が「てあり」の約であることによる。
 986番歌の漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。

  愛(は)しきやし 不遠(まちか)[間近]き里(さと)の
  君(きみ)来(こ)むと 大(おほ)の[大野]びにかも
  月(つき)の照(て)りたる

  愛おしい 遠からぬ里の
  あのお方がいらっしゃるというので 大野の辺りに
  月が照っているのでしょうか

[参考] 澤瀉『萬葉集注釋』の4句の注に次のようにある。

 大野びにかも ― 袖中小(十六)に「或書云おほのひにとはゆたかにしつかなりといふ也是江都督説也」とあるを代匠記に引いて「カヽレバ大キニノビノビニト云意ニテ極テ長キ夜ノ月ノ行トモ見エズシテ照ヲ云ナリ」といひ、考に「備(ビ)は倍(ベ)に通て大野べにかも歟海邊(ウナビ)といふに同じければ」といひ、大野邊説が行はれてゐるが、「野」は努、弩などの假名であり、「能」ではないので、全註釋には「大伸びで、月の大きく照り渡る状態を説明し、また月も君の來るのを待つとする心を含んでゐるのであらう」とあるが、どうも「大伸び」といふ言葉はをかしい。新考には「野」を「能」と書いた例として「波流能能尓」(五・八三九)があげられてゐるがこれは附訓本以下の誤であつて、類以下無まで諸本に「努」とあつて例にはならない。巻十八には助詞「の」に「野」を用ゐた例(四〇四七、その他)があるが、これは大野晋氏が「萬葉集巻十八の本文に就いて」(國語と國文學 第廿二卷第三號、昭和廿年三・四月)で述べられた如く、萬葉の原文に手を加へたものとして見るべきものである。その他に、「信濃奈流(シナヌナル) 須我能安良能尓(スガノアラノニ)」(十四・三三五二)が東歌ながらあり、又、正倉院文書(十三巻三一〇頁)に「不野里(フノリ)」の例があつて、野を「能」と同様に扱つた事もないとは云へず、篠(甲類)を「四能(シノ)」(一・四五)と書いた例もあつてノの甲乙の混同は比較的早いやうに思はれるのであるから、この「大能」も大野と見てよいと考へる。「備(ビ)」は「乎加肥(ヲカビ)」(五・八三八)、「濱備(ハマビ)」(一〇〇一、五・八九四)などの「び」と同じく「邊」の意に解してよい。「か」の疑問は結句の「照りたる」にかかる。新考に「カモは元來キミコムトの下におくべきを言數に制せられて大ノビの下におけるなり」とある。
  島かげに我が船泊てて告げやらむ使を無みや戀ひつゝ行かむ(廿・四四一二)
の「や」が「戀ひつゝ」の下にあるべきであると同様である。「も」は詠嘆。
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2018年12月03日

『万葉集』を訓(よ)む(その1324)

 今回は、979番歌を訓む。題詞に「大伴坂上郎女与姪家持従佐保還歸西宅歌一首」とあり、訓み下すと「大伴坂上郎女(おほとものさかのうへのいらつめ)、姪(をひ)家持(やかもち)の佐保(さほ)より西(にし)の宅(いへ)に還歸(かへ)るに与(あた)ふる歌(うた)一首(しゆ)」となる。「西宅」について、吉井『萬葉集全注』は次のように述べている。

○西の宅 西宅については、西方の別宅とするのが一般である。川口常孝(「“佐保の宅”と“西の宅”」『大伴家持』)は、さらにこれを具体化して、西宅は、奈良京造営と共に大伴安麻呂に与えられた左京二条四坊に位置する地の宅を言い、後、外京の左京二条五坊九・一六坪(一坪は百十九メートル四方の地。佐保小学校の北にあたる)に新たに建てたのが佐保本邸であろうと推定する。旅人の薨後も、坂上郎女は大伴家の家刀自として本邸にあり、そこから約五百メートル西の旧大伴邸である西宅に、家持が居住していたと推定するのである。

写本の異同は、5句二字目<家>を『西本願寺本』などには、「宅」とあるが、『元暦校本』『類聚古集』『紀州本』に「家」とあるのを採る。原文は次の通り。

  吾背子我 著衣薄 
  佐保風者 疾莫吹 
  及<家>左右

 1句「吾背子我」は「吾(わ)が背子(せこ)が」と訓む。この句は268・639番歌の1句と同句 。「吾」は自称「わ」に連体修飾の格助詞「が」を補読して「吾(わ)が」。「背子(せこ)」は、広く男性を親しんでいう語で、ここは大伴坂上郎女が、甥の大伴家持をに対して使ったもの。阿蘇『萬葉集全歌講義』の注に「わが背子 長女の夫にと願っている甥の家持に対して、親愛の情をこめて愛人に対して呼びかけるような表現を用いている。」とある。「我」はガ音の常用音仮名で連体修飾の格助詞「が」。 
 2句「著衣薄」は「著(け)[着]る衣(きぬ)薄(うす)し」と訓む。「著」は「着」と同字で、ここは、カ行上一段活用の他動詞「きる」の連用形キ+ラ行変格活用の自動詞「あり」の連体形アル=キアルが約まった「著(け)[着]る」と訓み、「着ている」の意。「衣」は「きぬ」とも「ころも」とも訓むが、ここは「ころも」で「衣服」の意。「薄」はク活用形容詞「うすし」の終止形「薄(うす)し」。「うすし」は「物の厚みが少ない」ことをいう。
 3句「佐保風者」は「佐保風(さほかぜ)は」と訓む。「佐保風(さほかぜ)」は、「佐保の地を吹く風」をいう。「佐保(さほ)」(949番歌他に既出)は、現在の奈良市北部、「佐保川」(79番歌他に既出)の北側の法蓮町・法華寺町一帯をいう。「者」は漢文の助字で、係助詞「は」。
 4句「疾莫吹」は「疾(いた)くな吹(ふ)きそ」と訓む。「疾」(263番歌に既出)は、ク活用形容詞「いたし」の連用形から副詞となった語で、「疾(いた)く」と訓み、「ひどく。はなはだしく。ずいぶん。」の意。「莫」(946番歌他に既出)は、「勿」と同じく否定・禁止に用いる漢文の助字で、和語の禁止を表す副詞「な」に用いたもの。副詞「な」は下に「動詞の連用形+そ」を伴って用いられることが多いが、ここもその例で、「莫吹」は、副詞「な」+カ行四段活用の自動詞「ふく」の連用形「吹(ふ)き」+終助詞「そ」(無表記だが補読)=「な吹(ふ)きそ」。「疾(いた)くな吹(ふ)きそ」は「ひどくは吹かないでおくれ」の意。
 5句「及家左右」は「家(いへ)に及(いた)[至]るまで」と訓む。「及家」は、漢文的表記で、間に返り点のレ点をつけて「家(いへ)に及(いた)[至]る」と訓む。「家(いへ)」は題詞にある「西(にし)の宅(いへ)」を指す。「及(いた)る」は、ラ行四段活用の自動詞「いたる」の連体形。「いたる」は「ある場所に行き着く。到着する。」ことをいう。『名義抄』に「及  オヨブ・トシク・ツヒニ・イカカ・カヘス・イタル・トモニス・トトノフ」とあり、イタルの訓が見える。「左右」を、時間的・空間的な限度を示す副助詞「まで」と訓むのは、両手(左右手)を「真手(まて)」といったところからの戯書で、747番歌他にも既出。
 979番歌の漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。

  吾(わ)が背子(せこ)が 著(け)[着]る衣(きぬ)薄(うす)し
  佐保風(さほかぜ)は 疾(いた)くな吹(ふ)きそ
  家(いへ)に及(いた)[至]るまで

  あなたが 着ている衣服は薄い
  佐保風は ひどくは吹かないでおくれ
  あなたが家に着くまで
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2018年08月21日

『万葉集』を訓(よ)む(その1297)

 今回は、956番歌を訓む。題詞に「帥大伴卿和歌一首」とある。「帥大伴卿」は、331番歌の題詞に既出で、大宰帥(だざいのそち)であった大伴旅人をさす。本歌は、大伴旅人が、前の石川足人の歌(955番歌)に「和(こた)へた」歌ということになる。
 写本の異同は、3句の「御食國」の「御」の字が、『類聚古集』『紀州本』には無いことがあげられるが、『元暦校本』『西本願寺本』に従って、「御食國」とした。原文は次の通り。

  八隅知之 吾大王乃 
  御食國者 日本毛此間毛 
  同登曽念

 1句「八隅知之」は「八隅知(やすみし)し」と訓む。「八隅知之」は、直近では938番歌1句に既出。「八隅知(やすみし)し」と訓み、「わが大君」または「わご大君」にかかる枕詞としての常套句で、八方を統べ治める意を表わす。
 2句「吾大王乃」は「吾(わ)が大王(おほきみ)の」と訓む。「吾大王乃」も、直近では938番歌2句に既出。「吾」は、連体助詞の「が」を読み添えて「吾(わ)が」。「大王」は、大和国家の王者が諸豪族に超越する立場を獲得するに至って「王(きみ)」のうちの大なる者の意で「大王(おほきみ)」と称するようになったもの。ここでは、聖武天皇を指す。「乃」はノ(乙類)音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)で、格助詞「の」。
 3句「御食國者」は「御食(を)す國(くに)は」と訓む。「御食」は、サ行四段活用の他動詞「をす」の連体形「御食(を)す」と訓む。「をす」は、上代の文献で尊敬語として使われた語で、ヲサ(筬)、ヲサ(長)、ヲサム(治む)のヲサと同根であると見られる。ヲサ(筬)は織機の縦糸の乱れを整えるもの。ヲサ(長)は行政府の長官で、行政を整然と行う責任者。ヲサム(治む)は行政を統括し整然と実行すること。このようにヲサには、「整える、整然と行う」という意がある。「をす」は、天皇が統治なさる国の意で「をす國(くに)」と使うことが多く、ヲスは「治む」の尊敬語、すなわちお治めになる意である。「御食」の表記は、尊敬語「をす」と訓むことを明示したものであるが、928番歌13句の「食國」を「食(を)す國(くに)」と訓んだ例のように、「食」一字でも「をす」と訓む。
 4句「日本毛此間毛」は「日本(やまと)も此間(ここ)も」と訓む。「日本」は、これまでに九例(44・52・63・319・359・366・367・389・475番歌)を数えるが、319番歌のみ「ひのもと」と訓んだ以外は全て「やまと」と訓んだ。ここも「日本(やまと)」と訓み、都のある「大和国」の意。「毛」はモ音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)で、係助詞「も」。「此間」は、代名詞の「此間(ここ)」と訓み、太宰府のある「筑紫(九州)」を指す。「毛」は上に同じ。
 5句「同登曽念」は「同(おな)じとそ念(おも)ふ」と訓む。「同」はシク活用形容詞「おなじ」の終止形で「同(おな)じ」。「登」はト(乙類)音の常用音仮名で、格助詞「と」。「曽」はソ(乙類)音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)で、係助詞「そ」。「念」は「念」はハ行四段活用の他動詞「おもふ」の連体形「念(おも)ふ」。
 956番歌の漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。

  八隅知(やすみし)し 吾(わ)が大王(おほきみ)の
  御食(を)す國(くに)は 日本(やまと)も此間(ここ)も
  同(おな)じとそ念(おも)ふ

  (やすみしし) われらの大君の
  治めておいでになる国は 大和もここ筑紫も
  変わりはないと思います
posted by 河童老 at 12:18| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする