2018年02月05日

『万葉集』を訓(よ)む(その1239)

 今回は、914番歌を訓む。題詞に「反歌一首」とあって、913番歌の反歌である。
 写本の異同としては、3句二字目<畏>が『西本願寺本』では欠落していることがあげられるが、他の写本いずれにも「畏」とあるのでこれを採る。なお、『西本願寺本』も、右に小文字で「畏」と書いている。原文は次の通り。

  瀧上乃 三船之山者
  雖<畏> 思忘
  時毛日毛無

 1句「瀧上乃」は「瀧(たき)の上(うへ)の」と訓む。この句は、907番歌1句「瀧上之」と「の」の表記が異なるだけで同句。「瀧」は「滝」の旧字で、「急な斜面を激しい勢いで下っている水の流れ。急流。奔流。激湍。早瀬。」の意。ここは吉野川の激流をさす。「上(うへ)」は、「あるものの付近。辺り。ほとり。」の意。「乃」はノ(乙類)音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)で、連体助詞「の」。
 2句「三船之山者」は「三船(みふね)の山(やま)は」と訓む。「三船(みふね)の山(やま)」は、907番歌2句の「御舟乃山」と同じで、奈良県吉野郡吉野町宮滝と吉野川をはさんで東南に位置する487メートルの「三船山」のこと。「之」は漢文の助字で、連体助詞「の」。「者」も漢文の助字で、係助詞「は」に用いたもの。
 3句「雖畏」は「畏(かしこ)けど」と訓む。漢文的表記で、「雖」の左下にレ点(返り点)を付けて訓む。「雖」は逆接の恒常条件を表わす接続助詞「ど」を表す。「畏」はク活用形容詞「かしこし」の已然形で「畏(かしこ)け」と訓む。阿蘇『萬葉集全歌講義』に「畏(かしこ)けど 恐れ多いが。山の神の霊威を恐れる心からいう。カシコケは、形容詞カシコシの已然形。上代では、形容詞の未然形と已然形に、ケ(ク活用)・シケ(シク活用)の形があった。」とある。
 4句「思忘」は「思(おも)ひ忘(わす)るる」と訓む。「思」はハ行四段活用の他動詞「おもふ」の連用形「思(おも)ひ」。「忘」(647番歌他に既出)は、ラ行下二段活用の他動詞「わする」の連体形「忘(わす)るる」で、次句の「時」「日」にかかる。「思(おも)ひ忘(わす)るる」は、「恋しいという思いを忘れる」ことをいう。「恋しいという思い」の対象は、家に残してきた妻(あるいは夫)である。
 5句「時毛日毛無」は「時(とき)も日(ひ)も無(な)し」と訓む。ここの「時(とき)」と「日(ひ)」は、前の句の「思(おも)ひ忘(わす)るる」を受けて、「思い忘れるような時も日も」の意となる。「毛」はモ音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)で、並列の係助詞「も」。「無」はク活用形容詞「なし」の終止形で「無(な)し」。
 914番歌の漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。

  瀧(たき)の上(うへ)の 三船(みふね)の山(やま)は
  畏(かしこ)けど 思(おも)ひ忘(わす)るる
  時(とき)も日(ひ)も無(な)し 

  吉野川の激流のほとりの 三船の山は
  恐れ多いけれど 恋しい思いを忘れる
  時も日もない
ラベル:万葉集
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2018年02月02日

『万葉集』を訓(よ)む(その1238)

 今回は、913番歌の9句からを訓む。
 9句・10句「開来者・朝霧立」は「開(あ)け来(く)れば・朝霧(あさぎり)立(た)ち」と訓む。9句「開来者」は、138番歌17句および159番歌5句の「明来者」と動詞「あく」の表記は異なるが同句。「開」はカ行下二段活用の自動詞「あく」の連用形「開(あ)け」。「来」はカ行変格活用の自動詞「く」の已然形で「来(く)れ」。「者」は順接の確定条件を表わす接続助詞「ば」に用いたもの。「夜が明けてくると」の意。「朝霧(あさぎり)」は「朝方に立ちこめる霧」をいう。481番歌21句および599番歌1句に既出で、そこでは「朝霧(あさきり)の」という枕詞として使われていたが、ここは実景を述べたもの。「立」はタ行四段活用の自動詞「たつ」の連用形「立(た)ち」。「たつ」は、「雲、霧、煙などが現われ出る」ことをいう。
 11句・12句「夕去者・川津鳴奈拝」は「夕(ゆふ)去(さ)れば・かはづ鳴(な)くなへ」と訓む。11句「夕去者」は、159番歌3句「暮去者」と「ゆふ」の表記は異なるが同句。「夕(ゆふ)」は「日が暮れかかっているとき」をいう。「去」はラ行四段活用の自動詞「さる」の已然形で「去(さ)れ」。「さる」は、季節や時を表わす言葉の後に付けて、「その時、その季節になる」ことをいう。「者」は9句に同じで、順接の確定条件を表わす接続助詞「ば」。「川津」は、696番歌3句に既出で、カエル[蛙]の異名」の「かはづ」を表わす。「川」は借訓字で、「津」は「つ」の常用訓仮名だが、ここは「づ」に流用したもの。「鳴」はカ行四段活用の自動詞「なく」の連体形で「鳴(な)く」。「なく」は、「ね(音)」と同語源の「な」が動詞化したもので、生物が種々の刺激によって声を発することをいう。「奈」はナ音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)、「拝」はヘ(乙類)音の音仮名。「奈拝」で以って、接続助詞「なへ」を表わす。接続助詞「なへ」は、連体助詞「な」に「上(うへ)」の「う」が脱落した「へ」が付いて出来た語で、用言の連体形を承ける。「上」には物に直接接触する意があるので、「なへ」は、「…の上」の意から時間的に同時・連続の意を表すようになった。「…と共に。…と同時に。…につれて。」の意。
 13句・14句「紐不解・客尓之有者」は「紐(ひも)解(と)かぬ・客(たび)にし有(あ)れば」と訓む。「紐(ひも)」(896番歌他に既出)は「物を結んだり束ねたりする、縄状のもの。」を言い、ふつう、糸より太く、帯・綱より細いものをいう。布製・革製・紙製・など、種々あるが、ここは着物の紐なので布製であろう。「不解」は、漢文的表記で、カ行四段活用の他動詞「とく」の未然形「解(と)か」+打消しの助動詞「ず」の連体形「ぬ」(漢文の助字「不」で表記)=「解(と)かぬ」と訓む。「とく」は、「結んであるもの、縫ってあるものなどをほどく」ことをいう。14句は、5番歌の22句と同句で、「客(たび)にし有(あ)れば」と訓む。「客」は会意文字で、宀(べん)+各。宀は廟屋で各は祝禱の器(さい)に対して神霊が上より降下(夂(ち))する形を表わし、その中に神霊を迎えることを客といい、もとは客神をいう字であった。「客」はわが国においても「まらひと・まらふと」と訓じられ異族神を意味するものであった。そして上代において「旅」は異族神の支配する家郷以外の地に在ることを意味したことから、その異境に在るという念いを込めて、「たび」に「客」の字をあてたものと考えられる。ここの「客(たび)」は、13句の「紐(ひも)解(と)かぬ」の修飾を受けて、「紐(ひも)解(と)かぬ客(たび)」で「ひとり寝の旅」を意味する。「尓」はニ音の常用音仮名で格助詞「に」を、「之」はシ音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)で副助詞「し」を表わす。「有者」は、ラ行変格活用の自動詞「あり」の已然形に、順接の確定条件を表す接続助詞「ば」が付いた形で、「有(あ)れば」。「者」を「ば」に用いる例は、7・9・11句にも既出。
 15句・16句「吾耳為而・清川原乎」は「吾(あ)のみして・清(きよ)き川原(かはら)を」と訓む。「吾」は自称で、ワともアとも訓めるが、ここでは「吾(あ)」としておく。「耳」は4句にも既出の限定・強意を表わす漢文の助字で、副助詞「のみ」に用いたもの。「為而」は、サ行変格活用の他動詞「す(為)」の連用形「し」+接続助詞「て」=「して」。「して」は、連語として格助詞のように用いられ、体言または体言と同格の語、および体言に副助詞の付いたものを受けて、動作の手段、方法などを表わす。すなわち動作を行なう主体を、主語としてではなく数量的に、また手段的に表現する。「吾(あ)のみして」は、「わたし一人だけで」の意。「清」はク活用形容詞「きよし」の連体形「清(きよ)き」と訓み、次の「川原(かはら)」を修飾する。「きよし」は、「けがれやよごれがなく、美しいさま。」「さわやかで、気持ちのよいさま。」をいう。「川原(かはら)」は、「川辺の水がかれて、砂、小石の多い平地。川沿いの平地。」のことで、ここは吉野川の川原をいう。「乎」はヲ音の常用音仮名(片仮名の字源)で、格助詞「を」。
 17句「見良久之惜蒙」は「見(み)らくし惜(を)しも」と訓む。「見良久」は、マ行上一段活用の他動詞「みる」の連体形「見(み)る」に形式体言「あく」が付いた「見るあく」が約まった「見(み)らく」。いわゆるク語法で、「見ること」の意。「良」「久」は、ラ音・ク音の常用音仮名で、共に片仮名・平仮名の字源。「之」は14句に同じで、副助詞「し」。「惜」はシク活用形容詞「惜(を)し」。「惜(を)し」は「物事のねうちが生かされなかったりするのを残念に思う。心残りである。」の意。「蒙」はモ音の音仮名で、詠嘆の終助詞「も」を表す。
 913番歌の漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。

  うまこり あやに乏(とも)しく
  鳴神(なるかみ)の 音(おと)のみ聞(き)きし
  み芳野(よしの)の 真木(まき)立(た)つ山(やま)ゆ
  見降(みおろ)せば 川(かは)の瀬(せ)毎(ごと)に
  開(あ)け来(く)れば 朝霧(あさぎり)立(た)ち
  夕(ゆふ)去(さ)れば かはづ鳴(な)くなへ
  紐(ひも)解(と)かぬ 客(たび)にし有(あ)れば
  吾(あ)のみして 清(きよ)き川原(かはら)を
  見(み)らくし惜(を)しも

  (うまこり) むしょうに見たいと思いつつ
  (鳴る神の) 噂にだけ聞いていた
  み吉野の 真木の茂り立つ山から 
  見おろせば 川の瀬ごとに
  夜明けになれば 朝霧が立つのが見え
  ゆうべになれば 蛙が鳴くにつけて
  衣の紐も解かない ひとり寝の旅ゆえ
  わたし一人だけで この清らかな川原を
  見るのはなんとも惜しいことだ
ラベル:万葉集
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2018年01月31日

『万葉集』を訓(よ)む(その1237)

 今回は、913番歌を訓む。題詞に「車持朝臣千年作歌一首[并短歌]」とあり、「車持(くるまもち)の朝臣(あそみ)千年(ちとせ)」という人が作った十七句からなる長歌であり、反歌一首(914九番歌)を伴う。更に続けて、反歌の異伝として、915・916番歌が載せられている。これらの歌群が作られた年月について、916番歌に左注がつけられているが、それについては916番歌のところで述べることとする。「車持朝臣千年」について、阿蘇『萬葉集全歌講義』は次のように注している。

 車持朝臣千年 生没年未詳。養老七年(七二三)の吉野行幸、および神亀二年(七二五)と神亀五年の難波行幸に従駕している。車持氏は、もと「乗輿」のことにかかわる氏族で、もと姓は公。天武十三年(六八四)十一月に、朝臣の姓を賜る。歌は、六首。いずれも行幸従駕の歌であるが、恋歌的発想のものが多い。女性説もある。

 写本の異同は、12句の末字<拝>。『西本願寺本』以下の諸本に「辨詳」とあるが、『金沢本』『元暦校本』『紀州本』に「拝」とあるのを採る。原文は次の通り。

  味凍 綾丹乏敷
  鳴神乃 音耳聞師
  三芳野之 真木立山湯
  見降者 川之瀬毎
  開来者 朝霧立
  夕去者 川津鳴奈<拝>
  紐不解 客尓之有者
  吾耳為而 清川原乎
  見良久之惜蒙

 1句・2句「味凍・綾丹乏敷」は「うまこり・あやに乏(とも)しく」と訓む。この句は、162番歌17句・18句の「味凝・文尓乏寸」と表記は異なるがほぼ同句。「うまこり」は、美しい織物の意で、同じ意の「綾(あや)」と同音を持つ「あやに」にかかる枕詞。「うま」は「立派な。良い。」意で、「こり」は「綾」の朝鮮語と同源という。「味」「凍」は共に「うま」「こり」を表すための借訓字。「綾」は「あや」と訓み、「ななめに線が交錯している綾織りの模様。斜線模様。」の意であるが、ここは下に「に」の常用訓仮名「丹」を伴って、副詞「あやに」を表わすための借訓字として用いたもの。「あやに」は、「なんとも不思議に。わけもわからず。むやみに。」の意。「乏敷」は、シク活用形容詞「ともし」の連用形の「乏(とも)しく」と訓む。(162番歌18句「乏寸」は、連体形「乏(とも)しき」であった。)「敷」は「しく」を表すための借訓字。「ともし」は、「珍しくて心がひかれる。」の意。
 3句・4句「鳴神乃・音耳聞師」は「鳴神(なるかみ)の・音(おと)のみ聞(き)きし」と訓む。「鳴神(なるかみ)」は、雷を神格化した表現。「乃」はノ(乙類)音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)で、連体助詞「の」。「鳴神(なるかみ)の」は、次の「音」にかかる枕詞。鳴神(雷)は、姿は見えないでその音を聞くだけであるところから、「音(おと)」または「音」と同音を含む地名「音羽」にかかる。ここの「音(おと)」は、「評判。うわさ。風聞。」の意である。「耳」は、限定・強意を表わす漢文の助字であるが、限定を表わす副助詞「のみ」に宛てたもの(157番歌他に既出)。「聞師」は、カ行四段活用の他動詞「きく」の連用形「聞(き)き」+回想の助動詞「き」の連体形「し」=「聞(き)きし」。「師」はシ音の音仮名(「し」の常用訓仮名とも)。
 5句・6句「三芳野之・真木立山湯」は「み芳野(よしの)の・真木(まき)立(た)つ山(やま)ゆ」と訓む。5句「三芳野之」は、直近では911番歌1句に同じ。「三」は「み(甲類)」を表わす常用の訓仮名で、「み」は美称。地名に美称の「み」を冠するのは、古代では「吉野」「熊野」「越」に限られ、いずれも、格別の異境と意識され、霊威の地と見なされていた。「吉野」の字が「芳野」になっているのは、吉野が美しいところである意を込めたものであろう。「之」は漢文の助字で、連体助詞「の」。「真木立」は45番歌11句・199番歌17句に既出。「真木」は、すぐれた木の意で、建築材料となる杉や檜などの総称。檜などの生い茂っている山のことを「真木立つ山」と言った。「湯」は「ゆ」の常用訓仮名で、ここは動作の起点を示す格助詞「ゆ」に用いたもの。
 7句・8句「見降者・川之瀬毎」は「見降(みおろ)せば・川(かは)の瀬(せ)毎(ごと)に」と訓む。「見降」は、サ行四段活用の他動詞「みおろす」の已然形「見降(みおろ)せ」。「みおろす」は、「上の位置から下の方を見る。俯瞰する。」ことをいう。「者」は漢文の助字で、係助詞「は」に用いられたことから、「は」の訓仮名としても使われるようになったが、ここはそれを接続助詞「ば」に流用したもの。ここの已然形+「ば」の形は、仮定条件を表わす一般的な語法で、「…すると」の意。「川(かは)」は、吉野川をさす。「之」は漢文の助字で、連体助詞「の」。「瀬(せ)」は「歩いて渡れる程度の浅い流れ。あさせ。また、急流。はやせ。」の意。「毎」は、接尾語「ごと」で、名詞や動詞の連体形などに付いて、連用修飾語となる。助詞「に」を伴うことも多く、ここもその例。その物、またはその動作をするたびに、そのいずれもが、の意を表わす。「…はみな。どの…も。…するたびに。」
 9句以降は、次回に続く。
ラベル:万葉集
posted by 河童老 at 14:13| Comment(0) | 小説/文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする