2017年06月14日

『万葉集』を訓(よ)む(その1172)

 今回は879番歌を訓む。「書殿餞酒日倭歌四首」の四首目である。
 写本の異同としては、古写本のいずれにも「度」とある5句三字目の<度>が、『西本願寺本』では脱落していることが挙げられる。但し、『西本願寺本』でも「加」と「佐」の間に○符があり、右に小文字で「度」と記している。原文は次の通り。

  余呂豆余尓 伊麻志多麻比提 
  阿米能志多 麻乎志多麻波祢 
  美加<度>佐良受弖 

 本歌で使われている万葉仮名は次の通り。
 片仮名・平仮名の字源となった常用音仮名では、カ音の「加」・ネ音の「祢」・ヒ(甲類)音の「比」・ラ音の「良」・ロ(乙類)音の「呂」が使われている。片仮名の字源となった常用音仮名では、ア音の「阿」・イ音の「伊」・タ音の「多」・ヲ音の「乎」が、平仮名の字源となった常用音仮名では、ハ音の「波」・ミ(甲類)音の「美」が使われている。その他の常用音仮名としては、サ音の「佐」・シ音の「志」・ズ音の「受」・ヅ音の「豆」・テ音の「弖」・ド(甲類)音の「度」・ニ音の「尓」・ノ(乙類)音の「能」・マ音の「麻」・メ(乙類)音の「米」・ヨ(乙類)音の「余」が使われ、準常用音仮名ではテ音の「提」が使われている。

 1句「余呂豆余尓」は「よろづよに」と訓む。この句は、873番歌1句と同句。「余呂豆余」は、「よろづよ」で、「万世」とも「万代」とも書き、「限りなく長く続く代」の意。「尓」は格助詞「に」。
 2句「伊麻志多麻比提」は「いましたまひて」と訓む。「伊麻志」は、サ行四段活用の自動詞「います」の連用形「いまし」。「います」(前歌にも既出)は、尊敬語動詞「ます」に接頭語「い」が付いてできた語で、存在を表わす「あり(有)」「をり(居)」の、存在主を敬っていう尊敬語。「いらっしゃる。おいでになる。おわす。おわします。」の意。「多麻比」は、ハ行四段活用の他動詞「たまふ」の連用形「たまひ」。「たまふ」は補助動詞で、動作の主を尊敬する意を表す。「提」は接続助詞「て」。
 3句「阿米能志多」は「あめのした」と訓む。この句は、199番歌23句他に「天下」の表記で既出、その仮名書き。「あめのした」は、地上の世界全部を意味する漢語「天下(てんか)」を訳したもので、「高天原の下にある、この国土」の意。
 4句「麻乎志多麻波祢」は「まをしたまはね」と訓む。「麻乎志」は、サ行四段活用の他動詞「まをす」の連用形「まをし」。「まをす」は、上代語で、上代末ごろから「まうす」の形が現れ、それが後に「もうす」に変化していく。「言う」の謙譲語(言う対象を敬う)。「申しあげる。言上する。」の意であるが、ここでは、特に、「政務について奏上する」意味で用いられている。「多麻波」は、2句に既出のハ行四段活用の他動詞「たまふ」の未然形「たまは」。「まをしたまふ」は、「申賜」の表記により、199番歌に既出。そこでも述べたが、「あめのしたまをしたまふ(天の下申し賜ふ)」は、「天皇に対して天下の政を奏上する」意から「政治を執る」意に使われるようになった慣用語である。「祢」は、あつらえ望む意を表す終助詞「ね」。終助詞「ね」について、『岩波古語辞典』は次のように解説している。

 ね(希望・誂え)奈良時代に用いられ、活用語の未然形を承けて希求・誂えの意を表わす点では「な」と同様である。しかし、「ね」は、「刈らさね」「告らさね」「結ばさね」「漕がさね」など、尊敬・親愛の意を表わす助動詞「す」の未然形「さ」を承けるものが圧倒的に多く、他に「賜はね」「いまさね」「申さね」の形が多い。つまりこれは、「な」「なも」に比較して、相手を敬い、相手に親愛の意をこめた表現に用いられる語であったと認められる。

 5句「美加度佐良受弖」は「みかどさらずて」と訓む。「美加度」は「みかど(朝廷)」。「みかど」(794番歌他に既出)は、本来「御門」と書き、接頭語の「み」がついた「門」の尊敬語であり、そこから家や屋敷の尊敬語となり、特に天子・天皇の居処をいい、朝廷を表わす言葉となったもの。「佐良」は、ラ行四段活用の自動詞「さる(去る)」の未然形「さら」。「受弖」は、打消の助動詞「ず」(連用形)+接続助詞「て」=「ずて」で、「…ないで」の意。
中古以後は、和歌などを除いてはあまり用いられていない。
 879番歌の平仮名文及び漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。

  よろづよに いましたまひて 
  あめのした まをしたまはね 
  みかどさらずて

  万世に いましたまひて
  天の下 申し賜はね
  朝廷去らずて

  いついつまでも ご健在で
  天下の 政事(まつりごと)をお執(と)り下さい
  朝廷をお離れなさらずに
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2017年06月12日

『万葉集』を訓(よ)む(その1171)

 今回は878番歌を訓む。「書殿餞酒日倭歌四首」の三首目である。
 写本に異同はなく、原文は次の通り。

  伊比都々母 能知許曽斯良米
  等乃斯久母 佐夫志計米夜母
  吉美伊麻佐受斯弖

 本歌で使われている万葉仮名は次の通り。
 片仮名・平仮名の字源となった常用音仮名では、ク音の「久」・ソ(乙類)音の「曽」・ノ(乙類)音の「乃」・ヒ(甲類)音の「比」・ラ音の「良」が使われている。片仮名の字源となった常用音仮名ではイ音の「伊」が、平仮名の字源となった常用音仮名では、ケ(甲類)音の「計」・チ音の「知」・ミ(甲類)音の「美」が使われている。その他の常用音仮名としては、コ(乙類)音の「許」・サ音の「佐」・シ音の「志」と「斯」・ズ音の「受」・ツ音の「都」・テ音の「弖」・ト(乙類)音の「等」・ノ(乙類)音の「能」・ブ音の「夫」・マ音の「麻」・メ(乙類)音の「米」・モ音の「母」・ヤ音の「夜」が使われ、音仮名ではキ(甲類)音の「吉」が使われている。

 1句「伊比都々母」は「いひつつも」と訓む。「伊比都々」は、ハ行四段活用の他動詞「いふ」の連用形「いひ」+活用語の連用形に付いて動作の並行・継続を表わす接続助詞「つつ」=「いひつつ」。「母」は係助詞「も」。これだけでは、「いひつつも」の内容はわからない。諸注の大方は、その内容を「別れのさびしさ」と解釈しているが、井村『萬葉集全注』は「今はこうやって賑やかに集まって、旅人卿の栄転帰京をめでたがり、名残りを惜しみ、とやかく言い言いしているけれども、というような意味であるらしい。」としている。
 2句「能知許曽斯良米」は「のちこそしらめ」と訓む。「能知」は、「のち(後)」で、「時間的に、それよりあと。ある時よりあと。」の意。「許曽」は、強い指示を表わす係助詞「こそ」。「斯良米」は、ラ行四段活用の他動詞「しる(知る)」の未然形「しら」+推量の助動詞「む」の已然形「め」=「しらめ」を表す。北村季吟『萬葉集拾穂抄』に「さびしからんといひつつも君いまさで後こそ実に思ひしらめと也」とある。
 1句・2句「いひつつも・のちこそしらめ」は、「今はいろいろ言っているけれども、本当のさびしさは、後になってこそわかるでしょう。」の意。 
3句「等乃斯久母」は「とのしくも」と訓む。「等乃斯久」は、シク活用形容詞「ともし(乏し)」の方言「とのし」の連用形「とのしく」。「母」は1句に同じで、係助詞「も」。
 この句については、井村『萬葉集全注』が詳しく注しているので、それを見ておこう。

○ とのしくも 難解で諸説がある。仙覚抄「殿シキリニ、サビシカランカモ
トヨメル也。トノトハ、ハシツクリニカケル書殿ナルベシ」は、シキリニの意の副詞シクモが認められるだろうか。代匠記初稿本「殿しくといふ詞にや。殿めきたる君がましまさずはさびしからむとなり」は、殿シクという語が認め難い。攷証「等乃は殿にて、太宰帥の館をいひ、斯久は助辞にて、殿もといへるならん」は、シクという助辞も認めがたい。全註釈「トノシクが形容詞で、シクはその活用語尾だろうということは推量しがたくないが、トノは不明である。強いて求めれば、トノ曇ルなどいう場合、トノは全体的であることを意味するものと考えられるから、このトノシクもそれで、全体的にの意味をなすものでもあろうか」として、「かように申しながらも、後になって知ることでしょう。総じてつまらないことはないでしょう、あなたがおいでにならないでもと。」という訳を示すが、これでは旅人卿に対して失礼な言いぐさになると思われる。拾穂抄が「一説とのしくもは乏しくも也」を示し、童蒙抄、考以下それによるものが多い。管見は「ノトモ同韻ナリ」とし、略解は「乃は母の誤ならむか」とし、攷証(頭書)は「これも法言にて、乏しくなるべし」と言う。注釈はこれらを支持して、「憶良は古語(八〇二)や仏語(九〇六)や俗語(八九二)を歌の中へ好んでとり入れてゐるらしく思はれるので、地方の方言をもとり入れるといふ事は十分考へ得るからである」と言う。今は方言説を取り、「ともしくも」の訛と考えておくほかないと思う。

 4句「佐夫志計米夜母」は「さぶしけめやも」と訓む。「佐夫志計」は、シク活用形容詞「さぶし」の未然形「「さぶしけ」。「さぶし」は「さびし(寂し)」に同じ。「米」は2句に同じで、推量の助動詞「む」の已然形「め」。「夜母」は、係助詞「や」に終助詞「も」の添った「やも」を表し、活用語の已然形を承けて反語に使う。「『寂しけめやも』の反語は、『とのしく』を否定する。」と、阿蘇「萬葉集全歌講義」にある。「とのしくも さぶしけめやも」は、「少しばかりの寂しさであろうはずはない」の意。
 5句「吉美伊麻佐受斯弖」は「きみいまさずして」と訓む。「吉美」は、「きみ(君)」で、大伴旅人を指す。「伊麻佐受」は、サ行四段活用の自動詞「います」の未然形「いまさ」+打消の助動詞「ず」(連用形)=「いまさず」。「います」は、尊敬語動詞「ます」に接頭語「い」が付いてできた語で、存在を表わす「あり(有)」「をり(居)」の、存在主を敬っていう尊敬語。「いらっしゃる。おいでになる。おわす。おわします。」の意。「斯弖」は、サ変動詞「す」の連用形「し」に接続助詞「て」が付いた「して」で、助詞のように用いられる。格助詞的用法と接続助詞的用法があるが、ここは後者。
 878番歌の平仮名文及び漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。

  いひつつも のちこそしらめ
  とのしくも さぶしけめやも 
  きみいまさずして

  言ひつつも 後こそ知らめ
  とのしくも 寂しけめやも
  君いまさずして

  今はいろいろ言っているが 別れて後にこそ知るでしょう
  少しばかりの 寂しさであろうはずはないことを
  あなたがいらっしゃらなくなったら
タグ:万葉集
posted by 河童老 at 16:12| Comment(0) | 小説/文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月08日

『万葉集』を訓(よ)む(その1170)

 今回は877番歌を訓む。「書殿餞酒日倭歌四首」の二首目である。
 写本に異同はなく、原文は次の通り。

  比等母祢能 宇良夫禮遠留尓
  多都多夜麻 美麻知可豆加婆
  和周良志奈牟迦

 本歌で使われている万葉仮名は次の通り。
 片仮名・平仮名の字源となった常用音仮名では、ウ音の「宇」・カ音の「加」・ナ音の「奈」・ネ音の「祢」・ヒ(甲類)音の「比」・ラ音の「良」・ワ音の「和」が使われている。片仮名の字源となった常用音仮名では、タ音の「多」・ム音の「牟」が、平仮名の字源となった常用音仮名では、チ音の「知」・ミ(甲類)音の「美」・ル音の「留」が使われている。その他の常用音仮名としては、カ音の「可」・シ音の「志」・ツ音の「都」・ヅ音の「豆」・ト(乙類)音の「等」・ニ音の「尓」・ノ(乙類)音の「能」・バ音の「婆」・ブ音の「夫」・マ音の「麻」・モ音の「母」・ヤ音の「夜」が使われ、準常用音仮名ではヲ音の「遠」が、音仮名では、カ音の「迦」・ス音の「周」が使われている。なお、「禮」は、レ音の常用音仮名で片仮名・平仮名の字源となった「礼」の旧字体である。又、準常用音仮名の「遠」は、平安時代には常用されるようになり平仮名の字源となった。

 1句「比等母祢能」は「ひともねの」と訓む。「比等」は「ひと(人)」で、大宰府に残った人々を指す。「母祢」は「もね」で、「みな(皆)」の方言だと思われる。「能」は格助詞「の」。
 井村『萬葉集全注』は、この歌の注に「第一句が難解。」として、次のように述べている。

 仙覚抄「ヒトモネノトハ、人ノオモヒネトイヘルニヤ。……トヽマル人ハ、モノ思フネヲナキテ、ウラミヲルニ……」はむつかしい。代匠記精撰本「毛ト牟ハ通ズレハ、一棟ト云ヘル歟。……一家ノ人ト云意ニヤ。……留守ノ人々一家コゾリテ待侘テウナダレ居ル所ニ、先立テ早立田山ヲ越給ヒテ御馬近付ヌト告ルヲ聞テハ、久シク侘ツル憂ヲモ忘レナン歟トナリ」は、一棟、一家の人という語釈にためらう。童蒙抄「人のむね也。……人のむねの内は、名残を惜みて悲しくなやみをるといふ意也」は人胸という語例が他になく、考「毛祢約米にて人目也、人目のうらぶるとは人の面のうらぶる也」は強引すぎる。略解所引宣長説「母祢は祢那を下上に誤り、又那を母に誤れるなるべし」、すなわち「比等祢那(ひとみな)」(人皆)の誤字とする説にもにわかに従えない。管見に「ヒトモネハ、人皆也。もね、みな共に五音かよへ利」と言い、攷証に「この巻にも国の法言をいへる事、これかれあれば、人皆の法言にてもあるべし」と言う。これに従って、次の八七八番「とのしくも」ともども方言訛言とみるほかによい案もないように思える。
 
 このように、諸説を紹介して、結論としては方言説をとるしかないとしている。
 2句「宇良夫禮遠留尓」は「うらぶれをるに」と訓む。「宇良夫禮」は、ラ行下二段活用の自動詞「うらぶる」の連用形「うらぶれ」。「うらぶる」は、しょんぼりと力なく、心のしおれるような状態をいう語で、「心うく思う。うれいしおれる。悄然(しょうぜん)とする。」ことを言う。「遠留」は、ラ行変格活用の自動詞「をり」の連体形「をる」。「をり」は、動詞の連用形に付いて、動作、作用、状態の継続、進行を表す補助動詞。「尓」は接続助詞「に」で、ここは逆接「…のに。…けれども。」の意。
 3句「多都多夜麻」は「たつたやま」と訓む。83番歌3句に「立田山」の表記で既出。「龍田山」とも書かれ、奈良県北西部の生駒郡三郷町と大阪府との境にある山で、信貴山に連なる。古来、大和国と河内国とを結ぶ交通路のうち最も利用度の高い道が、この山を越えていた。奈良朝の人々が西国の旅において帰郷の目途にしたのがこの立田山である。
 4句「美麻知可豆加婆」は「みまちかづかば」と訓む。「美麻」は、「みま(御馬)」で、「神・貴人などの乗る馬。また、美しく立派な馬。」をいう。「み」は接頭語。「知可豆加婆」は、カ行四段活用の自動詞「ちかづく」の未然形「ちかづか」+順接の仮定条件を示す「ば」=「ちかづかば」を表す。「ちかづく」は「距離が近くなる。側に寄る。近寄る。」意。
 5句「和周良志奈牟迦」は「わすらしなむか」と訓む。「和周良」は、ラ行四段活用の他動詞「わする(忘る)」の未然形「わすら」。「わする」は、主に下二段活用で用いられたが、上代の東国語を中心に四段活用もあり、ここは四段活用。「志」は尊敬の助動詞「す」の連用形「し」。「奈」は完了の助動詞「ぬ」の未然形「な」。「牟」は推量の助動詞「む」(連体形)。「迦」は疑問の終助詞「か」。「わすらしなむか」の行為主体は、旅人であるので敬語を用いている。
 877番歌の漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。

  ひともねの うらぶれをるに 
  たつたやま みまちかづかば
  わすらしなむか

  ひともねの うらぶれ居るに
  龍田山 御馬近づかば
  忘らしなむか

  わたしたち皆が うちしおれていますのに
  竜田山に (あなたの)お馬が近づいたら
  (わたしたちのことは)お忘れになってしまうのではありますまいか
タグ:万葉集
posted by 河童老 at 16:13| Comment(0) | 小説/文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする