2017年11月03日

『万葉集』を訓(よ)む(その1213)

 今回は、897番歌を訓む。題詞に「老身重病經年辛苦及思兒等歌七首 [長一首短六首]」とあって、これを訓読すると「老いたる身に病を重ね、年を経て辛苦(たしな)み、また児等を思ふ歌七首[長一首、短六首]」となる。897番歌は、そのうちの「長一首」ということで、三十九句からなる長歌である。題詞の「辛苦(たしな)み」は、「辛い思いをする。苦しい目にあう。」という意の動詞「たしなむ」(マ行四段活用の自動詞)の連用形。
 写本の異同は、2句の注の五字目<壽>、11句の一字目<鹹>、37句三字目<可>の三箇所。『西本願寺本』では、2句の注の五字目は「等」、11句の一字目は「醎」、37句三字目は「なし」となっている。2句の注の五字目については、『紀州本』『細井本』『広瀬本』に「壽」とあるのを、11句の一字目については、『大矢本』『京都大学本』に「鹹」とあるのを採った。また37句三字目については、諸本に「可」とあるので、『西本願寺本』は欠落したものとみなした。原文は次の通り。

 霊剋 内限者 [謂瞻浮州人<壽>一百二十年也] 平氣久 安久母阿良牟遠
 事母無 裳無母阿良牟遠 世間能 宇計久都良計久
 伊等能伎提 痛伎瘡尓波 <鹹>塩遠 潅知布何其等久
 益々母 重馬荷尓 表荷打等 伊布許等能其等
 老尓弖阿留 我身上尓 病遠等 加弖阿礼婆 
 晝波母 歎加比久良志 夜波母 息豆伎阿可志 
 年長久 夜美志渡礼婆 月累 憂吟比 
 許等々々波 斯奈々等思騰 五月蝿奈周 佐和久兒等遠 
 宇都弖々波 死波不知 見乍阿礼婆 心波母延農 
 可尓<可>久尓 思和豆良比 祢能尾志奈可由

 1句・2句「霊剋・内限者 [謂瞻浮州人壽一百二十年也] 」は、「たまきはる・内(うち)の限(かぎ)りは [瞻浮州(せんぶしう)の人(ひと)の壽(いのち)の一百二十年(ねん)なるを謂(い)ふ] 」と訓む。1句「霊剋」は、678番歌3句と同句で「たまきはる」と訓む。4番歌1句「玉尅春」とも表記は異なるが同句。「霊」は「たま、たましい」の意。「剋」は「尅」と同じで、「刻む、切る」の意。「たまきはる」は枕詞で、語義及びかかり方は未詳だが、次のような言葉にかかる。
 ⑴「内」にかかる。4番歌と本歌はこの例。
 ⑵「命(いのち)」にかかる。678番歌はこの例。
 ⑶「磯(いそ)」「幾世(いくよ)」にかかる。4003番歌に「いくよ」にかかる例がある。
 ⑷「世(よ)」「憂(う)き世」にかかる。2398番歌に「世」にかかる例がある。 
 ⑸「吾が」「立ち帰る」「心」などにかかる。1912番歌に「吾が」にかかる例がある。
 
「内(うち)」は「現世」をさし、「内(うち)の限(かぎ)り」は「生きている間」をいう。「者」は漢文の助字で、係助詞「は」に用いたもの。注にある「瞻浮州(せんぶしう)」(沈痾自哀文に既出)は、須弥山の南方海上にある大陸で、人間の住む世界。閻浮提(えんぶだい)ともいう。
 3句・4句「平氣久・安久母阿良牟遠」は、「平(たひら)けく・安(やす)くもあらむを」と訓む。443番歌の27句「平」と同句で、ク活用形容詞「たひらけし」の連用形(副詞法)で「平(たひら)けく」と訓む。443番歌では「けく」の表記はなかったが、ここでは、「氣久」と表記している。「氣」はケ(乙類)音の常用音仮名、「久」はク音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)。「たひらけし」は「平穏無事」の意の名詞「たひら」に接尾語「けし」が付いたもので、接尾語「けし」は、名詞などに付いてク活用の形容詞を作り、その性質や状態を表わす。「露(つゆ)けし」「のどけし」「さやけし」「あきらけし」などの例があげられる。「安久」は、ク活用形容詞「やすし」の連用形「安(やす)く」、連用形であることを明示するために活用語尾の「く」を、ク音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)である「久」で表記したもの。「やすし」は「物事のなりゆきに障害や不安がない。平穏である。安心していられる。」ことをいう。「母」は、モ音の常用音仮名で、係助詞「も」を表す。「阿良牟遠」は、ラ行変格活用の自動詞「あり」の未然形「あら」+推量の助動詞「む」(連体形)+詠歎を込めた接続助詞「を」=「あらむを」を表す。「阿」「良」「牟」は、各々、ア音・ラ音・ム音の常用音仮名で、「阿」「牟」は片仮名の字源、「良」は片仮名・平仮名の字源である。「遠」はヲ音の準常用音仮名。
 5句・6句「事母無・裳無母阿良牟遠」は、「事(こと)も無(な)く・も無(な)くもあらむを」と訓む。5句「事母無」は、559番歌1句「事毛無」と「も」の表記が異なるだけで同句。「事(こと)」は、「事件、出来事、変事。特別な用事。」の意。「ことあり」「こと出ず」「ことにのぞむ」「ことに遇う」などの形のときは、事件、変事などの意を表わし、「こととする」「ことと思う」などでは、重要な事態の意で用いられ、指定の助詞・助動詞を伴って述語になるときは、大変だの意となる。「母」はモ音の常用音仮名で、係助詞「も」。「無」はク活用形容詞「なし」の連用形(副詞法)で「無(な)く」。「事(こと)も無(な)く」は「平穏に」の意。「裳」は「も(乙類)」の常用訓仮名で、ここは「わざわい。まがごと。凶事。」の意である「も(喪)」を表す。「無」は5句に同じで、ク活用形容詞「なし」の連用形「無(な)く」。「母」も5句に同じで、係助詞「も」。「阿良牟遠」は4句に同じで、「あらむを」を表す。
 7句・8句「世間能・宇計久都良計久」は、「世間(よのなか)の・うけくつらけく」と訓む。7句は、804番歌1句と同句。「世間」は、『史記』の李斯伝に「夫(そ)れ人生まれて世間に居るや、譬(たと)へば猶ほ六驥(りくき)を騁(は)せて、決隙(けつげき)(わずかのすきま)を過ぐるがごとし。」とあり、「この世。世の中。」の意。音読みで「せけん」、訓読みで「よのなか」。「能」はノ(乙類)音の常用音仮名で、連体助詞「の」。「宇計久」は「う(憂)けく」、「都良計久」は、「つら(辛)けく」と訓み、それぞれ、ク活用形容詞の「憂し」「辛し」のク語法による名詞形で、「嫌な事」「辛い事」の意。「宇」「計」「久」「都」「良」は、各々、ウ音・ケ(甲類)音・ク音・ツ音・ラ音の常用音仮名で、うち「宇」・「久」・「良」は、片仮名・平仮名の字源。
 9句・10句「伊等能伎提・痛伎瘡尓波」は、「いとのきて・痛(いた)き瘡(きず)には」と訓む。9句は、892番歌(「貧窮問答歌」)の72句「伊等乃伎提」と「の」の表記が違うだけで同句。「伊等」は、「程度のはなはだしいさま」をいう副詞「いと」を表す。「能伎提」は、動詞「のく(除・退)」の連用形に助詞「て」が付いた「のきて」を表す。「いとのきて」は、通常的、一般的なものから、それだけを、格別な特色があるとして区別し強調する意味で用いる。「ことのほか。いやがうえに。普通以上に。」の意。「伊」はイ音の常用音仮名で片仮名の字源。「等」「能」「伎」は、各々、ト(乙類)音・ノ(乙類)音・キ(甲類)音の常用音仮名。「提」はテ音の準常用音仮名。「痛伎」は、ク活用形容詞「いたし」の連体形で「痛(いた)き」。「いたし」は「肉体的に苦痛である。からだの内部の故障や、外から加えられる打撃などで苦しくつらい。」ことをいう。「瘡」は形声文字で、『字通』に「声符は倉(そう)。創と通用し、創は刀創。その傷あとを瘡、傷あとのかさを瘡疥・瘡疹という。」とあり、『名義抄』に「瘡 カサ・キズ・キズツク・キズドコロ」の訓を示す。「尓波」は、格助詞「に」に係助詞「は」の付いた「には」を表す。「尓」はニ音の常用音仮名、「波」はハ音の常用音仮名で平仮名の字源。
 11句・12句「鹹塩遠・潅知布何其等久」は、「鹹塩(からしほ)を・潅(そそ)くちふがごとく」と訓む。「鹹塩(からしほ)」は、塩のからさを強調した言葉で、「塩。また、塩水。」の意。「鹹」は形声文字で、『字通』に「声符は咸(かん)。〔説文〕十二上に「銜(かん)なり。北方の味なり」と同音を以て解するが、〔爾雅、釈言〕に「苦(にが)し」とあり、塩気をいう。その味は苦味を含む。〔本草綱目〕の李時珍説に、鹹は潤下の味、また減(げん)の音でよむときは塩土の意で、のちの鹼の字義にあたるという。」とある。「遠」は4・6句にも既出のヲ音の準常用音仮名で、ここは格助詞「を」を表す。「潅」は、カ行四段活用の他動詞「潅(そそ)く」。「そそく」は「上にかける。ふりかける。流しかける。」の意。今では「そそぐ」というが古くは「そそく」と言った。「知布」は、「ちふ」と訓み「といふ」の約。「知」「布」は、チ音・フ音の常用音仮名で、「知」は平仮名の字源。「何」はガ音の音仮名で、格助詞「が」を表す。「其」はゴ(乙類)音の常用音仮名、「等」「久」(共に既出)は、ト(乙類)音・ク音の常用音仮名。「其等久」で以って、比況の助動詞「ごとし」の連用形「ごとく」を表す。
 13句以降は、次回に続く。
ラベル:万葉集
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2017年10月31日

『万葉集』を訓(よ)む(その1212)

 今回は、前回の続きで、「悲歎俗道假合即離易去難留詩一首[并序]」とある詩一首を訓むが、その前に序の口訳を記しておこう。

  世の道理の、仮に合っているだけで、たちまち分離し、はかなく常ない
  ことを悲しみ嘆く詩 [序を併せる]

 ひそかに思うに、釈・慈の教えは、 [釈・慈とは、釈迦如来と弥勒菩薩とをいう。] 先に三帰 [仏・法・僧を深く信じ、その教えに従うことをいう。] 五戒を広く説いて全世界を教化し、 [五戒とは、一に殺さない、二に盗まない、三に姦淫をしない、四に嘘をつかない、五に酒を飲まない、ことをいう。] 周公と孔子の教訓は、まず、三綱 [君臣、父子、夫婦の道をいう。] 五教によって国家を整えようとした。[五教とは、父は義、母は慈、兄は友、弟は順、子は孝であることをいう。] そこで、仏教と儒教と二つ、教導の手段こそ違っているが、悟りを開く要諦はただ一つであることがわかる。ただ、考えてみと、この世には恒久不変という性質がない。だから、丘は谷となり、谷は丘となる。人間にも定まった寿命はなく、それで長生きする者も若死にする者もある。瞬きをする間に、百年はたちまち尽きてしまうし、肘を伸ばす間に千年が過ぎてしまう。朝、宴席の主人であった者が、夕方には冥土の客となっている。白馬がいかに早く走ろうとも、迫ってくる死の早さにどうして及ぼうか。徐君の墓の青松に掛けた季札の信義の剣も空しく、野の白楊はただ悲しい風に吹かれているばかりである。こうして、この世にはもともと死を逃れて隠れ住む家はなく、原野にはただ永遠の眠りのための墓だけがあるということを思い知るのである。昔の聖人たちはとっくに世を去り、後に続いた賢人たちもまたこの世に留まってはいない。もし金を出して死から逃れられるなら、古人の誰しもがそのための金を用意しただろう。ただ一人生きながらえてこの世の終わりを見た者があったとは、これまで聞いたことがない。それゆえ、維摩大士は病気になって尊いお身体を一丈四方の部屋に横たえられ、釈迦如来は貴いお姿を沙羅双樹に覆われて亡くなられたのである。仏典には、「黒闇天女が後から来ることを望まないなら、功徳大天の先立って訪れることを受け入れるな」とある。[功徳大天は生、黒闇天女は死である。] それ故、生まれてきた以上、必ず死ぬということがわかるのである。もしも死ぬのがいやなら、生まれてこない方がよい。だが、たとえ始めがあれば終わりがあるという世の道理を覚ったとしても、どうして生死の大いなる定めに思慮が及ぼうか。

 それでは次に詩一首に進もう。詩の原文は次の通り。

  俗道變化猶撃目
  人事經紀如申臂
  空与浮雲行大虚
  心力共盡無所寄

 この訓読文を記すと、次の通り。

  俗道(ぞくだう)の變化(へんくわ)は猶(なほ)撃目(げきもく)のごとく、
  人事(じんじ)の經紀(けいき)は申臂(しんぴ)の如(ごと)し。
  空(むな)しく浮雲(ふうん)と大虚(たいきよ)を行(ゆ)き、
  心力(しんりよく)共(とも)に盡(つ)きて寄(よ)る所(ところ)無(な)し。

 「俗道(ぞくだう)の變化(へんくわ)」は、「この世の移りかわること。」(阿蘇『萬葉集全歌講義』より)。
 「人事(じんじ)の經紀(けいき)」は、「人生の忽ち過ぎ去り滅びに至る筋道。」(阿蘇『萬葉集全歌講義』より)。
 「空(むな)しく浮雲(ふうん)と大虚(たいきよ)を行(ゆ)き」について、井村『萬葉集全注』は「大虚は、大空。『是ノ身ハ浮雲ノ如ク、須臾ニシテ変滅ス』(維摩経方便品)。『空中ノ雲ノ如シ。……衆生ヲ観ズルコトカクノゴトシトナス』(同上、観衆生品)。」と注している。

 この詩一首を口訳すると、

  この世の移り変わりは瞬きをする間の短さであり
  人生の滅びに至る筋道はひじを伸ばすほどの短い間である
  その虚しさは浮雲とともに大空を行くようで
  心も力も共に尽き果て頼る所とてない
ラベル:万葉集
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2017年10月28日

『万葉集』を訓(よ)む(その1211)

 今回は、「沈痾(ちんあ)自哀文(じあいぶん)」に続く、憶良の作で、題詞に「悲歎俗道假合即離易去難留詩一首[并序]」とある詩一首の序を訓む。
 原文は次の通り。なお、写本で二行書きで書かれている注の部分は、ここでは[一行]で記す。

 悲歎俗道假合即離易去難留詩一首 [并序]

竊以 釋慈之示教 [謂釋氏慈氏] 先開三歸 [謂歸依佛法僧] 五戒而化法界 [謂一不【殺】生二不偸盗三不邪婬四不妄語五不飲酒] 周孔之垂訓前張三綱 [謂君臣父子夫婦] 五教以濟邦國 [謂父義母慈兄友弟順子孝] 故知 引導雖二 得悟惟一也 但以世無恒質 所以陵谷更變 人無定期所以壽夭不同 撃目之間百齡已盡 申臂之頃 千代亦空 旦作席上之主夕為泉下之客白馬走来 黄泉何及 隴上青松空懸信劔 野中白楊但吹悲風是知 世俗本無隠遁之室 原野唯有長夜之臺 先聖已去 後賢不留 如有贖而可免者 古人誰無價金乎 未聞獨存遂見世終者 所以維摩大士疾玉體于方丈 釋迦能仁掩金容于雙樹 内教曰 不欲黒闇之後来 莫入徳天之先至 [徳天者生也 黒闇者死也] 故知生必有死 々若不欲不如不生 况乎縦覺始終之恒數 何慮存亡之大期者也

 注:【殺】とあるのは、写本では、パソコンにない【敏の「母」の部分が「ヨ」の下に「一」】という字であるが、「殺」の俗字なので【殺】で代用した。

 この訓読文を記すと、次の通り。

 俗道(ぞくだう)の假(かり)に合(あ)ひ即(すなは)ち離(はな)れ、去(さ)り易(やす)く留(とど)まり難(かた)きことを悲(かな)しび歎(なげ)く詩(し)一首(しゆ) [并(あは)せて序(じよ)]

竊(ひそ)かに以(おもひ)みるに、釋慈(しやくじ)の示教(じけう)は [釋氏(しやくし)と慈氏(じし)とを謂(い)ふ。] 先(さき)に三歸(き) [佛法僧(ぶつぽふそう)に歸依(きえ)するを謂(い)ふ。] 五戒(かい)を開(ひら)きて法界(ほふかい)を化(おもむ)け、 [一に不殺生(ふせつしやう)、二に不偸盗(ふとうたう)、三に不邪婬(ふじやいん)、四に不妄語(ふまうご)、五に不飲酒(ふおんじゆ)なるを謂(い)ふ。] 周孔(しうこう)の垂訓(すいくん)は前(さき)に三綱(かう) [君臣(くんしん)、父子(ふし)、夫婦(ふうふ)を謂(い)ふ] 五教(けう)を以(もち)て邦國(はうこく)を濟(すく)ふ。[父(ちち)は義(ぎ)。母(はは)は慈(じ)。兄(けい)は友(いう)。弟(てい)は順(じゆん)。子(こ)は孝(かう)なるを謂(い)ふ]  故(ゆゑ)に知(し)る。引導(いんだう)は二(ふた)つなりと雖(いへど)も、悟(さとり)を得(う)るは惟(こ)れ一(ひと)つ也(なり)。但(ただ)以(おもひ)みるに世(よ)に恒質(こうしつ)無(な)し。所以(このゆゑ)に陵谷(りようこく)更(さら)に變(へん)じ、人(ひと)に定期(ぢやうご)無(な)く、所以(このゆゑ)に壽夭(じゆえう)同(おな)じからず。撃目(げきもく)の間(あひだ)に、百齡(ひやくれい)已(すで)に盡(つ)き、申臂(しんぴ)の頃(あひだ)に、千代(せんだい)も亦(また)空(むな)し。旦(あした)には席上(せきじやう)の主(あるじ)と作(な)り、夕(ゆうへ)には泉下(せんか)の客(かく)と為(な)る。白馬(はくば)走(はし)り来(きた)るとも、黄泉(くわうせん)何(いか)にか及(し)かむ。隴上(ろうじやう)の青松(せいしよう)は空(むな)しく信劔(しんけん)を懸(か)け、野中(やちう)の白楊(はくやう)は但(ただ)悲風(ひふう)に吹(ふ)かる。是(ここ)に知(し)る、世俗(せぞく)本(もと)より隠遁(いんとん)の室(むろ)なく、原野(げんや)には唯(ただ)長夜(ちやうや)の臺(うてな)のみ有(あ)りといふことを。先聖(せんせい)已(すで)に去(さ)り、後賢(こうけん)留(とど)まらず。如(も)し贖(あがな)ひて免(まぬか)る可(べ)きこと有(あ)らば、古人(こじん)誰(たれ)か價(あたひ)の金(くがね)無(な)からむや。未(いま)だ獨(ひと)り存(ながら)へて遂(つひ)に世(よ)の終(をはり)を見(み)る者(ひと)を聞(き)かず。所以(このゆゑ)に維摩大士(ゆいまだいし)は玉體(ぎよくたい)を方丈(はうぢやう)に疾(や)ましめ、釋迦能仁(しやかのうにん)は金容(こんよう)を雙樹(さうじゆ)に掩(かく)したまへり。内教(ないけう)に曰(いは)く、黒闇(こくあん)の後(のち)に来(こ)むことを欲(ねが)はずは、徳天(とくてん)の先(さき)に至(いた)るを入(い)るること莫(な)かれ。[徳天(とくてん)は生(せい)なり。黒闇(こくあん)は死(し)なり] 故(ゆゑ)に知(し)る、生(う)まるれば必(かな)らず死(し)有(あ)り。死(し)を若(も)し欲(ねが)はずは、生(う)まれざるに如(し)かず。况(いは)んや縦(たと)ひ始終(しじゆう)の恒數(こうすう)を覺(さと)るとも、何(いか)にぞ存亡(そんばう)の大期(だいご)を慮(おもひはか)らむ。

「俗道(ぞくだう)」は、「俗世間における道理。世の中の道。」をいう。
「假(かり)に合(あ)ひ即(すなは)ち離(はな)れ」について、阿蘇『萬葉集全歌講義』は「八八六の序に、『仮合の身』とあった。人体を構成する要素である地水火風が早くも分離してゆくこと。」と注し、井村『萬葉集全注』は「衆多の縁が一時的に和合現象し、すみやかに離散すること(八八六序〔注〕参照)。」と注している。
「釋慈(しやくじ)の示教(じけう)」は、「釈迦如来と弥勒菩薩の教え。弥勒菩薩は、慈悲の心で衆生を済度するというので、慈氏と称される。」(阿蘇『萬葉集全歌講義』より)。
「三歸(き)」は、「仏・法・僧の三宝に帰依すること。三宝に一切をなげだしてこれにすべてをまかせ、救いを請うこと。」をいう。
「五戒(かい)」は、「在家の人の守るべき五種の戒。不殺生戒、不偸盗戒、不邪淫戒、不妄語戒、不飲酒戒。」をいう。
「法界(ほふかい)を化(おもむ)け」は、「全世界を教化し。法界は、仏法世界ともされるが、全世界の方がよい。」(阿蘇『萬葉集全歌講義』より)。
「周孔(しうこう)」は、「周の礼楽を整えた周公と、儒家の祖孔子と。」(井村『萬葉集全注』より)。
「三綱(かう)」は、「儒教倫理説の一つで、君臣・父子・夫婦の3種類の関係において、尊者に対する服従を道徳の大綱であるとする。一般に後漢(ごかん)の『白虎通義(びゃっこつうぎ)』の定義によるが、すでに『韓非子(かんぴし)』忠孝篇(へん)に、「天下の常道」として「臣は君に事(つか)へ、子は父に事へ、妻は夫に事ふ」と述べ、『春秋繁露(しゅんじゅうはんろ)』基義篇には「王道の三綱」として君臣・夫婦・父子の関係を論じているように、古代中央集権体制の成立に伴って生まれたものである。」(『日本大百科全書』より)。
「五教(けう)」は、「儒教で、人が守らなければならないとする五つの教え。『書経‐舜典』に『汝作司徒、敬敷五教、在寛』とあるのによる語で、『孟子‐滕文公上』では『父子有親、君臣有義、夫婦有別、長幼有序、朋友有信』とし、『春秋左伝‐文公一八年』では『父義、母慈、兄友、弟恭、子孝』の五つとする。」(『日本国語大辞典』より)。
「引導(いんだう)」は、「先に立って導くこと。案内すること。教え導くこと。」をいう。
「恒質(こうしつ)」は、「永遠に変わらない性質。」(阿蘇『萬葉集全歌講義』より)。
「陵谷(りようこく)更(さら)に變(へん)じ」は「丘が谷に、谷が丘に入れ替わり。」(阿蘇『萬葉集全歌講義』より)。
「定期(ぢやうご)」は、「定まった命数。長生きする者も居れば若死にする者も居る。」(井村『萬葉集全注』より)。
「撃目(げきもく)の間(あひだ)」は、「まばたきする間。」をいい、「申臂(しんぴ)の頃(あひだ)」は、「肘を伸ばす間」をいう。いずれも短時間をいう譬喩的常套語。
「旦(あした)には席上(せきじやう)の主(あるじ)と作(な)り、夕(ゆうへ)には泉下(せんか)の客(かく)と為(な)る。」は、「朝、宴席の主人であった人が、夕方には、はやくも黄泉の客となる」として、短い間に死が訪れることを表現したもの。
「白馬(はくば)走(はし)り来(きた)るとも、黄泉(くわうせん)何(いか)にか及(し)かむ」は、「白馬がいかに早く走って来ようとも、死の訪れの早さには及ばない。」(阿蘇『萬葉集全歌講義』より)。
「隴上(ろうじやう)」の「隴」は、「小高い丘」をいうが、ここは「墳墓」の意。
「空(むな)しく信劔(しんけん)を懸(か)け」について、井村『萬葉集全注』は次のように注している。
 
 史記呉太伯世家(ごのたいはくせいか)に見える故事。呉の季札(きさつ)(呉王寿夢の第四子)が使の旅途、徐国に立ち寄った。徐君は季札の帯剣を見て内心欲しいと思った。季札はそれを察したが使の途次であるから献呈せず、帰途再び立ち寄って献じようと思った。帰途訪れてみると徐君はすでに死んでいた。季札はその墓の樹に体験を懸けて去った。死者に与えることはあるまいといぶかる従者に答えて季札は、先に心に決めていたことだから徐君の死によっても心を変えないと言った。信剣は信義をあらわす剣。

「野中(やちう)の白楊(はくやう)は但(ただ)悲風(ひふう)に吹(ふ)かる」については、阿蘇『萬葉集全歌講義』が次のように注している。

 野の白楊はいたずらに悲しい風に吹かれているのみ。「隴上(ろうじやう)」と「野中」、「青松」と「白楊」を、それぞれ対応させている。なお、「白楊」「悲風」は、『文選』古詩の十四参照。
 世を去る者は日々に忘れ去られ
 世に在る者は日々に親しさを増す
 城門を出てかなたに目を注げば
 見えるのはただ墓地の塚ばかり
 古い墓は鋤かれて畑となり
 松(*)や柏(ひのき)も砕かれて薪となる
 白楊にはいつも悲しみを誘う風が
 ひゅうひゅうと愁いの底に人をひきこむ
 旅人は故郷の村に思いをはせるが、
 帰ろうにも 道はあてどなし
 (中国古典文学大系『漢・魏・六朝詩集』より)
 *松・柏・白楊は、墓の目印として植えられる。

「長夜(ちやうや)の臺(うてな)」の「臺(うてな)」は「四方を眺めわたすために土を積み重ねて作った壇」をいうが、「長夜(ちやうや)の臺(うてな)」は、人の死を長い夜の眠りにたとえたもので、
墓の意。
「維摩大士(ゆいまだいし)」(七九四の詩序に既出)は、古代インドの毘舎離(びしゃり)城に住んだとされる大富豪で、学識に富み、在家(ざいけ)のまま菩薩の道を行じ、釈迦の弟子としてその教化を助けたといわれる。「維摩」が「維摩詰(ゆいまきつ)」をさし、「大士」は仏・菩薩の尊称。
「釋迦能仁(しやかのうにん)」(七九四の詩序に既出)は、釈迦牟尼(むに)の漢訳名の一つ。牟尼は、出家して修行する者の尊称。
「金容(こんよう)」は、「仏または仏像などの金色に輝く姿。尊い御身。」をいう。
「雙樹(さうじゆ)」は、「雙林(さうりん)」(七九四の詩序に既出)に同じ。釈迦が入滅した沙羅双樹の林をさす。釈迦が入滅した時、四方二本の計八本の沙羅の木のうち、四本は枯れ四本は花を咲かせたため、四枯四栄樹(しこしえいじゅ)とも言われ、悲しみのために林が白色に変じて白鶴の群れのように見えたところから鶴林とも言う。
「内教(ないけう)」は、「仏典」(ここは涅槃経)をいう。
「黒闇(こくあん)」は、「黒闇天女。死の女神。」をいう。
「徳天(とくてん)」は、「功徳大天。生の女神。」をいう。
「始終(しじゆう)の恒數(こうすう)」は、「はじめがあれば終わりがあるという定まった法則。」(阿蘇『萬葉集全歌講義』より)。
「存亡(そんばう)の大期(だいご)」は、「大切な臨終の時期」をいう。「存亡(そんばう)」は「生死」、「大期(だいご)」は「大事な時間」の意。

 序の口訳と詩一首については次回に続く。
ラベル:万葉集
posted by 河童老 at 20:05| Comment(0) | 小説/文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする