2017年10月10日

『万葉集』を訓(よ)む(その1206)

 今回は、山上憶良作の「沈痾(ちんあ)自哀文(じあいぶん)」の第二段目を訓む。
 第二段の原文は次の通り。なお、写本で二行書きで書かれている部分は、ここでは[一行]で記す。

 初沈痾已来 年月稍多 [謂經十餘年也] 是時年七十有四鬢髪斑白 筋力尫贏 不但年老復加斯病 諺曰 痛瘡潅塩短材截端 此之謂也 四支不動 百節皆疼 身體太重 猶負鈞石 [廿四銖為一兩 十六兩為一斤 卅斤為一鈞 四鈞為一石 合一百廿斤也] 懸布欲立 如折翼之鳥倚杖且歩 比跛足之驢吾以身已穿俗 心亦累塵 欲知禍之所伏 祟之所隠 龜卜之門 巫祝之室 無不徃問 若實若妄随其所教 奉幣帛 無不祈祷 然而弥有増苦 曽無減差

 この訓読文を記すと、次の通り。

 初(はじ)めて痾(やまひ)に沈(しづ)みしより已来(このかた)、年月(としつき)稍(やくやく)多(おほ)し。[十餘年(よねん)を經(へ)たることを謂(い)ふ。] 是(こ)の時(とき)、年七十有四(しちじふいうし)、鬢髪(ひんはつ)斑白(しら)けて、筋力(きんりよく)尫贏(やせおとろ)ふ。但(ただ)に年(とし)老(お)いたるのみにあらず、復(また)斯(こ)の病(やまひ)を加(くは)へたり。諺(ことわざ)に曰(いは)く、痛(ita)き瘡(きず)に塩(しほ)を潅(そそ)き、短(みじか)き材(き)の端(はし)を截(き)るといふは、此(こ)の謂(い)ひ也(なり)。 四支(しし)動(うご)かず、百節(ひやくせつ)皆(みな)疼(いた)み、身體(しんたい)太(はなは)だ重(おも)きこと、猶(なほ)鈞石(きんせき)を負(お)へるがごとし。[廿四銖(しゆ)を一兩(りやう)と為(な)し、十六兩(りやう)を一斤(こん)と為(な)す。卅斤(こん)を一鈞(きん)と為(な)し、四鈞(きん)を一石(せき)と為(な)す。合(あ)はせて一百(ぴやく)廿斤(こん)也(なり)] 布(ぬの)に懸(か)かりて立(た)たむと欲(おも)へば、翼(つばさ)折(を)れたる鳥(とり)の如(ごと)し。杖(つゑ)に倚(よ)りて且(まさ)に歩(あゆ)まむとすれば、足(あし)跛(な)へたる驢(うさぎうま)の比(ごと)し。吾(われ)、身(み)已(すで)に俗(ぞく)に穿(うが)たれ、心(こころ)も亦(また)塵(ぢん)に累(つな)がるるを以(も)ち
て、禍(わざはひ)の伏(ふ)す所(ところ)、祟(たたり)の隠(かく)るる所(ところ)を知(し)らむと欲(おも)ひ、 龜卜(きぼく)の門(もん)、巫祝(ふしゆく)の室(しつ)、徃(ゆ)きて問(と)はずといふこと無(な)し。若(も)しは實(まこと)なれ、若(も)しは妄(いつはり)なれ、其(そ)の教(をし)ふる所(ところ)に随(したが)ひて、幣帛(へいはく)を奉(たてまつ)り、祈祷(いの)らずといふこと無(な)し。然(しか)れども弥(いよよ)増(ま)す苦(くる)しび有(あ)り、曽(かつ)て減差(い)ゆといふこと無(な)し。

「鬢髪(ひんはつ)」の「鬢」は「頭の左右側面の髪。耳ぎわの髪。」をいう。「鬢」は形声文字で、『字通』に「声符は賓(ひん)。〔説文〕に『頰(ほお)の髮なり』とあり、髥(ぜん)には『頰の須(ひげ)なり』という。髮(髪)とは頭髪に属することをいう。」とある。
「斑白」は、黒髪に白髪が混じっている状態をいう。「はんぱく」と漢語訓みに訓む注釈書もあるが、カ行下二段活用の自動詞「しらく」の連用形「斑白(しら)け」と訓み、そういう状態に至ったということを表したものと見るのが良い。
「尫贏」の「尫」は「弱い」意で、「贏」は「疲れる」意。これも「わうるい」、と漢語訓みに訓むものもあるが、ハ行下二段活用の自動詞「尫贏(やせおとろ)ふ」と訓む。「痛(ita)き瘡(きず)に塩(しほ)を潅(そそ)き」は、一層痛みや辛さがひどくなる意のことわざ。「泣き面に蜂」と同じ。
「短(みじか)き材(き)の端(はし)を截(き)る」は、「貧窮問答歌」(892番歌)にも「短(みじか)き物(もの)を端(はし)きる」と詠われていた当時のことわざで、「いやが上にも窮迫する」ことを譬えていう。
「四支(しし)」は「人間の両手と両足」をいう。
「百節(ひやくせつ)」は「多くの関節」をいう。
「鈞石(きんせき)」の「鈞」も「石」も重さの単位で、「鈞石(きんせき)」は「おもり。重いもの。」の意。
 「廿四銖(しゆ)」以下の細注は、『淮南子(えなんじ)』天文訓の記載と一致する。銖・兩・斤、いずれも、令制で定められた重さの単位。
 「布(ぬの)に懸(か)かりて」は、「病床で身を起こすために梁から垂らした布に捕まることをいうか」と『新日本古典文学大系』の脚注にある。井村『萬葉集全注』は、ここを「布(ぬの)を懸(か)けて」と訓み、「膝に巻いたサポーターの類であろうか。」としながらも「よく判らない。」と述べている。
「足(あし)跛(な)へ」は、足が不自由なこと。
「驢(うさぎうま)」は、「ろば(驢馬)」の異名。耳が長いのでいう。『和名抄』に「驢 宇佐岐無麻 似馬長耳」とある。
「身(み)已(すで)に俗(ぞく)に穿(うが)たれ、心(こころ)も亦(また)塵(ぢん)に累(つな)がる」について、井村『萬葉集全注』は「身心、俗塵、それぞれ二字に分けて二句としたもの。穿と累も同様に関連させて訓み解くべきところ。俗塵は世俗の諸々の不浄の煩悩。累は繋縛の意。『諸々ノ塵累(ぢんるい)』(首楞厳経巻一)。穿と累は、穴をうがち、紐を通して繋ぐという意味になろう。」と注している。
「龜卜(きぼく)」は「亀甲を用いてする古代のうらない。亀甲獣骨を焼き、その裂け目によって吉凶を占う。東洋各地、ことに中国では殷代にさかんに行なわれた。日本上代には、神祇官に卜部を置き、陰陽寮の式卜などと合わせて、疑事を卜決した。神祇官の卜部は二〇人、伊豆、壱岐、対馬の三国から徴した。」(『日本国語大辞典』)。
「巫祝(ふしゆく)」は「神事を司る人」をいう。
「幣帛(へいはく)」は「布帛・金銭・酒食など神前にささげる供物(くもつ)。また、紙や布を切って木にはさんでたらした御幣(ごへい)。」をいう。
「曽(かつ)て」は、下に打消の語を伴って強い否定を表す。「全然、全く、」の意。
「減差(い)ゆ」は、ヤ行下二段活用の自動詞で、「病気や傷が治る。全快する。」の意。
 以上の口訳を記すと、次の通り。

 この病気になってから、年月はかなり経った。[十年余りになることをいう。] 現在、七十四歳。鬢にも髪にも白髪が混じり、筋肉の力も弱まった。単に年老いたばかりではなく、さらにこの病が加わった。ことわざに、「痛い傷には辛い塩をそそぎ、短い木材はそのまた端を切る」とはこのことだ。手足は動かず、関節はことごとく痛み、体は重くて、まるで重い石を背負っているようだ。[二十四銖が一両、十六両が一斤、三十斤が一鈞で、四鈞が一石であるから、合計百二十斤である。] 布につかまって立とうとすると、翼の折れた鳥のようで、杖にすがって歩こうとすると、足のなえたロバのようである。私は身心ともに世俗の煩悩によって穴をあけられ紐を通して繋がれているようなていたらくであるから、禍いの潜んでいるところ、祟りの隠れているところを知りたいと思って、あらゆる占い師や祈祷師の家を訪ねた。本当か嘘か知らないが、その教えのままに幣帛を捧げ、必ず祈祷した。けれども苦痛が増すことこそあれ、癒されることは全くなかった。

 以下、第三段以降は次回に続く。 
ラベル:万葉集
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2017年10月05日

『万葉集』を訓(よ)む(その1205)

 今回から数回かけて、山上憶良作の「沈痾自哀文」と題する文を訓む。「沈痾(ちんあ)」は、「いつまでも全快の見込みのない病気。ながわずらい。痼疾。宿病。宿痾。」をいう。阿蘇『萬葉集全歌講義』は、「『沈痾自哀文』は、憶良が重い病の床にあって死を予期し、われと我が身を哀れむ文である。」と述べて、全体を前後二部に、更にそれを各々三段に分けて六段構成と見ている。長い文章なので、『萬葉集全歌講義』の論に従って、一段ずつ訓んでいくことにしよう。第一段の原文は次の通り。なお、写本で二行書きで書かれている部分は、ここでは[一行]で記す。

 竊以、朝夕佃食山野者、猶無灾害而得度世。[謂常執弓箭不避六齊、所値禽獣、不論大小、孕及不孕、並皆殺食、以此為業者也。] 晝夜釣漁河海者、尚有慶福、而全經俗。[謂漁夫潜女、各有所勤、男者手把竹竿、能釣波浪之上、女者腰帶鑿籠、潜採深潭之底者也。] 况乎、我従胎生迄于今日、自有修善之志、曽無作悪之心。[謂聞諸悪莫作、諸善奉行之教也。] 所以礼拜三寶、無日不勤、[毎日誦經、發露懺悔也。] 敬重百神、鮮夜有闕。[謂敬拜天地諸神等也。]嗟乎媿哉、我犯何罪、遭此重疾。[謂未知過去所造之罪、若是現前所犯之過、無犯罪過、何獲此病乎。]

 この訓読文を記すと、次の通り。

 竊(ひそ)かに以(おもひ)みるに、朝夕(てうせき)山野(さんや)に佃食(かり)する者(ひと)すら、猶(なほ)灾害(さいがい)無(な)くして世(よ)を度(わた)ることを得(う)。[常(つね)に弓箭(きゆうせん)を執(と)りて、六齊(ろくさい)を避(さ)けず、値(あ)ふ所(ところ)の禽獣(きんじう)は、大(おほ)きなると小(ちひ)さきと、孕(はら)めると孕(はら)まぬとを論(ろん)ぜず、並(なら)びに皆(みな)殺(ころ)して食(く)らひ、此(これ)を以(も)ちて業(なり)と為(な)す者(ひと)を謂(い)ふ。] 晝夜(ちうや)河海(かかい)に釣漁(てうぎよ)する者(ひと)、尚(なほ)慶福(けいふく)有(あ)りて、俗(よ)を經(ふ)ることを全(また)くす。[漁夫(ぎよふ)潜女(せんぢよ)、各(おのおの)勤(つと)むる所(ところ)有(あ)り、男(をとこ)は手(て)に竹竿(たけさを)を把(と)り、能(よ)く波浪(なみ)の上(うへ)に釣(つ)り、女(をんな)は腰(こし)に鑿(のみ)と籠(こ)を帶(お)び、潜(かづ)きて深(ふか)き潭(ふち)の底(そこ)に採(と)る者(ひと)を謂(い)ふ。] 况(いは)むや、我(われ)胎生(たいしやう)より今日(こんにち)にいたる迄(まで)に、自(みづか)ら修善(しゆぜん)の志(こころざし)有(あ)り、曽(かつ)て作悪(さあく)の心(こころ)無(な)し。[諸悪莫作(しよあくまくさ)、諸善奉行(しよぜんぶぎやう)の教(をしへ)を聞(き)くを謂(い)ふ。] 所以(このゆゑ)に三寶(さんぽう)を礼拜(らいはい)し、日(ひ)として勤(つと)めざること無(な)く、[毎日(まいにち)誦經(ずきやう)し、發露懺悔(はつろざんげ)す。]  百神(ひやくしん)を敬重(けいちよう)し、夜(よ)として闕(か)くること有(あ)ること鮮(すくな)し。[天地(てんち)の諸(もろもろ)の神等(かみたち)を敬拜(けいはい)することを謂(い)ふ。]嗟乎(ああ)媿(はづか)しきかも、我(われ)何(なに)の罪(つみ)を犯(をか)してか、此(こ)の重(おも)き疾(やまひ)に遭(あ)へる。[未(いま)だ過去(くわこ)に造(つく)りし所(ところ)の罪(つみ)か、若(も)しくは是(これ)現前(げんぜん)に犯(をか)す所(ところ)の過(とが)なるかを知(し)らず、罪過(ざいくわ)を犯(をか)すこと無(な)くして、何(なに)そ此(こ)の病(やまひ)を獲(え)む、と謂(い)ふ。]

「佃食(かり)する者(ひと)」は「狩をして鳥獣を食べている者」をいう。「佃」は「田を耕す。狩をする。」意。
「六齊(ろくさい)」は、仏語で、「特に身をつつしみ持戒清浄であるべき日と定められた六か日。一般に月の八日・一四日・一五日・二三日・二九日・三〇日。」をいう。
「値(あ)ふ所(ところ)の禽獣(きんじう)」は「出会った鳥や獣」の意。「値」には「持つ。当たる。あたい。」の他に「会う。」の意もある。
「俗(よ)を經(ふ)る」は「世(よ)を度(わた)る」に同じで、「世渡り、すなわち生活をすること」をいう。
「胎生(たいしやう)」は、卵生・湿生・化生と並ぶ四生の一つで、「母胎から生まれること」をいう。
「修善(しゆぜん)の志(こころざし)」は「身を修め善行を積む意志」の意。
「作悪(さあく)の心(こころ)」は「悪行を行う心」の意。
「諸悪莫作(しよあくまくさ)、諸善奉行(しよぜんぶぎやう)の教(をしへ)」は、法句経や阿含経他の仏典に多い「諸悪なすことなかれ、諸善奉行せよ、という教え」をいう。
「三寶(さんぽう)」は「仏・法・僧。すなわち仏と、その教えと、その教えを守って修行する僧」の三つをいう。
「發露懺悔(はつろざんげ)す」は、「犯した罪を自ら明らかにして悔い改める」ことをいう。

 以上の口訳を記すと、次の通り。

 密かに思うに、朝に夕に山野で狩猟をする人でも、災害にも遭わずに暮らしてゆける[いつも弓矢を手にし、六日の斎日も慎むことなく狩をして、出会った鳥獣は、その大小を問わず、子を孕んでいるかどうかも構わず、皆殺して食べ、それを仕事として生活している者をいう]。昼夜、川や海で漁をしている人でも、幸せにその人生を送っている[漁夫と海女と、それぞれに仕事がある。男は竹竿を手にして波の上で釣りをし、女は鑿と籠を腰につけて海底深く潜って貝を採るものをいう]。まして、私は、母の胎内から生まれてから今日まで、進んで善行を積もうという意志を持ち、全く悪行をなす心を抱いたことがない[「諸悪なすことなかれ、諸善奉行せよ」の教えを守っていることをいう]。そこで、私は、仏・法・僧の三宝を礼拝し、日々の勤行を怠ることなく[毎日経を誦んで、犯した罪を顕し、罪を悔い改める]、諸神を尊み拝むことを欠かす夜もない[天神地祇の諸神を敬拝することをいう]。ああ、恥ずかしいことよ。私は、何の罪を犯してこんなに重い病にかかっているのか[過去に犯した罪によるものか、今現在犯している罪なのか、わからない。罪を犯すことなく、どうしてこのような病にかかることがあろうか、というのである]。

 以下、第二段以降は次回に続く。
ラベル:万葉集
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2017年10月03日

『万葉集』を訓(よ)む(その1204)

 今回は、896番歌を訓む。894番歌(以下、「長歌」という)の反歌二首目である。左注に「天平五年三月一日良宅對面獻三日 山上憶良謹上 大唐大使卿記室」とある。これを訓み下すと、「天平(てんぴやう)五年(ねん)三月(ぐわつ)一日(つきたち)、良宅(りやうのいへ)に對面(たいめん)して、獻(たてまつ)ることは三日(か)なり。 山上憶良(やまのうへのおくら)謹(つつし)みて上(たてまつ)る。 大唐大使卿(だいたうたいしきやう)記室(きしつ)」。「大唐大使卿」について、井村『萬葉集全注』は、次のように注している。

○ 大唐大使卿 多治比真人広成(たじひのまひとひろなり)。続日本紀天平四年八月丁亥(ていがい)条「従四位上多治比真人広成ヲ以テ遣唐大使ト為ス。」五年三月戊午(ぼご)条「広成等拝朝ス。」閏三月癸巳(きし)条「節刀ヲ授ク。」四月己亥(きがい)条「遣唐ノ四船難波ノ津ヨリ進発ス。」六年十一月丁丑(ていちゆう)条「広成等多袮嶋(たねがしま)ニ来着ス。」七年三月丙寅(へいいん)条「唐国ヨリ至リテ節刀ヲ進ム。」と見える。広成は、文武朝の左大臣正二位多治比真人島の第五子。天平九年、参議、中納言。十一年四月七日、従三位中納言で薨ずる。懐風藻に詩三首。第八次の遣唐押使丹治比県守(あがたもり)(続日本紀霊亀二年八月癸亥(きがい)条)は広成の兄であり、以後、第十五次の送唐客使判官多治比浜成(宝亀九年十二月己丑(きちゆう)条)、第十七次の船頭判官丹【土偏に犀】(たじひ)文雄(続日本後紀承和三年八月丁巳(ていし)条)、同じく準録事丹【土偏に犀】高主(承和六年八月甲戌(こうじゆつ)条)等、多治比氏から遣唐使が多く出ている。

 「記室」(812番歌に既出)は、「書記」の意。手紙の相手を尊んでその傍に書く書式の一つで、「侍史」に同じ。
 写本に異同はなく、原文は次の通り。

  難波津尓 美船泊農等
  吉許延許婆 紐解佐氣弖
  多知婆志利勢武

 1句「難波津尓」は「難波津(なにはつ)に」と訓む。「難波津(なにはつ)」は、『日本国語大辞典』に「古代、難波江にあった港。海外との交通が開けるとともに、海路の要港として栄えた。墨江(住吉)の津・大伴の御津などが含まれた。」とあるように「長歌」の57句・58句及び反歌一首目の895番歌1句・2句に詠われた「大伴の御津」を指す。「尓」はニ音の常用音仮名で、場所を示す格助詞「に」。
 2句「美船泊農等」は「み船(ふね)泊(は)てぬと」と訓む。「美船」は、「長歌」の60句に既出で、「み船(ふね)(御船)」。「み」は美称の接頭語。「泊」も「長歌」の59句・60句に既出で、下二段活用の自動詞「はつ」の連用形「泊(は)て」と訓む。「農」はヌ音の音仮名で、完了の助動詞「ぬ」を表す。「等」はト(乙類)音の常用音仮名で、格助詞「と」。
 3句「吉許延許婆」は「きこえこば」と訓む。この句は一字一音の仮名書き。「吉」はキ(甲類)音の音仮名、「許」「延」「婆」は、各々、コ(乙類)音・エ音・バ音の常用音仮名。「吉許延」は、ヤ行下二段活用の自動詞「きこゆ」の連用形「きこえ(聞こえ)」を表す。「許婆」は、カ行変格活用の自動詞「く」の未然形「こ(来)」+仮定の条件を示す接続助詞「ば」=「こ(来)ば」を表す。
 4句「紐解佐氣弖」は「紐(ひも)解(と)きさけて」と訓む。この「紐(ひも)」は「帯紐」をいう。「解」はカ行四段活用の他動詞「解く」の連用形「解(と)き」。「佐」「氣」は、サ音・ケ(乙類)音の常用音仮名で、「佐氣」で以って、カ行下二段活用の他動詞「さく(放く)」の連用形「さけ(放け)」を表す。「ときさく(解き放く)は「解きはなつ。ときほどく。」ことをいう。「弖」はテ音の常用音仮名で、接続助詞「て」。
 5句「多知婆志利勢武」は「たちばしりせむ」と訓む。この句も一字一音の仮名書き。「多」はタ音の常用音仮名で、片仮名の字源、「知」はチ音の常用音仮名で、平仮名の字源。「多知」は、タ行四段活用の自動詞「たつ(立つ)」の連用形「たち(立ち)」を表す。「婆」「志」「利」は各々、バ音・シ音・リ音の常用音仮名で、「利」は片仮名・平仮名の字源。「婆志利」は、「ばしり(走り)」を表す。「たち(立ち)ばしり(走り)」は「小走りに走ること」をいう。「勢」はセ音の常用音仮名、「武」はム音の常用音仮名で、平仮名の字源。「勢武」は、サ行変格活用の他動詞「す」の未然形「せ」+意向の助動詞「む」=「せむ」を表す。
 896番歌の漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。

  難波津(なにはつ)に み船(ふね)泊(は)てぬと
  きこえ(聞こえ)こば(来ば) 紐(ひも)解(と)きさけ(放け)て
  たち(立ち)ばしり(走り)せむ

  難波の港に 御船が着いたと
  聞こえてきたら 帯紐も解いたままで
  走ってお迎えに参りましょう
ラベル:万葉集
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