2018年02月12日

『万葉集』を訓(よ)む(その1242)

 今回は、917番歌を訓む。題詞に「神龜元年甲子冬十月五日幸于紀伊國時山部宿祢赤人作歌一首[并短歌]」とあって、神龜元年(724年)の十月五日に、聖武天皇が紀伊國に行幸された時に山部宿祢赤人が作った十五句からなる長歌で、題詞に[并短歌]とあるように、次に反歌二首(918・919番歌)を伴っている。
 写本の異同としては、6句二字目<匕>を『西本願寺本』以下の諸本に「上」とあることが挙げられるが、『元暦校本』『金沢本』に「匕」とあるのを採る。なお『西本願寺本』には、「上」の右に貼り紙して「匕古本」とある。原文は次の通り。

  安見知之 和期大王之
  常宮等 仕奉流
  左日鹿野由 背<匕>尓所見
  奥嶋 清波瀲尓 
  風吹者 白浪左和伎 
  潮干者 玉藻苅管
  神代従 然曽尊吉 
  玉津嶋夜麻

 1句・2句「安見知之・和期大王之」は「安見知(やすみし)し・わご大王(おほきみ)の」と訓む。1句は、38・204・329番歌の1句と同句。「安らかに知ろしめす」の意で「我が大君」にかかる枕詞。38番歌のところでは、「安」「見」「知」は、「やす」「み」「し」の音を表わすための訓仮名であるとして、「やすみしし」と仮名書きとしたが、204番歌からは、「安見知(やすみし)し」として「安見知」を漢字表記のままに改めた。これは、「安見知」は「安らかに知ろしめす」という意を込めた用字であることと、もう一つの用字である「八隅知之」を「八方を統べ治める」という意を込めたものとして、漢字表記のまま「八隅知(やすみし)し」としたことによる。「和」はワ音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)で、「期」はゴ(乙類)音の常用音仮名。「和期」は、自称「わ(我)」に連体助詞「が」と続いて「わが」となるところを、その連体助詞ガが下のオホという二つのO母音に引かれてゴとなったのを発音表記式に「わご」と書いたもの。「大王(おほきみ)」は、今は「大君」と表記されるのが一般的で、天皇あるいはその子孫を尊敬して言う。ここは聖武天皇をさす。「之」は漢文の助字で、連体助詞「の」。
 3句・4句「常宮等・仕奉流」は「常宮(とこみや)と・仕(つか)へ奉(まつ)れる」と訓む。3句は199番歌の133句と同句。「常宮(とこみや)」(196番歌45句にも既出)は、「いつまでも変わることのない宮殿」の意。「等」は、ト(乙類)音の常用音仮名で、格助詞「と」。「仕奉」(38・239・443番歌に既出)は、ラ行四段活用の自動詞「つかへまつる」の已然形(音韻上は命令形)で「仕(つか)へ奉(まつ)れ」と訓む。「つかへまつる」は、動詞「つかへる(仕)」に動詞「まつる(奉)」のついてできた、「仕える」の謙譲語。「流」はル音の常用音仮名(片仮名の字源)で、完了・存続の助動詞「り」の連体形「る」を表す。
 5句・6句「左日鹿野由・背匕尓所見」は「さひかの(雑賀野)ゆ・背(そ)がひ(向)に見(み)ゆる」と訓む。「左日鹿野」は、地名「雑賀野(さひかの)」で、和歌山市南部に位置する和歌浦町の西北に接する一帯をいう。「左」はサ音の常用音仮名(平かなの字源)で、「日」「鹿」「野」は、各々、「ひ(甲類)」「か」「の(甲類)の常用訓仮名。「由」はユ音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)で、起点を表す格助詞「ゆ」。6句は、357番歌2句の「背向尓所見」と「そがひ」の表記が異なるだけで同句。「背匕」は、「背(そ)がひ」と訓む。「そがひ」(背向)」は、358・509番歌に「背」一字の表記でも既出で、「うしろの方。背後。また、うしろむきであること。」の意。『日本古典文学大系』の頭注に「○背向―うしろの方角。ソは背。ガは助詞。ヒはヘ(方)と同義か。原文、背匕。匕は字音はヒ、訓はカヒ。カヒは、和名抄に、飯を取るものと注がある。それを、ソガヒのカヒに借用した。→補注。」とある(補注については後ろの[参考]を参照方)。「尓」はニ音の常用音仮名で格助詞「に」。「所見」は、マ行上一段活用の他動詞「みる」の未然形「見(み)」+受身・可能・自発の助動詞「ゆ」の連体形「ゆる」(漢文の助字「所」で表記)で「見(み)ゆる」。
 7句・8句「奥嶋・清波瀲尓」は「奥(おき)(沖)つ嶋(しま)・清(きよ)き波瀲(なぎさ)[渚]に」と訓む。7句は、357番歌3句と同句。「奥」は、306番歌2句「奥津白浪」を「奥(おき)[沖]つ白浪(しらなみ)」と訓んだ既出例があるように、「おき[沖]」と訓み、ここには「つ」の表記が無いが、連体修飾の格助詞「つ」を訓み添える。「嶋」は「島」に同じ。「奥(おき)[沖]つ嶋(しま)」は、固有名詞ではなく、「沖にある島。沖に見える島。」をいう普通名詞。「清」はク活用形容詞「きよし」の連体形「清(きよ)き」と訓み、次の「波瀲(なぎさ)」を修飾する。「きよし」は、「けがれやよごれがなく、美しいさま。」「さわやかで、気持ちのよいさま。」をいう。「波瀲(なぎさ)」は、378番歌では「瀲」一字で「瀲(なぎさ)」と訓んだが、ここは「波打ちぎわ」の意から「波」の字を上に冠したもの。「瀲」の字訓は「みなぎる・うかぶ・みぎわ」である。「尓」は6句に同じ。
 9句以降は、次回に続く。

[参考] 『日本古典文学大系』の「補注」は、次のように述べている。

九一七 背向 背中合わせの意味に用いた例がある。「わが背子を何処行かめとさき竹の背向に寝しく今し悔しも」(巻七、一四一二)。しかし、多くの例を見ると、背向は、背中の方の意で、それは、真うしろを意味するだけでなく、斜めの方向を指すかと思われるものもある。方向を指示する語は、必ずしも厳密に使われないことがあるから(例えば、風の方向をいう語などは、その意味の幅が広いことが多い)、ここでも広く後ろの方、斜め後ろの方の意と見るのがよいであろう。ヒムカシがヒガシとなるように(Fimukasi→Fimkasi→Fimgasi→Fingasi→Figasi)、ソムカヒがソガヒになった(somukaFi→somkaFi→songaFi→sogaFi)と見ることもできよう。(この引用中、音韻変化の表記は正確には表記できていない。というのは、Fはこの字体で小文字で表記されており、「n」は小文字で上にあげて表記されている、また「o」は「oウムラウト」の表記であるのだが、ここではそのようには表記できなかった。)
ラベル:万葉集
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2018年02月09日

『万葉集』を訓(よ)む(その1241)

 今回は、916番歌を訓む。前歌と同じく、913番歌の反歌の異伝である。なお、この歌の左注に「右年月不審。但以歌類載於此次焉。或本云、養老七年五月幸于芳野離宮之時作。」とある。阿蘇『萬葉集全歌講義』によるこの左注の訓読文と口語訳を示すと、

 右(みぎ)、年月(としつき)審(つまび)らかならず。但(ただ)し、歌(うた)の類(たぐひ)を以(もち)てこの次(つぎて)に載(の)す。ある本(ほん)に云(い)はく、養老(やうらう)七年(ねん)五月(ぐわつ)に芳野(よしの)の離宮(とつみや)に幸(いでま)しし時(とき)の作(さく)といふ。

 右の作は、年月が明らかでない。ただし、歌の内容が類似しているので、この順序で載せた。ある本にいうには、養老七年五月に、吉野離宮に行幸された時の作という。

 写本に異同はなく、原文は次の通り。

  茜刺 日不並二
  吾戀 吉野之河乃
  霧丹立乍

 1句「茜刺」は「茜(あかね)刺(さ)す」と訓む。この句は、169番歌1句と同句。「茜」は、アカネ科の多年草で、本州以西の山野に生え、夏から秋に淡黄緑色の小花が円錐形に集まって咲く。実は球形で黒く熟し、根はアリザリンやプルプリンなどの色素を含んでおり、赤黄色の染料とする。根が赤黄色をしているのでこの名があり、色名の一つとしても使われる。「刺」はサ行四段活用の自動詞「さす」の連体形で「刺(さ)す」。「あかねさす」は、20番歌にも「茜草指」の表記で既出の枕詞で、その係り方に付いては次の三通りがある。
 @ 赤い色がさして光り輝く意から、「日」「昼」「光」「朝日」等にかかる。
 A 紫色、蘇芳(すおう)色との色彩としての類似から、それぞれ同音の「紫草(むらさき)」および地名「周防(すおう)」にかかる。
 B 顔が赤く照り輝いている意で、「君」にかかる。紅顔、紅頬(こうきょう)の意のほめことば。一説に、赤心、すなわち真心のある意でかかるという。
 ここは169番歌と同じく@で、次句の「日」にかかる。
 2句「日不並二」は「日(ひ)並(なら)べなくに」と訓む。「日(ひ)」は、時間の単位としての一日。「不並」は、バ行下二段活用の他動詞「ならぶ」の連用形「並(なら)べ」+打消しの助動詞「ず」のク語法「なく」(漢文の助字「不」で表記)=「並(なら)べなく」。「二」(前歌四句にも既出)は、ニ音の音仮名(片仮名の字源)で、格助詞「に」。「日(ひ)並(なら)べなくに」は、「日を重ねたわけでもないのに」の意。
 3句「吾戀」は「吾(あ)が戀(こひ)は」と訓む。「吾」は格助詞「が」を補読して「吾(あ)が」。「吾(あ)」は自称でこの歌の作者「車持朝臣千年」をさす。「戀」は、動詞「こふ(戀)」の連用形の名詞化で「戀(こひ)」で、下に係助詞「は」を補読する。
 4句「吉野之河乃」は「吉野(よしの)の河(かは)の」と訓む。「吉野(よしの)の河(かは)」は、前歌2句に「み吉野川(よしのがは)の」と詠まれた「吉野川」に同じ。「之」は漢文の助字、「乃」はノ(乙類)音の常用音仮名(片仮名・ひらかなの字源)で、共に連体助詞「の」を表す。
 5句「霧丹立乍」は「霧(きり)に立(た)ちつつ」と訓む。「霧(きり)」(429番歌他に既出)は、動詞「きる」の連用形の名詞化した語で、「空気中の水蒸気が凝結して細かい水滴となり、地表近くの大気中に煙のようになっている自然現象」をいう。「立」はタ行四段活用の自動詞「たつ」の連用形で「立(た)ち」。「たつ」は「雲、霧、煙などが現れ出る。」ことをいう。「乍」は動作の反復・継続・並行を表わす接続助詞「つつ」に宛てた借訓字。『岩波古語辞典』の基本助詞解説の「つつ」のところに「歌で、『つつ』が文末に来て、そこで歌いとめる用法がある。形式上断止の形とならず、下文が予想される状態で言いさすので、何とない余情のこもる用法である。」とあり、ここはその例。
 916番歌の漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。

  茜(あかね)刺(さ)す 日(ひ)並(なら)べなくに
  吾(あ)が戀(こひ)は 吉野(よしの)の河(かは)の
  霧(きり)に立(た)ちつつ

  (あかねさす) まだ旅の日を重ねないのに
  わたしの恋は 吉野の川の
  霧となって立ちこめているよ
ラベル:万葉集
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2018年02月07日

『万葉集』を訓(よ)む(その1240)

 今回は、915番歌を訓む。題詞に「或本反歌曰」とあって、次の916番歌とともに、913番歌の反歌の異伝である。
 写本の異同は、3句<川音>と5句末字<公>の二箇所にある。3句は、『元暦校本』『類聚古集』『西本願寺本』他に「音成」とあるが、『金沢本』『紀州本』に「川音」とあるのを採る。5句末字を『西本願寺本』は「君」とするが、諸本に「公」とあるのを採る。原文は次の通り。

  千鳥鳴 三吉野川之
  <川音> 止時梨二
  所思<公>

 1句「千鳥鳴」は「千鳥(ちどり)鳴(な)く」と訓む。この句は、526・528・715番歌の1句と同句。「千鳥(ちどり)」は、多数で群をなして飛ぶところから呼ばれたもので、チドリ科の鳥の総称。「鳴」はカ行四段活用の自動詞「なく」の連体形で「鳴(な)く」。「千鳥(ちどり)鳴(な)く」は、次の「吉野川」を修飾する。
 2句「三吉野川之」は「み吉野川(よしのがは)の」と訓む。「三」は「み(甲類)」を表わす常用の訓仮名で、「み」は美称。「吉野川(よしのがは)」(430番歌に既出)は、大台ケ原山(1695メートル)を源とし、吉野町で高見川を合わせ、極端な曲流をなし、宮滝を経て、五條市付近で段丘地形の盆地をつくり、和歌山県にはいり紀ノ川となる。「之」は漢文の助字で、連体助詞「の」を表す。
 3句「川音」は「川(かは)の音(と)の」と訓む。「川音」は、カハオトともカハノ(オ)トとも訓めるが、ここは「川(かは)の音(と)」と訓んで、下に格助詞「の」を補読する。
 以上の1句から3句までが、次の「止む時なし」を起こす序詞。
 4句「止時梨二」は「止(や)む時(とき)なしに」と訓む。「止時」は、606番歌他に既出。「止」はマ行四段活用の自動詞「やむ」の連体形「止(や)む」。この「時」は、行為や状態を表わす連体修飾句を受けて形式名詞として用いたもので、「そうする場合、そういう状態である場合」の意を表す。「梨」は果物の「なし」だが、ここは借訓字で、ク活用形容詞「なし」を表す。「二」はニ音の音仮名(片仮名の字源)で、格助詞「に」。
 5句「所思公」は「思(おも)ほゆる公(きみ)」と訓む。この句は、579番歌の5句「所念君」と表記は異なるが同句。「所思」は、ハ行四段活用の他動詞「おもふ」の未然形「思(おも)は」+自発の助動詞「ゆ」の連体形「ゆる」 (漢文の助字「所」で表記)で、「思(おも)はゆる」だが、オモハユのハが前の母音に引かれてホに転じて、「思(おも)ほゆる」と訓む。「公(きみ)」(621番歌他に既出)は、女から見て敬愛する男をさしていう語。この句について、阿蘇『萬葉集全歌講義』は「思ほゆる君」と「公」の字を「君」に変えて、「『君』は、女が男をさしていう場合が多いが、男性間で云う場合も少なくない。これを、女が夫をさしていった表現とし、車持千年を女性とする井村哲夫説(「車持千年は歌詠みの女官ではないか」『上代の文学と言語』)もある。」と述べている。これに対して、吉井『萬葉集全注』は「公(きみ)」の注として、「男から男をさして言う場合もあるが(5・八一一など)、女から男をさして言うのが通例。4・七七八の例のようにふざけた表現は別として、その逆の場合の確かな例はない。本来男女相聞ではお互いに相手を『汝(な)』と呼んでいたのが、万葉集時代に入ってこのように変わったのは、中国の男尊女卑の観念の受け入れの結果であろう。ここでは夫をさす。なお〔考〕を参照。」と記しており、これを支持したい(〔考〕は後に[参考]として引用)。
 915番歌の漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。

  千鳥(ちどり)鳴(な)く み吉野川(よしのがは)の
  川(かは)の音(と)の 止(や)む時(とき)なしに
  思(おも)ほゆる公(きみ) 

  千鳥の鳴く み吉野川の
  川の音のように 絶え間なく
  思われるあなたよ

[参考] 吉井『萬葉集全注』の【考】(車持千年の讃歌)作者と作家事情

 この一群の作歌の解釈でもっとも重要な焦点となるのは、或本反歌九一五の結句にある「公(きみ)」の理解である。万葉代匠記は妻をさすとしたが、九一五の〔注〕で説いたように、澤潟久孝の研究(「万葉集における男女の言葉」『万葉集新釈』下)以来この説を覆すにたるものは出ていないので、「公」は妻ではなく、作者が敬意を払うべき対象と考えねばならない。童蒙抄は天子をさすというが天皇ならば大君というべきであろう。そこで提出されたのが万葉集全註釈の友人説である。ただ長歌で「紐解かぬ旅にしあれば吾(あ)のみして」と歌われている印象からは、この「公」は紐ときあう対象と考えたいわけである。日本古典集成本万葉集が女性の立場で作歌したと考えたのは窮余の策であったろう。だが可能性としては井村哲夫(「車持千年は歌詠みの女官ではないか」『上代の文学と言語』)が歌人・千年を宮人と推定した立場がもっとも素直ではあるまいか。『尊卑分脈』によれば藤原不比等(ふひと)の母を車持国子臣の女・与志古娘とするが、その関連からの不比等政権下における車持氏の従五位クラスへの地位浮上、本来主殿寮(とのものつかさ)の負名氏・近侍氏族であった車持氏からの氏女(うじめ)貢上、それが車持朝臣千年であったろうというのである。井村説は千年作歌における「たをやめぶり」や個人的詠嘆に終始する特色においても女性説を補強し、最後に後宮に出仕する宮人の公式記名法に及んで女性説への不安を解消している。元明、元正の二天皇と女帝がつづいた宮廷において、行幸に供奉する華やかな宮人たちの世界で歌を披露する女性が存在しえていても不思議はなかったはずである。金村の作が表の世界での予祝の歌として、千年の作が裏の宮人たちの世界での恋の歌として、その意味で両者の作は一組の作歌であったかもしれない。
ラベル:万葉集
posted by 河童老 at 16:48| Comment(0) | 小説/文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする