2017年07月11日

『万葉集』を訓(よ)む(その1181)

 今回は、前回の続きで、山上憶良作「熊凝(くまごり)の為に其の志を述ぶる歌」六首の一首目である886番歌の7句からを訓む。
 7句・8句「百重山・越弖須疑由伎」は「百重山(ももへやま)・越(こ)えてすぎゆき」と訓む。「百重(ももへ)」(496番歌に既出)は、「数多く重なっていること。幾重にも重なっていること。」をいう。「百重山(ももへやま)」は、「幾重にも重なる山。山々。」の意。「越」はヤ行下二段活用の自動詞「越(こ)ゆ」の連用形で「越(こ)え」。「越(こ)ゆ」は、「山、峠、谷、川、溝、関所など、障害となるものを通り過ぎて向こうへ行く。」ことをいう。「弖」はテ音の常用音仮名で、接続助詞「て」。「須」はス音の常用音仮名(片仮名の字源)、「疑」はギ(乙類)音の常用音仮名で、「須疑」は、ガ行上二段活用の自動詞「すぐ(過ぐ)」の連用形「すぎ」。「由」はユ音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)、「伎」はキ(甲類)音の常用音仮名で、「由伎」は、カ行四段活用の自動詞「ゆく(行く)」の連用形「ゆき」。「すぎゆく(過ぎ行く)」は、複合動詞(カ行四段活用の自動詞)で、「その場所を通って行く。通り過ぎて行く。通り越して行く。越えて行く。通過する。」ことをいう。
 9句・10句「伊都斯可母・京師乎美武等」は「いつしかも・京師(みやこ)をみむと」と訓む。9句は、388番歌17句「何時鴨」と同句で、その仮名書き。「伊」はイ音の常用音仮名(片仮名の字源)、「都」はツ音の常用音仮名で、「伊都」で以って、不定称の代名詞「いつ(何時)」を表す。「斯」(3句・5句に既出)はシ音の常用音仮名で副助詞「し」を、「可」はカ音の常用音仮名で疑問の係助詞「か」を、「母」はモ音の常用音仮名で詠嘆の係助詞「も」を、それぞれ表す。「京師」(439番歌他に既出)は、漢語で音読みでは「けいし」であるが、字義は和語の「みやこ」なので、訓読みでは「京師(みやこ)」と訓む。「乎」はヲ音の常用音仮名(片仮名の字源)で、目的格の格助詞「を」。「美」と「武」は、ミ(甲類)音とム音の常用音仮名で、共に平仮名の字源。「美武」は、上一段活用「みる(見る)」の未然形「み」+意思・意向の助動詞「む」=「みむ」を表す。「等」はト(乙類)音の常用音仮名で、内容を提示する格助詞「と」。
 11句・12句「意母比都々・迦多良比遠礼騰」は「おもひつつ・かたらひをれど」と訓む。「意」「母」(9句に既出)「比」(1句に既出)は、各々、オ音・モ音・ヒ(甲類)の常用音仮名で、「比」は片仮名・平仮名の字源。「意母比」で以って、ハ行四段活用の他動詞「おもふ(思ふ)」の連用形「おもひ」を表す。「都」(9句に既出)はツ音の常用音仮名で、「都々」は、同じ動作の反復や継続を表わす接続助詞「つつ」を表す。「迦」はカ音の音仮名、「多」(3句に既出)はタ音の常用音仮名(片仮名の字源)、「良」(5句に既出)はラ音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)、「比」は前句にも既出で、「迦多良比」は、ハ行四段活用の他動詞「かたらふ(語らふ)」の連用形「かたらひ」を表す。「かたらふ」は、動詞「かたる(語る)」の未然形に、反復・継続を表す助動詞「ふ」が付いてできた語で、その「ふ」が接尾語化して一語となったもの。「遠」はヲ音の準常用音仮名、「礼」はレ音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)、「騰」はド(乙類)音の準常用音仮名。「遠礼騰」は、ラ行変格活用の自動詞「をり(居り)」の已然形「をれ」+逆接の既定条件を示す接続助詞「ど」=「をれど」を表す。
 13句・14句「意乃何身志・伊多波斯計礼婆」は「おのが身(み)し・いたはしければ」と訓む。「意」(11句に既出)はオ音の常用音仮名、「乃」(6句に既出)はノ(乙類)音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)、「何」(4句に既出)はガ音の音仮名。「意乃何」は、代名詞「おの(己)」+連体助詞「が」=「おのが」で、「自分の」の意。「身(み)」は「人間のからだ。身体。肉体。」の意。「志」はシ音の常用音仮名で、副助詞「し」。「伊」(9句に既出)はイ音の常用音仮名(片仮名の字源)、「多」(3句・12句に既出)はタ音の常用音仮名(片仮名の字源)、「波」(4句に既出)はハ音の常用音仮名(平仮名の字源)、「斯」(3句・5句・9句に既出)はシ音の常用音仮名、「計」はケ(甲類)音の常用音仮名(平仮名の字源)、「礼」(12句に既出)はレ音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)。「伊多波斯計礼」は、シク活用形容詞「いたはし(痛はし)」の已然形「いたはしけれ」を表す。「いたはし」は「病気で苦しい。気分が悪くて悩ましい。」の意。「婆」はバ音の常用音仮名で、確定条件を示す接続助詞「ば」。
 15句・16句「玉桙乃・道乃久麻尾尓」は「玉桙(たまほこ)の・道(みち)のくまみに」と訓む。15句は、534番歌3句「玉桙之」・546番歌3句「珠桙乃」と一部表記は異なるが同句。「玉桙(たまほこ)」は、「玉で飾った鉾。」また、「たま」は美称で、「立派な鉾」の意。「乃」(6句・13句に既出)は、ノ(乙類)音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)で、連体助詞「の」。「たまほこの」は、次の「道」にかかる枕詞で、語義、かかり方については未詳。16句は、115番歌4句「道之阿廻尓」と表記は異なるが同句。ここの「道(みち)」は、肥後国から奈良の都に向かう道をいう。「乃」は前の句に同じで、連体助詞「の」。「久」(6句に既出)はク音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)、「麻」はマ音の常用音仮名、「尾」はミ(乙類)音の音仮名で、「久麻尾」は、「くまみ(阿廻)」で、「くま(阿)」は「道の曲った所」をいい、「み(廻)」は「まわり、あたり」の意。めぐる意の上一段動詞「廻(み)る」の連用形が名詞化した語で、接尾語的に用いられる。「尓」はニ音の常用音仮名で、場所を示す格助詞「に」。
 17句以降は、次回に続く。
ラベル:万葉集
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2017年07月07日

『万葉集』を訓(よ)む(その1180)

 今回は、山上憶良の「熊凝(くまごり)の為に其の志を述ぶる歌」六首の一首目の886番歌を訓む。三十一句からなる長歌で、末句に異伝がある。なお、以下の五首(887〜891番歌)は、本歌の反歌である。
 写本の異同は、8句四字目<疑>、18句二字目<婆>、末句五字目<疑>にある。8句と末句の<疑>は、『西本願寺本』には「凝」とあるが、『類聚古集』『紀州本』『細井本』に「疑」とあるのを採る。18句の<婆>は、『西本願寺本』に「波」とあるが、『類聚古集』『温故堂本』『細井本』に「婆」とあるのを採る。なお、20句三字目<許>は、写本のいずれにも「計」とあるが、『萬葉代匠記』に「許」を「計」に誤ったものとしたのに従う。原文は次の通り。

 宇知比佐受 宮弊能保留等 多羅知斯夜 波々何手波奈例
 常斯良奴 國乃意久迦袁 百重山 越弖須<疑>由伎 
 伊都斯可母 京師乎美武等 意母比都々 迦多良比遠礼騰
 意乃何身志 伊多波斯計礼婆 玉桙乃 道乃久麻尾尓
 久佐太袁利 志<婆>刀利志伎提 等許自母能 宇知許伊布志提
 意母比都々 奈宜伎布勢良久 國尓阿良婆 父刀利美麻之
 家尓阿良婆 母刀利美麻志 世間波 迦久乃尾奈良志
 伊奴時母能 道尓布斯弖夜 伊能知周<疑>南 [一云 和何余須疑奈牟]

 1句・2句「宇知比佐受・宮弊能保留等」は「うちひさす・宮(みや)へのぼると」と訓む。「宇」「知」「比」「佐」は、各々、ウ音・チ音・ヒ(甲類)音・サ音の常用音仮名で、「宇」と「比」は片仮名・平仮名の字源、「知」は平仮名の字源である。「受」はズ音の常用音仮名であるが、ここではス音に訓む。「宇知比佐受」は、460番歌11句「内日指」・532番歌1句「打日指」と同句で、その仮名書き「うちひさす」。「宮」「都」などにかかる枕詞で、語義およびかかり方については未詳だが、「うち日(ひ)さす」とあるところから、「日の光輝く」の意で「宮」に冠したものと考えられる。この句については、井村『萬葉集全注』が詳しく注しているのでそれを引用しておこう。

○ うちひさす 宮や都の枕詞。「内日指」(3・四六〇)、「打日刺」(11・二三八二)などと書くのを見れば、太陽がさし輝くの意で、壮大な宮殿のほめことばか。ウチヒサツ(13・三二九五、14・三五〇五)はその訛りと言う。受の仮名は濁音仮名なので、古典大系はそのままウチヒサズと訓み、直後にミという鼻音音節があるので、その直前の清音の音節が濁音化したか、あるいは濁音のように聞えやすかったかのいずれかであろうと言い、その例として「芝賀婆能(シガバノ)広りいますは」(記・五七)、「鍬(ス)き婆奴流(バヌル)もの」(同・九九)、「都毗尓(ツビニ)知らむと」(同・七三)等を示すが、それらはいずれも一文節内で接する場合で、今のように二句にわたって接する例ではないのが不審。古典全集は、憶良の仮名遣いには時に清濁の混乱があるとして、後出の「久佐太袁利(くさたをり)」の濁音仮名太の使用例も示し、ここも違例の仮名遣の一つとしている。

「宮(みや)」は「天皇の住む御殿。皇居。御所。」の意であるが、ここはその宮がある奈良の都をさす。「弊」はヘ(甲類)音の常用音仮名で、方角を示す格助詞「へ」。「能」はノ(乙類)音の常用音仮名、「保」はホ音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)であるがここはボ音の音仮名、「留」はル音の常用音仮名(平仮名の字源)で、「能保留」で以って、ラ行四段活用の自動詞「のぼる(上る)」を表す。「のぼる」は「地方から都へ向かって行く。」ことをいう。「等」はト(乙類)音の常用音仮名で、格助詞「と」。
 3句・4句「多羅知斯夜・波々何手波奈例」は「たらちしや・ははが手(て)はなれ」と訓む。「多」「羅」「知」「斯」「夜」は、各々、タ音・ラ音・チ音・シ音・ヤ音の常用音仮名で、「多」は片仮名の字源、「知」は平仮名の字源である。「多羅知斯夜(たらちしや)」は、「母」にかかる枕詞。阿蘇『萬葉集全歌講義』に「八八七の『たらちしの』、巻十六三七九一の『たらちし』と同じく、母にかかる枕詞。『や』は間投助詞。『たらちねの』と同義で、『垂乳……』『足乳……』の用字例からみて、子の母の乳により養われることと関係があるとされる」とある。「波」はハ音の常用音仮名(平仮名の字源)で、「波々」は「はは(母)」を表す。「何」はガ音の音仮名で、連体助詞「が」。「手(て)」は正訓字で、「手許(てもと)」の意。「奈」はナ音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)、「例」はレ音の準常用音仮名で、「波奈例」は、ラ行下二段活用の自動詞「はなる(離る)」の連用形「はなれ」を表す。「はなる」は「ある人のもとから遠ざかる。別れてゆく。」ことをいう。
 5句・6句「常斯良奴・國乃意久迦袁」は「常(つね)しらぬ・國(くに)のおくかを」と訓む。「常(つね)」は「日常普通に見られる行為や状態であること。いつもの通りであるさま。」をいう。「斯」「良」「奴」は、各々、シ音・ラ音・ヌ音の常用音仮名で、「良」と「奴」は、片仮名・平仮名の字源。「斯良奴」は、ラ行四段活用の他動詞「しる(知る)」の未然形「しら」+打消しの助動詞「ず」の連体形「ぬ」=「しらぬ」を表す。阿蘇『萬葉集全歌講義』に「常知らぬ 普段は知らなかった。ここは、行き慣れない、意。」とある。ここの「國(くに)」は、麻田陽春の885番歌の「比等國」と同じく「他国」の意。「乃」はノ(乙類)音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)で、連体助詞「の」。「意」はオ音の常用音仮名、「久」はク音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)、「迦」はカ音の音仮名で、「意久迦」は「おくか(奥処)」を表す。「袁」はヲ音の準常用音仮名で、格助詞「を」。6句について、澤潟『萬葉集注釋』は次のように注している。

國の奥處を − 「天雲之(アマクモノ) 奥香裳不知(オクカモシラズ)」(十二・三〇三〇)、「大海乃(オホウミノ) 於久可母之良受(オクカモシラズ)」(十七・三八九七)などの如く「おくか」は奥の處の意。平生行き馴れた近いところでなく、遠くへだたつた奥の方。「か」は場所。

 7句以降は、次回に続く。
ラベル:万葉集
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2017年07月05日

『万葉集』を訓(よ)む(その1179)

 今回から、題詞に「敬和為熊凝述其志歌六首[并序] 筑前國守山上憶良」とある歌群を訓む。題詞を訓み下すと「熊凝(くまごり)の為に其の志を述ぶる歌に敬(つつし)みて和(こた)ふる六首[并(あは)せて序] 筑前國守(ちくぜんのくにのかみ)山上憶良(やまのうへのおくら)」となり、886番歌〜891番歌の六首は、相撲使の従者として上京の途中病により安芸国佐伯郡高庭の駅家で没した大伴君熊凝の気持ちを詠んだ麻田陽春の歌(884・885番歌)に和した山上憶良の歌である。阿蘇『萬葉集全歌講義』は、「陽春が短歌二首で詠んでいるのに対し、憶良は、序文に長反歌六首を併せて詠んでいる。『志賀の白水郎十首』(16・三八六〇〜六九)の歌同様、悲劇的な死を遂げた者に対する強い同情心から出たものであろう。憶良の筑前国守時代の最後の歌である。」と述べている。それではまず、序文から訓んでいこう。序文の原文は次の通り。

大伴君熊凝者、肥後國益城郡人也。年十八歳、以天平三年六月十七日、為相撲使某國司官位姓名従人、参向京都。為天不幸、在路獲疾、即於安藝國佐伯郡高庭驛家身故也。臨終之時、長歎息曰、傳聞、假合之身易滅、泡沫之命難駐。所以千聖已去、百賢不留。况乎凡愚微者、何能逃避。但我老親、並在菴室。待我過日、自有傷心之恨、望我違時、必致喪明之泣。哀哉我父、痛哉我母。不患一身向死之途、唯悲二親在生之苦。今日長別、何世得覲。乃作歌六首而死。其歌曰、

 この序の訓読文(『新編日本古典文学全集』による)を記すと次の通り。

大伴君(おほとものきみ)熊凝は、肥後国(ひのみちのしり)益城郡(ましきのこほり)の人なり。年十八歳にして、天平(てんぴやう)三年六月十七日を以(もち)て、相撲使(すまひのつかひ)某国司(それのくにのつかさ)官位姓名の従人(じうにん)となり、京都(みやこ)に参(ま)ゐ向かふ。天の為に幸(さきはひ)あらず、路に在(あ)りて疾(やまひ)を獲(え)、即(すなは)ち安芸国(あきのくに)佐伯郡(さへきのこほり)高庭(たかには)の駅家(やくけ)にして身故(みまか)りぬ。終りに臨(のぞ)む時に、長歎息(なげか)ひて曰(いはく)く、「伝へ聞く、仮合(けがふ)の身は滅易(けやす)く、泡沫(ほうまつ)の命は駐(とど)め難(がた)しと。所以(このゆゑ)に千聖も已(すで)に去(さ)り、百賢も留(とど)まらず。况(いはむ)や凡愚(ぼんぐ)の微(いや)しき者(ひと)、いかにしてか能(よ)く逃(まぬか)れ避(さ)らむ。ただし、我(あ)が老いたる親、並(とも)に菴室(あんじつ)に在(いま)す。我を待ちて日を過ぐさば、自(おのづか)らに心を傷(やぶ)る恨(うら)みあらむ、我を望みて時に違(たが)はば、必ず明(ひかり)を喪(うしな)ふ泣(なみた)を致さむ。哀(かな)しきかも我(あ)が父、痛(あへがた)きかも我(あ)が母。一身の死に向かふ途は患(うれ)へず、ただ二親の生(よ)に在(いま)さむ苦しびを悲しぶるのみ。今日(けふ)長(とことば)に別れなば、何(いづ)れの世にか覲(まみ)ゆること得む」といふ。乃(すなは)ち歌六首を作りて死ぬ。その歌に曰く、

 次に、この序の口訳(『新編日本古典文学全集』による)を記すと次の通り。

大伴君(おほとものきみ)熊凝(くまごり)は肥後国(ひごのくに)益城(ましき)郡の人である。年十八歳、天平(てんぴよう)三年六月十七日に、相撲(すもう)の部領使(ことりづかい)の国司官位姓名某の従者となって、奈良の都に向った。その父母にとって気の毒なことに、道中で病を得、すぐに安芸国(あきのくに)佐伯(さえき)郡高庭(たかにわ)の駅(えき)で亡(な)くなった。
臨終に際して、嘆息して言うことには、「『四大が仮に寄り集まって成った人の身は消え易く、水の泡(あわ)のようにはかない命は留め難い』とか、それで聖人も 去り、賢者もまたこの世に留まれない。まして愚かで下賎(げせん)な者はどうして死の魔手から免れ得よう。ただしかし、わが老いた父母は共に草の庵にいらっしゃる。わたしの帰りを侍って日を過したら、必ず心を痛めるほどに残念に思われよう、わたしの帰りを待ちわびて約束の日に帰れなかったら、きっと失明なさるほどに嘆き悲しまれよう。かわいそうな父上よ、痛ましい母上よ。この身が死出(しで)の道に赴(おもむ)くことは苦しくないが、ただ両親が生き存(なが)らえて苦しまれることそれだけが悲しい。今日(きよう)永(なが)のお別れをしたら、何時(いつ)の世にまたお逢(あ)いできようか」と言った。そう言って歌六首を作って死んだ。その歌とは、

 参考までに、主な語句について、『新編日本古典文学全集』の頭注を引用しておく。

 「相撲使(すまひのつかひ)」 「相撲部領使」(八六四前書)に同じ。七月七日の平城宮内の相撲の節会に間に合うように出発したもの。
 「某国司(それのくにのつかさ)」 肥後国の国司で相撲部領使となった者の官位氏姓名が文書では記されていたのだが、憶良がそれを削ったのであろう。「某」の原文は広瀬本や紀州本に「厶」となっている。「厶」は「某」の古字。
 「天の為に幸(さきはひ)あらず」 その父母にとって不幸なことに。この「天」は父母をいう。『毛詩』(栢舟)「母也天只」の「毛伝」に「母ハ天ナリ…天ハ父ヲ謂フ」とある。また『儀礼』喪服伝に「父ハ子ノ天ナリ」とある。「仲哀紀」二年の条にも「父ハ是天ナリ」と見える。
 「仮合(けがふ)の身」 仏説に、人間の身は地水火風の四大が仮に結合して成ったもの、とするによっていう。→七九四前文(四つの蛇)。
 「千聖」 千年に一人出るような聖人。
 「百賢」 百年に一人出るような賢人。
 「凡愚(ぼんぐ)」 聖賢に対する愚者。愚者は中国では人間の九段階の下々に当る者をいう。
 「菴室(あんじつ)」 草葺の小さな家。原文「菴」は「庵」に同じ。古本『玉篇』に「庵ハ舎ナリ」とある。
 「自(おのづか)らに」 この「自」は、当然、きっと、の意。次の句の「必」と対応する。
 「明(ひかり)を喪(うしな)ふ泣(なみた)を致さむ。」 失明するほどに泣き悲しまれることであろう。「明」は、耳がよく聞こえる「聡」に対して、目がよく見えることをいう。『礼記』檀弓篇に「子夏ソノ子ヲ喪ヒテソノ明ヲ喪フ」とある。
 「二親」 「父母」に同じ。もと仏語。
 「覲(まみ)ゆる」 「覲」はお目にかかること。下位者が上位の人に拝謁する場合にいう。

 今回は序を訓んだので、次回から歌六首に進む。
ラベル:万葉集
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