2017年09月07日

『万葉集』を訓(よ)む ー閑話休題ー 「貧窮問答歌」について、その二

 今回は、前回の閑話休題の続きで、「貧窮問答歌」についての理解を深めるのに役立つと思う論説の紹介をする。
 まず、芳賀紀雄「貧窮問答歌の成立」(『万葉集を学ぶ』第四集)の中から、「貧窮問答の意味」について述べているところを見てみよう。

 貧窮問答の意味 「貧窮問答歌」の長歌は、かたちのうえで、「いかにしつつか、汝が世は渡る」までが「問」、以下が「答」となる。これを「貧窮」についての問答と解すべきか、「貧者」と「窮者」の問答と解すべきかは、説が分かれる。前者のばあいも、具体的内容の理解に差異があり、「貧窮者の問答」(鴻巣盛広『万葉集全釈』)、「ある人と貧窮者との問答」(武田祐吉『万葉集全註釈』)などといわれる。
 答者を貧窮者と見ることに異論はないとして、問者の方は、従来、歌の素材に貧の印象が伴うこと、および「我よりも 貧しき人の」なる句が存するためをもって、貧者(貧窮者)とされてきた。すなわち、素材のうち、「堅塩」「糟湯酒」は、それぞれ下賤の輩が食し、かつ酒代りに飲用した(山田孝雄『万葉集考叢』)という見方が支配的であった。しかるに、近く、「堅塩」は粗悪品ではなく、神饌供御などにも用い、問答歌では、暖を取るのが目的で、これを「糟湯酒」の肴として少しずつ食むのだという説がある(西宮一民「『堅塩』考」『万葉』八三号)。さらに「麻衾」「布肩衣」も、貧に結びつく素材ではないと解されている(植垣節也「貧窮問答歌の一解釈」『国語教育相談室』一六二号)。いずれも妥当とすべきで、素材からうかがう限り、問者を貧者と決めこむことにはためらいを覚える。
 したがって、長歌の前半と後半は、必ずしも「貧」と「窮」というような、割り切った立場からは作られていないことになる。しかも「貧窮」を一語と見るなら、貧窮についての問答体の歌としか捉えようがない。その「貧窮」は抽象的概念であってよく、貧窮者同士の問答歌という解釈は、この点からも納得しかねる。とすると、内容的には「ある人と貧窮者との問答」とする提言が、考慮の対象となってこよう。そして「我よりも 貧しき人の」という句と、素材との違和は、かかって問者の「我」を造型した憶良の主観によるといえる。

 以上、芳賀は、「貧窮問答歌」を「貧窮」についての問答と解し、「『ある人と貧窮者との問答』とする提言が、考慮の対象となってこよう。」としている。それでは次に、芳賀の考えの延長線上に位置すると思われる、井村哲夫『萬葉集全注』の述べているところを見てみよう。『全注』は、題詞の注として次のように述べている。

○ 貧窮問答の歌 この題詞に三つの解釈がある。㈠は「貧窮者の問答」とする
全釈・全註釈・注釈ほか。㈡は「貧者と窮民の問答」すなわち「貧は貧者、財乏しく困(くる)しむ者、窮は窮民、貧乏の甚しき者。問答は貧者が問ひ、窮民がこれに答へる趣」と言う私注や、古典文学大系・古典集成・旺文社文庫ほか。㈢マヅシキキハミヲトヒコタフルウタと訓む考以来、「貧窮についての問答」と解するもので、古典全集・講談社文庫ほか。一編は「世間の道」としての貧窮困苦(ひんきゆうのこんく)をモチーフとする制作であろうから、㈢の解が妥当であろうと思う。人生問答、平和論議のたぐいである。問答形式は上代歌謡や巻十三の問答部に見えるもの、さらに芸文類聚の漢の揚雄「逐貧賦」その他漢籍の戯曲的問答体の作品の形式に示唆を受けたものであろう(小島憲之「山上憶良の述作」『上代日本文学と中国文学』中。

『全注』は、このように「貧窮についての問答」であると解し、【考】(貧窮問答歌)において、その問答について、前半を「憶良の自画像」、後半を「貧窮回り舞台」と題して次のような論を展開している。

 憶良の自画像 前半の問歌は、風まじりの雨から、やがて静かな降雪へと夜が更けてゆく印象である。登場人物はひとり、先程から何かぶつくさと呟いている。見かけは貧相だが、「我をおきて人はあらじ」と意気は軒昂たる男、分別臭くて老人の様子である。作者憶良の自画像とおぼしい。
 この人物、暖をとるための糟湯酒もあれば、重ね着る袖無しや麻ぶとんも持っているのであるから、まったくの貧乏人というわけではない(植垣節也「貧窮問答歌の一解釈」国語教育相談室昭和四八年六月)。しかし「我よりも貧しき人の〜」と言うのを見れば、自分もまた貧乏人だとは自認しているらしい。
 いったい憶良の実生活はどの程度の収入があったか。令制にみれば、従五位の場合、位田(いでん)として田八町(一般農民の口分田は男子一人二段。その四十倍)、位録(いろく)として絁(あしぎぬ)四疋(ひつ)(続日本紀養老三年五月辛亥条の制によれば、疋は長さ六丈、幅一尺九寸。小尺を約三十センチとして計算すると、四疋は長さ約七十二メートル)、綿(わた)四屯(とん)(綿二斤(こん)曰屯とある賦役令集解(ふやくりようしゆうげ)の説によると、約五・四キログラム)、布二十九端(たん)(賦役令集解に引く養老元年十二月二日格によれば、一端は長さ四丈二尺、幅二尺四寸。二十九端は長さ約三百六十五メートル)、庸布(ようふ)百八十常(じよう)(庸布一常は長さ一丈三尺、幅二尺四寸。右の養老元年格以後長さ一丈四尺)を支給される。その他に、もし官職についておれば、さらに季禄(きろく)として二月上旬・八月上旬の二度に分けて、絁四疋、綿四屯、布十端、鍬二十口(く)が与えられる。憶良はこの程度の年収を得ていた。決して貧乏人とは言えない。
 ただし加藤順三氏(「貧窮問答歌に対する疑問」は、続日本紀養老六年庚寅(こういん)条に見える記事、すなわち、周防(すおう)国の前国守であった従五位上山田史(ふひと)御方(みかた)が官物を盗み、その家を調べてみると尺布も無かったという記事を示して、「一学士から身を立てた人々は、今日の所謂官吏生活者の如く、実質に於ては、一様に貧しかったと見てよい」と言っている。御方の記事は、珍しい話だからこそ記事にもなったのであろうから、そのまま一般を類推することはできないにしても、五位程度の者の生計が、富裕と言えるほどのものではなかったことも想像できる。
 思うに、憶良の自意識においては、従五位下の身分と生活とが、やはり貧であったのではなかろうか。貧は経済的、物質的な欠乏をのみ意味しない。「我をおきて人はあらじ」と誇ってみるのも求不得苦(ぐふとくく)であり、貧苦である。すべてものに執着するエゴの前に人間はおしなべて貧乏である。そんな意識が、従五位下の身分と収入とをアイロニカルに貧として描かせているのであろうと思う。その意識がまた、「我よりも貧しき人」の生活への共感(シンパシー)となり、より広い人間への認識ともなったのである。すなわち、問歌の貧相な男はやはり作者憶良の自画像として見ることができる。
 貧窮回り舞台 さて歌は、「この時は いかにしつつか 汝が世は渡る」という問いかけに応じて、舞台は一転、あばらやの内部、地べたに敷いた藁の上、一人の男のまわりに老人や女子供が身を寄せ合って坐っている。この時、一編のモチーフたる貧は、特定の個人の特殊な状況でなくて、人間一般の問題と化した。
  問答の名に於て二人の貧窮者が相対してすばらしく造型される。しかも
  二人の関係は謂ゆる対話のやうに互角ではなくて、はじめに登場するのは
  此の歌の主体であつて、貧は貧でもどうにか凌ぎのつく教養者で、恐らく
  作者その人の自画像のやうのものがうち出され、次に登場するのが此の歌
  の客体であつて、もうどうにもならない極貧者で、そこに、第一の人間に
  媒介されてこの第二の人間が、第一の人間よりももつと刻銘に彫りあげら
  れる。全篇の構想から個々の手法に亙つて、二人の群像は主客の間に適度
  の比重均衡を持つてなまなまと彫り深く仕上げられてゐる。
   (高木市之助「万葉の美しさ」『万葉集大成』20)
あるいは、
  前半の問の立場と後半の応答の立場が夫々独立して又相呼応する一つの立
  体的構造の下に、貧窮の生の相が浮彫されるに至る。人生の一つの姿を観
  照するやうな小説的構成とともに、こゝには対話的要素もまじへた若干の
  戯曲的構成も試みられてゐるやうである。
   (青木生子「憶良の芸術性」『日本抒情詩論』)
と言われているような試みは、日常的でひよわな抒情を脱し切れない和歌の流れの中でどれほど斬新な工夫であったことか。人間の存在についての思念や実存的な苦悩の問題は、仏教と学問の世界での問題でしかなかったのであり、いわんやそうした問題を文芸的に価値あるイメージとして造型してみせたのであるから。

 以上、長い引用となったが、示唆に富んだ論であると思う。それでは、最後に、阿蘇『萬葉集全歌講義』が「貧窮問答歌」の【歌意】として述べているところを見ておこう。

 憶良が筑前国の守を辞して上京後、最初の作である。貧しい者がより貧しい者の生活に思いをいたし問いかけ、それに答えてより貧しい者がその困窮の状況を訴えるという形式で詠まれている。前半の、厳寒の夜堅塩を肴に糟湯酒をすすりつつ、私をさしおいて才能ある者がいるはずはないと誇り高く身を持している者が、憶良の自画像である。国守の職は辞したとはいえ、従五位下の位禄はあり、貧しいとはいえ後半の困窮者の暮らしとはかなりの差があったはずである。後半の困窮者は、それまでの官人生活の中で目に触れることのあった困窮者の暮らしぶりを描写したものであろう。しかしながら、憶良と全く無縁の世界に生きている者ではなく、この後に晩年の憶良自身の心情を吐露した部分と重なるところが多い。後半の困窮者にも憶良は自己を重ね合わせてうたっているのである。
ラベル:万葉集
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2017年09月05日

『万葉集』を訓(よ)む ー閑話休題ー 「貧窮問答歌」について、その一。

 今回は、閑話休題として、「貧窮問答歌一首[并短歌]」(八十二句からなる長歌である892番歌とその反歌である893番歌。以下「貧窮問答歌」という。)について、その理解を深めるのに役立つと思われる論説を紹介しようと思う。
 ところで、「貧窮問答歌」を訓み始めた最初の回の冒頭に、次のように述べたことを覚えておられるだろうか。

 「問答歌」とある通り、1句「風雜」から33句「汝代者和多流」までが「問」で、それ以下34句「天地者」から82句「世間乃道」が「答」という構成になっている。ただ、これを「貧窮」についての問答と解すべきか、「貧者」と「窮者」の問答と解すべきかについては、説が分かれているが、そのことについては、歌を訓み終えて後に改めて考えることとする。

 ということで、「貧窮問答歌」を訓み終えた今、これを「貧窮」についての問答と解すべきか、それとも「貧者」と「窮者」の問答と解すべきか、ということを中心に、諸注釈書の述べている所を見ていこう。
 『日本古典文学大系』は、〔大意〕の所で、〈貧者の問い〉として1句〜33句を口訳し、以下を〈窮者の答え〉として口訳している通り、「貧者」と「窮者」の問答と解している。
 『日本古典文学全集』は、頭注で次のように述べている。

 漢籍の「問答」は対話の意。それによれば、貧者(貧)と極貧者(窮)とが対話することになる。『文選』の賦群の一部や、陶淵明の「形と影と精神の対話」(形影神并序)などは、その例。しかし『令集解』の「戸令」に「貧窮トハ、貧シクシテ資財無キ者ヲ謂フ」「財貨ニ困ムヲ貧窮ト為ス」などと見え、貧窮に関する問いとその答えという文学的形式を借りて、貧しさ一般に対する国司経験者としての彼の意見を述べたものとみてよい。「貧窮」の音は中古・中世ともビングウ。

 『新編日本古典文学全集』の頭注も、ほぼ同じ内容であるが、前半の漢籍についての言及がなくなっている代わりに、後半の部分についてより詳しく述べているので、それも見ておこう。

「戸令」三十二条の義解に「財貨ニ困(たしな)ムヲ貧窮ト為ス」、『令集解』同条釈説に「貧窮トハ、貧シクシテ資財無キ者ヲ謂フ」とある。これは国司経験者である山上憶良が、貧窮者同士の対話という形を借りて、庶民の生活の苦しい実態を、心ある中央の高官などに訴えたものと思われる。「貧窮」の音はビングないしビングウ。

 次に、漢籍との関係を詳しく述べている『新日本古典文学大系』の脚注を引用しておこう。

「貧窮」についての問答という形式は、漢の揚雄「逐貧賦」(芸文類聚・貧)にも先例がある。この長歌、「いかにしつつか汝が世は渡る」までが問い。七・七の句で止める。以下がそれに対する答え。歌の用語措辞は賢愚経に近似する。「「汝、何を以て爾(しか)るや。人身は得ること難し。命復(また)危脆なり…」。…(貧窮者)曰く、「我はこれ薄福にして貧窮理極り、債負盈(み)ち集り、甚だ多くして計り難し。諸の債主の輩、競ひ見て剥奪す。日夜催切し、憂心釈(と)けず。天地寛しと雖も身を容るる処無し。今、自ら没してこの苦を避け離れむと欲す」…時に諸の債主競ひて共に雲集す。…猶、債を畢へず、妻子窮凍、乞丐して自活す」(勒那闍耶品)。ここにも問答体が用いられている。近時、敦煌遺書中の王梵志詩との類似が指摘され、「貧窮問答歌」への影響が力説されるが、既に北魏時代成立の賢愚経に近似した表現が存在する以上、王梵志にのみ固執する根拠はない。賢愚経は天平三年(七三一)八月十日の写経目録に所見(大日本古文書七)。この長歌、あるいは、孤独な貧人と父母妻子ある貧人との問答という趣向に基づくか(富士谷御杖・北辺随筆四)。歌の中では漢文訓読語が目立つ。「飢ゑ寒ゆ」は漢語「飢寒」、「世の中」は「世間」、「憂へ吟ひ」は「憂吟」の和らげ。後者は、同じく憶良に「月累ね憂へ吟ひ」(八九七)とある。「五十戸良」と書いてサトヲサと訓ませる。「凡そ戸は、五十戸を以て里と為よ。里毎に長一人置け。掌らむこと、戸口を検校し、農桑を課(おほ)せ殖ゑしめむこと、非違を禁(いさ)め察(み)む、賦役を催し駈(つか)はむこと」(戸令)。藤原宮木簡に「五十戸」と書いてサトと訓ませた例がある。「良は首なり」(爾雅・釈詁下)。この長歌には、他に用例を見出し難い言葉、いわゆる「孤語」(高木市之助『貧窮問答歌の論』)の使用が指摘される。「鼻びしびし」のような、濁音で始まる卑俗な擬音語などは代表的な例である。「いとのきて短き物を端切る」という、当時の俗諺も興味深い。憶良は、この諺を「沈【疒に阿】(ちんあ)自哀文(じあいぶん)」中でも、「諺に曰く、痛き瘡に塩を灌(そそ)き、短き材に端を截る」と引用している。枕詞・序詞が全く使用されていないことも注意しておきたい。

以上、『新日本古典文学大系』の脚注を見てきたが、他の注釈書については、次回に。
ラベル:万葉集
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2017年08月31日

『万葉集』を訓(よ)む(その1197)

 今回は893番歌を訓む。82句からなる長歌「貧窮問答歌一首」(892番歌、以下、「長歌」という。)の反歌である。なお、この歌の左注に「山上憶良頓首謹上」とあるので、本歌と「長歌」は、山上憶良が、誰かに「頓首(とんしゅ)(地面に頭を付けて最敬礼)」して「謹(つつし)みて上(たてまつ)った」ものであることがわかる。しかし、憶良の他の「謹上歌」には作歌の日付が記されているが、ここには作歌の日付がないため成立時期が定かでなく、また謹上の相手も直ちに見極めることはむずかしい。ただ、成立時期については、「山上憶良」とだけあって官職名が付されていないのは、致仕をして散位となったためと考えられることから、「筑前国守」を致仕して帰京後の作品と見て良いかと思われる。「謹上の相手」については、これまで、大伴旅人・藤原房前・多治比県守・多治比広成・麻田陽春などの名があがっているが、それぞれが有力な推測であるため、決着はつきそうにない。
 写本に異同はなく、原文は次の通り。

  世間乎 宇之等夜佐之等 於母倍杼母
  飛立可祢都 鳥尓之安良祢婆

 本歌で使われている万葉仮名は次の通り。
 片仮名・平仮名の字源となった常用音仮名では、ウ音の「宇」・オ音の「於」・シ音の「之」・ネ音の「祢」・ラ音の「良」が使われている。片仮名の字源となった常用音仮名ではヲ音の「乎」が、平仮名の字源となった常用音仮名ではア音の「安」が使われている。その他の常用音仮名としては、カ音の「可」・サ音の「佐」・ツ音の「都」・ト(乙類)音の「等」・ド(乙類)音の「杼」・ニ音の「尓」・バ音の「婆」・ヘ(乙類)音の「倍」・モ音の「母」・ヤ音の「夜」が使われている。
 なお、「世間」「飛立」「鳥」は、正訓字である。

 1句「世間乎」は「世間(よのなか)を」と訓む。「世間(よのなか)」は、「長歌」の末句に既出で、「この世。世の中。」の意。「乎」は格助詞「を」。
 2句「宇之等夜佐之等」は「うしとやさしと」と訓む。「宇之」は、ク活用形容詞「うし(憂し)」を表す。「うし」は、「ある状態をいとわしく、不愉快に思うさま。」を言い、「いやだ。煩わしい。気に入らない。」の意。「等」は格助詞「と」。「夜佐之」は、シク活用形容詞「やさし(恥し)」を表す。「やさし」は、動詞「やせる(痩せる)」が形容詞化したもので、「人の見る目に対して身も細る思いである。」ことを言い、「きまりが悪い。肩みがせまい。みっともなくて恥ずかしい。」の意。「等」は格助詞「と」。
 3句「於母倍杼母」は「おもへども」と訓む。この句は、658番歌1句「雖念」や775番歌3句「念友」などと同句で、805番歌3句の「意母閇騰母」と同様、その仮名書き表記。「於母倍」は、ハ行四段活用の他動詞「おもふ」の已然形「おもへ」。「杼母」は、逆接の確定条件を示す接続助詞「ども」。
 4句「飛立可祢都」は「飛(と)び立(た)ちかねつ」と訓む。「飛立」は、バ行四段活用の自動詞「飛(と)ぶ」とタ行四段活用の自動詞「立(た)つ」との複合動詞であるタ行四段活用の自動詞「飛(と)び立(た)つ」の連用形「飛(と)び立(た)ち」を表す。「飛(と)び立(た)つ」は、「とんでその場を離れる。とびあがる。とびさる。」ことをいう。「可祢都」は、805番歌5句に既出で、ナ行下二段活用「かぬ」の連用形で「かね」+完了の助動詞「つ」=「かねつ」を表す。「かぬ」は、補助動詞として動詞の連用形に付いて用いられ、「…し続けることができない。…しようとしてもできない。」の意。
 5句「鳥尓之安良祢婆」は「鳥(とり)にしあらねば」と訓む。「鳥」は象形文字で、鳥の全形を象る。字音はチョウで、字訓は「とり」。「尓」は格助詞「に」。「之」は副助詞「し」。「安良祢婆」は、ラ行変格活用の自動詞「あり」の未然形「あら」+打消しの助動詞「ず」の已然形「ね」+接続助詞「ば」=「あらねば」を表す。「にしあらねば」という表現は、486番歌5句に「君(きみ)にし在(あ)らねば」というのがあった。
 893番歌の平仮名文及び漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。

  よのなかを うしとやさしと おもへども 
  とびたちかねつ とりにしあらねば

  世間を 憂しと恥しと 思へども
  飛び立ちかねつ 鳥にしあらねば

  世の中を 煩わしく身が細るものと 思うけれど 
  飛び去ることもできない 鳥ではないので
ラベル:万葉集
posted by 河童老 at 19:51| Comment(0) | 小説/文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする