2018年01月29日

『万葉集』を訓(よ)む(その1236)

 今回は、912番歌を訓む。910番歌と同じく、907番歌(以下、「長歌」という。)の反歌二首目の909番歌の異伝である。
 写本に異同はなく、原文は次の通り。

  泊瀬女 造木綿花 
  三吉野 瀧乃水沫
  開来受屋

 1句「泊瀬女」は「泊瀬女(はつせめ)の」と訓む。「泊瀬(はつせ)」は、「北の三輪(みわ)山、南の忍坂(おつさか)、朝倉(あさくら)の山々の間を流れる初瀬川流域の谷あいの地。」(吉井『萬葉集全注』より)をいう。「泊瀬女(はつせめ)」は、「泊瀬地方の女」の意。同様の表現として、「河内女(かふちめ)」(1316番歌)、「大和女(やまとめ)」(3457番歌)がある。「泊瀬女」の下に「の」の表記はないが、格助詞「の」を補読する。
 2句「造木綿花」は「造(つく)る木綿花(ゆふはな)」と訓む。「造」はラ行四段活用の他動詞「つくる」の連体形「造(つく)る」。「新しくものをこしらえる。製造する。製作する。組み立てる。」ことをいう。「木綿花(ゆふはな)」は、909番歌2句の「白木綿花」と同じで、「楮の皮の繊維を蒸して水にさらし白くして糸状に細く裂いたのを花と称したもの。」をいう。
 3句「三吉野」は「み吉野(よしの)の」と訓む。この句は、「の」の表記はないが、910番歌3句の「三吉野乃」と同句とみて、連体助詞「の」を補読する。「三」は「み(甲類)」を表わす常用の訓仮名で、「み」は美称。地名に美称の「み」を冠するのは、古代では「吉野」「熊野」「越」に限られ、いずれも、格別の異境と意識され、霊威の地と見なされていた。「吉野」は、吉野山地を占める吉野郡一帯の地域の総称で、古くから大和朝廷の聖地とされた。
 4句「瀧乃水沫」は「瀧(たき)の水沫(みなわ)に」と訓む。「瀧(たき)」は、「急な斜面を激しい勢いで下っている水の流れ。急流。奔流。激湍。早瀬。」の意で、ここは910番歌と同じく、吉野川の激流をさす。「乃」はノ(乙類)音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)で、連体助詞「の」。「水沫(みなわ)」は、「みなあわ(水泡)」が約まった語で、902番歌に既出で、そこでは「この世など儚いものの例え」に用いられていたが、ここは文字通り「水の泡」の意で用いている。下に格助詞「に」を訓み添える。
 5句「開来受屋」は「開(さ)[咲]きにけらずや」と訓む。「開」は、カ行四段活用動詞「さく」の連用形「開(さ)き」+完了の助動詞「ぬ」の連用形「に」(無表記だが補読=「開(さ)きに」と訓む。「開」を「さく」と訓む例は、399番歌他に既出。「さく」は「花のつぼみがひらく」ことをいうので「ひらく」の「開」の字があてられたもの。「来受屋」は、過去の助動詞「けり」の未然形「けら」(「来」で表記)+打消しの助動詞「ず」(常用音仮名「受」で表記)+疑問の助詞「や」(凖常用訓仮名「屋」で表記)=「けらずや」。この句について、『日本古典文学大系』の頭注に「○咲きにけらずやー見れば咲いているではないか。ケリは、ハッと気付いた気持を表わす助動詞。」とある。なお、『岩波古語辞典』の基本助動詞解説に、助動詞「けり」の〔語源〕について次のようにある。

「来有り」の転であるという説がおそらく正しいであろう。「事態の成り行きがここまで来ている」と今の時点で認識するという意味が「けり」の基本であり、また「来(き)」と「あり」との複合の音変化 kiari→keri も極めて無理なく説明できるからである。

以上の〔語源〕説から、過去の助動詞「けり」の未然形「けら」の表記に「来」を用いている事がうなづける。 
912番歌の漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。

  泊瀬女(はつせめ)の 造(つく)る木綿花(ゆふはな)
  み吉野(よしの)の 瀧(たき)の水沫(みなわ)に
  開(さ)きにけらずや

  泊瀬女が 作る白い木綿花
  み吉野の 激流の水の泡となって
  咲いているではないか
ラベル:万葉集
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2018年01月25日

『万葉集』を訓(よ)む(その1235)

 今回は、911番歌を訓む。前歌の題詞「或本反歌曰」が本歌にもかかっており、本歌は、907番歌(以下、「長歌」という。)の反歌一首目の908番歌の異伝である。
 写本に異同はなく、原文は次の通り。

  三芳野之 秋津乃川之
  万世尓 断事無
  又還将見

 1句「三芳野之」は「み芳野(よしの)の」と訓む。この句は、「長歌」の9句と同句。「三」は「み(甲類)」を表わす常用の訓仮名で、「み」は美称。地名に美称の「み」を冠するのは、古代では「吉野」「熊野」「越」に限られ、いずれも、格別の異境と意識され、霊威の地と見なされていた。「吉野」の字が「芳野」になっているが、当時は、同じ地名や人名の表記に違う字をあてることは良く見られる。「芳」は形声文字で声符は方(ほう)。『説文解字』に「香草なり」とあり、花の芬香あるものをいう。吉野が美しいところである意を込めたものと思う。「吉野」は、吉野山地を占める吉野郡一帯の地域の総称で、古くから大和朝廷の聖地とされた。「之」は漢文の助字で、連体助詞「の」。
 2句「秋津乃川之」は「秋津(あきづ)の川(かは)の」と訓む。「秋津(あきづ)」(36番歌12句に既出)は、奈良県吉野郡吉野町宮滝付近から対岸の同町御園にかけての地をいう。「長歌」の10句の「蜻蛉(あきづ)の宮(みや)」は「秋津の宮」に同じで、「吉野離宮」のこと。「乃」はノ(乙類)音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)で、連体助詞「の」。「秋津(あきづ)の川(かは)」は「吉野川」のことをいう。「之」は1句に既出の漢文の助字で、ここは格助詞「の」。
 3句「万世尓」は「万世(よろづよ)に」と訓む。この句は「長歌」7句「萬代」と表記は異なるが同句。「万世(よろづよ)」は「萬(万)代」とも書き、「限りなく長く続く世(代)」の意で、御代が永久に続くことを祝っていう語。「尓」はニ音の常用音仮名で、格助詞「に」。
 4句「断事無」は「断(た)ゆる事(こと)無(な)く」と訓む。この句は、人麻呂の「吉野讃歌」の長歌(36番歌)の22句「絶事奈久」および反歌(37番歌)の4句「絶事無久」と表記は異なるが同句で、人麻呂が創造した表現。「断(た)ゆる」は、下二段動詞「たゆ」の連体形。「たゆ」は「続いているもの(糸)が途中で切れる」ことを意味する。「事(こと)」は、用言の連体形を受けて、これを名詞化し、その語句の表わす行為や事態や具体的な内容などを体言化する形式名詞。「無(な)く」はク活用形容詞「なし」の連用形。
 5句「又還将見」は「又(また)還(かへ)り見(み)む」と訓む。この句も、人麻呂の「吉野讃歌」の反歌(37番歌)の5句「復還見牟」と表記は異なるが同句。「又」「復」はともに、同じ行為、状態がもう一度出現するさまを表わす副詞「また」で、「再び。もう一度。」の意。「還」はラ行四段活用の自動詞「かへる」の連用形「還(かへ)り」。「かへる」は「事物や事柄が、もとの場所、状態などにもどる。」ことをいう。「将見」(709番歌他に既出)は、マ行上一段活用の他動詞「みる」の未然形「見(み)」+意思・意向の助動詞「む」(漢文の助字「将」で表記)で、「見(み)む」。
 911番歌の漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。

  み芳野(よしの)の 秋津(あきづ)の川(かは)の
  万世(よろづよ)に 断(た)ゆる事(こと)無(な)く
  又(また)還(かへ)り見(み)む

  み吉野の 秋津の川が 
  いついつまでも 絶えないように
  絶えずにまた見に来よう
ラベル:万葉集
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2018年01月23日

『万葉集』を訓(よ)む(その1234)

 今回は、910番歌を訓む。題詞に「或本反歌曰」とあり、907番歌(以下、「長歌」という。)の反歌二首目の909番歌(以下、「前歌」という。)の異伝である。
 写本の異同としては、3句二字目<乃>が『西本願寺本』以下の諸本で欠落していることが挙げられる。『元暦校本』『金沢本』『類聚古集』に「乃」とあるのを採る。原文は次の通り。

  神柄加 見欲賀藍
  三吉野乃 瀧<乃>河内者 
  雖見不飽鴨

 1句「神柄加」は「神柄(かむから)か」と訓む。この句は、「長歌」11句の「神柄香」と「か」の表記が異なるだけで同句。「神柄(かむから)」は「神が本来備えている性質」の意。「加」はカ音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)で、疑問の係助詞「か」。
 2句「見欲賀藍」は「見(み)が欲(ほ)しからむ」と訓む。この句は、「長歌」14句の「見欲将有」と表記は異なるが同句。「見」は、動詞「みる」の連用形の名詞化した「見(み)」に格助詞「が」を補読して「見(み)が」と訓む。「欲賀藍」は、シク活用形容詞「ほし」の連用形「欲(ほ)しく」+ラ行変格活用の自動詞「あり」の未然形「あら」+推量の助動詞「む」=「欲(ほ)しくあらむ」を約めた「欲(ほ)しからむ」と訓む。「か」の表記にカ音の凖常用音仮名の「賀」を用い、「らむ」の表記に二合仮名の「藍」を用いたもの。
 3句「三吉野乃」は「み吉野(よしの)の」と訓む。この句は、反歌一首目の908番歌の3句と同句。「三」は「み(甲類)」を表わす常用の訓仮名で、「み」は美称。地名に美称の「み」を冠するのは、古代では「吉野」「熊野」「越」に限られ、いずれも、格別の異境と意識され、霊威の地と見なされていた。「吉野」は、吉野山地を占める吉野郡一帯の地域の総称で、古くから大和朝廷の聖地とされた。「乃」はノ(乙類)音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)で、連体助詞「の」。
 4句「瀧乃河内者」は「瀧(たき)の河内(かふち)は」と訓む。この句は「前歌」の4句「瀧之河内者」と「の」の表記が異なるだけで同句。「瀧(たき)」は「長歌」1句に既出で、「急な斜面を激しい勢いで下っている水の流れ。急流。奔流。激湍。早瀬。」の意。ここは吉野川の激流をさす。「乃」は3句に同じで、連体助詞「の」。「河内(かふち)」は、「河につつまれているところ、河の行き巡っているところ」の意。吉野の離宮跡と思われる宮瀧は吉野川が三方を包むよう流れていて、「河内」と呼ぶにふさわしい地形である。「者」は漢文の助字で、係助詞「は」。
 5句「雖見不飽鴨」は「見(み)れど飽(あ)かぬかも」と訓む。この句は、307番歌5句と同句で、また「前歌」の5句「雖見不飽香聞」とも「かも」の表記が異なるだけで同句。「雖見」は、マ行上一段活用の他動詞「みる」の已然形「見(み)れ」+逆接の恒常条件を表わす接続助詞「ど」(漢文の助字「雖」で表記)で「見れど」と訓む。「不飽」は、カ行四段活用の自動詞「あく」の未然形「飽(あ)か」+打消しの助動詞「ず」の連体形「ぬ」(「不」で表記)で「飽(あ)かぬ」と訓む。「鴨」は借訓字で、詠嘆を表わす終助詞「かも」。
 910番歌の漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。

  神柄(かむから)か  見(み)が欲(ほ)しからむ
  み吉野(よしの)の 瀧(たき)の河内(かふち)は
  見(み)れど飽(あ)かぬかも

  神そのものであるために 見たく思われるのだろうか
  み吉野の 川の激流は
  いくら見ても見飽きないなあ
ラベル:万葉集
posted by 河童老 at 12:57| Comment(0) | 小説/文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする