2017年09月28日

『万葉集』を訓(よ)む(その1203)

 今回は、前回までに訓み終えた894番歌の漢字仮名交じり文と口語訳を記した後、反歌の一首目である895番歌を訓む。
 まず、894番歌の漢字仮名交じり文を示すと、次の通り。なお、原文で正訓字表記のものにはルビを振り、原文の仮名表記を漢字に変換したものは仮名の下に(漢字表記)とした。[反云〜] の注は省略。

  神代(かみよ)より 云(い)ひ傳(つ)てく(来)らく
  そらみつ 倭(やまと)の國(くに)は
  皇神(すめかみ)の いつく(厳)しき國(くに)
  言霊(ことだま)の さき(幸)はふ國(くに)と
  かた(語)り継(つ)ぎ い(言)ひつ(継)がひけり
  今(いま)の世(よ)の 人(ひと)もことごと
  目(め)の前(まえ)に 見(み)たり知(し)りたり
  人(ひと)さはに 満(み)ちてはあれども
  高(たか)光(ひか)る 日(ひ)の御朝庭(おほみかど)
  神(かむ)ながら 愛(め)での盛(さか)りに
  天(あめ)の下(した) 奏(まを)したまひし
  家(いへ)の子(こ)と 撰(えら)びたまひて
  勅旨(おほみこと) 戴(いただ)き持(も)ちて
  唐(もろこし)の 遠(とほ)き境(さかひ)に
  つか(遣)はされ まか(罷)りいませ
  うな原(はら)の 邊(へ)にも奥(起き)にも
  神(かむ)づまり うしはきいます
  諸(もろもろ)の 大御神(おほみかみ)等(たち)
  船(ふな)の舳(へ)に 道引(みちび)きまをし
  天地(あめつち)の 大御神(おほみかみ)等(たち)
  倭(やまと)の 大國(おほくに)
  久堅(ひさかた)の あま(天)のみ虚(そら)ゆ
  あまがけ(天翔)り 見渡(みわた)したまひ
  事(こと)畢(をは)り 還(かへ)らむ日(ひ)には
  又(また)更(さら)に 大御神(おほみかみ)等(たち)
  船(ふな)の舳(へ)に 御手(みて)打掛(うちか)けて
  墨縄(すみなは)を は(延)へたるごとく
  あちかをし ちかの岫(さき)[値嘉の崎]より
  大伴(おほとも)の 御津(みつ)の濱(はま)びに
  ただ泊(は)てに み船(ふね)は泊(は)てむ
  つつみ(恙)無(な)く さき(幸)くいまして
  速(はや)歸(かへ)り坐(ま)せ

 894番歌の口訳を示すと、次の通り。

  神代の昔から 言い伝えて来たこと
  〈そらみつ〉 大和の国は
  皇祖の神の 神威の盛んな国
  言霊の 栄える国であると
  語り継ぎ 言い継いで来た
  今の世の 人も皆
  目の前に 見て知っている
  世に人が大勢 満ち満ちているけれども
  〈高光る〉 日の朝廷で
  神としての 天皇のご寵愛によって
  天下の 政治を奏上なされた
  立派な家柄の子として お選びになり
  天皇のお言葉を 奉戴して
  唐という 遠い国に
  派遣され 赴かれるので
  海原の 岸辺にも沖の方にも
  神としてとどまって 支配される
  諸々の 大御神たちが
  船の先に立って 先導申し上げ
  天地の 大御神たちや
  大和の 大国魂も
 〈ひさかたの〉 天のみ空を
  天がけって お見渡しになり
  大任を果たして 帰られる日には
  またふたたび 大御神たちが
  船の舳先に 手をおかけになって
  墨縄を 張りわたしたように
  〈あちかをし〉 値嘉の埼から
  大伴の 御津の浜辺まで
  一直線に お船は港に入って泊まるでしょう
  つつがなく ご無事で
  早くお帰り下さい

 以上、894番歌(以下、「長歌」という)を訓み終えたので、次に、その反歌一首目である895番歌を訓もう。
 写本に異同はなく、原文は次の通り。

  大伴 御津松原 可吉掃弖 和礼立待 速歸坐勢

 1句「大伴」は「大伴(おほとも)の」と訓む。この句は、「長歌」の57句と同句。連体助詞「の」の表記はないが、補読をして「大伴(おほとも)の」と訓む。「大伴」は、大阪から堺にかけての総称で、大伴氏管掌の地であった。
 2句「御津松原」は「御津(みつ)の松原(まつばら)」と訓む。「御津」は、「長歌」の58句と同じく、連体助詞「の」を補読して「御津(みつ)の」と訓む。「御」は美称の接頭語、「津」は港。1句を承けて「大伴(おほとも)の御津(みつ)」でもって、「難波の港」をさす。「松原(まつばら)」は、「松の多く生えている原」をいう。
 3句「可吉掃弖」は「かき掃(は)きて」と訓む。「可吉掃」は、カ行四段活用の他動詞「かきはく」の連用形「かき掃(は)き」と訓む。「可」はカ音の常用音仮名、「吉」はキ(甲類)音の音仮名、「掃」は正訓字。「かきはく」は、「掃き清める。」ことをいう。「弖」はテ音の常用音仮名で、接続助詞「て」。
 4句「和礼立待」は「われ立(た)ち待(ま)たむ」と訓む。「和」「礼」は、ワ音・レ音の常用音仮名で、共に片仮名・平仮名の字源。「和礼」で以って、自称の「われ(我)」を表す。「立待」は、タ行四段活用の他動詞「たちまつ」の未然形「立(た)ち待(ま)た」+推量の助動詞「む」(無表記だが補読)=「立(た)ち待(ま)たむ」。「たちまつ」は、「立ったまま待つ」の意。
 5句「速歸坐勢」は「速(はや)歸(かへ)り坐(ま)せ」と訓む。この句は、「長歌」の末句と同句。「速」は「速(はや)[早]」と訓み、副詞で「もっと早く」の意。「歸」はラ行四段活用の自動詞「かへる」の連用形「歸(かへ)り」。「かへる」は「事物や事柄が、元の場所、状態などに戻る」ことをいう。「坐勢」は、サ行四段活用の自動詞「ます」の命令形「坐(ま)せ」。「坐」は正訓字、「勢」はセ音の常用音仮名。「ます」は、補助動詞として、他の動詞の連用形に付いて、その動詞に尊敬の意を付け加える。
 895番歌の漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。

  大伴(おほとも)の 御津(みつ)の松原(まつばら)
  かき掃(は)きて われ立(た)ち待(ま)たむ
  速(はや)歸(かへ)り坐(ま)せ

  大伴の 御津の松原を
  掃き清めて 私は立って待っていましょう
  早くお帰り下さい
ラベル:万葉集
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2017年09月26日

『万葉集』を訓(よ)む(その1202)

 今回は、894番歌の47句から末句の63句までを訓む。
 まず、今回使われている万葉仮名について見ておこう。

 片仮名・平仮名の字源となった常用音仮名では、ク音の「久」・リ音の「利」が使われ、片仮名の字源となった常用音仮名では、ア音の「阿」・イ音の「伊」・タ音の「多」が、平仮名の字源となった常用音仮名では、ミ(甲類)音の「美」・ル音の「留」が使われている。その他の常用音仮名としては、カ音の「可」・キ(甲類)音の「伎」・ゴ(乙類)音の「期」・サ音の「佐」・シ音の「志」・セ音の「勢」・ダ音の「太」・チ音の「智」・ツ音の「都」・テ音の「弖」・ト(乙類)音の「等」・ニ音の「尓」・ノ(乙類)音の「能」・ビ(乙類)音の「備」・ヘ(乙類)音の「倍」・マ音の「麻」・ヨ(甲類)音の「欲」が使われ、準常用音仮名ではヲ音の「遠」が使われている。音仮名では、チ音の「遅」・ハ音の「播」が使われている。

 47句・48句「事畢・還日者」は「事(こと)畢(をは)り・還(かへ)らむ日(ひ)には」と訓む。「事(こと)」は、「公的な行為」の意で、ここは遣唐使としての任務を指す。「畢」は、鳥獣などを捕るあみの形をかたどった象形文字で、一網打尽にとり尽くすことから「畢(おわ)る」意となり、また「畢(ことごと)く」という副詞に用いられるようになった。『名義抄』に「畢 ヲハル・ツヒニ・コトゴトク・コトゴトニス・ツクス・ツキヌ・ツブサニ」とある。ここは、ラ行四段活用の自動詞「をは類」の連用形「畢(をは)り」と訓む。「還日」は、ラ行四段活用の自動詞「かへる」の未然形「還(かへ)ら」+推量の助動詞「む」(連体形)+名詞「日(ひ)」=「還(かへ)らむ日(ひ)」と訓む。「者」は漢文の助字で、係助詞「は」に相当し、平安時代には「は」の訓仮名としても多用されるようになる。ここは前に格助詞「に」を補読して「には」と訓む。
 49句・50句「又更・大御神等」は「又(また)更(さら)に・大御神(おほみかみ)等(たち)」と訓む。49句は、609番歌の3句と同句で、「又(また)更(さら)に」と訓む。「又(また)」は「再び、もう一度」の意。「更(さら)に」は、一つの事実が、もう一度繰り返し成り立ち、あるいは他の類似の事実に加わって成り立つことを表わす語(副詞)で、「重ねて。加えて。もう一度。」の意。50句は、36句・40句と同句で「大御神(おほみかみ)等(たち)」。「大御神」は、「おほみかみ」と訓み、「おほみ」は接頭語で、「神」を敬っていう語。「等」は「たち」と訓み、接尾語で人を表わす名詞・代名詞に付いて、複数を表わす。また、そのすべてのものを含む意も表わす。
 51句・52句「船舳尓・御手打掛弖」は「船(ふな)の舳(へ)に・御手(みて)打掛(うちか)けて」と訓む。51句は、37句と同句で「船(ふな)の舳(へ)に」と訓む。「船(ふな)の舳(へ)」は、「船の舳先。船首。」の意。「に」は場所を示す格助詞。「御手(みて)」は、「手(て)」に尊敬の接頭語「御(み)」が付いたもの。「御(み)」は、古くは、神・天皇・宮廷のものを表す語で、仏教が広まるにつれて御堂(みだう)・御法(みのり)などとも使うようになり、更に尊敬の接頭語になった。「打掛」は、カ行下二段活用の他動詞「うちかく」の連用形「打掛(うちか)け」と訓む。「うちかく」は、「(手や体を)ひょいともたせかける。(腰を)下ろす。」ことをいう。「弖」は接続助詞「て」。
 53句・54句「墨縄遠・播倍多留期等久」は「墨縄(すみなは)を・はへたるごとく」と訓む。「墨縄(すみなは)」は、「墨壺についている糸巻き車に巻いてある麻糸。」のことで、木材などに線を引くのに用いる。「遠」は格助詞「を」。「播倍」は、ハ行下二段活用の他動詞「はふ」の連用形「はへ」を表す。「はふ」は「糸・紐・綱や、布・袖などを長く引きのばす。ずっと張りわたす。長くはわせる。」ことをいう。「多留」は、完了の助動詞「たり」の連体形「たる」。「期等久」は、比況を表わす助動詞「ごとし」の連用形「ごとく」を表す。
 55句・56句「阿遅可遠志・智可能岫欲利」は「あちかをし・ちかの岫(さき)より」と訓む。「阿遅可遠志」は、地名「ちかの崎」にかかる枕詞「あちかをし」を表す。語義・かかり方は不明。なお、「遅」は、清濁両例あって、「あぢかをし」と訓む説もあるが、類音の繰り返しで「ちかの崎」にかかるということであれば、清音で訓みたい。「智可能岫」は、「ちかの岫(さき)」と訓み、地名「ちか(値嘉)の崎」をいう。「欲利」は、動作の経由地・起点を示す格助詞「より」。「値嘉の崎」については、阿蘇『萬葉集全歌講義』が詳しく注しているので、[参考]として後掲しておくので参照されたい。
 57句・58句「大伴・御津濱備尓」は「大伴(おほとも)の・御津(みつ)の濱(はま)びに」と訓む。57句は、63番歌3句・66番歌1句・68番歌1句の「大伴乃」と同句で、連体助詞「の」の表記はないが、補読をして「大伴(おほとも)の」と訓む。「大伴」は、大阪から堺にかけての総称、大伴氏管掌の地であった。「御津」は、63番歌4句に既出で、「御」は美称の接頭語、「津」は港。上の句と合わせ「大伴(おほとも)の御津(みつ)」で、「難波の港」をさす。「濱備」は、「濱(はま)び」と訓み、「浜辺」に同じ。「び」は、「ほとり。周辺。」の意。「尓」は場所を示す格助詞「に」。
 59句・60句「多太泊尓・美船播将泊」は「ただ泊(は)てに・み船(ふね)は泊(は)てむ」と訓む。「多太」は、副詞「ただ(直)」を表し、「間に介在する物事がなく、直接に。」の意。「泊」はタ行下二段活用の自動詞「はつ」の連用形「泊(は)て」が名詞化したもの。「多太泊」は、副詞「ただ」と「泊(は)て」が結合して一語の名詞「ただ泊(は)て」になったもので、「他には寄らず、まっすぐに行って泊まること。」をいう。「尓」は目的を示す格助詞「に」。「美船」は、「み船(ふね)(御船)」で、「み」は美称の接頭語。「播」は係助詞「は」。「将泊」は、タ行下二段活用の自動詞「はつ」の連用形「泊(は)て」+推量の助動詞「む」(漢文の助字「将」で表記。)=「泊(は)てむ」と訓む。
 61句・62句「都々美無久・佐伎久伊麻志弖」は「つつみ無(な)く・さきくいまして」と訓む。「都々美」は、マ行四段活用の自動詞「つつむ(恙)」の連用形の名詞化した「つつみ」を表し、「さしさわり。病気。」の意。「無久」は、ク活用形容詞「なし」の連用形「無(な)く」。「佐伎久」は、副詞の「さきく(幸く)」を表し、「さいわいに。無事に。変わりなく。」の意。「伊麻志」は、サ行四段活用の自動詞「います」の連用形「いまし」を表す。「います」(30・34句に既出)は、「いく(行)」「く(来)」の動作主を敬っていう尊敬語で、「いらっしゃる。おいでになる。」の意。「弖」は接続助詞「て」。
 63句「速歸坐勢」は「速(はや)歸(かへ)り坐(ま)せ」と訓む。「速」は、277番歌1句と同じく「速(はや)[早]」と訓み、副詞で「もっと早く」の意。「歸」はラ行四段活用の自動詞「かへる」の連用形「歸(かへ)り」。「かへる」は「事物や事柄が、元の場所、状態などに戻る」ことをいう。「坐勢」は、サ行四段活用の自動詞「ます」の命令形「坐(ま)せ」。「ます」は、補助動詞として、他の動詞の連用形に付いて、その動詞に尊敬の意を付け加える。

[参考]「値嘉の崎」について(阿蘇『萬葉集全歌講義』より)。
値嘉の崎 肥前国風土記に、値嘉の郷がある。松浦郡の西南の海中に位置するという。景行天皇が平戸島に行幸された時、多数の島がある中に土蜘蛛の住む二つの島があり、第一の島を「小近」、第二の島を「大近」といった。天皇が、この島は遠いが近いように見えるので近島というがよい、と云われたので値嘉というようになったという。西に船を停泊できる港が二箇所あり、一つの名を相子田の停(とまり)(合蚕田浦−続紀)といい、二十余りの船を停泊でき、もう一つの港を川原の浦(長崎県五島市岐宿町川原。白石浦)といった。十余りの船を停泊できるという。遣唐使は、この港から出発して、美祢良久の崎(五島市三井楽町)を経て西を目指して海をわたったという。続日本紀の宝亀七年閏八月六日条に、遣唐使の船が、肥前国松浦郡合蚕田浦(長崎県南松浦郡新上五島町相河)にいて、一ヶ月以上、順風を得られず、すでに秋に入って水路を行くのに適さない時期になったので、博多の大津に引き返し、来年の夏に出発したいと奏上してきたことを記している。
ラベル:万葉集
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2017年09月22日

『万葉集』を訓(よ)む(その1201)

 今回は、894番歌の31句からから46句までを訓む。
 まず、今回使われている万葉仮名について見ておこう。

 片仮名・平仮名の字源となった常用音仮名では、ウ音の「宇」・ナ音の「奈」・ヒ(甲類)音の「比」・リ音の「利」が使われている。片仮名の字源となった常用音仮名では、ア音の「阿」・イ音の「伊」・ス音の「須」・タ音の「多」が使われている。その他の常用音仮名としては、ガ音の「賀」・ケ(乙類)音の「氣」・シ音の「志」・ヅ音の「豆」・ニ音の「尓」・ノ(乙類)音の「能」・フ音の「布」・ヘ(乙類)音の「閇」・マ音の「麻」・モ音の「母」が使われ、準常用音仮名ではヲ音の「遠」が使われている。音仮名では、キ(甲類)音の「吉」・ハ音の「播」・ユ音の「喩」が使われている。なお、四四句の「見」は、「み(甲類)」の準常用訓仮名である。         

 31句・32句「宇奈原能・邊尓母奥尓母」は「うな原(はら)の・邊(へ)にも奥(起き)(沖)にも」と訓む。31句は、874番歌1句「宇奈波良能」と同句。「宇奈原」は、「うな原(はら)(海原)」で、「ひろびろとした海。広大な海面。」の意。「能」は連体助詞「の」。「邊」(220番歌他既出)は「辺」の旧字で、「へ」と訓み、「岸に近い辺り」の意。「奥」(220番歌他既出)は「おき(沖)」と訓み、「邊(へ)」の対偶語で、「同じ平面で、遠く離れた方。海などの場合、陸地から遠い方。」をいう。「尓母」は、格助詞「に」に係助詞「も」の付いた「にも」を表す。場所・時・対象・比較など、格助詞「に」の意味に、添加や許容などの「も」の意味が加わったもので、ここは場所を示す「に」に添加の意の「も」が付いたもの。
 33句・34句「神豆麻利・宇志播吉伊麻須」は「神(かむ)づまり・うしはきいます」と訓む。ここの「神」は、19句「神奈我良」と同様「かむ」と訓む。「かみ(神)」が、名詞や動詞の上にきて複合語を作る場合に多くこの形をとり、そのものや行為が、神に関わるものであることを示す。「豆麻利」は、ラ行四段活用の自動詞「つまる」の連用形「つまり」が連濁した「づまり」を表す。「神(かむ)づまり」は、「神としてとどまって」の意。「宇志播吉」は、カ行四段活用の他動詞「うしはく」の連用形「うしはき」を表す。「うしはく」は、「うし(主)として領有する」の意で、「おさめる。統治する。」ことをいう。「伊麻須」は、サ行四段活用の自動詞「います」(連体形)を表す。「います」(30句に既出)は、「いく(行)」「く(来)」の動作主を敬っていう尊敬語で、「いらっしゃる。おいでになる。」の意。
 33句・34句について、澤瀉『萬葉集注釋』は次のように注している。

 神づまりうしはきいます − 「神づまり」は集中にはこの一例であるが、祝詞には祈年祭六月々次、六月晦大祓などに「高天原尓(タカマノハラニ)神留坐(カムヅマリマス)」とあつて、大祓詞後釋に「留」は「豆麻理(ヅマリ)と訓べし、さて都麻流(ツマル)は、卽チとゞまる也、今の俗言にも、物の滞りてゆきとほらぬ事を、つまるといふも、とゞまる意にて同じ」といひ、この歌をあげてゐ類。宣命にも「高天原(タカマノハラニ)神積坐(カムヅマリマス)」(第十四詔、天平勝寶元年七月二日)とある。「うしはき」は「荒人神(アラビトカミ) 船舳尓(フネノヘニ) 牛吐賜(ウシハキタマヒ)」(六・一〇二一)などとあり、古事記(上)に「汝之宇志波祁流(ナガウシハケル) 葦原中國者(アシハラノナカツクニハ)」ともあり、記傳(十四)に「主(うし)として其處を我物(ワガモノ)と領居(シリヲ)るを云」といひ、「波久(ハク)は佩(ハク)〈レ点〉刀(タチヲ) 着(ハク)〈レ点〉沓(クツヲ)などの波久(ハク)と同くて、身に着(ツケ)て持(モツ)意ならむか」とある。

 35句・36句「諸能・大御神等」は「諸(もろもろ)の・大御神(おほみかみ)等(たち)」と訓む。「諸」は「もろもろ」と訓み、「多くのもの。すべてのもの。」の意。「能」は31句と同じで連体助詞「の」。「大御神」は、「おほみかみ」と訓み、「おほみ」は接頭語で、「神」を敬っていう語。「等」は「たち」と訓み、接尾語で人を表わす名詞・代名詞に付いて、複数を表わす。また、そのすべてのものを含む意も表わす。上代では、神・天皇・高貴な人に限られたが、時代が下がるにつれて範囲が拡大し、丁寧な表現として用いられるようになった。「ども」「ら」に比べて敬意が強い。
 37句・38句「船舳尓 [反云 布奈能閇尓]・道引麻遠志」は「船(ふな)の舳(へ)に [反云 ふなのへに]・道引(みちび)きまをし」と訓む。「船舳尓」は、下注に「反(かへ)して、ふなのへに、と云(い)ふ」とあるので、「船(ふな)の舳(へ)に」と訓む。「船(ふな)の舳(へ)」は、「船の舳先。船首。」の意。「に」は場所を示す格助詞。「道引」は、カ行四段活用の他動詞「みちびく」の連用形「道引(みちび)き」と訓む。「みちびく」は「道案内をする。道しるべをする。」ことをいう。「麻遠志」は、サ行四段活用の補助動詞で謙譲の意を示す「まをす」の連用形「まをし」を表す。
 39句・40句「天地能・大御神等」は「天地(あめつち)の・大御神(おほみかみ)等(たち)」と訓む。39句は、655番歌3句「天地之」と連体助詞「の」の表記は異なるが、同句で、「天地(あめつち)の」。「天地(あめつち)」は「天と地」。「能」は31句・35句と同じで連体助詞「の」。40句は、36句と同句で「大御神(おほみかみ)等(たち)」。   
 41句・41句「倭・大國霊」は「倭(やまと)の・大國(おほくに)霊(みたま)」と訓む。「倭」(280番歌他に既出)は、わが国の古名として中国の史書に見え、それをそのまま「やまと」の表記に用いていたが、天平宝字元年(757)以降は「大和」と書かれるようになったもので、大和国(奈良県)を中心とする地域をいう。ここは下に連体助詞「の」を補読して「倭(やまと)の」と訓む。「大國」は「おほくに」と訓む。「霊」は「たま」とも「みたま」とも訓まれるが、ここは「みたま」と三音に訓むのが良い。
 41句・42句の注として、阿蘇『萬葉集全歌講義』は次のように記している。

 大和大国御魂(おほくにみたま) 奈良県天理市新泉(にいずみ)にある大和(おおやまと)神社。祭神は、大和(おおやまと)大国魂(おおくにたま)大神他二座。(中略)崇神紀六年条に、それまで天皇の大殿の中に祭っていた天照大神と倭大国魂との神威を恐れはばかって、天照大神を豊鍬(とよすき)入姫命(いりびめのみこと)に託(つ)けて倭の笠縫邑に祭り、倭大国魂神を渟名城(ぬなき)入姫命(いりびめのみこと)に託けて祭らせた。渟名城入姫命は髪落ち身体は痩せて祭ることができなかったという。同年八月、神意を受け、市磯長尾市(いちしのながおち)を倭大国魂の祭主とした。井村哲夫氏は、長尾市が「倭直の祖」(垂仁紀七年七月)と見えること、神武天皇東征説話の、速吸之門で海道をよく知る者として「海導者」となり椎根津彦の名を賜わった珍彦(うずひこ)なる者が、倭国造等の祖とされていることなどから、倭大国魂は、住吉の神と同様に航海の神としての性格も有していたらしく、この歌に登場する所以である、とする(全注)。

 43句・44句「久堅能・阿麻能見虚喩」は「久堅(ひさかた)の・あまのみ虚(そら)ゆ」と訓む。43句は、199番歌の7句と同句。「久堅(ひさかた)の」は、「天」および天に関わる「雨」「月」などにかかる枕詞。「久堅之(乃・能)」「久方之(乃)」の用字例から、堅固な・久しい、の意を持つ表現だと思われる。「阿麻」は「あま(天)」を表す。「能」は31句・35句・39句と同じで連体助詞「の」。「見」は、美称の接頭語「み」。美称の「み」の表記には、常用音仮名の「美」や常用訓仮名の「三」が使われることが多いが、ここで「見」を用いているのは「見る」意を込めてのことかと思われる。「虚」は3句に既出で、「そら(空)」と訓む。「喩」は動作の経由点を示す格助詞「ゆ」を表す。
 45句・46句「阿麻賀氣利・見渡多麻比」は「あまがけり・見渡(みわた)したまひ」と訓む。「阿麻賀氣利」は、ラ行四段活用の自動詞「あまがける(天翔る)」の連用形「あまがけり」を表す。「あまがける(天翔る)」は、「神、霊魂、鳥などが天空を飛びかける。」ことをいう。「見渡」(326番歌他に既出)は、サ行四段活用の他動詞「みわたす」の連用形「見渡(みわた)し」と訓む。「みわたす」は「こちらからかなたをはるかに見やる。」ことをいう。「多麻比」は、22句に既出で、ハ行四段活用の他動詞「たまふ」の連用形「たまひ」を表す。「たまふ」は補助動詞で、動作の主を尊敬する意を示す。
ラベル:万葉集
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