2018年05月15日

『万葉集』を訓(よ)む(その1270)

 今回は、937番歌を訓む。前歌に続いて、935番歌(以下、「長歌」という)の反歌二首目である。
 写本に異同はなく、原文は次の通り。

  徃廻 雖見将飽八
  名寸隅乃 船瀬之濱尓
  四寸流思良名美

 1句「徃廻」は「徃(ゆ)き廻(めぐ)り」と訓む。「徃」はカ行四段活用の自動詞「ゆく」の連用形で「徃(ゆ)き」。「廻」はラ行四段活用の自動詞「めぐる」の連用形で「廻(めぐ)り」。「徃(ゆ)き廻(めぐ)り」は、「行ったり来たりあちこち動きまわって」の意。
 2句「雖見将飽八」は「見(み)とも飽(あ)かめや」と訓む。「雖見」(931番歌に既出)は、マ行上一段活用の他動詞「みる」の連用形「見(み)」+、逆接の仮定条件を示す接続助詞「とも」(漢文の助字「雖」で表記)=「見(み)とも」。「将飽八」(921番歌に既出)は、カ行四段活用の自動詞「あく」の未然形「飽(あ)か」+推量の助動詞「む」の已然形「め」(漢文の助字「将」で表記)+反語の意を表わす係助詞の「や」(「や」の常用訓仮名「八」で表記)=「飽(あ)かめや」。「見(み)とも飽(あ)かめや」は、「いくら見ても見飽きることがあろうか(いや、ない)。」の意。
 3句「名寸隅乃」は「名寸隅(なきすみ)の」と訓む。「名寸隅」は「長歌」1句に既出の地名で、「兵庫県明石市魚住町の付近という.淡路島を見渡せる船泊りの地.」(『新日本古典文学大系』地名一覧)をいう。「名」「寸」は、「な」「き(甲類)」の常用訓仮名。「乃」は、ノ(乙類)音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)で、連体助詞「の」。
 4句「船瀬之濱尓」は「船瀬(ふなせ)の濱(はま)に」と訓む。「船瀬(ふなせ)」も「長歌」の2句に既出で、「船舶が、風や波を避けるためにとまる所。船の碇泊所。船どまり。」をいう。「之」は漢文の助字で、連体助詞「の」。「濱(はま)」は「浜」の旧字で、「海や湖の、水ぎわに沿った平地」をいう。「尓」はニ音の常用音仮名で、場所を示す格助詞「に」。
 5句「四寸流思良名美」は「しきるしらなみ[白波]」と訓む。「四」はシ音の音仮名、「寸」は3句に既出の「き(甲類)」の常用訓仮名、「流」はル音の常用音仮名(片仮名の字源)。「四寸流」で以って、ラ行四段活用の自動詞「しきる」(連体形)を表す。「しきる(頻)」は、「同じ事が何度も続いて起こる。たび重なる。しげくなる。」ことをいう。「思」はシ音の音仮名、「良」はラ音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)、「名」は「な」の常用訓仮名、「美」はミ(甲類)音の常用音仮名(平仮名の字源)。「思良名美」は「しらなみ(白波)」を表す。「しらなみ」の仮名書き例は、931番歌15句「四良名美(しらなみ)」で既出だが、そのところで述べたように、『万葉集』には「しらなみ」を詠んだ歌が六十二首あり、その表記を調べて見ると、漢字表記が、「白浪」三十五例と「白波」五例の四十例、漢字仮名交じり表記として「白那弥」の一例があって、残りの二十一例が仮名表記である。その仮名表記の内訳をみると、「之良奈美」十五例、「志良奈美」二例、「思良奈美」二例、「思良名美」一例、「四良名美」一例となっており、仮名表記では、常用音仮名のみで表記した「之良奈美」が圧倒的であり、訓仮名の「名」を交えたものは、本歌の「思良名美」と931番歌の「四良名美」との二例のみであり、これが特殊な表記であることがわかる。「良名美」には、「良い名を持つ美しい」という意味を持たせたものと考えられ、「名寸隅(なきすみ)の船瀬(ふなせ)の濱(はま)」を賛美する気持ちが込められているように思う。
 937番歌の漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。

  徃(ゆ)き廻(めぐ)り 見(み)とも飽(あ)かめや
  名寸隅(なきすみ)の 船瀬(ふなせ)の濱(はま)に
  しきるしらなみ[白波]

  行ったり来たりして いくら見ても見飽きることがあろうか
  名寸隅の 船瀬の浜に
  しきりに寄せる白波の美しさは
ラベル:万葉集
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2018年05月10日

『万葉集』を訓(よ)む(その1269)

 今回は、936番歌を訓む。題詞に「反歌二首」とあり、本歌と次の937番歌の二首は、935番歌(以下、「長歌」という)の反歌である。
 写本に異同はなく、原文は次の通り。

  玉藻苅 海未通女等
  見尓将去 船梶毛欲得
  浪高友

 1句「玉藻苅」は「玉藻(たまも)苅(か)る」と訓む。この句は、「長歌」6句の「玉藻(たまも)苅(か)りつつ」と詠んだのを承けたもの。「玉藻(たまも)」は「美しい藻」の意で、「たま」は美称。「苅」はラ行四段活用の他動詞「かる」の連体形で「苅(か)る」。「かる」は「むらがって生えているものを短く切り払う」ことをいう。
 2句「海未通女等」は「海(あま)末通女(をとめ)等(ども)」と訓む。「海未通女」は「長歌」の9句に既出。「海」は、「海人」・「海部」などと書くところを略したもので、この一字で「あま」と訓む。「未通女」は、「をとめ」と訓み「若々しく生命力の盛んな女」の意で、もとは成年に達した未婚の女をさしたが、のちには、一〇歳くらいから成人前の未婚の女性を広くさすようになった。「海(あま)末通女(をとめ)」は「海で働く少女。年若いあま。」をいう。ここの「等」は、「ども」と訓み、名詞・代名詞に付いて、そのものを含めて、同類の物事が数多くあることを示す。ただ必ずしも多数とは限らず、同類のものの一、二をさしてもいう。
 3句「見尓将去」は「見(み)に去(ゆ)[行]かむ」と訓む。この句は、「長歌」の11句と同句。「見」はマ行上一段活用の他動詞「みる」の連用形「見(み)」の名詞化したもの。「尓」はニ音の常用音仮名で、目的を示す格助詞「に」。「将去」(536番歌他に既出)は、カ行四段活用の自動詞「ゆく」の未然形「去(ゆ)[行]か」+意志・意向の助動詞「む」(連体形。漢文の助字「将」で表記。)=「去(ゆ)[行] かむ」。澤潟『萬葉集注釋』に「『見にゆかむ』で切って、三句切れと見る説があるが、佐佐木氏が『連體形とするがよい』と云はれてゐるのが當つてゐよう。長歌でも『見にゆかむ』は連體形である。」とある。
 4句「船梶毛欲得」は「船(ふね)梶(かぢ)もがも」と訓む。「船梶」は、「長歌」の19句に既出で、「船(ふね)」と「梶(かぢ)」。「毛欲得」(478番歌他に既出)は、上代特有の願望の終助詞「もがも」を表わしたもの。「毛」はモ音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)、「欲得」は、306番歌の「花尓欲得(はなにもが)」の場合には「もが」と訓んだが、ここは、952番歌の「好人欲得(よきひともがも)」と同じく「がも」に宛てたもの。
 5句「浪高友」は「浪(なみ)高(たか)くとも」と訓む。「浪(なみ)」(359番歌他に既出)は「風や震動などによって水の表面に起こる起伏運動。水面のうねり。」をいう。「波浪」という同義の二字熟語があるように、「なみ」の漢字表記には、「波」と「浪」がある。現在では「波」が使われることが多いが、『万葉集』では「浪」の方が多い。「高」はク活用形容詞「たかし」の連用形で、「高(たか)く」。「たかし」は「空間的に上の方にあったり、上の方まで広がってあったりするさま。」をいう。「友」は借訓字で、仮定条件を示す接続助詞「とも」。この「とも」について、吉井『萬葉集全注』は「このトモは純粋な仮定を表現するものでなく、既に波の高いのを見ていながらそれを仮定のように表現する語法」だとしている。
 936番歌の漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。

  玉藻(たまも)苅(か)る 海(あま)末通女(をとめ)等(ども)
  見(み)に去(ゆ)[行]かむ 船(ふね)梶(かぢ)もがも 
  浪(なみ)高(たか)くとも

  玉藻を苅る 海人の娘子らに
  逢いに行く 船も梶も欲しい
  たとえ波が高かろうとも
ラベル:万葉集
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2018年05月08日

『万葉集』を訓(よ)む(その1268)

 今回は、935番歌の9句からを訓む。
 9句・10句「海末通女・有跡者雖聞」は「海(あま)末通女(をとめ)・有(あ)りとは聞(き)けど」と訓む。9句は、同じ金村の作である366番歌11句・930番歌1句と同句。「海」は、「海人」(238番歌)・「海部」(256番歌の異伝)などと書くところを略したもので、この一字で「あま」と訓む。「未通女」は、「をとめ」と訓み「若々しく生命力の盛んな女」の意で、もとは成年に達した未婚の女をさしたが、のちには、一〇歳くらいから成人前の未婚の女性を広くさすようになった。「海(あま)末通女(をとめ)」は「海で働く少女。年若いあま。」をいう。「有」はラ行変格活用の自動詞「あり」の終止形「有(あ)り」。「跡」は「と(乙類)」の常用訓仮名、「者」は「は」の訓仮名。「とは」は、格助詞「と」に、係助詞「は」が付いたもので、説明・思考・知覚などの対象やその内容を取り立てていうのに用いる。「雖聞」は、カ行四段活用の他動詞「きく」の已然形「聞(き)け」+逆接の既定条件を示す接続助詞「ど」(漢文の助字「雖」で表記)=「聞(き)けど」。
 11句・12句「見尓将去・餘四能無者」は「見(み)に去(ゆ)[行]かむ・よしの無(な)ければ」と訓む。「見」はマ行上一段活用の他動詞「みる」の連用形「見(み)」の名詞化したもの。「尓」はニ音の常用音仮名で、目的を示す格助詞「に」。「将去」(536番歌他に既出)は、カ行四段活用の自動詞「ゆく」の未然形「去(ゆ)[行]か」+意志・意向の助動詞「む」(連体形。漢文の助字「将」で表記。)=「去(ゆ)[行] かむ」。12句は、546番歌8句の「縁乃無者」と表記は異なるが同句。「餘」はヨ(乙類)音の、「四」はシ音の音仮名。「餘四」で以って、「かかわりを持つための方法。手段。てだて。すべ。」の意の「よし」を表す。「能」はノ(乙類)音の常用音仮名で、格助詞「の」。「無者」は、ク活用形容詞「なし」の已然形「無(な)けれ」+順接の確定条件を表す接続助詞「ば」(「者」で表記)=「無(な)ければ」。
 13句・14句「大夫之・情者梨荷」は「大夫(ますらを)の・情(こころ)はなしに」と訓む。13句は、646番歌1句他と同句。「大夫(ますらを)」は、「益荒男」とも書き、「立派な男子。強く勇ましい男子。」を意味するが、宮廷人であることを誇る意識を背景に使われることが多かったことから、官位の呼称である「大夫」が用いられるようになったもの。「之」は漢文の助字で、連体助詞「の」。14句は、898番歌2句の「心波奈之尓」と表記は異なるが同句。「情(こころ)」(789番歌他に既出)は、「人間の理知的、情意的な精神機能をつかさどる器官、また、その働き。」をいう。「者」は漢文の助字で、係助詞「は」。「梨荷」は、ク活用形容詞「なし」(借訓字「梨」で表記)+接続助詞「に」(訓仮名「荷」で表記)=「なしに」を表し、「無くて。無いのに。」の意。
 15句・16句「手弱女乃・念多和美手」は「手弱女(たわやめ)の・念(おも)ひたわみて」と訓む。15句は、379番歌15句「手弱女之」と連体助詞「の」の表記が異なるだけで同句。「手弱女」は「たわやめ」と訓み、「撓(たわ)や女(め)」すなわち「なよなよとした女。たおやかな女。たおやめ。」の意。「や」は間投助詞。「手弱」は宛字的用法。「乃」は、ノ(乙類)音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)で、連体助詞「の」。「念」はハ行四段活用の他動詞「おもふ」の連用形「念(おも)ひ」。「多」「和」「美」は、各々、タ音・ワ音・ミ(甲類)音の常用音仮名で、「多」は片仮名の、「和」は片仮名・平仮名の、「美」は平仮名の字源である。「多和美」は、マ行四段活用の自動詞「たわむ」の連用形「たわみ」を表す。「たわむ」は、「心が一途でなくなる。心がゆるむ。心弱くなる。」ことをいう。次の「手」は「て」の常用訓仮名で、接続助詞「て」に用いたもの。
 17句・18句「俳徊・吾者衣戀流」は「俳徊(たもとほ)り・吾(われ)はそ戀(こ)ふる」と訓む。17句は、460番歌の45句と同句。「俳徊」は、漢語では「はいかい」と訓み、「行ったり来たりすること。どこともなく歩きまわること。うろうろと歩きまわること。うろつくこと。」をいうが、ここは同じ意を表す和語「たもとほる」(ラ行四段活用の自動詞)にあてたもので、その連用形「俳徊(たもとほ)り」と訓む。458番歌に「多毛登保里」という仮名書き例があった。「吾(われ)」は自称で、作者の笠金村をさす。「者」は漢文の助字で、係助詞「は」。「衣」は「そ(乙類)」の常用訓仮名で、係助詞「そ」。「戀流」(682番歌他に既出)は、ハ行上二段活用の他動詞「こふ」の連体形で「戀(こ)ふる」。活用語尾「る」をル音の常用音仮名(片仮名の字源)の「流」で表記して連体形であることを明示したもの。
 19句「船梶雄名三」は「船(ふね)梶(かぢ)をなみ」と訓む。「船梶」は、「ふなかぢ」という一語ではなく、「船(ふね)」と「梶(かぢ)」。旧訓にフナカヂとあったが、契沖が、『萬葉代匠記』初稿本で「フネカチトヨムベシ舟ト梶トナリ フナカチトイヘバフネノカチニテカチハカリノコトナリ」として改めた。「雄」は「を」の訓仮名で、格助詞「を」。「名」は「な」の常用訓仮名で、ク活用形容詞「なし」の語幹の「な」。「三」は「み(甲類)」の常用訓仮名で、接続助詞「み」。「をなみ」は、いわゆるミ語法で、「船(ふね)梶(かぢ)をなみ」は、「船も梶も無くて」の意。
 935番歌の漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。

  名寸隅(なきすみ)の 船瀬(ふなせ)ゆ見(み)ゆる
  淡路嶋(あはぢしま) 松帆(まつほ)の浦(うら)に
  朝(あさ)なぎ[凪]に 玉藻(たまも)苅(か)りつつ
  暮(ゆふ)なぎ[凪]に 藻塩(もしほ)焼(や)きつつ
  海(あま)末通女(をとめ) 有(あ)りとは聞(き)けど
  見(み)に去(ゆ)[行]かむ よしの無(な)ければ
  大夫(ますらを)の 情(こころ)はなしに
  手弱女(たわやめ)の 念(おも)ひたわみて
  た俳徊(もとほ)り 吾(われ)はそ戀(こ)ふる
  船(ふね)梶(かぢ)をなみ

  名寸隅の 船瀬から見える
  淡路島の 松帆の浦に
  朝凪に 玉藻を刈りつつ
  夕凪に 藻塩焼きつつ
  海人の娘子らが いるとは聞くが
  それを見に行く 手だても無いので
  ますらおの 雄々しい心はなく
  たわや女のように 思いしおれて
  行きつ戻りつ 私は恋しく思っている
  船も梶もないので
ラベル:万葉集
posted by 河童老 at 14:38| Comment(0) | 小説/文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする