2018年04月03日

『万葉集』を訓(よ)む(その1258)

 今回は、928番歌の13句からを訓む。
 13句・14句「食國乎・治賜者」は「食(を)す國(くに)を・治(をさ)め賜(たま)へば」と訓む。13句は、50番歌7句および199番歌25句と同句。「食」はサ行四段活用の他動詞「をす」の連体形「食(を)す」。「食(を)す」は、上代の文献で尊敬語として使われた語で、ヲサ(筬)、ヲサ(長)、ヲサム(治む)のヲサと同根であると見られる。ヲサ(筬)は織機の縦糸の乱れを整えるもの。ヲサ(長)は行政府の長官で、行政を整然と行う責任者。ヲサム(治む)は行政を統括し整然と実行すること。このようにヲサには、「整える、整然と行う」という意がある。「食(を)す」は、天皇が統治なさる国の意で「食(を)す國(くに)」と使うことが多く、ヲスは「治む」の尊敬語、すなわちお治めになる意である。「乎」はヲ音の常用音仮名で格助詞「を」。「治」はマ行下二段活用の他動詞「をさむ」の連用形で「治(をさ)め」。「をさむ」は、「ものごとを安定した状態にする」ことをいう。「賜」はハ行四段活用の他動詞「たまふ」の已然形で「賜(たま)へ」。「たまふ」は、動作の主を尊敬する意を表す補助動詞。「者」は「は」の訓仮名であるが、接続助詞「ば」に流用したもので、順接の確定条件を示す。
 15句・16句「奥鳥・味經乃原尓」は「奥(おき)[沖]つ鳥(とり)・味經(あぢふ)の原(はら)に」と訓む。「奥鳥」は、918番歌1句「奥嶋」を「奥(おき)[沖]つ嶋(しま)」と訓んだのと同様に、「奥」は「おき[沖]」と訓み、連体修飾の格助詞「つ」を訓み添えて「奥(おき)[沖]つ鳥(とり)」と訓む。「沖つ鳥」は、「沖にいる水鳥」の意であるが、ここは次の「味經」のアジにアジ鴨のアジをかけて、「味經」の枕詞としたもの。「味經乃原」は、地名で「味經(あぢふ)の原(はら)」と訓む。「乃」はノ(乙類)音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)で、連体助詞「の」。「味經(あぢふ)の原(はら)」について、阿蘇『萬葉集全歌講義』は「難波の宮の南に広がる平地。大阪市天王寺区味原町(あじはらちよう)・味原本町(あじはらほんまち)などが遺称地。」と注している。
 17句・18句「物部乃・八十伴雄者」は「物部(もののふ)の・八十(やそ)伴(とも)の雄(を)は」と訓む。17句は、76番歌3句・369番歌1句・543番歌3句と同句。76番歌3句では、氏族名を意味するので「物部(もののべ)の」と訓んだが、ここは369番歌1句・543番歌3句と同じく、「朝廷に仕える氏族の総称」の意で「物部(もののふ)の」と訓む。「もののふの」は、氏族の数の多い所から「八十伴緒」「八十氏」「八十」などにかかる枕詞として用いられることが多いが、ここでは「朝廷に仕える文武百官」という実質的な意味をもち、ここの「乃」は同格の格助詞で次の「八十(やそ)伴(とも)の雄(を)」に続くとみられる。「八十伴雄」は、543番歌4句に既出で、478番歌6句の「八十伴男」に同じ。「八十(やそ)」は数の多いことを言ったもので「多くの」の意。「伴(とも)の雄(を)」は、本来は「伴の緒」と書き、「伴う一連のもの」の意。『万葉集』では「伴緒」の表記例は1047番歌の一例のみで、あとは「伴男」「伴雄」などと書かれているので男子の意に解していたものと思われる。「者」は漢文の助字で、係助詞「は」。
 19句・20句「廬為而・都成有」は「廬(いほり)為(し)て・都(みやこ)成(な)したり」と訓む。「廬(いほり)」は「旅行中に泊まるために造る粗末な小屋」で、「廬為」は、その「廬(いほり)」にサ行変格活用の他動詞「す」がついて動詞化したもの。ここはその連用形で「廬(いほり)為(し)」と訓む。「而」は漢文の助字で、接続助詞「て」。「都(みやこ)」は「皇居のある土地」をいうが、「天皇が仮居した行宮など」もいう。「成有」は、サ行四段活用の他動詞「なす」の連用形「成(な)し」+完了・存続の助動詞「たり」(「有」で表記)=「成(な)したり」。「なす」は「物をつくる。つくりあげる。事をしとげる。」ことをいう。完了・存続の助動詞「たり」は、助詞「て」と「有り」との複合「てあり」の約まったものであることから、表記に「有」が用いられている。
 21句「旅者安礼十方」は「旅(たび)にはあれども」と訓む。「旅(たび)」は「住む土地を離れて、一時、他の離れた土地にいること」を言い、ここは「難波宮」に来ていることをさす。「者」は、18句に同じく係助詞「は」であるが、ここは上に格助詞「に」を補って「には」と訓む。「には」は、635番歌他に既出で、場所・時・対象・比較の基準など、格助詞「に」の意味を強調または取りたてて示す。「安」「礼」は、ア音・レ音の常用音仮名で、「安」は平仮名の、「礼」は片仮名・平仮名の字源。「安礼」は、ラ行変格活用の自動詞「あり」の已然形「あれ」。「十方」は、732番歌他に既出で既出例では、接続助詞「とも」を表すのに用いられていたが、ここは逆接の既定条件を表わす「ども」に用いている。「十」は「と(乙類)」の訓仮名だがここは「ど」に流用、「方」は「も」の訓仮名。
 928番歌の漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。

  おしてる 難波(なには)の國(くに)は
  葦垣(あしかき)の 古(ふ)りにし郷(さと)と
  人皆(ひとみな)の 念(おも)ひ息(やす)みて
  つれも無(な)く 有(あ)りし間(あひだ)に
  續麻(うみを)なす 長柄(ながら)の宮(みや)に
  真木柱(まきはしら) 太高(ふとたか)敷(し)きて
  食(を)す國(くに)を 治(をさ)め賜(たま)へば
  奥(おき)[沖]つ鳥(とり) 味經(あぢふ)の原(はら)に
  物部(もののふ)の 八十(やそ)伴(とも)の雄(を)は
  廬(いほり)為(し)て 都(みやこ)成(な)したり
  旅(たび)にはあれども

  (おしてる) 難波の国は
  (葦垣の) ふるびた里だと
  人がみな 忘れてしまい
  無関心で いた間に
  (績麻なす) 長柄の宮に
  真木柱を 太く高々と立て
  天下を お治めになられたので
  (沖つ鳥) 味経の原に
  文武百官の 多くの宮人たちは
  仮小屋を作って 都としている
  旅先ではあるが
ラベル:万葉集
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2018年03月28日

『万葉集』を訓(よ)む(その1257)

 今回は、928番歌を訓む。題詞に「冬十月幸于難波宮時笠朝臣金村作歌一首[并短歌] 」とあって、928番歌は、聖武天皇が、神亀二年(725年)十月に難波宮に行幸された時に、笠朝臣金村が作った、二十一句からなる長歌であり、後ろに反歌二首(929・930番歌)を伴う。
 写本に異同はなく、原文は次の通り。

  忍照 難波乃國者 
  葦垣乃 古郷跡
  人皆之 念息而
  都礼母無 有之間尓 
  續麻成 長柄之宮尓 
  真木柱 太高敷而 
  食國乎 治賜者
  奥鳥 味經乃原尓
  物部乃 八十伴雄者
  廬為而 都成有
  旅者安礼十方
      
 1句・2句「忍照・難波乃國者」は「おしてる・難波(なには)の國(くに)は」と訓む。1句の「忍照」は、443番歌41句の「押光」および619番歌1句の「押照」と表記は異なるが同句で、「おしてる」と訓む。「おしてる」は、地名「難波(なには)」にかかる枕詞で、記紀歌謡にも見られる古い枕詞であるが原義は不明。「難波(なには)」は、大阪市の上町台地以東の地域の古称で、孝徳天皇の難波長柄豊碕宮、天武天皇の難波宮、聖武天皇の難波宮などが営まれたところ。「乃」はノ(乙類)音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)で、連体助詞「の」。ここの「國(くに)」は「一地域」の意。「者」は係助詞「は」。
 3句・4句「葦垣乃・古郷跡」は「葦垣(あしかき)の・古(ふ)りにし郷(さと)と」と訓む。「葦垣(あしかき)の」は枕詞で、次の四通りのかかり方がある。

@ 葦垣が、内と外とをへだてるところから、「ほか」にかかる。
A 葦垣が古びて乱れやすいところから「古る」「思ひ乱る」にかかる。
B 葦垣は隙間無く葦を組むところから、「間近し」にかかる。
C 葦の異名である「よし」と同音を持つ地名「吉野」にかかる。

ここは、Aで、次の「古(ふ)りにし」にかかる。「古郷」は、103番歌に「古尓之郷」とあるのを踏まえて、「古(ふ)りにし郷(さと)」と訓む。「古」は、ラ行上二段活用の自動詞「ふる」の連用形「古(ふ)り」。ここには表記が無いが、103番歌に「尓之」とあるので、完了の助動詞「ぬ」の連用形「に」と過去の助動詞「き」の連体形「し」を補読する。「ふる」は「年月が経過してふるびる。古くなる。古くからのなじみである。昔からの縁がある。」ことをいう。「郷」は「里」とおなじで「さと」。「跡」は「と(乙類)」の常用訓仮名で、格助詞「と」。
 5句・6句「人皆之・念息而」は「人皆(ひとみな)の・念(おも)ひ息(やす)みて」と訓む。「人(ひと)皆(みな)」(124・892番歌に既出)は、「すべての人。あらゆる人。」の意。「之」は漢文の助字で、格助詞「の」。「念息」は、149番歌に既出で、そこではマ行四段活用の他動詞「念(おも)ひ息(や)む」と訓んだが、ここはマ行四段活用の自動詞「おもひやすむ」の連用形「念(おも)ひ息(やす)み」と訓む。「おもひやすむ」は「思い出すことをしなくなる。心にかけなくなる。」ことをいう。「而」は漢文の助字で、接続助詞「て」。
 7句・8句「都礼母無・有之間尓」は「つれも無(な)く・有(あ)りし間(あひだ)に」と訓む。7句は、717番歌1句「都礼毛無」と「も」の表記が異なるだけで同句。「都」はツ音の常用音仮名、「礼」はレ音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)。「都礼」で以って、関係やつながりを表す和語のツレを表す。「母」はモ音の常用音仮名で、係助詞の「も」。「無」はク活用形容詞「なし」の連用形で「無(な)く」。「つれもなし」は、一語のク活用形容詞として取り扱われ、「なんのゆかりもない。なんのかかわりもない。」という意。717番歌と本歌では連用形の「つれもなく」だが、連体形の「つれもなき」は、167番歌53句に「由縁母無」、187番歌1句に「所由無」、460番歌17句に「都礼毛奈吉」の表記で既出。「有」はラ行変格活用の自動詞「あり」の連用形「有(あ)り」。ここの「之」は、5句とは違って、シ音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)で、回想の助動詞「き」の連体形「し」。「間(あひだ)」は、「阿比陀」(794番歌)・阿比太(832番歌)の仮名表記で既出、「時の経過におけるある範囲。期間内。うち。」の意。「尓」はニ音の常用音仮名で、格助詞「に」。
 9句・10句「續麻成・長柄之宮尓」は「續麻(うみを)なす・長柄(ながら)の宮(みや)に」と訓む。「續麻(うみを)」は、「つむいだ麻糸。麻を細く裂いて糸としてより合わせたもの。」をいう。「成」(713番歌他に既出)は、接尾語「なす」を表す借訓字。接尾語「なす」は、名詞、時には動詞の連体形に付いて、「…のように、…のような、…のごとく、…のごとき」などの意。「續麻(うみを)なす」は、續(う)んだ麻のように長い、の意で、「ながい(長)」と同音の「なが」を含む地名「長柄(ながら)」「長門(ながと)」にかかる枕詞。「長柄之宮」は、「長柄(ながら)の宮(みや)」(「之」は5句に同じで、連体助詞「の」)と訓み、「難波の宮」に同じ。大阪城南方の台地、法円坂町付近にあり、現在は「難波宮跡公園」となっている。「尓」は8句に同じ格助詞「に」で、ここは場所を示す。
 11句・12句「真木柱・太高敷而」は「真木柱(まきはしら)・太高(ふとたか)敷(し)きて」と訓む。11句は、190番歌1句と同句。「真木」は、杉や檜など良質の建材となる木をいい、その材で作った柱を「真木柱(まきはしら)」という。「太高敷」は、カ行四段活用の他動詞「ふとたかしく」の連用形「太高(ふとたか)敷(し)き」。「ふとたかしく」は、「宮殿などの柱をしっかりとゆるがないように地に打ちこむ。」意で、宮殿を壮大に造営することにいう。「而」は6句に同じで、接続助詞「て」。
 13句以降は次回に続く。
ラベル:万葉集
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2018年03月26日

『万葉集』を訓(よ)む(その1256)

 今回は、927番歌を訓む。題詞に「反歌一首」とあり、926番歌(以下、「長歌」という)の反歌である。左注に「右不審先後 但以便故載於此次」とある。この左注について、阿蘇『萬葉集全歌講義』は次のように述べている。
 
 右、先後を審らかにせず。ただし、便(たより)を以(もち)ての故に、この次(つぎて)に載す 九二〇以下の、笠金村の作との先後関係が不明であるが、内容が共に吉野行幸の時の歌であるから、その後に続けて載せた意。だが、九二〇以下が、夏五月の行幸であるのに対して、九二六には、「春の茂野に」とあるから、同じ行幸ではない。神亀元年三月一日〜五日の吉野行幸の時の歌であろう。

 写本の異同は、3句二字目<獦>と4句の末字<挟>。『西本願寺本』は、3句二字目を「狩」、4句の末字を「狭」とするが、『元暦校本』『類聚古集』などに、各々「獦」「挟」とあるのを採る。原文は次の通り。

  足引之 山毛野毛 
  御<獦>人 得物矢手<挟>
  散動而有所見

 1句「足引之」は「足(あし)ひきの」と訓む。この句は、直近では920番歌1句と同句。「足(あし)ひきの」は、「山」にかかる枕詞。原義は不明だが、「足」と関連した原義である可能性があるので、「足」は漢字のママとした。「引」は「ひき」を表すための借訓字、「之」は漢文の助字で、連体助詞「の」。
 2句「山毛野毛」は「山(やま)にも野(の)にも」と訓む。ここの「山(やま)」は、「長歌」で「御山(みやま)には 射目(いめ)立(た)て渡(わた)し」と詠まれた「吉野の山」をさし、「野」は、同じく「長歌」に「み吉野(よしの)の 飽津(あきづ)〔秋津〕の小野(をの)の」と詠われた「秋津の小野」をさす。「毛」はモ音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)で並立の係助詞「も」。それぞれ「も」の前に、場所を示す格助詞「に」を補読して訓む。
 3句「御獦人」は「御獦人(みかりびと)」と訓む。「御獦(みかり)」は、「長歌」の14句に既出、天皇や皇子などが「かり〔狩〕をすること」を敬って言ったもので、「御獦人(みかりびと)」は、それに供奉する狩人をいう。
 4句「得物矢手挟」は「得物矢(さつや)手挟(たばさ)み」と訓む。この句は、61番歌2句 「得物矢手挿」と「たばさみ」の表記が異なるだけで同句。「得物矢(さつや)」は、「猟矢・幸矢」とも記され、「狩猟に用いる矢」のことをいう。「さち」の母音交替形「さつ」に「矢」がついたもので、「さち」は「海の幸」「山の幸」の「さち」で「獲物・得物」の意である。「さつ」に「得物」の字を充てたのは、元の意味を踏まえた義訓字。「手挟」はマ行四段活用の他動詞「たばさむ」の連用形で「手挟(たばさ)み」と訓む。「挟」は『名義抄』に「挾 ハサム・ワキハサム・メグラス・トル・サシハサム」とあり、ここはハサム。「たばさむ」は、「手や指、脇などにはさんで持つ。」ことをいう。ここの「手」は、複合語につかわれているので、被覆形の「た」と訓む。露出形・被覆形についての現在の研究では、古い語形の残存したものが被覆形であるとされているので、「手」は、もともと「た」であったものが音韻変化の結果「て」となったものと考えられている。
 5句「散動而有所見」は「散動(さわ)きて有(あ)り見(み)ゆ」と訓む。「散動」は、220番歌20句に「白浪散動」として既出、カ行四段活用の自動詞「さわく」に宛てたもので、ここはその連用形「散動(さわ)き」と訓む。「さわく」は「騒ぐ」のことで、上代では「さわく」と清音であった。「動」一字で「さわく」と訓む例が1238番歌に見えるが、ここは「散」を加えて、「散動」の二字で「さわく」と義訓したもので、サ音の音仮名「散」には、「散和久」(50番歌)、「散和口」(924番歌)など「さわく」の仮名書き例があり、そのことの連想をもあっての用字かと思われる。「而」は漢文の助字で、接続助詞「て」。「有」はラ行変格活用の自動詞「あり」の終止形で「有(あ)り」。「所見」(353番歌他に既出)は、マ行上一段活用の他動詞「みる」の未然形「見(み)」+受身・可能・自発の助動詞「ゆ」(漢文の助字「所」で表記)で「見(み)ゆ」。阿蘇『萬葉集全歌講義』の注に「『見ゆ』が動詞・助動詞を受ける場合、終止形を受ける。古今集以後は、連体形を受ける。」とある。
 927番歌の漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。

  足(あし)ひきの 山(やま)にも野(の)にも
  御獦人(みかりびと) 得物矢(さつや)手挟(たばさ)み
  散動(さわ)きて有(あ)り見(み)ゆ

  (あしひきの) 山にも野にも
  狩りに供奉する人が 矢を手挟んで
  あちこち動き廻っているのが見える
ラベル:万葉集
posted by 河童老 at 13:42| Comment(0) | 小説/文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする