2017年07月28日

『万葉集』を訓(よ)む(その1187)

 今回は890番歌を訓む。886番歌(以下、「長歌」という)の反歌四首目である。
 写本に異同はなく、原文は次の通り。なお5句に異伝がある。

  出弖由伎斯 日乎可俗閇都々 
  家布々々等 阿袁麻多周良武
  知々波々良波母 [一云 波々我迦奈斯佐]

 本歌で使われている万葉仮名は次の通り。
 片仮名・平仮名の字源となった常用音仮名では、ナ音の「奈」・ユ音の「由」・ラ音の「良」が使われている。片仮名の字源となった常用音仮名では、ア音の「阿」・タ音の「多」・ヲ音の「乎」が、平仮名の字源となった常用音仮名では、チ音の「知」・ハ音の「波」・ム音の「武」が使われている。その他の常用音仮名としては、カ音の「可」・ガ音の「我」・キ(甲類)音の「伎」・ケ(甲類)音の「家」・サ音の「佐」・シ音の「斯」・ツ音の「都」・テ音の「弖」・ト(乙類)音の「等」・フ音の「布」・ヘ(乙類)音の「閇」・マ音の「麻」・モ音の「母」が使われ、準常用音仮名ではヲ音の「袁」が、音仮名では、カ音の「迦」・ス音の「周」・ゾ音の「俗」が使われている。なお、一句の「出」と二句の「日」は正訓字である。

 1句「出弖由伎斯」は「出(い)でてゆきし」と訓む。「出」はダ行下二段活用の自動詞「いづ」の連用形で「出(い)で」。「いづ」は「(ある限られた場所から)その外へ進み動いて行く。また、外のある場所に位置を変える。」ことをいう。「弖」は接続助詞「て」。「由伎」は、カ行四段活用の自動詞「ゆく」の連用形で「ゆき」。「斯」は回想の助動詞「き」の連体形「し」。
 2句「日乎可俗閇都々」は「日(ひ)をかぞへつつ」と訓む。「日(ひ)」は時間の単位としての一日で、1句の「出(い)でてゆきし」を承けて、「出て行った日」の意。「乎」は格助詞「を」。「可俗閇」は、ハ行下二段活用の他動詞「かぞふ」の連用形「かぞへ」。「かぞふ」は「順番や数量を勘定する。計算する。」ことをいう。「都々」は、同じ動作の反復や継続を表わす接続助詞「つつ」を表す。
 3句「家布々々等」は「けふけふと」と訓む。この句は、224番歌1句「且今日且今日」と同句で、その仮名書き。「けふけふと」は、「今日か今日か」の意で、「もう今日は帰っていらっしゃるか、もう今日は帰っていらっしゃるかと」いう気持を詠ったもの。
 4句「阿袁麻多周良武」は「あをまたすらむ」と訓む。「阿」は自称の「あ(我)」。「袁」は格助詞「を」。「麻多周」は、タ行四段活用の「まつ(待つ)」の未然形「また」+尊敬の助動詞「す」(連体形)=「またす」を表す。「良武」は、887番歌5句と同じく、現在の事態を推量する助動詞「らむ」を表す。
 2句〜4句「日(ひ)をかぞへつつ けふけふと あをまたすらむ」は、「熊凝(くまごり)の為に其の志を述ぶる歌」六首(886番歌〜891番歌)の「序」に「我を待ちて日を過ぐさば」とあったのに承応している。 
 5句「知々波々良波母」は「ちちははらはも」と訓む。「知々」は「ちち(父)」で、「波々」は「はは(母)」。「良」は接尾語「ら」。「ちちはは」は、「熊凝(くまごり)の父母」をさすことは言うまでもない。「波母」は、詠嘆を表す終助詞「はも」。「は」「も」いずれも語源的には係助詞であるが、文末にあっては、二語とも間投機能を担っていると考えられる。
 [一云 波々我迦奈斯佐] は [一に云(い)ふ ははがかなしさ]と訓む。「波々」は五句に同じで「はは(母)」。「我」は連体助詞「が」。「迦奈斯佐」は、シク活用形容詞「かなし」の語幹「かなし」に接尾語「さ」が付いてできた名詞「かなしさ」を表す。
 890番歌の平仮名文及び漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。

  いでてゆきし ひをかぞへつつ 
  けふけふと あをまたすらむ 
  ちちははらはも [ははがかなしさ]
 
  出でて行きし 日を数へつつ
  今日今日と 我を待たすらむ
  父母らはも  [母が悲しさ]

  出て行った 日からの日数を数えつつ
  今日は今日はと 私の帰りを待っておいでになるであろう
  父母よ [母のいたわしさよ]
ラベル:万葉集
posted by 河童老 at 14:07| Comment(0) | 小説/文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月26日

『万葉集』を訓(よ)む(その1186)

 今回は889番歌を訓む。886番歌(以下、「長歌」という)の反歌三首目である。
 写本にほぼ異同はなく、原文は次の通り。なお五句に異伝がある。

  家尓阿利弖 波々何刀利美婆
  奈具佐牟流 許々呂波阿良麻志 
  斯奈婆斯農等母  [一云 能知波志奴等母]

  本歌で使われている万葉仮名は次の通り。
 片仮名・平仮名の字源となった常用音仮名では、ナ音の「奈」・ヌ音の「奴」・ラ音の「良」・リ音の「利」・ロ(乙類)音の「呂」が使われている。片仮名の字源となった常用音仮名では、ア音の「阿」・ム音の「牟」・ル音の「流」が、平仮名の字源となった常用音仮名では、チ音の「知」・ハ音の「波」・ミ(甲類)音の「美」が使われている。その他の常用音仮名としては、グ音の「具」・コ(乙類)音の「許」・サ音の「佐」・シ音の「斯」と「志」・テ音の「弖」・ト(甲類)音の「刀」・ト(乙類)音の「等」・ニ音の「尓」・ノ(乙類)音の「能」・バ音の「婆」・マ音の「麻」・モ音の「母」が使われ、音仮名では、ガ音の「何」・ヌ音の「農」が使われている。なお、一句の「家」は正訓字である。

 1句「家尓阿利弖」は「家(いへ)にありて」と訓む。この「家(いへ)」は熊凝(くまごり)の家をいう。「尓」は場所を示す格助詞「に」。「阿利」は、ラ行変格活用の自動詞「あり」(連用形)を表す。「弖」は接続助詞「て」。
 2句「波々何刀利美婆」は「ははがとりみば」と訓む。「波々」は「はは(母)」で、熊凝(くまごり)のお母さんをいう。「何」は格助詞「が」。「刀利美」は、マ行上一段活用の他動詞「とりみる(取り見る)」の未然形「とりみ」を表す。「とりみる」は「看病する。介抱する。」の意。「婆」は仮定条件を示す接続助詞「ば」。
 この1句・2句は、「長歌」の25句・26句に「家尓阿良婆・母刀利美麻志(家(いへ)にあらば・母(はは)とりみまし)」と詠んだのを承けたもの。
 3句「奈具佐牟流」は「なぐさむる」と訓む。「奈具佐牟流」は、マ行下二段活用の他動詞「なぐさむ(慰む)」の連体形「なぐさむる」。「なぐさむ」は「心をなごやかに静まらせる。心を晴らす。気をまぎらせる。」ことをいう。
 4句「許々呂波阿良麻志」は「こころはあらまし」と訓む。「許々呂」は、「こころ(心)」。「波」は係助詞「は」。「阿良」は、ラ行変格活用の自動詞「あり」の未然形「あら」を表す。「麻志」は、反実仮想の助動詞「まし」。
 澤潟『萬葉集注釋』は「慰むる心はあらまし − 「なぐさもる心もあらず」(二・一九六)ともあり、そこで述べたやうに、自分を慰む心もあらうものを、の意。」という訓釋を付けている。
 5句「斯奈婆斯農等母」は「しなばしぬとも」と訓む。「斯奈婆」は、ナ行変格活用の自動詞「しぬ(死ぬ)」の未然形「しな」+仮定条件を示す接続助詞「ば」=「しなば」を表し、「斯農」は「しぬ(死ぬ)」を表す。「等母」は、仮定条件を示す接続助詞「とも」。
 異伝 [一云 能知波志奴等母] は[一に云(い)ふ のちはしぬとも] と訓む。「能知」は、「のち(後)」で、時間的に、ある時よりあとをいう。「波」は4句に同じで、係助詞「は」。「のちは」は「ついには。結局は。」の意。「志奴」は、5句の「斯農」と同じく、「しぬ(死ぬ)」。「等母」は5句に同じで、仮定条件を示す接続助詞「とも」。
 889番歌の平仮名文及び漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。

  いへにありて ははがとりみば
  なぐさむる こころはあらまし 
  しなばしぬとも [のちはしぬとも]

  家にありて 母がとり見ば
  慰むる心は あらまし
  死なば死ぬとも  [後は死ぬとも]

  家にいて 母が看病して下さったら
  自分を慰めることも できたであろうに
  たとえ死ぬにしても [ついには死ぬにしても]
ラベル:万葉集
posted by 河童老 at 18:03| Comment(0) | 小説/文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月24日

『万葉集』を訓(よ)む(その1185)

 今回は888番歌を訓む。886番歌(以下、「長歌」という)の反歌二首目である。
 写本にほぼ異同はなく、原文は次の通り。なお5句には異伝がある。

  都祢斯良農 道乃長手袁 
  久礼々々等 伊可尓可由迦牟
  可利弖波奈斯尓 [一云 可例比波奈之尓]

 本歌で使われている万葉仮名は次の通り。
 片仮名・平仮名の字源となった常用音仮名では、ク音の「久」・シ音の「之」・ナ音の「奈」・ネ音の「祢」・ノ(乙類)音の「乃」・ヒ(甲類)音の「比」・ユ音の「由」・ラ音の「良」・リ音の「利」・レ音の「礼」が使われている。片仮名の字源となった常用音仮名では、イ音の「伊」・ム音の「牟」が、平仮名の字源となった常用音仮名ではハ音の「波」が使われている。その他の常用音仮名としては、カ音の「可」・シ音の「斯」・ツ音の「都」・テ音の「弖」・ト(乙類)音の「等」・ニ音の「尓」が使われ、準常用音仮名では、レ音の「例」・ヲ音の「袁」が、音仮名では、カ音の「迦」・ヌ音の「農」が使われている。なお、2句の「道」と「長手」は正訓字である。

 1句「都祢斯良農」は「つねしらぬ」と訓む。この句は、「長歌」の5句「常斯良奴」と表記は異なるが同句。「都祢」は、「つね(常)」で、「日常普通に見られる行為や状態であること。いつもの通りであるさま。」の意。「斯良農」は、ラ行四段活用の他動詞「しる(知る)」の未然形「しら」+打消しの助動詞「ず」の連体形「ぬ」=「しらぬ」を表す。
 2句「道乃長手袁」は「道(みち)の長手(ながて)を」と訓む。この句は、536番歌5句「道之永手呼」、781番歌5句「路之長手呼」、884番歌2句「路乃長手遠」と表記はそれぞれ一部異なるが同句。ここの「道(みち)」は「長歌」の16句・30句と同じく、肥後国から奈良の都に向かう道をいうとともに、これから向かうことになる冥途への道を意識してうたっている。「乃」は連体助詞「の」。「長手(ながて)」は「長い道。遠い道。長途。長路(ながじ)。」の意。「袁」は格助詞「を」。
 3句「久礼々々等」は「くれくれと」と訓む。「久礼々々」は「くれくれ(暗暗)」で、「心が暗く沈んで悲しみにくれるさま、思案にくれるさま」を表わす副詞。多く「と」を伴って用いられ、ここもその例。「等」は格助詞「と」。
 4句「伊可尓可由迦牟」は「いかにかゆかむ」と訓む。「伊可尓可」(826番歌5句に既出)は、副詞「いかに」に係助詞「か」がついた「いかにか」で、反語の意を表す。「どのようにまあ…か。どうしてまあ…か(そんなはずはない、できない)。」の意。「由迦牟」は、カ行四段活用の自動詞「ゆく(行く)」の未然形「ゆか」+推量の助動詞「む」(連体形)=「ゆかむ」。
 5句「可利弖波奈斯尓」は「かりてはなしに」と訓む。「可利弖」は、「かりて(糧)」で、「食糧」の意。「糧(かて)」の古形。「波」は係助詞「は」。「奈斯尓」は、ク活用形容詞「なし」+接続助詞「に」=「なしに」で、「無くて。無いのに。」の意。
 異伝の[一云 可例比波奈之尓] は[一に云(い)ふ かれひはなしに]と訓む。「可例比」は、「かれひ(干飯)」で、「炊いた飯を乾燥させた、携帯用の食料。」をいう。湯や水でもどして食べる。「波」は5句に同じで、係助詞「は」。「奈之尓」も5句の「奈斯尓」に同じで、ク活用形容詞「なし」+接続助詞「に」=「なしに」。
 888番歌の平仮名文及び漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。

  つねしらぬ みちのながてを 
  くれくれと いかにかゆかむ
  かりてはなしに [かれひはなしに]

  常知らぬ 道の長手を 
  くれくれと いかにか行かむ 
  糧はなしに  [干飯はなしに]

  行き馴れない 道の長い道中を
  おぼつかないまま どのようにして行けばいいのだろう
  食糧も持たずに [干飯も持たずに]
ラベル:万葉集
posted by 河童老 at 16:58| Comment(0) | 小説/文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする