2017年08月17日

『万葉集』を訓(よ)む(その1193)

 今回は、「貧窮問答歌一首」(892番歌)の48句〜57句までを訓む。
 まず、今回使われている万葉仮名について見ておこう。

 片仮名・平仮名の字源となった常用音仮名では、ナ音の「奈」・ノ(乙類)音の「乃」・ホ音の「保」・モ音の「毛」・レ音の「礼」・ワ音の「和」が使われている。片仮名の字源となった常用音仮名では、イ音の「伊」・タ音の「多」・ル音の「流」が、平仮名の字源となった常用音仮名では、ハ音の「波」・ミ(甲類)音の「美」・ル音の「留」が使われている。その他の常用音仮名としては、カ音の「可」・ガ音の「我」・キ(甲類)音の「伎」・ギ(乙類)音の「宜」・ケ(乙類)音の「氣」・ゴ(乙類)音の「其」・サ音の「佐」・セ音の「勢」・ト(乙類)音の「等」・ニ音の「尓」・ノ(乙類)音の「能」・フ音の「布」・マ音の「麻」・モ音の「母」が使われ、音仮名ではミ(乙類)音の「尾」が使われている。

 48句・49句「綿毛奈伎・布可多衣乃」は「綿(わた)もなき・布(ぬの)かた衣(ぎぬ)の」と訓む。「綿(わた)」は『日本国語大辞典』に「真綿、木綿(もめん)などの総称。衣類、布団などに用いる。古くは蚕(かいこ)から製する真綿(絹綿)を用いたが、戦国時代から江戸時代にかけて植物のワタから製する木綿綿(木綿)が普及した。現代では、化学繊維から製するものもある。」とあるように、万葉の時代に「綿(わた)」といえば「真綿(まわた)」を意味した。そこで「真綿(まわた)」を『日本国語大辞典』で調べると、「繭(まゆ)を煮て引き伸ばして作った綿。多く生糸(きいと)にならない屑繭を用いる。純白で光沢があり、やわらかくて軽い。着物に入れるなど用途が多い。」とあった。「毛」は係助詞「も」。「奈伎」は、ク活用形容詞「なし」の連体形「なき」を表す。「布可多衣」は、21句に既出で「布(ぬの)かた衣(ぎぬ)」。「布」と「衣」は万葉仮名ではなく正訓字。「可多」は「かた(肩)」。「布(ぬの)かた(肩)衣(ぎぬ)」は、「布製(麻や苧などで織った目の粗い織物)の袖なし」をいう。「乃」は格助詞「の」。
 50句・51句「美留乃其等・和々氣佐我礼流」は「みるのごと・わわけさがれる」と訓む。「美留」は、海藻の一種である「みる(海松)」を表す。ここの「乃」は連体助詞「の」。「其等」は、助動詞「ごとし」の語幹の「ごと」を表すが、本来、「同じ」の意を表す「こと」の濁音化したもので、体言的性格を持つ。「ごとく。ように。同じく。」の意。「和々氣」は、カ行下二段活用の自動詞「わわく」の連用形「わわけ」を表す。「わわく」は、「衣服などが、破れそそける。ほつれ乱れる。ちぎれちぎれになる。ぼろぼろになる。」ことをいう。「佐我礼流」は、ラ行四段活用の自動詞「さがる」の已然形(音韻上は命令形)の「さがれ」+完了・存続の助動詞「り」の連体形「る」=「さがれる」を表す。「さがる」は、「一端が物に付いて下方にたれる。ぶらさがる。」ことをいう。「みるのごと・わわけさがれる」と詠ったのは、海松(みる)が細かく枝分かれするさまを破れた衣の形容に用いたもの。
 52句・53句「可々布能尾・肩尓打懸」は「かかふのみ・肩(かた)に打懸(うちか)け」と訓む。「可々布」は、「かかふ」で、「ぼろ布」の意。特に、「絹布の破れてぼろぼろになったもの。」をいう。「能尾」は、副助詞「のみ」を表す。「のみ」について、『岩波古語辞典』は次のように解説している。

 のみ 起源的には、連体助詞「の」と「身(み)」との複合によって成った語であろうと思われる。それは、助詞「のみ」は奈良時代にnömïの音を表わす万葉仮名で書かれており、「の身」の音と一致すること、また、「のみ」の用法から見て、「の身」つまり「それ自身」と解することが、助詞「のみ」の基本的な理解として適切だからである。つまり、「のみ」は、上に来る体言または体言相当の語について、それ以外の何ものでもないとして強調するのが古い用法である。そこから「…だけ」と限定する用法が展開した。しかし、この「だけ」と限定する用法は、平安時代以後には「ばかり」にゆずって、「のみ」は次第に強調の意だけを表わすように用法が固定した。ー(後略)ー

「肩(かた)」は「腕とからだとが続く関節の上部。」をいう。「尓」は格助詞「に」。「打懸」は、カ行下二段活用の他動詞「うちかく」 の連用形「打懸(うちか)け」と訓む。「うちかく」は、「(衣類などを)ひょいとひっかける。ひょいと乗せる。」ことをいう。 
 54句・55句「布勢伊保能・麻宜伊保乃内尓」は「ふせいほの・まげいほの内(うち)に」と訓む。「布勢伊保」は、「ふせいほ(伏庵)」で、「軒が地面に接しているような、みすぼらしい家。つぶれたような家。伏せ屋。」をいう。「能」は同格を示す格助詞「の」。「麻宜伊保」は、「まげいほ(曲庵)」で、「曲がって倒れかけた、粗末な家。」をいう。「乃」は50句と同じく、連体助詞「の」。「内(うち)」は「囲みおおわれた内部。奥まったところ。外から見えない部分。」をいう。「尓」は53句と同じく、格助詞「に」。
 56句・57句「直土尓・藁解敷而」は「直土(ひたつち)に・藁(わら)解(と)き敷(し)きて」と訓む。「直土(ひたつち)」は、「地面に直接であること。土に直接ついていること。また、その地面。地べた。」をいう。「尓」は53句・55句と同じく、格助詞「に」。「藁(わら)」は「稲・麦などの茎をほしたもの。」をいう。「解敷」は、カ行四段活用の他動詞「ときしく」の連用形で「解(と)き敷(し)き」と訓む。「ときしく」は、「解いて下に敷く。」ことをいう。「而」は漢文の助字で、接続助詞「て」に用いたもの。
 58句以降は次回に続く。
ラベル:万葉集
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2017年08月15日

『万葉集』を訓(よ)む(その1192)

 今回は、「貧窮問答歌一首」(892番歌)の34句〜47句までを訓む。
 まず、今回使われている万葉仮名について見ておこう。

 片仮名・平仮名の字源となった常用音仮名では、ク音の「久」・シ音の「之」・ナ音の「奈」・ヌ音の「奴」・ヒ(甲類)音の「比」・ラ音の「良」・レ音の「礼」・ロ(乙類)音の「呂」・ワ音の「和」が使われている。片仮名の字源となった常用音仮名では、イ音の「伊」・タ音の「多」・ル音の「流」・ヲ音の「乎」が、平仮名の字源となった常用音仮名では、ア音の「安」・ハ音の「波」・ミ(甲類)音の「美」が使われている。その他の常用音仮名としては、カ音の「可」・ガ音の「我」・ト(乙類)音の「等」・ド(乙類)音の「杼」・ニ音の「尓」・バ音の「婆」・へ(乙類)音の「倍」・マ音の「麻」・メ(乙類)音の「米」・モ音の「母」・リ音の「里」が使われ、準常用音仮名では、ド(乙類)音の「騰」・ヤ音の「也」(片仮名・平仮名の字源)が使われている。

 34句・35句「天地者・比呂之等伊倍杼」は「天地(あめつち)は・ひろしといへど」と訓む。「天地(あめつち)」(655番歌他に既出)は「天と地」。「者」は、31句・33句に同じく漢文の助字で、係助詞「は」。「比呂之」は、ク活用形容詞「ひろし」を表す。「ひろし」は、「空間・面積が大きい。幅・奥行が狭くない。」ことをいう。「等」は内容を指示する格助詞「と」。「伊倍杼」はは、ハ行四段活用の他動詞「いふ(言ふ)」の已然形「いへ」+逆接の既定条件を示す接続助詞「ど」=「いへど」を表す。
 36句・37句「安我多米波・狭也奈里奴流」は「あがためは・狭(さ)くやなりぬる」と訓む。「安」は自称の「あ」。「我」は連体助詞「が」。「多米」(845番歌に既出)は、「ため(為)」で、助詞「が」「の」の付いた体言、または用言の連体形に接続し、形式名詞として用いることが多く、ここもその例。「ため」の上にくる言葉が、下にのべる恩恵、利益を受ける関係にあることを示す。「…の利益となるように。」の意。「狭」は正訓字で、ク活用形容詞「さし」の連用形の「狭(さ)く」と訓む。「さし」は「せまい。」の意。「也」は漢文の助字で、疑問の係助詞「や」に用いたもの。「也」について、大野透『萬葉假名の研究』は次のように述べている。

 也は比較的新しい中間層の假名である。當初は助辭也(〔麻〕韻喩母四等)と助詞ヤとの音義上の暗合により助詞ヤの表記に主に用ゐられたが、少畫なので次第に多用される様になつたものと考へられる。平安時代には常用されて片假名・平假名の字原となつてゐるが、奈良時代では未だ準常用假名の域を出てゐない。

「奈里奴流」は、ラ行四段活用の自動詞「なる」の「なり」+完了の助動詞「ぬ」の連体形「ぬる」=「なりぬる」を表す。「なる」は「あるものやある状態から、他のものや他の状態に変わる。」ことをいう。
 38句・39句「日月波・安可之等伊倍騰」は「日月(ひつき)は・あかしといへど」と訓む。「日月(ひつき)」(800番歌他に既出)は、時間の単位ではなく、天体の「日(ひ)」(太陽)と「月(つき)」。「波」は係助詞「は」。「安可之」は、ク活用形容詞「あかし」で、「光などが強くはっきりしている状態である。明るい。」の意。「等伊倍騰」は、35句の「等伊倍杼」と同じで、内容を指示する格助詞「と」+ハ行四段活用の他動詞「いふ(言ふ)」の已然形「いへ」+逆接の既定条件を示す接続助詞「ど」=「といへど」を表す。
 40句・41句「安我多米波・照哉多麻波奴」は「あがためは・照(て)りやたまはぬ」と訓む。40句は36句と同句。「照」は正訓字で、ラ行四段活用の自動詞「てる」の連用形の「照(て)り」と訓む。「てる」は「日や月などが光輝を発する。ひかる。」ことをいう。「哉」は疑問・反語を表す漢文の助字で、37句の「也」と同様、疑問の係助詞「や」に用いたもの。「多麻波奴」は、ハ行四段活用の他動詞「たまふ」の未然形「たまは」+打消の助動詞「ず」の連体形「ぬ」=「たまはぬ」を表す。ここの「たまふ」は、補助動詞用法で、その動作の主を尊敬する意を表わし、その動作を、恩恵を受ける者のために「…してくださる。」の意。
 42句・43句「人皆可・吾耳也之可流」は「人(ひと)皆(みな)か・吾(あ)のみやしかる」と訓む。「人(ひと)皆(みな)」(124番歌に既出)は「すべての人。あらゆる人。」の意。「可」は疑問の係助詞「か」。「吾(あ)」は自称。「耳」は限定・強意を示す漢文の助字で、副助詞「のみ」に用いたもの。「也」は37句に既出で、疑問の係助詞「や」。「之可流」は、副詞「しか」+ラ行変格活用の自動詞「あり」の連体形「ある」=「しかある」が約まった「しかる」を表す。副詞「しか」は指示語「し」に接尾語「か」の付いたもので、物をさし示し、感動的意味が伴う。「そのように。そのごとく。さように。かように。」の意。
 44句・45句「和久良婆尓・比等々波安流乎」は「わくらばに・ひととはあるを」と訓む。「和久良婆尓」は、形容動詞「わくらば」 の連用形(副詞法)の「わくらばに」を表す。「わくらば」は、「まれにあるさま。たまたまうまく巡り合わせるさま。偶然であるさま。」をいう。「比等」は「ひと(人)」。「々波」は、格助詞「と」に係助詞「は」が付いた「とは」を表す。「とは」は、説明・思考・知覚などの対象やその内容を取り立てていうのに用いる。「安流」は、ラ行変格活用の自動詞「あり」の連体形「ある」。「乎」は逆接の接続助詞「を」で、「…のに。…けれども。」の意。
 46句・47句「比等奈美尓・安礼母作乎」は「ひとなみに・あれも作(つく)るを」と訓む。「比等」は、45句にも既出で「ひと(人)」。「奈美尓」は、形容動詞「なみ」 の連用形(副詞法)の「なみに」を表す。「なみ」は、「良くも悪くもないさま。普通、一般、ひととおりであるさま。」をいう。「安礼」は、自称の「あれ」を表す。「母」は係助詞「も」。「作」は正訓字で、ラ行四段活用の自動詞「つくる」の連体形の「作(つく)る」と訓む。ここの「つくる」は、「耕作する。」ことをいう。なお、「作」を「なれる」と訓む説もあるが、それは採らない。「乎」は45句と同じく、逆接の接続助詞「を」。
ラベル:万葉集
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2017年08月10日

『万葉集』を訓(よ)む(その1191)

 今回は、「貧窮問答歌一首」(892番歌)の19句〜33句までを訓む。
 まず、今回使われている万葉仮名について見ておこう。    
        
 片仮名・平仮名の字源となった常用音仮名では、シ音の「之」・ソ(乙類)音の「曽」・ノ(乙類)音の「乃」・モ音の「毛」・ラ音の「良」・リ音の「利」・レ音の「礼」・ワ音の「和」が使われている。片仮名の字源となった常用音仮名では、ア音の「阿」・イ音の「伊」・ス音の「須」・タ音の「多」・ム音の「牟」・ル音の「流」・ヲ音の「乎」が、平仮名の字源となった常用音仮名ではハ音の「波」が使われている。その他の常用音仮名としては、カ音の「可」・ガ音の「賀」・キ(甲類)音の「伎」・コ(乙類)音の「許」・ゴ(乙類)音の「其」・ツ音の「都」・ト(乙類)音の「等」・ニ音の「尓」・ノ(乙類)音の「能」・フ音の「布」・へ(乙類)音の「倍」・モ音の「母」・ヨ(甲類)音の「欲」・リ音の「里」が使われ、準常用音仮名ではド(乙類)音の「騰」が使われている。

 19句・20句「麻被・引可賀布利」は「麻被(あさぶすま)・引(ひ)きかがふり」と訓む。「麻被(あさぶすま)」は、「麻布でつくった粗末な夜具」をいう。「引」は接頭語「引(ひ)き」で、動詞の上に付けて勢いよくする意を添え、または、語調を強める。「可賀布利」は、ラ行四段活用の他動詞「かがふる」の連用形「かがふり」を表す。「かがふる」は、「こうむる(被)」の古形で、「かぶる。かける。」の意。
 21句・22句「布可多衣・安里能許等其等」は「布(ぬの)かた衣(ぎぬ)・ありのことごと」と訓む。ここの「布」と「衣」は万葉仮名ではなく正訓字で、「布(ぬの)」と「衣(きぬ)」。「可多」は「かた(肩)」。「布可多衣」は、「布(ぬの)かた(肩)衣(ぎぬ)」で、「布製(麻や苧などで織った目の粗い織物)の袖なし」をいう。『萬葉代匠記』に「ヌノキヌノ短クテ肩バカリヲ掩フヤウナルヲ云ナリ。別ニ肩衣ト名ヅクル物ニハアラズ」とある。「安里」は、ラ行変格活用の自動詞「あり」。「能」は格助詞「の」。「許等其等」(797番歌4句に既出)は、副詞の「ことごと」で、「残らず。すっかり。」。「ありのことごと」は「あるかぎり全部」の意。
 23句・24句「伎曽倍騰毛・寒夜須良乎」は「きそへども・寒(さむ)き夜(よ)すらを」と訓む。「伎曽倍」は、ハ行四段活用の他動詞「きそふ(着襲ふ)」の已然形「きそへ」。「きそふ」は、「衣服を幾枚も重ねて着る」ことをいう。「騰毛」は、逆接の既定条件を示す接続助詞「ども」。「寒夜」は、漢語では「かんや」、和語では「さむよ」だが、ここは、ク活用形容詞「さむし」の連体形「寒(さむ)き」+名詞「夜(よ)」=「寒(さむ)き夜(よ)」と訓む。「須良乎」は、副助詞「すら」+格助詞「を」=「すらを」を表す。「すらを」は、その受ける語に対して例外的・逆接的な事態が起こることを示す。
 25句・26句「和礼欲利母・貧人乃」は「われよりも・貧(まづ)しき人(ひと)の」と訓む。「和礼」は自称「われ(我)」。「欲利母」は、格助詞「より」+「も」=「よりも」を表す。「よりも」は、比較の基準を示す。「貧人」は、シク活用形容詞「まづし」の連体形「貧(まづ)しき」+名詞「人(ひと)」=「貧(まづ)しき人(ひと)」。「まづし」は、「財産や金銭に乏しい。貧乏である。」の意。「乃」は連体助詞「の」。
 27句・28句「父母波・飢寒良牟」は「父母(ちちはは)は・飢(う)ゑ寒(こ)ゆらむ」と訓む。「父母(ちちはは)」は、「男親と女親。両親。」。「波」は係助詞「は」。「飢」はワ行下二段活用の自動詞「うう」の連用形「飢(う)ゑ」。「うう」は、「飲食物が乏しくて苦しむ。空腹になる。のどがかわく。」ことをいう。「寒」はヤ行上二段活用の自動詞「こゆ」の終止形「寒(こ)ゆ」。「こゆ」は「凍える」意。「良牟」は、推量の助動詞「らむ」を表す。
 29句・30句「妻子等波・乞々泣良牟」は「妻子等(めこども)は・乞(こ)ふ乞(こ)ふ泣(な)くらむ」と訓む。「妻子(めこ)」は「妻と子。さいし。」。この「等」は万葉仮名ではなく正訓字で、接尾語「等(ども)」。「ども」は、名詞・代名詞に付いて、そのものを含めて、同類の物事が数多くあることを示すが、必ずしも多数とは限らないで、同類のものの一、二をさしてもいう。人を表わす場合は「たち」に比べて敬意が低く、目下、または軽蔑すべき者たちの意を含めて用いる。「波」は27句と同じで、係助詞「は」。「乞々」は、ハ行四段活用の他動詞「こふ」の終止形を繰り返したもので「乞(こ)ふ乞(こ)ふ」と訓む。「こふ」は「他者に、物を与えてくれるよう求める。」ことをいう。「泣」はカ行四段活用の自動詞「なく」の終止形「泣(な)く」。「良牟」は28句に同じで、推量の助動詞「らむ」。
 31句・32句「此時者・伊可尓之都々可」は「此(こ)の時(とき)は・いかにしつつか」と訓む。「此(こ)の時(とき)」は「今の時。このたび。今の時世。」の意。「者」は漢文の助字で、係助詞「は」に用いたもの。「伊可尓」(810番歌1句に既出)は、副詞「いかに」で、物事の状態、様子、作用などを疑問に思い、ためらったり問いかけたりするのに使われ、「どう。どのように。どんなふうに。」の意。「之都々可」は、サ行変格活用の他動詞「す」の連用形「し」+接続助詞「つつ」+疑問の係助詞「か」=「しつつか」を表す。
 33句「汝代者和多流」は「汝(な)が代(よ)はわたる」と訓む。「汝代」は「汝(な)が代(よ)」と訓む。「汝(な)」は対称の代名詞で、「おまえ。あなた。」の意。「が」は連体助詞。「代(よ)」は「世(よ)」に同じで、「一生。生涯。人生。」の意。「者」は31句に同じで、係助詞「は」。「和多流」は、ラ行四段活用の自動詞「わたる(渡る)」(連体形)を表す。「わたる」は「日を送る。世を生きて行く。」ことをいう。
 
 以上、33句までが「問」の部分で、「答」の34句以降は次回に続く。

[参考] 28句「飢寒良牟」と30句の「乞々」の訓みについて、井村『萬葉集全注』の注を参考までに引用しておく。

○飢(う)ゑ寒(こ)ゆらむ ウヱサムカラムの訓が通用していたが、亀井孝氏(「憶良の貧窮問答のうたの訓ふたつ」万葉昭和二七年七月)は、寒クアラムのつづまった形のサムカラムは、奈良時代の文法として破格であるとして、この句の対句の「乞々泣良牟」と同様「寒」は動詞として訓むべく、東大寺諷誦文稿の「飢寒」の寒のコイの訓その他を示し、ウヱコユラムと訓んだ。コユは下二段動詞終止形。亀井氏はコゴユの語の存在も推測できるとしている。古典大系は、類聚名義抄に「凍コヽヒタリ」の例があり、ヒはエの誤写あるいはコヽイタリの仮名違いかとし、これによってウヱコゴユラムと訓み得ると言う。両訓のいずれかによりたい。
○ 乞々 紀州本、西本願寺本の左に、コヒ〳〵の訓があり、童蒙抄、私注等が
この訓をとる。終止形をくりかえした形でコフコフと訓む方が印象的であると言う前記亀井説があり、注釈。古典集成等が従う。全註釈は、乞々を吃々に同じ、泣きじゃくる意として、サクリ泣クラムと訓み、それに従う窪田評釈がある。誤字説に、西本願寺本の青の訓コヒテにより、乞弖(こひて)の誤りとする代匠記があり、略解、古典全集等が従う。乞々二字をば吟の筆写体からの誤写としてニヨビと訓む古典大系もある。あえて誤写とせず原文のまま、コヒコヒあるいはコフコフのいずれかに訓むのが穏当であろう。
ラベル:万葉集
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