2017年08月08日

『万葉集』を訓(よ)む(その1190)

 今回は、「貧窮問答歌一首」(892番歌)の7句〜18句までを訓む。
 まず、今回使われている万葉仮名について見ておこう。

 片仮名・平仮名の字源となった常用音仮名では、ウ音の「宇」・オ音の「於」・コ(乙類)音の「己」・シ音の「之」・ヒ(甲類)音の「比」・ラ音の「良」・レ音の「礼」・ロ(乙類)音の「呂」が使われている。片仮名の字源となった常用音仮名では、ア音の「阿」・ス音の「須」・ヲ音の「乎」が、平仮名の字源となった常用音仮名では、ア音の「安」・チ音の「知」が使われている。その他の常用音仮名としては、カ音の「可」・キ(甲類)音の「伎」・シ音の「志」・ジ音の「自」・ツ音の「都」・ヅ音の「豆」・テ音の「弖」・ト(乙類)音の「登」と「等」・ニ音の「尓」・バ音の「婆」・ビ(甲類)音の「毗」・ブ音の「夫」・へ(乙類)音の「倍」・ホ音の「富」が使われ、準常用音仮名ではゲ(乙類)音の「宜」・ド(乙類)音の「騰」が、音仮名では、ヌ音の「農」・ハ音の「叵」が使われている。

 7句・8句「堅塩乎・取都豆之呂比」は「堅塩(かたしほ)を・取(と)りつづしろひ」と訓む。「堅塩(かたしほ)」は「かたまりになっている精製していない塩。かたい塩。」をいう。「乎」は格助詞「を」。「取」はラ行四段活用の他動詞「とる」の連用形「取(と)り」。「都豆之呂比」は、ハ行四段活用の他動詞「つづしろふ」の連用形「つづしろひ」を表す。「つづしろふ」は、少しずつ食べる意の動詞「つづしる」の未然形に反復・継続を表す助動詞「ふ」の付いた「つづしらふ」が変化したもの。「取(と)りつづしろふ」は、「手に取って少しずつ食べる。」ことをいう。
 9句・10句「糟湯酒・宇知須々呂比弖」は「糟湯酒(かすゆざけ)・うちすすろひて」と訓む。「糟湯酒(かすゆざけ)」は「酒の糟を湯にといたもの。」をいう。「宇知須々呂比」は、ハ行四段活用の他動詞「うちすすろふ」の連用形「うちすすろひ」を表す。「うち」は接頭語で、「すすろふ」は、動詞「すする(啜)」に動作の継続・反復を表わす上代の助動詞「ふ」が付いたものが変化して、一語となったもの。「うちすすろふ」は、「すすりすすり飲む。続けざまにすする。」ことをいう。「弖」は接続助詞「て」。
 11句・12句「之叵夫可比・鼻毗之毗之尓」は「しはぶかひ・鼻(はな)びしびしに」と訓む。「之叵夫可比」は、カ行四段活用の自動詞「しはぶく」の未然形「しはぶか」+継続・反復の助動詞「ふ」の連用形「ひ」=「しはぶかひ」を表す。「しはぶく」は、「咳をする。咳き込む。」ことをいう。「鼻(はな)」は「哺乳類の吻の先端ないし顔の中央に隆起し、呼吸、嗅覚をつかさどり、発声にも関与する器官。」をいう。「毗之毗之尓」は、形容動詞「びしびし」の連用形(副詞法)「びしびしに」を表す。「びしびし」は擬音語で、「鼻汁を啜り上げるさま」をいう。井村『萬葉集全注』は「○びしびしに 鼻水をすする擬声語の副詞。古典大系に、奈良時代の和語で語頭が濁音で始まる唯一例とある。」と注している。
 13句・14句「志可登阿良農・比宜可伎撫而」は「しかとあらぬ・ひげかき撫(な)でて」と訓む。「志可登」は、副詞「しかと」で、「はっきりと。ちゃんと。」の意。「阿良農」は、ラ行変格活用の自動詞「あり」の未然形「あら」+打消しの助動詞「ず」の連体形「ぬ」=「あらぬ」。「比宜」は「ひげ」で、「口の周辺や頬にはえる毛。」をいい、鼻下のものを髭(くちひげ)、顎(あご)のものを鬚(あごひげ)、頬のものを髯(ほおひげ)という。「しかとあらぬひげ」は「たいしてありもしないひげ」の意。「可伎撫」は、ダ行下二段活用の他動詞「かきなづ」の連用形「かき撫(な)で」。「かきなづ」は「手、または、それに似た形のもので柔らかく、または、やさしくさする。」ことをいう。「而」は漢文の助字で、接続助詞「て」に用いたもの。
 15句・16句「安礼乎於伎弖・人者安良自等」は「あれをおきて・人(ひと)はあらじと」と訓む。「安礼」は、自称の「あれ」。中古以降は「われ」が用いられるようになって、次第に衰えた。「乎」は格助詞「を」。「於伎」は、カ行四段活用の他動詞「おく」の連用形「おき」。ここの「おく」は「そのままにしておいて、特別にとり扱わない。」ことを言い、特に、否定・反語・強調表現等において、「その物事を特に考慮しない」「それはそれとして考慮外のこととしておく」の意から転じて、別にする・除く・さしおくの意をもつ。「弖」は10句と同じで、接続助詞「て」。ここの「人(ひと)」は「人らしい人。とりたてていうに値する人。立派な人物。」の意。「者」は漢文の助字で、係助詞「は」に用いたもの。「安良自」は、ラ行変格活用の自動詞「あり」の未然形「あら」+打消しの助動詞「じ」=「あらじ」。「等」は格助詞「と」。
 17句・18句「富己呂倍騰・寒之安礼婆」は「ほころへど・寒(さむ)くしあれば」と訓む。「富己呂倍」は、ハ行四段活用の自動詞「ほころふ」の已然形「ほころへ」を表す。「ほころふ」は、動詞「ほこる(誇)」の未然形に、反復・継続を表わす助動詞「ふ」の付いた「ほこらふ」が変化したもので、「しきりに誇らしく思う。いつも得意になっている。」ことをいう。「騰」は逆接の既定条件を示す接続助詞「ど」。18句「寒之安礼婆」は6句と同句。「寒」はク活用形容詞「さむし」の連用形「寒(さむ)く」。「之」は副助詞「し」。「安礼婆」は、ラ行変格活用の自動詞「あり」の已然形「あれ」+恒常確定条件を示す接続助詞「ば」=「あれば」を表す。
 19句以降は次回に続く。
ラベル:万葉集
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2017年08月03日

『万葉集』を訓(よ)む(その1189)

 今回から、題詞に「貧窮問答歌一首[并短歌]」とある、有名な山上憶良の長歌とその反歌(892番歌・893番歌)を訓む。892番歌は、八十二句からなる長歌で、「問答歌」とある通り、1句「風雜」から33句「汝代者和多流」までが「問」で、それ以下34句「天地者」から82句「世間乃道」が「答」という構成になっている。ただ、これを「貧窮」についての問答と解すべきか、「貧者」と「窮者」の問答と解すべきかについては、説が分かれているが、そのことについては、歌を訓み終えて後に改めて考えることとする。  
 写本の異同は、80句三字目の<婆>にあり、これを『西本願寺本』は「波」とするが、『紀州本』『細井本』に「婆」とあるのを採る。原文は次の通り。

 風雜 雨布流欲乃 雨雜 雪布流欲波
 為部母奈久 寒之安礼婆 堅塩乎 取都豆之呂比
 糟湯酒 宇知須々呂比弖 之叵夫可比 鼻毗之毗之尓
 志可登阿良農 比宜可伎撫而 安礼乎於伎弖 人者安良自等
 富己呂倍騰 寒之安礼婆 麻被 引可賀布利
 布可多衣 安里能許等其等 伎曽倍騰毛 寒夜須良乎
 和礼欲利母 貧人乃 父母波 飢寒良牟
 妻子等波 乞々泣良牟 此時者 伊可尓之都々可
 汝代者和多流
 天地者 比呂之等伊倍杼 安我多米波 狭也奈里奴流
 日月波 安可之等伊倍騰 安我多米波 照哉多麻波奴
 人皆可 吾耳也之可流 和久良婆尓 比等々波安流乎
 比等奈美尓 安礼母作乎 綿毛奈伎 布可多衣乃
 美留乃其等 和々氣佐我礼流 可々布能尾 肩尓打懸
 布勢伊保能 麻宜伊保乃内尓 直土尓 藁解敷而
 父母波 枕乃可多尓 妻子等母波 足乃方尓
 圍居而 憂吟 可麻度柔播 火氣布伎多弖受
 許之伎尓波 久毛能須可伎弖 飯炊 事毛和須礼提
 奴延鳥乃 能杼与比居尓 伊等乃伎提 短物乎
 端伎流等 云之如 楚取 五十戸良我許恵波
 寝屋度麻【人偏に弖】 来立呼比奴 可久<婆>可里 須部奈伎物能可
 世間乃道

 1句・2句「風雜・雨布流欲乃」は「風(かぜ)雜(まじ)り・雨(あめ)ふるよの」と訓む。「風(かぜ)」は「空気の流れ。」をいう。「雜」はラ行四段活用の自動詞「まじる」の連用形で「雜(まじ)り」。「まじる」は「他の物の中にはいり合う。」ことをいう。「雨(あめ)」は「大気中の水蒸気が冷えて水滴となり、地上に落下してくるもの。また、それが降る天候。」をいう。「布」はフ音の常用音仮名、「流」はル音の常用音仮名(片仮名の字源)。「布流」で以って、ラ行四段活用の自動詞「ふる(降る)」(連体形)を表す。「ふる」は「雨・雪などが空から落ちてくる。」ことをいう。「欲」はヨ(甲類)音の常用音仮名で、「よ(夜)」。「乃」はノ(乙類)音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)で、格助詞「の」。
 3句・4句「雨雜・雪布流欲波」は「雨(あめ)雜(まじ)り・雪(ゆき)ふるよは」と訓む。「雨」は2句に、「雜」は1句に既出で、「雨雜」は、「雨(あめ)雜(まじ)り」と訓む。「雪(ゆき)」は「雲中の氷晶が併合成長して生じた、白色・不透明の結晶が降ってくるもの。」をいう。「布流欲」は、2句に同じで、「ふるよ(降る夜)」を表す。「波」はハ音の常用音仮名(平仮名の字源)で、係助詞「は」。
 1句〜4句について、井村『萬葉集全注』は「○風雑り雨降る夜の雨雑り雪降る夜は 第二句のノは、いわゆる同格のノであるが、一・二句から三・四句へ、風雑りの雨からやがて静かな降雪へという時間的推移のイメージ効果がある。」と注している。 
 5句・6句「為部母奈久・寒之安礼婆」は「すべもなく・寒(さむ)くしあれば」と訓む。「為」は「す」の訓仮名で、「部」は「へ(甲類)」の訓仮名であるがここは「べ」を表すのに流用したもの。「為部」で以って、「なすべき手だて。そうすればよいというしかた。手段。方法。」の意の「すべ」を表す。「母」はモ音の常用音仮名で、係助詞「も」。「奈」はナ音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)、「久」はク音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)。「奈久」は、ク活用形容詞「なし」の連用形「なく」を表す。「寒」はク活用形容詞「さむし」の連用形「寒(さむ)く」。「之」はシ音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)で、副助詞「し」。「安」「礼」「婆」は、各々、ア音・レ音・バ音の常用音仮名で、「安」は平仮名の、「礼」は片仮名・平仮名の字源。「安礼婆」は、ラ行変格活用の自動詞「あり」の已然形「あれ」+恒常確定条件を示す接続助詞「ば」=「あれば」を表す。
 7句以降は次回に続く。
ラベル:万葉集
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2017年08月01日

『万葉集』を訓(よ)む(その1188)

 今回は891番歌を訓む。886番歌(以下、「長歌」という)の反歌五首目であり、山上憶良作「熊凝(くまごり)の為に其の志を述ぶる歌」六首の最後の歌である。
 写本に異同はなく、原文は次の通り。なお5句に異伝がある。

  一世尓波 二遍美延農
  知々波々袁 意伎弖夜奈何久
  阿我和加礼南 [一云 相別南]

 本歌で使われている万葉仮名は次の通り。
 片仮名・平仮名の字源となった常用音仮名では、カ音の「加」・ク音の「久」・ナ音の「奈」・レ音の「礼」・ワ音の「和」が使われている。片仮名の字源となった常用音仮名ではア音の「阿」が、平仮名の字源となった常用音仮名では、チ音の「知」・ハ音の「波」・ミ(甲類)音の「美」が使われている。その他の常用音仮名としては、オ音の「意」・ガ音の「我」・キ(甲類)音の「伎」・テ音の「弖」・ニ音の「尓」・ヤ音の「夜」・エ音の「延」が使われ、準常用音仮名ではヲ音の「袁」が、音仮名ではヌ音の「農」が使われている。なお、一句の「一世」と二句の「二遍」及び異伝の「相別」は正訓字であり、五句と異伝の「南」はナムを表す二合仮名である。

 1句「一世尓波」は「一世(ひとよ)には」と訓む。「一世(ひとよ)」は、「この世に生きている間。一生。」の意。「尓波」(883番歌他に既出)は、格助詞「に」に係助詞「は」の付いた「には」で、場所・時・対象・比較の基準など、格助詞「に」の意味を強調または取りたてて示す。
 2句「二遍美延農」は「二遍(ふたたび)みえぬ」と訓む。「二遍(ふたたび)」は、「同じ動作や状態の重なることをいう。再度。」の意であり、副詞的にも用いる。「美延農」は、ヤ行下二段活用の自動詞「みゆ(見ゆ)」の未然形「みえ」+打消の助動詞「ず」の連体形「ぬ」=「みえぬ」を表す。
 3句「知々波々袁」は「ちちははを」と訓む。「知々波々」は、前歌(890番歌)に既出で、「ちちはは(父母)」。熊凝(くまごり)の父母をさす。「袁」は格助詞「を」。
 4句「意伎弖夜奈何久」は「おきてやながく」と訓む。「意伎弖」は、カ行四段活用の他動詞「おく(置く)」の連用形「おき」+接続助詞「て」=「おきて」。「夜」は疑問の係助詞「や」。「奈何久」は、ク活用形容詞「ながし(長し)」の連用形(副詞法)の「ながく」。
 5句「阿我和加礼南」は「あがわかれなむ」と訓む。「阿」は自称の「あ(我)」。「我」は格助詞「が」。「和加礼」は、ラ行下二段活用の自動詞「わかる(別る)」の未然形「わかれ」を表す。「わかる」は「ある人やある場所から離れて立ち去る。別離する。」ことをいうが、ここは887番歌と同じく、「死んで会えなくなる。死に別れをする。」の意に用いている。「南」は二合仮名で、完了の助動詞「ぬ」の未然形「な」+推量の助動詞「む」=「なむ」を表す。
 異伝 [一云 相別南] は[一に云(い)ふ 相別(あひわか)れなむ]と訓む。「相別」は、ラ行下二段活用の自動詞「あひわかる」の未然形「相別(あひわか)れ」。「あひわかる」は「互いに別れる。離れ離れになる。」ことをいう。「南」は5句に同じで、完了の助動詞「ぬ」の未然形「な」+推量の助動詞「む」=「なむ」。
 891番歌の平仮名文及び漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。

  ひとよには ふたたびみえぬ 
  ちちははを おきてやながく 
  あがわかれなむ [あひわかれなむ]

  一世には ふたたび見えぬ
  父母を 置きてや長く
  我が別れなむ  [相別れなむ]

  一生の間に 二度と逢うことのできない
  父母を 後に残して永劫に
  私は別れるのであろうか [別れるのだろうか]
ラベル:万葉集
posted by 河童老 at 15:07| Comment(0) | 小説/文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする