2018年12月06日

『万葉集』を訓(よ)む(その1325)

 今回は、980番歌を訓む。題詞に「安倍朝臣蟲麻呂月歌一首」とあり、「安倍朝臣蟲麻呂(あへのあそみむしまろ)」が「月」を詠んだ歌である。安倍朝臣虫麻呂については、阿蘇『萬葉集全歌講義』が次のように注している。

 安倍朝臣虫麻呂 巻四・六六五に既出。坂上郎女の母方の従兄。皇后宮亮・中務少輔播磨守・左中弁など歴任。天平勝宝四年(七五二)三月、中務大輔従四位下で卒。

写本に異同はなく、原文は次の通り。

  雨隠 三笠乃山乎 
  高御香裳 月乃不出来 
  夜者更降管

 1句「雨隠」は「雨隠(あまごも)り」と訓む。「雨隠(あまごも)り」は「雨天を嫌って家の中に籠っていること」をいうが、ここは、「雨に籠る御笠」の意から「御笠」と同音の「三笠の山」にかかる枕詞として用いたもの。
 2句「三笠乃山乎」は「三笠(みかさ)の山(やま)を」と訓む。「三笠(みかさ)の山(やま)」は、『日本国語大辞典』の「三笠山」の項目に「奈良市東部の山。奈良公園の背後にあり、ふもとに春日大社や春日若宮がある。東側の花山・芳山(はやま)とともに春日山と総称され、原生林におおわれる。標高二九三メートル。歌枕。みかさのやま。御笠山。」とある。「乃」はノ(乙類)音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)で、連体助詞「の」。
 3句「高御香裳」は「高(たか)みかも」と訓む。この句は、44番歌の3句「高三香裳」と「み」の表記が異なるのみで同句。「高御」は、ク活用の形容詞「たかし」の語幹「高(たか)」+原因・理由を表す接続助詞「み」(「み(甲類)」の訓仮名「御」で表記)=「高(たか)み」。「香」はカ音の音仮名で、疑問の意を表わす係助詞「か」。「裳」は「も」の常用の訓仮名で、詠嘆を表わす係助詞「も」。「かも」は、文中用法と文末用法があり、文中用法では係助詞的にはたらき、文末用法では終助詞的にはたらく。文中用法の「か」は疑問を表わし、係り結びを起こす。文末用法の「かも」は上代によく使われたが、平安以後はおおむね「かな」となる。
 4句「月乃不出来」は「月(つき)の出(い)で来(こ)ぬ」と訓む。ここの「月(つき)」は「天体の月」。「乃」は2句に既出で、ここは格助詞「の」。「不出来」は、ダ行下二段活用の自動詞「いづ」の連用形で「出(い)で」+カ行変格活用の自動詞「く」の未然形「来(こ)」+打消の助動詞「図」の連体形「ぬ」(漢文の助字「不」で表記)=「出(い)で来(こ)ぬ」。
 5句「夜者更降管」は「夜(よ)は更降(くた)ちつつ」と訓む。「夜」は、「よ」とも「よる」とも訓めるが、ここは「よ」。「日没から日の出までの時間。太陽が没して暗い間。」をいう。「者」は漢文の助字で、係助詞「は」。「更降」は、タ行四段活用の自動詞「くたつ」の連用形「更降(くた)ち」。「くたつ」は、「ある状態が下降的に時とともに変化する。」ことをいうが、ここは「夜が更けていく」意に用いている。「降」の一字で「くたつ」と訓むが、意味を視覚的に明らかにするために、「更降」の二字で表記したものかと思われる。「管」(975番歌他に既出)は、活用語の連用形に付いて動作の並行・継続を表わす接続助詞「つつ」に宛てた借訓字。「つつ」には本来逆接の意があるわけではないが、前後の文脈から「…にもかかわらず」「…のに」と訳される場合があり、ここもその例で、「夜は更けていくのに」の意。
 980番歌の漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。

  雨隠(あまごも)り 三笠(みかさ)の山(やま)を
  高(たか)みかも 月(つき)の出(い)で来(こ)ぬ
  夜(よ)は更降(くた)ちつつ

  (雨隠る) 三笠の山が 
  高いからであろうか 月が出てこない
  夜は更けていくのに
ラベル:万葉集
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2018年11月28日

『万葉集』を訓(よ)む(その1323)

 今回は、978番歌を訓む。題詞に「山上臣憶良沈痾之時歌一首」とあって、「山上臣憶良(やまのうへのおみおくら)」が「沈痾(ちんあ)の時(とき)」に作った歌である。「沈痾(ちんあ)」は、896番歌の次に載せられていた憶良作の「沈痾自哀文」のところでも述べたように、「いつまでも全快の見込みのない病気。ながわずらい。痼疾。宿病。宿痾。」をいう。この歌には左注があり、作歌事情が述べられているので、まずそれを見ておこう。原文、訓読、口訳は次の通り。なお、訓読は吉井『萬葉集全注』、口訳は阿蘇『萬葉集全歌講義』によった。

[原文] 右一首、山上憶良臣沈痾之時、藤原朝臣八束、使河邊朝臣東人、令問所疾之状。於是憶良臣、報語已畢、有須拭涕悲嘆、口吟此歌。
[訓読] 右の一首、山上憶良臣の沈痾の時に、藤原朝臣八束、河辺朝臣東人を使(つか)はして疾(や)める状(さま)を問(と)はしむ。ここに、憶良臣、報(こた)ふる語(ことば)已畢(をは)る。須(しまら)くありて、涕(なみた)を拭(のご)ひ悲(かな)しび嘆(なげ)きて、この歌を口吟(うた)ふ。
[口訳] 右の一首は、山上憶良臣が重い病気にかかっていたとき、藤原朝臣八束が河辺朝臣東人を派遣して病の様子を尋ねさせた。そこで憶良臣は、返事をし終わった。しばらくして、涙を拭い、悲しみ嘆いて、この歌を口ずさんだ。

「藤原朝臣八束」「河辺朝臣東人」について、阿蘇『萬葉集全歌講義』が詳しく注しているので、それも引用しておこう。

藤原朝臣八束 藤原不比等の孫。房前の第三子。母は、美努王の娘牟漏女王。天平十二年(七四〇)に、従五位下。治部卿・参議・中務卿・大宰帥・中納言を経て、天平神護二年(七六六)、大納言。同年三月十二日薨。五十二歳。度量広く公輔の才があったと評された。天平宝字四年(七六〇)に任ぜられた大宰帥時代に名を真楯と改めたといわれる。天平五年当時、八束は、十九歳。十九歳の八束が七十四歳の憶良に使者を送って見舞ったことから、両人の間に師弟関係があったことを推測する説もある。
河辺朝臣東人 八束の父房前の家令だったか。正三位の家令は、従七位上相当の官。神護景雲元年(七六七)正月に、正六位上から従五位下。宝亀元年(七七〇)十月、石見守。集中作歌はないが、聖武天皇の皇后光明子の宮で催された維摩講で唱歌された巻八・一五九四の歌人として記録され、また天平勝宝二年(七五〇)十月、光明皇后の旧作(19・四二二四)を伝誦したことが伝えられる。

写本に異同はなく、原文は次の通り。

  士也母 空應有 
  萬代尓 語續可 
  名者不立之而

 1句「士也母」は「士(をのこ)やも」と訓む。「士(をのこ)」は、「成人の男子。壮士。おとこ。」の意。369・577番歌に既出の「壮士」は、ヲトコと訓んだので、ここもヲトコと訓む説もある。「也」はヤ音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)、「母」はモ音の常用音仮名で、「也母」は、反語の係助詞「や」+詠嘆の終助詞「も」=「やも」を表す。この句について、阿蘇『萬葉集全歌講義』が詳しく注しているので、これも見ておこう。

士やも 男子たるもの。ヤモは、係助詞ヤ+詠嘆の係助詞モ。@疑問に詠嘆を添えた意をあらわす、A反語に詠嘆を添えた意をあらわす。ここは、A。「空しくあるべき」にかかる。なお、士をヲトコと訓む説もある。金井清一氏は、ヲトコは、結婚適齢期の男性をさすのが原義で、男性一般を表現する例もあるが、なお、雌雄の性としての男性のニュアンスが残存し、ヲノコは、男性一般の称というより、男性のうちの男性、雄々しき男性の称で、この歌の場合、ヲノコの方により適切性があると思われる、とした(「山上憶良 沈痾の歌」『万葉集を学ぶ』第四集)。なお、士は、卿・大夫の下位にある者の称で、村山出氏は、卿と結合しやすく、みやび(風流)の世界が目の前に開かれている大夫に対して、より現実に目を向けようとする憶良の生活態度が、より庶民の語と連称されやすい士の語を選ばせたという(『山上憶良の研究』)。但し、村山氏は、ヲトコと訓むべき、とする。

 2句「空應有」は「空(むな)しく有(あ)るべき」と訓む。「空」はシク活用形容詞「むなし」の連用形で「空(むな)しく」。「むなし」は「いたずらに経過する。ある行為や事柄の効果が現われない。かいがない。」ことをいう。「應」(958番歌他に既出)は、漢文の助字。再読文字として「まさに…べし」と訓まれるが、ここは推量・可能・当然・適当の意を持つ助動詞「べし」の表記に宛てたもので、その連体形「べき」と訓むが、語順としては「有」の後。「有」はラ行変格活用の自動詞「あり」の連体形「有(あ)る」。「空(むな)しく有(あ)るべき」は、1句「士(をのこ)やも」を承けて、「空しいまま終わってよいものか、よいはずはない。」の意となる。
 3句「萬代尓」は「萬代(よろづよ)に」と訓む。この句は、920番歌19句他と同句。「萬代(よろづよ)」は、「限りなく長く続く代」を意味し、御代が永久に続くことを祝っていう語。「尓」はニ音の常用音仮名で、格助詞「に」。
 4句「語續可」は「語(かた)り續(つ)ぐべき」と訓む。「語續」は、ガ行四段活用の他動詞「かたりつぐ」の終止形「語(かた)り續(つ)ぐ」。「續」は「続」の旧字で、『名義抄』に「續 ツグ・ツラヌ・ツムグ・ツグノフ」とある。「かたりつぐ」は、「人から人へ、世代から世代へと次々に語り伝える。」ことをいう。「可」は2句の「應」と同様、推量・可能・当然・適当の意を持つ助動詞「べし」の連体形「べき」と訓む。
 5句「名者不立之而」は「名(な)は立(た)てずして」と訓む。ここの「名(な)」は「よい評判。名声。また、名誉。」の意。「者」は漢文の助字で、係助詞「は」。「不立」は、タ行下二段活用の他動詞「たつ」の未然形「立(た)て」+打消の助動詞「ず」(連用形。漢文の助字「不」で表記。)=「立(た)てず」。ここの「たつ」は、「人に知れ渡るようにする」ことをいう。「之」はシ音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)で、サ行変格活用の他動詞「す」の連用形「し」。「而」は漢文の助字で、接続助詞「て」。「して」は、連語として、格助詞的用法・接続助詞的用法があり、ここは接続助詞的用法で、「名(な)は立(た)てずして」は、「後の世まで語り伝えられるような功績を残さないまま」の意で、2句の「空(むな)しく有(あ)るべき」を修飾する。
 978番歌の漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。

  士(をのこ)やも 空(むな)しく有(あ)るべき
  萬代(よろづよ)に 語(かた)り續(つ)ぐべき
  名(な)は立(た)てずして

  男子たるものが 空しく命終わってよいものか
  万代までに 語り伝えるべき
  名は立てないまま
ラベル:万葉集
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2018年11月24日

『万葉集』を訓(よ)む(その1322)

 今回は、977番歌を訓む。前歌(976番歌)と同じく、「五年癸酉(きいう)」の年に「神社忌寸老麻呂(かみこそのいみきおゆまろ)」が「草香山(くさかやま)」を越える時に作った歌である。
 写本の異同としては、2句の四・五字目<弖師>を『西本願寺本』以下の諸本に「師弖」とあること、4句四字目<海>が『西本願寺本』には無いこと、5句の末字<蒙>を『西本願寺本』以下の諸本に「裳」とあることが挙げられるが、いずれも『元暦校本』などの古写本に従った。原文は次の通り。

  直超乃 此徑尓<弖師>
  押照哉 難波乃<海>跡 
  名附家良思<蒙>

 1句「直超乃」は「直超(ただこ)[越]えの」と訓む。「直超」は、「直超(ただこ)え」と訓む。副詞の「直(ただ)」に、ヤ行下二段の自動詞「こゆ」の連用形「超(こ)え」が付いて名詞化したもので、「まっすぐに越えて行くこと」の意。「特に、大和の平群郡から生駒山の南を越えて難波に至る道にいう」と『日本国語大辞典』にある。「乃」はノ(乙類)音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)で、連体助詞「の」。
 2句「此徑尓弖師」は「此(こ)の徑(みち)にてし」と訓む。「此」(973番歌他に既出)は、近称の代名詞「こ」で、それに連体助詞「の」を補読して「此(こ)の」と訓む。「徑」は「径」の旧字で、道路の近道をいう。『名義抄』に「徑 ワタリ・ツラヌ・ミチ・タダチ・アト・トホル」の訓があり、ここはミチと訓む。一句からここまでを「直越えのこの道」として、阿蘇『萬葉集全歌講義』は、次のように注している。

 直越えのこの道  日下の直越え(雄略記 大后若日下部王は、もと日下に住んでおり、雄略天皇は、日下の直越えの道を通って訪ねたと伝える)。奈良からまっすぐ越える近道。けわしい山道で、山の西側の河内平野は、昔、草香江などの大きな入江で、万葉の頃も、沼沢の多い湿潤の地であったから、一般には迂回路の竜田越えの道がとられていた。沼沢地が陸地化していったのは、宝永元年(一七〇四)に大和川の川筋を堺の方につけかえてから後のことであるという。今は、山頂から大阪湾はほとんど見えない。枚岡市日下町の春日社の善根寺越えの登り口に「孔舎衙坂直越登り口」の標石が立っている。

 「尓」「弖」は、ニ音・テ音の常用音仮名で、「尓弖」は格助詞「にて」を表す。「にて」は格助詞「に」に接続助詞「て」が付いてできた語で、口語の「で」に当たり、場所を指示する。「師」はシ音の音仮名で、副助詞「し」を表す。
 3句「押照哉」は「押(お)し照(て)るや」と訓む。「押照」は、619番歌1句に既出で、「押(お)し照(て)る」と訓み、「難波(なには)」にかかる枕詞。「哉」は漢文の助字で、間投助詞「や」。
 4句「難波乃海跡」は「難波(なには)の海(うみ)と」と訓む。「難波(なには)」は、大阪市の上町台地以東の地域の古称で、孝徳天皇の難波長柄豊碕宮、天武天皇の難波宮、聖武天皇の難波宮などが営まれたところ。「乃」は1句に同じで、連体助詞「の」。「難波(なには)の海(うみ)」は、前歌一句の「難波方(なにはがた)[潟]」と同じく、大阪湾、特に旧淀川河口付近の海をいう。「跡」は「と(乙類)」の常用訓仮名で、格助詞「と」。
 5句「名附家良思蒙」は「名附(なづ)けけらしも」と訓む。「名附」は、カ行下二段活用の他動詞「なづく」の連用形で「名附(なづ)け」。「なづく」は、「名をつける。命名する。」ことをいう。「家」はケ(甲類)音の常用音仮名、「良」はラ音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)、「思」はシ音の音仮名で、「家良思」で以って、回想の助動詞「けり」に推定の助動詞「らし」の付いた「けるらし」の約まった「けらし」を表す。「蒙」はモ音の音仮名で、詠嘆の終助詞「も」。
 977番歌の漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。

  直超(ただこ)[越]えの 此(こ)の徑(みち)にてし
  押(お)し照(て)るや 難波(なには)の海(うみ)と 
  名附(なづ)けけらしも

  まっすぐに難波へ越える この道においてこそ
  (おしてるや) 難波の海 と
  名付けたのであるらしい
ラベル:万葉集
posted by 河童老 at 11:51| Comment(0) | 小説/文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする