2019年11月13日

『万葉集』を訓(よ)む(その1413)

 今回は、1058番歌を訓む。前の1053番歌の反歌五首目である。
 写本の異同は、本文にはないが、異伝の5句三字目<有>を『西本願寺本』などが「者」としていることがあげられる。『元暦校本』『類聚古集』『紀州本』に「有」とあるのを採った。原文は次の通り。

  狛山尓 鳴霍公鳥 
  泉河 渡乎遠見 
  此間尓不通
 [一云 渡遠哉 不通<有>武]

 1句「狛山尓」は「狛山(こまやま)に」と訓む。「狛山(こまやま)」について、阿蘇『萬葉集全歌講義』は次のように注している。

狛山 京都府木津川市城町上狛東方の神童寺山(二〇二メートル)などの山。木津川をはさんで、鹿背山の対岸に位置する。宣化・欽明天皇代(六世紀中頃)に任那・百済救援のために派遣された大伴狭手彦(金村の三男)が連れ帰った高麗の捕虜が、今の山城の国の狛人の祖先であると、『三代実録』貞観三年(八六一)八月十九日条の伴善男の奏言に見える。狛山の名は、この高麗人の居住したところからの名であろう。

「尓」はニ音の常用音仮名で、場所を示す格助詞「に」。
 2句「鳴霍公鳥」は「鳴(な)く霍公鳥(ほととぎす)」と訓む。「鳴」はカ行四段活用の自動詞「なく」の連体形で「鳴(な)く」。「霍公鳥」(423番歌他に既出)は、「思霍公鳥歌」と題して、「保登等藝須(ほととぎす) 今之来鳴者…」(3914)と歌われていることから「ほととぎす」と訓むことは明らかである。「霍」は「郭」と同音であり「郭公」とも書かれる。「郭公」は、中国ではカッコウのことで、同じホトトギス科の鳥ではあるがホトトギスより大きな鳥である。蜀の王望帝が事情あって不本意ながら譲位し、後その魂がホトトギスとなって「不如帰去」と鳴いたという故事により、「古を恋うて鳴く鳥」とされた。
 3句「泉河」は「泉河(いづみかは)」と訓む。1054番歌1句の「泉川」と「かは」の表記は異なるが同句。「泉河(いづみかは)」は、現在の木津川。
 4句「渡乎遠見」は「渡(わた)りを遠(とほ)み」と訓む。「渡」は動詞「わたる」の連用形の名詞化の「渡(わた)り」で、「船などで、川や海を渡ること。」また「川や海の、一方の岸から他方の岸へ渡る場所。渡し。渡し場。」をいう。ここは後者の意。「乎」はヲ音の常用音仮名(片仮名の字源)で、格助詞「を」。「遠」はク活用の形容詞「とほし」の語幹で「遠(とほ)」。「見」は「み(甲類)」の準常用訓仮名で、接続助詞「み」。〔体言+を+形容詞の語幹+接続助詞「み」〕の形で、原因・理由(〜ガ〜ナノデ)を表わす。
 5句「此間尓不通」は「此間(ここ)に通(かよ)はず」と訓む。「此間」(956番歌他に既出)は、漢籍の俗語的用法で、「この所」を意味し、『万葉集』では「此処(ここ)」の意で「此間」が多く用いられている。「尓」は1句に同じで、場所を示す格助詞「に」。「不通」は、ハ行四段活用の自動詞「かよふ」の未然形「通(かよ)は」+打消の助動詞「ず」(漢文の助字「不」で表記)=「通(かよ)はず」。「かよふ」は「二つの場所や物事の間を何回も行き来する」ことをいう。
[一云 渡遠哉 不通有武]は[一に云(い)ふ 渡(わた)り遠(とほ)みか 通(かよ)はず有(あ)るらむ] と訓む。「渡(わた)り」は4句に同じで、「川や海の、一方の岸から他方の岸へ渡る場所。渡し。渡し場。」をいう。「遠」は、4句の「遠見」と同じく、ク活用の形容詞「とほし」の語幹+接続助詞「み」(無表記だが補読)で「遠(とほ)み」と訓む。「哉」は漢文の助字で、疑問の係助詞「か」。「不通」は、5句に同じで、「通(かよ)はず」(ただし、ここの「ず」は連用形)。「有武」は、ラ行変格活用の自動詞「あり」の連体形「有(あ)る」+現在推量の助動詞「らむ」(「ら」は無表記、「む」はム音の常用音仮名で平仮名の字源である「武」で表記。)=「有(あ)るらむ」。助動詞「らむ」は、話し手が実際に経験している情況について、その原因・理由・時間・場所などを推量する意を表わす。なお、活用語の終止形に着くのが原則であるが、ラ変型活用の語には連体形に付く。
 1058番歌の漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。

  狛山(こまやま)に 鳴(な)く霍公鳥(ほととぎす)
  泉河(いづみかは) 渡(わた)りを遠(とほ)み
  此間(ここ)に通(かよ)はず

  狛山に 鳴くほととぎすは
  泉川の 渡り場が遠いので
  ここに通って来ない
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2019年11月09日

『万葉集』を訓(よ)む(その1412)

 今回は、1057番歌を訓む。前の1053番歌の反歌四首目である。
 写本に異同はなく、原文は次の通り。

  鹿脊之山 樹立矣繁三 
  朝不去 寸鳴響為 
  鴬之音

 1句「鹿脊之山」は「鹿脊(かせ)の山(やま)」と訓む。この句は、前歌(1056番歌)3句と同句。「鹿脊之山」の「之」は、漢文の助字で連体助詞「の」。「鹿脊(かせ)の山(やま)」は「鹿脊山(かせやま)」に同じで、「京都府南端、木津町と加茂町にまたがる山」で、この山の西麓から久邇京を左右に分けたという。
 2句「樹立矣繁三」は「樹立(こだち)を繁(しげ)み」と訓む。「樹立(こだち)」は「木立」に同じで、「生い茂っている木。むらがり立っている木。」をいう。「矣繁三」は、格助詞「を」(漢文の助字「矣」で表記)+ク活用形容詞「しげし」の語幹「繁(しげ)」+接続助詞「み」(「み(甲類)」の常用訓仮名「三」で表記)=「を繁(しげ)み」と訓む。いわゆるミ語法で、原因・理由(〜ガ〜ナノデ)を表わす。「樹立(こだち)を繁(しげ)み」は、「木立が茂っているので」の意。なお、「繁」は会意文字で、「敏」+糸。「祭事にいそしむを敏捷といい、その髪飾りの多いことを繁という。」と『字通』にある。『名義抄』には「繁 シゲシ・サカユ・サカシ・ナガシ・オホシ・オホキナリ・ワヅラハシ」の訓がある。
 3句「朝不去」は「朝(あさ)去(さ)らず」と訓む。この句は、372番歌5句および423番歌3句の「朝不離」と表記は一字異なるが同句。「朝(あさ)」は、一日をアサ→ヒル→ユフの三区分とした上代の考えでは、一日の最初の部分を指す。「不去」は「不離」と同じで、ラ行四段活用の自動詞「さる」の未然形「去(さ)ら」+打消しの助動詞「ず」(連用形。漢文の助字「不」で表記)=「去(さ)らず」。「朝(あさ)去(さ)らず」は「朝にはいつも。朝毎に。」の意を表す。この句について、吉井『萬葉集全注』は次のように注している。

○朝さらず サラズの上に朝(3・三七二、四二三、17・四〇〇三、四〇〇六)、夕(3・三五六、7・一三七二、10・二二二二)、夜(よひ)(10・二〇二六、二〇九八)のように時をあらわす語がくる場合は、朝ごとに、毎朝のような意となる。これと似た表現に場所や物にサラズがつくものがある(3・三二五、5・八〇九、八七九、九〇四、10・二一六一、11・二五〇一、二五〇三、二六三四、12・二九五七、14・三五一三、17・三九三二)が、これらは〜ヲ(ガ)離レズの意である(吉井巌「明日香川川淀さらず立つ霧の」万葉昭和三十二年一月)。

 4句「寸鳴響為」は「き鳴(な)き響(とよ)もす」と訓む。「寸」は「き(甲類)」の常用訓仮名で、カ行変格活用の自動詞「く(来)」の連用形「き」を表す。「鳴」はカ行四段活用の自動詞「なく」の連用形「鳴(な)き」。「響為」は、サ行四段活用の他動詞「とよもす」の連体形で「響(とよ)もす」。「為」は「す」の訓仮名。「き鳴(な)き響(とよ)もす」は、「鳥が来て鳴き声をひびかせる。」ことをいう。
 5句「鴬之音」は「鴬(うぐひす)の音(こゑ)」と訓む。「鴬(うぐひす)」(1012番歌他に既出)は、「ヒタキ科ウグイス亜科の鳥。雄は全長約一六センチメートル、雌は約一四センチメートル。雌雄とも背面は褐色を帯びた緑色で、腹部は白っぽい。早春、『ホーホケキョ』と美声でさえずるので、飼い鳥とされる。夏は平地から高山までの各地の笹やぶにすみ、地鳴き(笹鳴きともいう)は『チャッチャッ』と鳴く。冬に山地のものは平地に降りてくる。鶯の卵はホトトギスの卵とよく似ているので、鶯はしばしばホトトギスの卵を孵化(ふか)して育てる。」と『日本国語大辞典』にある。「之」は漢文の助字で、連体助詞「の」。「音」は「おと」とも「こゑ」とも訓むことは前にも述べたが、ここは663番歌4句などと同じく「こゑ」と訓む。
 1057番歌の漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。

  鹿脊(かせ)の山(やま) 樹立(こだち)を繁(しげ)み
  朝(あさ)去(さ)らず き鳴(な)き響(とよ)もす
  鴬(うぐひす)の音(こゑ)

  鹿背の山の 木立が茂っているので
  朝毎に 来ては鳴きたてる
  うぐいすの声よ
posted by 河童老 at 22:06| Comment(0) | 小説/文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月05日

『万葉集』を訓(よ)む(その1411)

 今回は、1056番歌を訓む。前の1053番歌の反歌三首目であるが、前回[参考]で紹介したように、長歌以来の主題である予祝の内容とはいささか異なり、久邇京讃歌には違いないが、直接には鹿背山讃歌であるといえよう。
 写本の異同は、4句の末字<者>。これを『西本願寺本』などが「去」とするが、『元暦校本』『類聚古集』『紀州本』に「者」とあるのを採る。
 なお、1句の一字目は、女偏に感という字であるが、辞書にない字なので〈女+感〉とした。下の「嬬」の字の偏を上に及ぼしたものかという。原文は次の通り。

  〈女+感〉嬬等之 續麻繋云 
  鹿脊之山 時之徃<者>
  京師跡成宿

 1句「〈女+感〉嬬等之」は「〈女+感〉嬬(をとめ)等(ら)が」と訓む。この句は、40番歌3句と同句。「〈女+感〉嬬」の文字は『萬葉集』中には十五例あり、いずれも「をとめ」と訓むべき場合に用いられている。「〈女+感〉」は「感」に同じと考えて良く、「心が動く」意。「嬬」は『説文解字』に「弱也」とあり、弱い女の義として「をとめ」の意に用いたものかと思われる。「等」は「ら」を表わす訓仮名にも用いられるが、ここは複数を示す接尾語である。「之」は漢文の助字で、「の」「が」「つ」に相当する訓仮名として用いられ、ここでは格助詞の「が」を表わす訓仮名として使われている。
 2句「續麻繋云」は「續麻(うみを)繋(か)くと云(い)ふ」と訓む。「續麻(うみを)」(928番歌に既出)は、「つむいだ麻糸。麻を細く裂いて糸としてより合わせたもの。」をいう。「繋」はカ行四段活用の他動詞「繋(か)く」。「繋(か)く」には「ある所に物の一部をつけて繋ぎ止める。掛ける。」また「組み立てたり、編んだりして作る。」の意がある。「云」はハ行四段活用の他動詞「云(い)ふ」で、前に格助詞の「と」を補読して「と云(い)ふ」と訓む。この句は「續んだ麻糸をかける桛を『鹿背山』のカセにかけた序詞。」と、澤瀉『萬葉集注釋』にある。また、阿蘇『萬葉集全歌講義』もこの句の注として次のように述べている。

 積麻懸くといふ 麻の繊維を細く裂いて、その端を縒り合わせて連続させて糸を作る作業をウムという。そうして作った麻糸をカセ(桛)に巻き取る。カセ(桛)と鹿背山のカセと掛けた。カセの形は、工型ともH型ともいう。恐らく、両型があったのであろう。

 3句「鹿脊之山」は「鹿脊(かせ)の山(やま)」と訓む。「鹿脊之山」の「之」は、漢文の助字で連体助詞「の」。「鹿脊(かせ)の山(やま)」は、1050番歌の14句に既出の「鹿脊山(かせやま)」に同じ。「鹿脊山(かせやま)」は「京都府南端、木津町と加茂町にまたがる山。歌枕。『続日本紀』によれば、この山の西麓から恭仁(くに)京を左右に分けたという。」と『日本国語大辞典』にある。
 4句「時之徃者」は「時(とき)し徃(ゆ)ければ」と訓む。「時(とき)」は「時間の流れ」をさす。「之」はシ音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)で、副助詞「し」を表わす。「徃者」は、カ行四段活用の自動詞「ゆく」の已然形(音韻上は命令形)「徃(ゆ)け」+完了の助動詞「り」の已然形「れ」(無表記だが補読)+順接の仮定条件を表す接続助詞「ば」(「は」の訓仮名「者」を流用)=「徃(ゆ)ければ」と訓む。「徃」は「往」の俗字。この句については、吉井『萬葉集全注』の注が詳しいので、引用しておこう。

○時し行ければ 旧訓はトキノ。口訳、定本、全註釈、古典大系、窪田評釈、大成本文篇、桜楓本は旧訓に従う。ユクは歳月が流れる、時が移り行く意。従って、どちらの訓によっても、「歳月が流れて都となった」という意となり、都となったことが時の流れのなかの変化の姿にすぎないことになる。勿論よい状態になったのであるが、不安定の感は拭えない。代匠記初稿本は「時のいたるなり」と言い、古義、全註釈、窪田評釈も同意に解する。この意であれば讃歌として落ちついた内容になるが、ユケレバの訓で、このように解するのは強引であろう。そこで『広雅』の釈詁に「往、至也」とあり、世尊寺本字鏡や観智院本類聚名義抄に「往」にイタルの訓があることからイタレバの訓に心ひかれる。「及」をイタルとよむ例(九七九)も一例であり、他はシク、マデ(ここに至との共通がある)と読まれており、「至」をユクと読んだ例(7・一一一三)もあるので可能性のない訓とも思えないが、試見として提出するにとどめる。

 確かに吉井『萬葉集全注』が言うように、この4句は「時し行ければ」よりも「時し至れば」の方が、5句「京師(みやこ)と成(な)りぬ」との相性はよく、讃歌として落ちついた内容になるのは間違いない。
 5句「京師跡成宿」は「京師(みやこ)と成(な)りぬ」と訓む。この句は、929番歌5句と同句。「京師」は漢語で、音読みでは「けいし」であるが、字義は和語の「みやこ」なので、訓読みでは「京師(みやこ)」と訓む。「跡」は「と(乙類)」の常用訓仮名で、格助詞「と」。「成宿」は、ラ行四段活用の自動詞「なる」の連用形「成(な)り」+完了の助動詞「ぬ」(「ぬ」の訓仮名「宿」で表記)=「成(な)りぬ」。「なる」は、「物事ができあがる。やっていたことがしあがる。」の意。
 1056番歌の漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。

  〈女+感〉嬬(をとめ)等(ら)が 續麻(うみを)繋(か)くと云(い)ふ
  鹿脊(かせ)の山(やま) 時(とき)し徃(ゆ)ければ
  京師(みやこ)と成(な)りぬ

  おとめたちが つむいだ麻糸をかけるという
  桛(かせ)という名の鹿背の山も 時がめぐって
  都となった
ラベル:万葉集
posted by 河童老 at 13:33| Comment(0) | 小説/文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする