2017年09月19日

『万葉集』を訓(よ)む(その1200)

 今回は、894番歌の17句から30句までを訓む。
 まず、今回使われている万葉仮名について見ておこう。

 片仮名・平仮名の字源となった常用音仮名では、カ音の「加」・テ音の「天」・ナ音の「奈」・ヒ(甲類)音の「比」・ラ音の「良」・リ音の「利」・レ音の「礼」が使われている。片仮名の字源となった常用音仮名では、イ音の「伊」・タ音の「多」が使われている。その他の常用音仮名としては、ガ音の「我」・サ音の「佐」・シ音の「志」・セ音の「勢」・ツ音の「都」・テ音の「弖」・ト(乙類)音の「等」・ニ音の「尓」・ノ(乙類)音の「能」・マ音の「麻」が使われ、音仮名ではハ音の「播」が使われている。

 17句・18句「高光・日御朝庭」は「高(たか)光(ひか)る・日(ひ)の御朝庭(おほみかど)」と訓む。「高光」は、171・173・204・239番歌に既出で本歌を含め、『万葉集』に五例ある。「たかひかる」と訓み、空高く光り輝く太陽の意で、「日」にかかる枕詞。天皇および皇子への賞辞として日神信仰を背景に使用された言葉で当時の宮廷儀礼歌の常套句であり、『古事記』歌謡に五例を見る。なお、「高光」を「たかてらす」と訓む注釈書もあるが、「たかてらす」は、「たかひかる」という常套句から人麻呂が創出した枕詞とみられるので、「高光」は「たかひかる」、「高輝」「高照」は「たかてらす」と区別して訓むべきであろう。「日」は、皇室や皇族に関する事柄につけて、褒め称える気持ちを表す語で、日の神、すなわち、天照大神の子孫の意とも、光り輝く太陽にたとえた言葉ともいい、「日の御子」「日の御門」などと用いられる。「御朝庭」は、「みかど」と三音に訓む注釈書もあるが、「おほみかど」と五音に訓むのが良い。阿蘇『萬葉集全歌講義』は、18句の注として、「日の大朝廷(おほみかど) 原文『日御朝庭』。ここは『選びたまひ』の主語で、天皇の意に用いる。」と記している。 
 19句・20句「神奈我良・愛能盛尓」は「神(かむ)ながら・愛(め)での盛(さか)りに」と訓む。19句は、38番歌3句・39番歌3句・45番歌5句・50番歌11句の「神長柄」、167番歌29句・199番歌89句・204番歌7句の「神随」及び813番歌23句「可武奈何良」と表記は異なるが同句で、「神(かむ)ながら」と訓み、「神の本性そのままに。神でおありになるままに。」の意。「愛」は動詞「めでる」の連用形が名詞化した「愛(め)で」と訓む。「能」は連体助詞「の」。「盛」は動詞「さかる」の連用形が名詞化した「盛(さか)り」と訓む。「愛(め)での盛(さか)り」は、「寵愛(ちょうあい)される盛りにあること。功徳を賞愛されて、挙用される盛りにあること。」をいう。「尓」は原因を示す格助詞「に」で、「によって」の意。
 21句・22句「天下・奏多麻比志」は「天(あめ)の下(した)・奏(まを)したまひし」と訓む。「天下」(29・36・162・167・199番歌に既出)は、地上の世界全部を意味する漢語「天下(てんか)」を訳したもので「天(あめ)の下(した)」と訓み、「高天原の下にある、この国土」の意。「奏」はサ行四段活用の他動詞「まをす」の連用形で「奏(まを)し」と訓む。「まをす」は、上代語で、上代末ごろから「まうす」の形が現れ、それが後に「もうす」に変化していく。「言う」の謙譲語(言う対象を敬う)。「申しあげる。言上する。」の意であるが、ここでは、特に、「政務について奏上する」意味で用いられている。「多麻比」は、ハ行四段活用の他動詞「たまふ」の連用形「たまひ」を表す。「たまふ」は補助動詞で、動作の主を尊敬する意を示す。「志」は回想の助動詞「き」の連体形「し」を表す。なお、21句・22句の類似表現として、879番歌3句・4句の「阿米能志多・麻乎志多麻波祢(あめのした・まをしたまはね)」が挙げられる。
 23句・24句「家子等・撰多麻比天」は「家(いへ)の子(こ)と・撰(えら)びたまひて」と訓む。「家子」は、「家(いへ)の子(こ)」と訓み、「その家に生まれた子。」の意で、特に良家の子弟、高貴の子供の場合に用いられる。「等」は格助詞「と」。「撰」はバ行四段活用の他動詞「えらぶ」の連用形「撰(えら)び」と訓む。「えらぶ」は、「才覚ある者などを特に抜擢する。官職などに任ずる。」ことをいう。「多麻比」は、22句に同じ。「天」は接続助詞「て」。
 25句・26句「勅旨 [反云 大命]・戴持弖」は「勅旨(おほみこと) [反(かへ)して、大命(おほみこと)と云(い)ふ]・戴(いただ)き持(も)ちて」と訓む。「勅旨」は、「天皇の意思」を意味する漢語で「ちょくし」と訓むが、ここは下注に「反(かへ)して、大命(おほみこと)と云(い)ふ」とあるので、「おほみこと」と訓み、「天皇のお言葉」の意。「戴持」は、タ行四段活用の他動詞「いただきもつ」の連用形「戴(いただ)き持(も)ち」と訓む。「いただきもつ」は、「うやうやしく捧げ持つ。奉戴する。」ことをいう。「弖」は接続助詞「て」。
 27句・28句「唐能・遠境尓」は「唐(もろこし)の・遠(とほ)き境(さかひ)に」と訓む。「唐」は「もろこし」と訓み、中国「唐(とう)の国」を指す。「能」は20句に同じく、連体助詞「の」。「遠境」は、「遠い国ざかい。また、遠く離れた土地。遠国。」の意の漢語「えんきょう」を和語として用いたもので、「遠(とほ)き境(さかひ)」と訓む。「尓」は20句に既出だが、ここは場所を示す格助詞「に」。27句・28句について、阿蘇『萬葉集全歌講義』が詳しく注しているので、それを[参考]として後に引用しておくので参照されたい。
 29句・30句「都加播佐礼・麻加利伊麻勢」は「つかはされ・まかりいませ」と訓む。「都加播佐」は、サ行四段活用の他動詞「つかはす(遣はす)」の未然形「つかはさ」を表す。「つかはす」は「使いとして人をおやりになる。ご派遣になる。」ことをいう。「礼」は受身の助動詞「る」の連用形「れ」を表す。「麻加利」は、ラ行四段活用の自動詞「まかる(罷る)」の連用形「まかり」を表す。「まかる」は「官に任ぜられたりなどして地方に赴く。」ことをいう。「伊麻勢」は、サ行四段活用の自動詞「います」の已然形「いませ」を表す。「います」は、「いく(行)」「く(来)」の動作主を敬っていう尊敬語で、「いらっしゃる。おいでになる。」の意。
 31句以降は、次回に続く。

[参考]阿蘇『萬葉集全歌講義』の二七句・二八句の注。

唐の遠き境に 原文「唐」は、モロコシ。カラクニ。カラは、朝鮮半島および中国の古称。もと朝鮮半島の南西端にあった伽羅国を指したが、それが半島全体の総称に用いられ、さらに中国を指すに至ったという。対して、モロコシは、元来浙江省あたりから南安南あたりにかけての称「諸越」を訓読してできた語という。遣唐使の船が、浙江省付近に着いたことから唐の国土全体をさすようになった(時代別国語大辞典 上代編)。もろもろの海山を越えた遠い異国の意で、中国を、「もろこし」と呼び始めたと思われる、とする説もある(小学館古語大辞典語誌 原田芳起)。上代では、モロコシの仮名書き例はなく、可良久爾(5・八一三、15・三六二七)、可良国(15・三六八八)は、いずれも、新羅をさす。唐をさす例は、韓国(19・四二四〇、四二六二)。
ラベル:万葉集
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2017年09月15日

『万葉集』を訓(よ)む(その1199)

 今回は、894番歌の7句からを訓む。
 7句・8句「言霊能・佐吉播布國等」は「言霊(ことだま)の・さきはふ國(くに)と」と訓む。「言霊(ことだま)」は、「古代、ことばにやどると信じられた霊力。発せられたことばの内容どおりの状態を実現する力があると信じられていた。」ことをいう。「能」はノ(乙類)音の常用音仮名で、連体助詞「の」。「佐吉播布」は、ハ行四段活用の自動詞「さきはふ」(連体形)を表す。「さきはふ」は「幸運にあう。豊かに栄える。幸福になる。」の意。「佐」「布」は、サ音・フ音の常用音仮名で、「吉」「播」は、キ(甲類)音・ハ音の音仮名。「國(くに)」は「倭(やまと)の國(くに)」を指す。「等」はト(乙類)音の常用音仮名で、格助詞「と」。
 9句・10句「加多利継・伊比都賀比計理」は「かたり継(つ)ぎ・いひつがひけり」と訓む。9句は、317番歌の17句「語告」と表記は異なるが同句。「加多利」は、ラ行四段活用の他動詞「かたる」の連用形「かたり(語り)」を表す。「加」「多」「利」は、各々、カ音・タ音・リ音の常用音仮名で、「多」は片仮名の、「利」は片仮名・平仮名の、字源である。「継」はガ行四段活用の他動詞「つぐ」の連用形の「継(つ)ぎ」と訓む。「伊比都賀比」は、ガ行四段活用の他動詞「いひつぐ」+継続・反復の助動詞「ふ」の連用形「ひ」=「いひつがひ」を表す。「いひつぐ」は「言い伝える。語り続ける。語り伝える。」意で、「いひつがふ」は「次々に言い伝える。言い続ける。」ことをいう。「伊」「比」「都」「賀」は、各々、イ音・ヒ(甲類)音・ツ音・ガ音の常用音仮名で、「伊」は片仮名の、「比」は片仮名・平仮名の、字源である。「計理」は、回想の助動詞「けり」を表す。「計」「理」は、ケ(甲類)音・リ音の常用音仮名。
 11句・12句「今世能・人母許等期等」は「今(いま)の世(よ)の・人(ひと)もことごと」と訓む。「今世」は「今(いま)の世(よ)」と訓み、「この世。現世。」の意。「能」は7句に同じで、連体助詞「の」。「人」は「ひと」で、「社会的に存在する人間」をいう。「母」はモ音の常用音仮名で、係助詞「も」。「許等期等」は、副詞の「ことごと」で、「残らず。すっかり。」の意。「許」「等」「期」は、各々、コ(乙類)音・ト(乙類)音・ゴ(乙類)音の常用音仮名。
 13句・14句「目前尓・見在知在」は「目(め)の前(まえ)に・見(み)たり知(し)りたり」と訓む。「目前」は、漢語では「もくぜん」と訓むが、ここは和語として「目(め)の前(まえ)」と訓む。「見ている前。まのあたり。目前(もくぜん)。眼前(がんぜん)。」の意。「尓」はニ音の常用音仮名で、格助詞「に」。「見在」は、マ行上一段活用の他動詞「見(み)る」の連用形「見(み)」+完了の助動詞「たり」=「見(み)たり」。「知在」は、ラ行下二段活用の自動詞「知(し)る」の連用形「知(し)り」+完了の助動詞「たり」=「知(し)りたり」。完了の助動詞「たり」を「在」と表記していることは、「たり」の成立過程を示唆している。『岩波古語辞典』は次のように解説している。

 「たり」は上二段・下二段活用の動詞の連用形を承ける助詞「て」(完了の助動詞「つ」の連用形から転成)と、それに続く「あり」との音韻の融合によって生じた形である。(中略)
 「たり」は助詞「て」と「あり」との複合である。ところが、助詞「て」は、あらゆる動詞の連用形を承けることができる。従って「てあり」の約である「たり」は、上二段・下二段活用の動詞だけでなく、上一段・カ変・サ変などにも使用の道を広げるようになった。その勢いは、四段活用にまで及び、一句の音節数を調える必要もあったのであろうが、はやく奈良時代の万葉集にも「咲きたる」のように四段活用に「たり」のついた例も見える。

 15句・16句「人佐播尓・満弖播阿礼等母」は「人(ひと)さはに・満(み)ちてはあれども」と訓む。15句は、485番歌3句「人多」と表記は異なるが同句。「人(ひと)」は12句に同じで、「この世の人」。「さはに」は、「多いさま。たくさん。あまた。」の意を表す形容動詞「さはなり」の連用形。「佐」「播」は8句に「尓」は13句に既出。「満」はラ行四段活用の自動詞「満(み)つ」の連用形「満(み)ち」。「満(み)つ」は、「人がいっぱいになる。ある場所にあふれる。」ことをいう。「弖播」は、接続助詞「て」に係助詞「は」が付いた「ては」を表す。「弖」はテ音の常用音仮名。「播」は8句・15句に既出。「阿礼」は、ラ行変格活用の自動詞「あり」の已然形「あれ」を表す。「阿」「礼」は、ア音・レ音の常用音仮名で、「阿」は片仮名の、「礼」は片仮名・平仮名の、字源である。「等母」は、逆接の規定条件を示す接続助詞「ども」を表す。「等」は、8句・12句にト(乙類)音の常用音仮名として既出だが、ここ12句に既出。
 17句以降は、次回に続く。
ラベル:万葉集
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2017年09月12日

『万葉集』を訓(よ)む(その1198)

 今回から数回をかけて、894番歌を訓む。題詞に「好去好来歌一首[反歌二首]」とあって、本歌は、山上憶良作の六十三句からなる長歌で、反歌二首(895・896番歌)を伴い、896番歌の左注から、天平五年の第九次遣唐の大使多治比真人広成に献じた壮行歌であることがわかる。
 写本の異同は、26句一字目<戴>、38句四字・五字目<遠志>、52句三字目<打>、55句二字目<遅> にある。26句一字目は、『西本願寺本』他諸本に「載」とあるが、『萬葉代匠記』に「戴」としたのを採る。38句四字・五字目は、『西本願寺本』他諸本に「志遠」とあるが、『細井本』に「遠志」とあるのを採る。52句三字目は、『西本願寺本』に「行」としているが、朱にてこれを消し、左に「打」と書いており、『紀州本』『細井本』に「打」とあるので、これを採る。55句二字目は、『西本願寺本』他に「庭」とあるが、『紀州本』『細井本』に「遅」とあるのを採る。なお、25句・37句の下に、各々「[反云 大命] 、[反云 布奈能閇尓] とある「反云」は、漢字の字音を示す反切の法にまねて、国語の訓みを示す意に用いたもので、「反して〜と云ふ」と訓む。原文は次の通り。

 神代欲理 云傳久良久 虚見通 倭國者
 皇神能 伊都久志吉國 言霊能 佐吉播布國等
 加多利継 伊比都賀比計理 今世能 人母許等期等
 目前尓 見在知在 人佐播尓 満弖播阿礼等母
 高光 日御朝庭 神奈我良 愛能盛尓
 天下 奏多麻比志 家子等 撰多麻比天
 勅旨 [反云 大命] <戴>持弖 唐能 遠境尓
 都加播佐礼 麻加利伊麻勢 宇奈原能 邊尓母奥尓母
 神豆麻利 宇志播吉伊麻須 諸能 大御神等 
 船舳尓 [反云 布奈能閇尓] 道引麻<遠志> 天地能 大御神等
 倭 大國霊 久堅能 阿麻能見虚喩
 阿麻賀氣利 見渡多麻比 事畢 還日者
 又更 大御神等 船舳尓 御手<打>掛弖
 墨縄遠 播倍多留期等久 阿<遅>可遠志 智可能岫欲利
 大伴 御津濱備尓 多太泊尓 美船播将泊
 都々美無久 佐伎久伊麻志弖
 速歸坐勢

 1句・2句「神代欲理・云傳久良久」は「神代(かみよ)より・云(い)ひ傳(つ)てくらく」と訓む。1句は、13番歌5句・382番歌9句・485番歌1句の「神代従」と「より」の表記は異なるが同句。「神代(かみよ)」とは、神が統治し、活動していたという、人の世に先立つ時代のことで、記紀の神話では、天地開闢(かいびゃく)から神武天皇以前、草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)までの神々の時代をいう。「より」は、時間・場所の起点を表わす格助詞で、既出例ではその表記に漢文の助字「従」を用いていたが、ここでは、仮名表記としている。「欲」はヨ(甲類)音の常用音仮名、「理」はリ音の常用音仮名。「云」はハ行四段活用の他動詞「いふ」の連用形「云(い)ひ」。「傳」はタ行下二段活用の他動詞「つつ」の連用形「傳(つ)て」。「つつ」は「伝える」の意で、「つたふ」の原型。「久」「良」は、ク音・ラ音の常用音仮名で、共に片仮名・平仮名の字源。「久良久」は、カ行変格活用の自動詞「く(来)」のク語法で、「くらく(来らく)」。「云(い)ひ傳(つ)てくらく(来らく)」は、「言い伝えて来ていることは」の意。
 3句・4句「虚見通・倭國者」は「そらみつ・倭(やまと)の國(くに)は 」と訓む。3句・4句は、1番歌の9句・10句の「虚見津・山跡乃國者」と表記は異なるが同句。「虚」は、「虚空」・「空虚」という二字熟語からもわかるように、「空」に同じで「そら」の表記に充てたもの。「見」は「み(甲類)」 の訓仮名、「通」はツ音の音仮名。「そらみつ」は、国名「大和(やまと)」にかかる枕詞であるが、語義、かかり方は未詳。『日本国語大辞典』は、『日本書紀』の神武三一年四月(北野本訓)「饒速日命、天磐船に乗りて、大虚(おほそら)を翔行(めくり)て、是郷(くに)を睨(おせ)るに降(あまくた)りたまふ。故、因りて目(なつ)けて、虚空見(ソラミツ)日本国(やまとのくに)と曰ふ」の例を挙げて、「語誌」欄で、次のように述べている。
 
 挙例の「書紀」は、饒速日命が空から見た大和であるからとする解釈であり、「万葉集」諸本の「空見津」「虚見通」などの用字もそれによっていると思われるが、当時の民間語源説と考えられる。

「倭國(わこく)」は、漢代以降、中国から日本を呼ぶ称であるが、ここでは「倭(やまと)の國(くに)」と訓む。日本国の異称。「者」は漢文の助字で、係助詞「は」に用いたもの。
 5句・6句「皇神能・伊都久志吉國」は「皇神(すめかみ)の・いつくしき國(くに)」と訓む。「皇神」は「すめかみ」と訓み、「一定の区域を支配する神。各地に鎮座している神々。」を云う場合と「皇室の祖先に当たる神。」を云う場合がある。阿蘇『萬葉集全歌講義』は「皇神」について、次のように注している。
  
 皇神 @一定の地域を支配する神(13・三二三六、17・四〇〇〇)。A皇祖の神(1・七七)。「すめ」は、天皇や神などに関する名詞に冠して賛美する意をあらわす。「統ぶ」と同源とする通説(統ぶの連用形スベのベー乙 すめ神のメー甲と仮名遣いの甲乙が異なる点に問題がある)のほか、「澄む」と関係づけて、清澄・神聖な性格をあらわしたものとする西郷信綱説もある。

「能」はノ(乙類)音の常用音仮名で、連体助詞「の」。「伊」「都」「久」「志」は、各々、イ音・ツ音・ク音・シ音の常用音仮名で、「久」は2句にも既出で、そこでも述べたように片仮名・平仮名の字源。「吉」はキ(甲類)音の音仮名。「伊都久志吉」で以って、シク活用形容詞「いつくし」の連体形「いつくしき」を表す。「いつくし」は「霊妙である。威力に満ちている。荘厳である。」ことを言う。「いつくしき國(くに)」は、4句の「倭(やまと)の國(くに)」が「神威の盛んな国」であると説明したもの。
 7句以降は、次回に続く。
ラベル:万葉集
posted by 河童老 at 21:34| Comment(0) | 小説/文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする