2019年02月19日

『万葉集』を訓(よ)む(その1342)

 今回は、997番歌を訓む。題詞に「春三月幸于難波宮之時歌六首」とあって、本歌〜1002番歌までの六首は、天平六年に聖武天皇が難波宮に行幸された時の歌であり、全てに左注があり、本歌以外は作者が分かっているが、本歌の左注には「右一首作者未詳」とあって、作者は不明である。
写本の異同としては、2句の六字目<美>を『元暦校本』のみに「華」とあることが挙げられるが、他の諸本にいずれも「美」とあるので、それを採る。原文は次の通り。

  住吉乃 粉濱之四時<美>
  開藻不見 隠耳哉 
  戀度南

 1句「住吉乃」は「住吉(すみのえ)の」と訓む。この句は、121番歌3句および394番歌3句と同句。「住吉」は、摂津国の古郡名で、平安初期以降「すみよし」と呼称される。歌枕の一つ。「吉」はエともエシとも訓まれたので、日吉神社ももとヒエであったのがヒヨシとなったのと同じで、「住吉」も萬葉の時代には「すみのえ」と訓まれ、後に「すみよし」となったものである。「乃」は、ノ(乙類)音の常用音仮名、片仮名・平仮名の字源で、連体助詞「の」。
 2句「粉濱之四時美」は「粉濱(こはま)のしじみ」と訓む。「粉濱(こはま)」(「濱」は「浜」の旧字)は、現在、住吉神社の西北方に粉浜、粉浜西などの町名が残っており、南海本線粉浜駅の側に、犬養孝氏筆の本歌歌碑がある。「之」は漢文の助字で、連体助詞「の」。「四」「時」は、シ音・ジ音の音仮名で、「美」はミ(甲類)音の常用音仮名。「四時美」で以って、「しじみ(蜆)」を表す。「しじみ」について、『日本国語大辞典』には、「シジミ科に属する二枚貝の総称。殻は三角形で、通常殻長約三センチメートルに達する。殻の表面はオリーブ色または黒色で輪脈があり、内面は紫色を帯びる。日本には純淡水産のマシジミ、海水のまじる河口付近にすむヤマトシジミ、琵琶湖水系にすむセタシジミ、奄美諸島以南にすむ大型のヒルギシジミガイなどが生息する。マシジミは卵胎生または卵生で、他は卵生。多くはみそ汁にされ、また昔から黄疸(おうだん)の薬とされる。しじみがい。《季・春》」とあって、用例に本歌を挙げている。また語誌欄では「縄文・彌生の遺跡から多く出土しており、文献では『播磨風土記‐美嚢』に、履中天皇がシジミを食した記事があるなど、古くから食用にしていた。」とも記している。
 1句・2句についての注として、阿蘇『萬葉集全歌講義』は次のように述べている。

 古代においてしじみの生息地として最も可能性の高いのは、細江川(引用者注:細井川の誤り)の河口付近。すなわち、住吉神社の南に開いた入江であったと考えられ、粉浜はこの点でまだ充分地名化されない普通名詞と考えた方がよいという(「万葉集の住吉」吉井巌氏『小島憲之博士古希記念論文集 古典学藻』)。以上の二句は、「開けも見ず」をおこす比喩の序詞。


 3句「開藻不見」は「開(あ)けもみず」と訓む。「開」はカ行下二段活用の他動詞「あく」の連用形「開(あ)け」。「不見」(382番歌他に既出)は、マ行上一段活用の他動詞「みる」の未然形「み」+打消しの助動詞「ず」(連用形。漢文の助字「不」で表記。)=「みず」。ここの「みる」は補助動詞として用いたものなので平仮名表記とした。「開(あ)けもみず」は、「心を開かず」の意。
 4句「隠耳哉」は「隠(こも)りてのみや」と訓む。「隠」は「かくる」とも「こもる」とも訓まれるが、ここは987番歌と同様、ラ行四段活用の自動詞「こもる」の連用形「隠(こも)り」と訓み、下に接続助詞「て」を補読する。「耳」は限定・強意を表わす漢文の助字で、限定を表わす副助詞「のみ」を表す。「哉」も漢文の助字で、疑問の意の係助詞「や」。
 5句「戀度南」は「戀(こ)ひ度(わた)りなむ」と訓む。「戀度」は597番歌他に既出。「戀」はハ行上二段活用の他動詞「こふ」の連用形「戀(こ)ひ」。「度」はラ行四段活用の自動詞「わたる」の連用形で「度(わた)[渡]り」。ここの「わたる」は、補助動詞として用いたもので、動詞の連用形に付いてその動作を「ある期間ずっと…しつづける」ことをいう。「南」は二合仮名で、完了の助動詞「ぬ」の未然形「な」+推量の助動詞「む」=「なむ」を表す。
 997番歌の漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。

  住吉(すみのえ)の 粉濱(こはま)のしじみ
  開(あ)けも見(み)ず 隠(こも)りてのみや
  戀(こ)ひ度(わた)りなむ

  住吉の 粉浜のしじみのように
  心を開かず こもってばかりで
  恋いつづけるのであろうか
ラベル:万葉集
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2019年02月14日

『万葉集』を訓(よ)む(その1341)

 今回は、996番歌を訓む。題詞に「六年甲戌海犬養宿祢岡麻呂應詔歌一首」とある。訓み下すと「六年(ねん)甲戌(かふじゆつ)、海犬養宿祢岡麻呂(あまのいぬかひのすくねをかまろ)の、詔(みことのり)に應(こた)ふる歌(うた)一首」となる。「六年(ねん)甲戌(かふじゆつ)」は、天平六年(734)。「海犬養宿祢岡麻呂(あまのいぬかひのすくねをかまろ)」については、『新日本古典大系』の「人名一覧」では「伝未詳」とあるが、阿蘇『萬葉集全歌講義』に「海犬養氏」についての詳しい注があるので、それを参考までに後ろに引用しておく。
 写本に異同はなく、原文は次の通り。

  御民吾 生有驗在 
  天地之 榮時尓 
  相樂念者

 1句「御民吾」は「御民(みたみ)吾(われ)」と訓む。「御民(みたみ)」の「御」は、天皇の所有のものへの尊称の接頭語で、「御民(みたみ)」は、「天皇に対しての人民の自称。天皇のものである人民。」の意。「吾(われ)」は自称で、作者の海犬養宿祢岡麻呂(あまのいぬかひのすくねをかまろ)。
 2句「生有驗在」は「生(い)ける驗(しるし)在(あ)り」と訓む。「生有」(746番歌他に既出)は、カ行四段活用の自動詞「いく」の已然形(音韻上は命令形)の「生(い)け」+完了の助動詞「り」の連体形「る」(「有」で表記)で「生(い)ける」。「驗(しるし)」(410・673番歌に既出)は、「甲斐のあること。効果。」の意。「在」はラ行変格活用の自動詞「あり」の終止形「在(あ)り」。
 3句「天地之」は「天地(あめつち)の」と訓む。この句は、直近では933番歌1句と同句。「天地(あめつち)」は「天と地」。「之」は漢文の助字で、格助詞「の」。
 4句「榮時尓」は「榮(さか)ゆる時(とき)に」と訓む。この句は、199番歌98句および475番歌18句と同句。「榮」はヤ行下二段活用の自動詞「さかゆ」の連体形で「榮(さか)ゆる」。「時尓」は、上の連体修飾句で示された状態である「そういう時に」の意。「尓」はニ音の常用音仮名で格助詞の「に」。
 5句「相樂念者」は「相(あ)へらく念(おも)へば」と訓む。「相樂」は、ハ行四段活用の自動詞「あふ」の連用形「相(あ)ひ」にラ行変格活用の自動詞「あり」が付いた「相(あ)ひあり」の約まった「相(あ)へり」のク語法で「相(あ)へらく」と訓む。ここの「あふ」は、「ある時に巡り合う。また、よい時期にぶつかって栄える。」ことをいい、「相(あ)へらく」は「生まれ合わせていること」の意。「念者」(738番歌他に既出)は、ハ行四段活用の他動詞「おもふ」の已然形「念(おも)へ」+順接の確定条件を表す接続助詞「ば」(「は」の訓仮名「者」を流用して表記)で、「念(おも)へば」。
 996番歌の漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。

  御民(みたみ)吾(われ) 生(い)ける驗(しるし)在(あ)り
  天地(あめつち)の 榮(さか)ゆる時(とき)に
  相(あ)へらく念(おも)へば

  天皇の民である私は 生きている甲斐(かい)があります
  天地が 栄えているこの御代に
  生まれ合わせていることを思いますと

[参考] 阿蘇『萬葉集全歌講義』の「海犬養宿祢岡麻呂」の注。
 海犬養氏は安曇氏と同族。綿積命の後裔。氏の本貫は、筑前国那珂郡海部郷(今、福岡市博多区)である。海部を割いて犬養部を創設したとき、安曇氏の一族をその伴造として海犬養連としたらしい。他の犬養氏が屯倉と関係があったと同様に海犬養氏も犬養部を率いて那津宮家の守衛にあたっていたようである。やがて朝廷にも出仕し、稚犬養氏らとともに宮城門の守衛にあたるようになった。皇極四年六月蘇我入鹿打事件の際、海犬養連勝麻呂が稚犬養網田らとともに中大兄の一党として活躍したのも宮城門の守衛の任からであったと思われる(『国史大辞典1』)。なお、犬養部は、飼養する犬を率いて大和朝廷に奉仕する部。番犬説と猟犬説等があるが、地名犬養と三宅の地名との近接関係、犬養氏と宮城十二門との関係(海犬養門=安嘉門、若犬養門=皇嘉門)、犬養氏と「クラ(蔵)」関係諸氏と同族伝承を保持していることなどからみて、番犬を率いる部族であることは明らかであろうという(『日本古代氏族人名辞典』)。中央にあっては、大蔵・内蔵などあるいは宮城諸門の守衛、地方にあっては屯倉の防衛などに任じたものらしい。
ラベル:万葉集
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2019年02月12日

『万葉集』を訓(よ)む(その1340)

 今回は、995番歌を訓む。題詞に「大伴坂上郎女宴親族歌一首」とあって、「大伴坂上郎女(おほとものさかのうへのいらつめ)の親族(うがら)と宴(うたげ)する歌一首」である。前にも「大伴坂上郎女(おほとものさかのうへのいらつめ)の親族(うがら)と宴(うたげ)する日に吟(うた)ふ歌一首」(401番歌)というのがあった。
 写本に異同はなく、原文は次の通り。

  如是為乍 遊飲與 
  草木尚 春者生管 
  秋者落去

 1句「如是為乍」は「如是(かく)為(し)つつ」と訓む。この句は、975番歌1句「如是為管」と接続助詞「つつ」の表記が異なるだけで同句。「如是」は、コノゴトクの義で、副詞「かく」に用いたもの。「為」はサ行変格活用の他動詞「す」の連用形「為(し)」。「乍」(935番歌他に既出)は、活用語の連用形に付いて動作の並行・継続を表わす接続助詞「つつ」に宛てた借訓字。
 2句「遊飲與」は「遊(あそ)び飲(の)みこそ」と訓む。「遊」はバ行四段活用の自動詞「あそぶ」の連用形「遊(あそ)び」。「あそぶ」は「思うことをして心を慰める。遊戯、酒宴、舟遊びなどをする。」ことをいう。「飲」はマ行四段活用の他動詞「のむ」の連用形「飲(の)み」。「のむ」は、「液体などを喉に流し込む」ことをいうが、ここでは「酒を飲む」意。「與」は「与」の旧字で、ここは、上代の希求・願望の終助詞コソと訓む。546番歌19句の「与」を、上代で使われた希求の助動詞「こす」の未然形「こせ」と訓んだが、そのところで、「こす」は「一説に、くれるや寄こす意の動詞オコスのオが脱落した形で、上代の希求・願望の終助詞コソと同根という。」(『古典基礎語辞典』)とあることを述べた。
 3句「草木尚」は「草木(くさき)すら」と訓む。「草木(くさき)」は「草と木。草や木。」で、漢語では「そうもく」。同義語に「きくさ(木草)」があり、両語が見える『宇津保物語』では「くさき」に偏り、『源氏物語』では「きくさ」に偏っているが、使い分けは不明である。「尚」は、194・382・390・742番歌などと同じく、副助詞「すら」と訓む。
 4句「春者生管」は「春(はる)は生(お)ひつつ」と訓む。「春(はる)」は「四季の一つ」で、「現在では三、四、五月、旧暦では一、二、三月」をいい、「天文学的には春分から夏至の前日まで、二十四節気では立春から立夏の前日まで」をいう。「者」は漢文の助字で、係助詞「は」。「生」はハ行上二段活用の自動詞「おふ」の連用形「生(お)ひ」。「おふ」は「(草木などが)はえる。生じる。」ことをいう。「管」は1句の「乍」と同じく、接続助詞「つつ」に宛てた借訓字。「生」の訓みについては諸説あり、旧訓はモエ、加藤千蔭『萬葉集略解』はオヒ、鹿持雅澄『萬葉集古義』はサキとし、諸注がそれぞれの論を展開しており決着がついていないが、オヒと訓む説がもっとも多く妥当と思われるのでそれに従う。なお、4句と5句とが対句となっていることを踏まえて、サキと訓んでいる吉井『萬葉集全注』の説を後ろに[参考]までに引用しておくので、参照されたい。
 5句「秋者落去」は「秋(あき)は落(ち)[散]り去(ゆ)く」と訓む。「秋(あき)」は「四季の」で、「現在では九、十、十一月、旧暦では七、八、九月」をいい、「天文学的には秋分から冬至の前日まで、二十四節気では立秋から立冬の前日まで」をいう。「者」は4句に同じで、係助詞「は」。「落」は、ラ行四段活用の自動詞「ちる」の連用形で、「落(ち)[散]り」と訓む。『字訓』の「ちる」の項には、「ちる[散・落] 花や木の葉などが散りおちることをいう。」とある。「去」はカ行四段活用の自動詞「ゆく」の終止形で「去(ゆ)く」。「去」を「ゆく」と訓むことは974番歌他にも既出。
 995番歌の漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。

  如是(かく)為(し)つつ 遊(あそ)び飲(の)みこそ
  草木(くさき)すら 春(はる)は生(お)ひつつ 
  秋(あき)は落(ち)[散]り去(ゆ)く

  このように 遊び飲んで下さい
  草や木でさえも 春には生い茂りながら
  秋には散ってゆきます

[参考] 4句と5句について、吉井『萬葉集全注』は次のように述べている。

 ○春は生(さ)きつつ秋は散り行く 第四句の「生」の訓は、モユ(旧訓、秘府本万葉集、万葉拾穂抄、童蒙抄、古典大辞典、私注、全註釈、定本)、オフ(略解、新考、口訳、新訓、全釈、新校、総釈、佐佐木評釈、古典大系、窪田評釈、古典全書、大成本文篇、注釈、塙本、桜楓本、古典全集、古典集成)、サク(古義、新考一案、金子評釈)の三訓があり、最近ではオフの訓が最有力といえる。三訓のうち、「生」をモユと訓んだ確実な例はない。諸注の多くがとる訓はオフであるが、「生」をオフとよむ例はなるほど多い。だがこの訓も「落」との関係で難点をもつ。「落」は集中「オツ」「チル」「フル」にあてられている(九〇九、九二〇、8・一四四五、一五八三、1・二五、3・三一七、10・一八三七)。今の場合は当然チルの訓をとるべきであろう。ところで「オフ」の場合の表現をみると、オフータユ(2・一九六)と対応する表現はあるが、オフーチルの対応表現は見られないのである。古義が説いたように、4・六七五を証として、7・一三四六の「生沢」をサキサハとよんだ例にならい、18・三八八五の「生」と同様、第四句の「生」もサキとよむべきではなかろうか。「去」をユクとよむこと澤瀉久孝(「ぬば玉の夜のふけゆけば」『万葉古径三』)に精しい。
posted by 河童老 at 21:41| Comment(0) | 小説/文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする