2018年05月10日

『万葉集』を訓(よ)む(その1269)

 今回は、936番歌を訓む。題詞に「反歌二首」とあり、本歌と次の937番歌の二首は、935番歌(以下、「長歌」という)の反歌である。
 写本に異同はなく、原文は次の通り。

  玉藻苅 海未通女等
  見尓将去 船梶毛欲得
  浪高友

 1句「玉藻苅」は「玉藻(たまも)苅(か)る」と訓む。この句は、「長歌」6句の「玉藻(たまも)苅(か)りつつ」と詠んだのを承けたもの。「玉藻(たまも)」は「美しい藻」の意で、「たま」は美称。「苅」はラ行四段活用の他動詞「かる」の連体形で「苅(か)る」。「かる」は「むらがって生えているものを短く切り払う」ことをいう。
 2句「海未通女等」は「海(あま)末通女(をとめ)等(ども)」と訓む。「海未通女」は「長歌」の9句に既出。「海」は、「海人」・「海部」などと書くところを略したもので、この一字で「あま」と訓む。「未通女」は、「をとめ」と訓み「若々しく生命力の盛んな女」の意で、もとは成年に達した未婚の女をさしたが、のちには、一〇歳くらいから成人前の未婚の女性を広くさすようになった。「海(あま)末通女(をとめ)」は「海で働く少女。年若いあま。」をいう。ここの「等」は、「ども」と訓み、名詞・代名詞に付いて、そのものを含めて、同類の物事が数多くあることを示す。ただ必ずしも多数とは限らず、同類のものの一、二をさしてもいう。
 3句「見尓将去」は「見(み)に去(ゆ)[行]かむ」と訓む。この句は、「長歌」の11句と同句。「見」はマ行上一段活用の他動詞「みる」の連用形「見(み)」の名詞化したもの。「尓」はニ音の常用音仮名で、目的を示す格助詞「に」。「将去」(536番歌他に既出)は、カ行四段活用の自動詞「ゆく」の未然形「去(ゆ)[行]か」+意志・意向の助動詞「む」(連体形。漢文の助字「将」で表記。)=「去(ゆ)[行] かむ」。澤潟『萬葉集注釋』に「『見にゆかむ』で切って、三句切れと見る説があるが、佐佐木氏が『連體形とするがよい』と云はれてゐるのが當つてゐよう。長歌でも『見にゆかむ』は連體形である。」とある。
 4句「船梶毛欲得」は「船(ふね)梶(かぢ)もがも」と訓む。「船梶」は、「長歌」の19句に既出で、「船(ふね)」と「梶(かぢ)」。「毛欲得」(478番歌他に既出)は、上代特有の願望の終助詞「もがも」を表わしたもの。「毛」はモ音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)、「欲得」は、306番歌の「花尓欲得(はなにもが)」の場合には「もが」と訓んだが、ここは、952番歌の「好人欲得(よきひともがも)」と同じく「がも」に宛てたもの。
 5句「浪高友」は「浪(なみ)高(たか)くとも」と訓む。「浪(なみ)」(359番歌他に既出)は「風や震動などによって水の表面に起こる起伏運動。水面のうねり。」をいう。「波浪」という同義の二字熟語があるように、「なみ」の漢字表記には、「波」と「浪」がある。現在では「波」が使われることが多いが、『万葉集』では「浪」の方が多い。「高」はク活用形容詞「たかし」の連用形で、「高(たか)く」。「たかし」は「空間的に上の方にあったり、上の方まで広がってあったりするさま。」をいう。「友」は借訓字で、仮定条件を示す接続助詞「とも」。この「とも」について、吉井『萬葉集全注』は「このトモは純粋な仮定を表現するものでなく、既に波の高いのを見ていながらそれを仮定のように表現する語法」だとしている。
 936番歌の漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。

  玉藻(たまも)苅(か)る 海(あま)末通女(をとめ)等(ども)
  見(み)に去(ゆ)[行]かむ 船(ふね)梶(かぢ)もがも 
  浪(なみ)高(たか)くとも

  玉藻を苅る 海人の娘子らに
  逢いに行く 船も梶も欲しい
  たとえ波が高かろうとも
ラベル:万葉集
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2018年05月08日

『万葉集』を訓(よ)む(その1268)

 今回は、935番歌の9句からを訓む。
 9句・10句「海末通女・有跡者雖聞」は「海(あま)末通女(をとめ)・有(あ)りとは聞(き)けど」と訓む。9句は、同じ金村の作である366番歌11句・930番歌1句と同句。「海」は、「海人」(238番歌)・「海部」(256番歌の異伝)などと書くところを略したもので、この一字で「あま」と訓む。「未通女」は、「をとめ」と訓み「若々しく生命力の盛んな女」の意で、もとは成年に達した未婚の女をさしたが、のちには、一〇歳くらいから成人前の未婚の女性を広くさすようになった。「海(あま)末通女(をとめ)」は「海で働く少女。年若いあま。」をいう。「有」はラ行変格活用の自動詞「あり」の終止形「有(あ)り」。「跡」は「と(乙類)」の常用訓仮名、「者」は「は」の訓仮名。「とは」は、格助詞「と」に、係助詞「は」が付いたもので、説明・思考・知覚などの対象やその内容を取り立てていうのに用いる。「雖聞」は、カ行四段活用の他動詞「きく」の已然形「聞(き)け」+逆接の既定条件を示す接続助詞「ど」(漢文の助字「雖」で表記)=「聞(き)けど」。
 11句・12句「見尓将去・餘四能無者」は「見(み)に去(ゆ)[行]かむ・よしの無(な)ければ」と訓む。「見」はマ行上一段活用の他動詞「みる」の連用形「見(み)」の名詞化したもの。「尓」はニ音の常用音仮名で、目的を示す格助詞「に」。「将去」(536番歌他に既出)は、カ行四段活用の自動詞「ゆく」の未然形「去(ゆ)[行]か」+意志・意向の助動詞「む」(連体形。漢文の助字「将」で表記。)=「去(ゆ)[行] かむ」。12句は、546番歌8句の「縁乃無者」と表記は異なるが同句。「餘」はヨ(乙類)音の、「四」はシ音の音仮名。「餘四」で以って、「かかわりを持つための方法。手段。てだて。すべ。」の意の「よし」を表す。「能」はノ(乙類)音の常用音仮名で、格助詞「の」。「無者」は、ク活用形容詞「なし」の已然形「無(な)けれ」+順接の確定条件を表す接続助詞「ば」(「者」で表記)=「無(な)ければ」。
 13句・14句「大夫之・情者梨荷」は「大夫(ますらを)の・情(こころ)はなしに」と訓む。13句は、646番歌1句他と同句。「大夫(ますらを)」は、「益荒男」とも書き、「立派な男子。強く勇ましい男子。」を意味するが、宮廷人であることを誇る意識を背景に使われることが多かったことから、官位の呼称である「大夫」が用いられるようになったもの。「之」は漢文の助字で、連体助詞「の」。14句は、898番歌2句の「心波奈之尓」と表記は異なるが同句。「情(こころ)」(789番歌他に既出)は、「人間の理知的、情意的な精神機能をつかさどる器官、また、その働き。」をいう。「者」は漢文の助字で、係助詞「は」。「梨荷」は、ク活用形容詞「なし」(借訓字「梨」で表記)+接続助詞「に」(訓仮名「荷」で表記)=「なしに」を表し、「無くて。無いのに。」の意。
 15句・16句「手弱女乃・念多和美手」は「手弱女(たわやめ)の・念(おも)ひたわみて」と訓む。15句は、379番歌15句「手弱女之」と連体助詞「の」の表記が異なるだけで同句。「手弱女」は「たわやめ」と訓み、「撓(たわ)や女(め)」すなわち「なよなよとした女。たおやかな女。たおやめ。」の意。「や」は間投助詞。「手弱」は宛字的用法。「乃」は、ノ(乙類)音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)で、連体助詞「の」。「念」はハ行四段活用の他動詞「おもふ」の連用形「念(おも)ひ」。「多」「和」「美」は、各々、タ音・ワ音・ミ(甲類)音の常用音仮名で、「多」は片仮名の、「和」は片仮名・平仮名の、「美」は平仮名の字源である。「多和美」は、マ行四段活用の自動詞「たわむ」の連用形「たわみ」を表す。「たわむ」は、「心が一途でなくなる。心がゆるむ。心弱くなる。」ことをいう。次の「手」は「て」の常用訓仮名で、接続助詞「て」に用いたもの。
 17句・18句「俳徊・吾者衣戀流」は「俳徊(たもとほ)り・吾(われ)はそ戀(こ)ふる」と訓む。17句は、460番歌の45句と同句。「俳徊」は、漢語では「はいかい」と訓み、「行ったり来たりすること。どこともなく歩きまわること。うろうろと歩きまわること。うろつくこと。」をいうが、ここは同じ意を表す和語「たもとほる」(ラ行四段活用の自動詞)にあてたもので、その連用形「俳徊(たもとほ)り」と訓む。458番歌に「多毛登保里」という仮名書き例があった。「吾(われ)」は自称で、作者の笠金村をさす。「者」は漢文の助字で、係助詞「は」。「衣」は「そ(乙類)」の常用訓仮名で、係助詞「そ」。「戀流」(682番歌他に既出)は、ハ行上二段活用の他動詞「こふ」の連体形で「戀(こ)ふる」。活用語尾「る」をル音の常用音仮名(片仮名の字源)の「流」で表記して連体形であることを明示したもの。
 19句「船梶雄名三」は「船(ふね)梶(かぢ)をなみ」と訓む。「船梶」は、「ふなかぢ」という一語ではなく、「船(ふね)」と「梶(かぢ)」。旧訓にフナカヂとあったが、契沖が、『萬葉代匠記』初稿本で「フネカチトヨムベシ舟ト梶トナリ フナカチトイヘバフネノカチニテカチハカリノコトナリ」として改めた。「雄」は「を」の訓仮名で、格助詞「を」。「名」は「な」の常用訓仮名で、ク活用形容詞「なし」の語幹の「な」。「三」は「み(甲類)」の常用訓仮名で、接続助詞「み」。「をなみ」は、いわゆるミ語法で、「船(ふね)梶(かぢ)をなみ」は、「船も梶も無くて」の意。
 935番歌の漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。

  名寸隅(なきすみ)の 船瀬(ふなせ)ゆ見(み)ゆる
  淡路嶋(あはぢしま) 松帆(まつほ)の浦(うら)に
  朝(あさ)なぎ[凪]に 玉藻(たまも)苅(か)りつつ
  暮(ゆふ)なぎ[凪]に 藻塩(もしほ)焼(や)きつつ
  海(あま)末通女(をとめ) 有(あ)りとは聞(き)けど
  見(み)に去(ゆ)[行]かむ よしの無(な)ければ
  大夫(ますらを)の 情(こころ)はなしに
  手弱女(たわやめ)の 念(おも)ひたわみて
  た俳徊(もとほ)り 吾(われ)はそ戀(こ)ふる
  船(ふね)梶(かぢ)をなみ

  名寸隅の 船瀬から見える
  淡路島の 松帆の浦に
  朝凪に 玉藻を刈りつつ
  夕凪に 藻塩焼きつつ
  海人の娘子らが いるとは聞くが
  それを見に行く 手だても無いので
  ますらおの 雄々しい心はなく
  たわや女のように 思いしおれて
  行きつ戻りつ 私は恋しく思っている
  船も梶もないので
ラベル:万葉集
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2018年05月04日

『万葉集』を訓(よ)む(その1267)

 今回は、935番歌を訓む。題詞に「三年丙寅秋九月十五日幸於播磨國印南野時笠朝臣金村作歌一首[并短歌]」とあって、本歌は、神亀三年の聖武天皇の印南野行幸の際に笠朝臣金村が作った、十九句からなる長歌であり、後ろに反歌二首(936・937番歌)を伴う。題詞の日付について、阿蘇『萬葉集全歌講義』は「三年九月十五日 続日本紀によれば、神亀三年十月七日に、播磨国に行幸、十九日に、難波宮に行き、二十九日に還幸したとあり、本歌の題詞と合わない。」と述べている。この題詞との不整合について、吉井『萬葉集全注』は、「この題詞形式の根本は金村歌集、または金村の形式に従っているが、大伴家持の手が加えられている」として、「金村の公的作歌の題詞は精しい年時記述をもつが、日数は記述しない。」ことを指摘し、「日数の記述も後に加えられたのであろう。この印南野行幸は、続紀によれば、九月二十七日に装束司、造頓宮司の任命があり、十月七日出発、十日印南野邑美頓宮到着、十九日に難波宮に帰られている。行幸期日の相違も、題詞に手を加えた段階で生じた可能性があり、金村は先発組に入っており、はじめは九月とのみ記述されていたのかもしれない。」と述べている。
 写本の異同としては、4句二字目<帆>の偏を『西本願寺本』が木偏としていることが挙げられるが、これは明らかに間違いだと思われ、古写本に「帆」とあるのを採る。原文は次の通り。

  名寸隅乃 船瀬従所見
  淡路嶋 松<帆>乃浦尓
  朝名藝尓 玉藻苅管 
  暮菜寸二 藻塩焼乍 
  海末通女 有跡者雖聞 
  見尓将去 餘四能無者 
  大夫之 情者梨荷 
  手弱女乃 念多和美手
  俳徊 吾者衣戀流 
  船梶雄名三

 1句・2句「名寸隅乃・船瀬従所見」は「名寸隅(なきすみ)の・船瀬(ふなせ)ゆ見(み)ゆる」と訓む。「名寸隅」は地名で、「兵庫県明石市魚住町の付近という.淡路島を見渡せる船泊りの地.」(『新日本古典文学大系』地名一覧)をいう。「名」「寸」は、「な」「き(甲類)」の常用訓仮名。井上通泰『萬葉集新考』に「今ウヲズミと唱ふれど、もと魚來住(ナキスミ)など書きしを地名は二字に書くべき制によりて來を省きて魚住と書き初はなほナキスミとよみしを漸く字に從ひてウヲズミといふことゝなれるにこそ」とある。「乃」は、ノ(乙類)音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)で、連体助詞「の」。「船瀬(ふなせ)」は、「船舶が、風や波を避けるためにとまる所。船の碇泊所。船どまり。」をいう。阿蘇『萬葉集全歌講義』は「『名寸隅の船瀬』は、明石から加古川河口付近にかけて、海蝕崖(潮流または波浪などによって海岸線が後退してできた崖)や砂浜続きで適当な船がかりがなかったから、聖武天皇の頃に僧行基によって、この地に、船の停泊所が作られたという。」と注している。「従」は漢文の助字で、「より。… から。」の意があり、時間・場所の起点を表わす格助詞「ゆ」に用いたもの。「所見」は、マ行上一段活用の他動詞「みる」の未然形「見(み)」+受身・可能・自発の助動詞「ゆ」の連体形「ゆる」(漢文の助字「所」で表記)で「見(み)ゆる」。
 3句・4句「淡路嶋・松帆乃浦尓」は「淡路嶋(あはぢしま)・松帆(まつほ)の浦(うら)に」と訓む。3句は、388番歌3句と同句。「淡路嶋(あはぢしま)」(「嶋」は「島」に同じ)は、「兵庫県南部、大阪湾と播磨灘の間にある瀬戸内海最大の島。面積は約五九三平方キロメートル。中心地は州本市。大鳴門橋で四国と、明石海峡大橋で本州と結ばれている。」(『日本国語大辞典』)。『日本大百科全書』の「淡路島」の歴史の項には「『古事記』や『日本書紀』は、いずれも淡路島を日本で最初に生まれた島として記述するが、このことは淡路の海人(あま)族が早くから畿内(きない)の朝廷に属していたことを物語っている。淡路とは阿波(あわ)国に渡る道筋の島であり、阿波道(あはぢ)の意からきている。」とある。「松帆乃浦」の「乃」は1句に同じで、連体助詞「の」。「松帆(まつほ)の浦(うら)」は、兵庫県淡路市松帆で、淡路島の北端にあたり、藤原定家の「来ぬ人を松帆の浦の夕凪に焼くや藻塩の身も漕がれつつ」の歌でよく知られている歌枕である。「尓」はニ音の常用音仮名で、場所を示す格助詞「に」。
 5句・6句「朝名藝尓・玉藻苅管」は「朝(あさ)なぎ[凪]に・玉藻(たまも)苅(か)りつつ」と訓む。5句は、509番歌29句・931番歌5句の「朝名寸二」と表記は異なるが同句。「朝名藝」は「朝(あさ)なぎ[凪]」。「名」は「な」の常用訓仮名、「藝」はギ(甲類)音の常用音仮名。「朝凪」は「朝、陸風と海風が吹き変わる時の現象で、海辺の風が一時止まること。」をいう。「尓」は4句に既出で、ここは時間を指定する格助詞「に」。6句は、917番歌12句と同句。「玉藻(たまも)」は「美しい藻」の意で、「たま」は美称。「苅」はラ行四段活用の他動詞「かる」の連用形で「苅(か)り」。「かる」は「むらがって生えているものを短く切り払う」ことをいう。「管」は、活用語の連用形に付いて動作の並行・継続を表わす接続助詞「つつ」に宛てた借訓字。
 7句・8句「暮菜寸二・藻塩焼乍」は「暮(ゆふ)なぎ[凪]に・藻塩(もしほ)焼(や)きつつ」と訓む。7句は、509番歌31句「暮名寸二」および931番歌7句「夕菜寸二」と表記は異なるが同句。「暮菜寸」は「夕(ゆふ)なぎ[凪]」。「菜」は「な」の訓仮名で、「寸」は「き(甲類)」の常用訓仮名だが、ここでは「ぎ」に流用したもの。「夕凪」は「海岸地方で、夕方、海風と陸風と交替するとき、一時海上や沿岸部が無風状態となること。」をいう。「二」はニ音の音仮名(片仮名の字源)で、時間を指定する格助詞「に」。「藻塩(もしほ)」は、「海藻を簀の上に積み、潮水を注ぎかけて塩分を多く含ませ、これを焼いて水に溶かし、その上澄(うわず)みを釜で煮つめて製した塩。」をいう。「焼」はカ行四段活用の他動詞「やく」の連用形「焼(や)き」。「やく」は、「火をつけて燃やす。燃焼させる。」ことをいう。「乍」は借訓字で、同じ動作の反復や継続を表わす接続助詞「つつ」に用いたもの。
 阿蘇『萬葉集全歌講義』は、8句の注として、次のように述べている。

 藻塩(もしほ)焼きつつ 万葉集の時代の「藻塩焼き」の方法について、いくつかの説があるうち、廣山堯道氏が、最も多く採られる説として紹介するのは、「乾燥藻を積み重ね、上から海水を注ぎ鹹水をえてこれを煮つめる」方法で、鎌倉初期の顕昭法橋の「モシホタルトハ、ウシホヲ藻ニシメシテ、コレヲタレテヤクナリ、塩木トテ木ニテヤク也、ソレヲモシホヤクトハ申ナリ」(『拾遺抄注』)や『播州名所巡覧図絵』の「藻をかきあつめて、それに入たる潮を焼たるなり」などが、その方法を示しているとする(『古代日本の塩』広山堯道・広山謙介著)。

 9句以降は、次回に続く。
ラベル:万葉集
posted by 河童老 at 13:18| Comment(0) | 小説/文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする