2017年05月05日

『万葉集』を訓(よ)む(その1161)

 今回は868番歌を訓む。本歌〜870番歌の三首は、天平二年七月十一日に筑前国司山上憶良が詠んだ歌であり、憶良による前文がある。まずその前文から見ていこう。前文の原文は次の通り。

 憶良、誠惶頓首、謹啓。
 憶良聞、方岳諸侯、都督刺使、並依典法、巡行部下、察其風俗。
 意内多端、口外難出。謹以三首之鄙歌、欲寫五蔵之欝結。其歌曰、

これの訓読文と口訳を次に記すと、(阿蘇『萬葉集全歌講義』による)

 憶良(おくら)、誠惶頓首(せいくわうとんしゆ)、謹(つつし)みて啓(まを)す。
 憶良(おくら)聞(き)く。方岳(ほうがく)の諸侯(しよこう)と都督刺使(ととくしし)と、共(とも)に典法(てんぱう)によりて、部下(ぶか)を巡行(じゆんかう)し、
 その風俗(ふうぞく)を察(み)ると。心(こころ)のうち多端(たたん)に、口外(こうぐわい)に出(い)だしがたし。
 謹(つつし)みて三首(しゆ)の鄙(いや)しき歌(うた)を以(も)ちて、五蔵(ござう)の欝結(むすぼほり)を写(のぞ)かむと欲(おも)ふ。
 その歌(うた)にいはく、

 憶良が、恐れながら最敬礼し、謹んで申上げます。
 承れば、大宰府のお役人の方々は、法令の定めに従って、管内をめぐり、風俗を視察なさいましたとか。私の心のうちは複雑で、なんとも表現できません。
謹んで三首の拙い歌を詠んで、心の中のわだかまりをはらしたいと思います。その歌は、

 868番歌の写本の異同は、四句六字目<尾>。『西本願寺本』以下の諸本、これを「美」としているが、『類聚古集』『紀州本』『細井本』に「尾」とあるのを採る。原文は次の通り。

  麻都良我多 佐欲比賣能故何
  比列布利斯 夜麻能名乃<尾>夜
  伎々都々遠良武

 本歌で使われている万葉仮名は次の通り。
 片仮名・平仮名の字源となった常用音仮名では、ヒ(甲類)音の「比」・ノ(乙類)音の「乃」・ヒ(甲類)音の「比」・ラ音の「良」・リ音の「利」が使われている。片仮名の字源となった常用音仮名ではタ音の「多」が、平仮名の字源となった常用音仮名ではム音の「武」が使われている。その他の常用音仮名としては、ガ音の「我」・キ(甲類)音の「伎」・サ音の「佐」・シ音の「斯」・ツ音の「都」・ノ(乙類)音の「能」・フ音の「布」・マ音の「麻」・メ(甲類)音の「賣」・ヤ音の「夜」・ヨ(甲類)音の「欲」が使われ、準常用音仮名では、コ(甲類)音の「故」・ヲ音の「遠」が、音仮名では、ガ音の「何」・ミ(乙類)音の「尾」・レ音の「列」が使われている。

 1句「麻都良我多」は「まつらがた」と訓む。「麻都良我多」は、「まつら(松浦)がた(県)」で、849番歌前「松浦河に遊ぶ序」に「松浦之縣(まつらのあがた)」として既出。阿蘇『萬葉集全歌講義』の注に「もと肥前国松浦郡で、現在は、佐賀県唐津市、伊万里市および長崎県の松浦市、佐世保市、五島市、平戸市などに分かれる。万葉集にみえる松浦は、おおむね佐賀県の唐津市を中心とした範囲になる。『県(あがた)』は、六世紀頃全国的に設けられた行政区画の名称。国の下に属し、後の国郡制の郡に相当する。」とある。
 2句「佐欲比賣能故何」は「さよひめのこが」と訓む。「佐欲比賣能故」は「さよひめ(佐用姫)のこ(子)」。「佐用姫」は、「松浦佐用姫」「松浦姫」とも呼ばれる、『万葉集』『肥前風土記』などに見える伝説・説話中の女主人公。愛人大伴狭手彦(さでひこ)の朝鮮出征に際し、その別れをひどく悲しみ、高い山の上で領巾(ひれ)を振って別れを惜しんだので、その山を「領布麾(ひれふり)の嶺(みね)」と呼ぶと伝えられる(八七一番歌の序参照)。ここの「子」は、217番歌26句の「其(そ)の嬬(つま)の子(こ)は」などの「子」同じく愛称で、佐用姫という娘子、の意であり、佐用姫の子供という意味ではない。「何」は格助詞「が」。
 3句「比列布利斯」は「ひれふりし」と訓む。「比列」は「ひれ(領布)」。「領布」は、「ひら(枚)」と同語源で、「細長く薄い布」の意。本来は「波・風を起こしまたは静め、害虫・毒蛇などを追い払うなど、呪力を持つと信じられた布。」を意味したが、「古代、主として女性が用いた、首から肩に掛けて左右へ長く垂らした装飾用の白い布」を言うようになった。「布利斯」は、ラ行四段活用の他動詞「ふる(振る)」の連用形「ふり」+回想の助動詞「き」の連体形「し」=「ふりし」を表す。
 4句「夜麻能名乃尾夜」は「やまの名(な)のみや」と訓む。「夜麻」は、「やま(山)」。「能」は連体助詞「の」。「名(な)」は「物事の名称。呼び方。」の意。「乃尾」は、副助詞「のみ」で、ある事物を取り立てて限定するのに用い、強調表現を伴う。「…だけ。…ばかり。」の意。「夜」は係助詞「や」。この「や」は、862番歌4句の「みずてやわれは」の「や」と同じで、「疑問であるが、詠嘆の意がこもり、かすかに反語の氣持がある」と澤潟『萬葉集注釋』と指摘している。
 5句「伎々都々遠良武」は「ききつつをらむ」と訓む。「伎々都々」は、カ行四段活用の他動詞「きく(聞く)」の連用形「きき」+接続助詞「つつ」=「ききつつ」を表す。「遠良武」は、ラ行変格活用の自動詞「をり(居り)」の未然形「をら」+推量の助動詞「む」(連体形)=「をらむ」を表す。
 868番歌の平仮名文及び漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。

  まつらがた さよひめのこが 
  ひれふりし やまのなのみや 
  ききつつをらむ

  松浦県 佐用姫の子が 
  領巾振りし 山の名のみや
  聞きつつ居らむ

  松浦県の 佐用姫という娘子が
  領布を振った 山の名だけを
  聞きつつ過ごすのであろうか(一度は行って見てみたい)
タグ:万葉集
posted by 河童老 at 22:02| Comment(0) | 小説/文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月03日

『万葉集』を訓(よ)む(その1160)

 今回は867番歌を訓む。「吉田宜(きちだのよろし)の書状」に添えられた歌四首の四首目。前歌(866番歌)と同じく「あなた(旅人)を思う気持ちがまだ尽きなくて、さらに(宜が)詠んだ歌」である。本歌の左注に「天平二年七月十日」があるので、「吉田宜(きちだのよろし)の書状」とそれに添えられた歌四首は、その日に送られたものであることがわかる。
 写本の異同は、2句三字目<我>と5句の末字<里>にある。『西本願寺本』以下の諸本に2句三字目を「家」、5句の末字を「理」としているが、『類聚古集』『紀州本』『細井本』にそれぞれ「我」、「里」とあるのを採る。原文は次の通り。

  枳美可由伎 氣那久奈理奴
  奈良遅那留 志満乃己太知母
  可牟佐飛仁家<里>

 本歌で使われている万葉仮名は次の通り。
 片仮名・平仮名の字源となった常用音仮名では、コ(乙類)音の「己」・ク音の「久」・ナ音の「奈」・ヌ音の「奴」・ノ(乙類)音の「乃」・ユ音の「由」・ラ音の「良」が使われている。片仮名の字源となった常用音仮名ではム音の「牟」が、平仮名の字源となった常用音仮名では、チ音の「知」・ニ音の「仁」・ミ(甲類)音の「美」・ル音の「留」が使われている。その他の常用音仮名としては、カ音の「可」・ガ音の「我」・キ(甲類)音の「伎」・ケ(甲類)音の「家」・ケ(乙類)音の「氣」・サ音の「佐」・シ音の「志」・ダ音の「太」・ヂ音の「遅」・ナ音の「那」・モ音の「母」・リ音の「理」と「里」が使われ、音仮名では、ガ音の「可」・キ(甲類)音の「枳」・ビ音の「飛」・マ音の「満」が使われている。

 1句「枳美可由伎」は「きみがゆき」と訓む。この句は、85番歌及び90番歌の1句「君之行」と同句で、その仮名書き。「枳美」は「きみ(君)」でここ大伴旅人を指す。「可」はカ音の常用音仮名であるが、ここはガ音の音仮名として用いたもので、連体助詞「が」を表す。「由伎」は、動詞「ゆく(行く)の連用形の名詞化した「ゆき(行き)」で、「旅に出ること。旅行。」の意。 ここは、旅人の大宰帥赴任のことを言う。
 2句「氣那我久奈理奴」は「けながくなりぬ」と訓む。この句も、85番歌2句「氣長成奴」及び90番歌2句「氣長久成奴」と同句で、その仮名書き。
「氣」は、ケ(乙類)音の常用音仮名で、日数の意の「日(け)」を表わす。「日(け)」は、日(ひ)の複数で、二日以上にわたる場合に用いる。「那我久」は、ク活用形容詞「ながし(長し)」の連用形「ながく」を表す。「奈理奴」は、ラ行四段活用の自動詞「なる(成る)」の連用形「なり」+完了の助動詞「ぬ」=「なりぬ」を表す。「なる」は、「その時刻や時期に達する。その時に至る。また、時が経過する。」ことをいう。
 3句「奈良遅那留」は「ならぢなる」と訓む。「奈良遅」は、「ならぢ(奈良路)」で、「奈良に通じる道。また、奈良地方を通っている道。」をいう。「那留」は、指定の助動詞「なり」の連体形「なる」。
 4句「志満乃己太知母」は「しまのこだちも」と訓む。「志満」は「しま(山斎)」。「山斎(しま)」は、旅人作の452番歌に既出で、「築山や池のある庭園」の意。「乃」は連体助詞「の」。「己太知」は「こだち(木立)」で、「生い茂っている木。むらがり立っている木。立木。」の意。「母」は係助詞「も」。
 なお、3句・4句について、井村『萬葉集全注』の【考】に詳しく述べられている。後ろに[参考]として引用しておいたので参照されたい。 
 5句「可牟佐飛仁家里」は「かむさびにけり」と訓む。「可牟佐飛」は、バ行上二段活用の自動詞「かむさぶ(神さぶ)」の連用形「かみさび」。「かむさぶ」は、「神々(こうごう)しい様子を呈する。古色を帯びて神秘的な様子である。古めかしくおごそかである。」ことをいう。「仁家里」は、完了の助動詞「ぬ」の連用形「に」+過去の助動詞「けり」=「にけり」で、すでに完了している事柄について、その事実にあらたに気づいた気持を表わし、詠嘆の気持を伴うことが多い。「…してしまった(ことよ)。…してしまっている(ことだなあ)。」の意。
 867番歌の平仮名文及び漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。

  きみがゆき けながくなりぬ
  ならぢなる しまのこだちも
  かむさびにけり

  君が行き 日長くなりぬ
  奈良路なる 山斎の木立も
  神さびにけり

  あなたが筑紫へ行かれてから 随分久しくなりました
  奈良路にある 御庭の木立も
  古色蒼然となり神さびた様子です

[参考]井村『萬葉集全注』の【考】より

 奈良路なる山斎の木立 大伴邸は佐保(さほ)にあった。旅人の父安麻呂は佐保に住んで佐保大納言と呼ばれ(4・五二八左注他)、長子の旅人またその子家持も佐保の宅に居住した。少弐石川が旅人に呈した歌に、
  さす竹の大宮人の家と住む佐保の山をば思ふやも君(6・九五五)
もある。旅人の妹坂上郎女(さかのうえのいらつめ)が佐保の宅に在って作ったという歌に、「あしひきの山にし居れば」(4・七二一)ともあって佐保山に接していたらしい。大井重二郎氏(「佐保丘陵の権門」『万葉集歌枕の解疑』)は、「旧条里の一条四里辺で、長屋王宅より幾許か東に位置し、これに接して橘氏も居宅を構えた。現在の地形に即して云えば、常陸神社所在の丘陵地が考えられる。左京一条三坊の条坊区外で、南は一条南大路、即ち佐保大路が東西に通じて外京七坊の東京極に至る」と推定している。川口常孝氏(「奈良朝歌人の住宅考」『万葉集研究』第六集)に、法蓮山添東町、春日野荘と育英第二校舎の間というこまかい推定もある。
 大伴邸の庭園の結構は人の知るところであったようで、この宜の歌もあるのであろう。後年帰京して家に入った旅人は次のように歌っている。
  妹として二人作りしわが山斎(しま)は木高く繁くなりにけるかも(3・四五二)
  我妹子(わぎもこ)が植ゑし梅の木見るごとに心咽せつつ涙し流る(3・四五三)
そうして旅人の造園趣味は、とりどりの植物を愛した家持はもちろん、その家持が、「この人、ひととなり花草花樹を愛(め)でて多く寝院の庭に植う」(19・三九五七自注)と評した弟書持(ふみもち)にも受け継がれたようである。
タグ:万葉集
posted by 河童老 at 21:18| Comment(0) | 小説/文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月01日

『万葉集』を訓(よ)む(その1159)

 今回は866番歌を訓む。「吉田宜(きちだのよろし)の書状」に添えられた歌四首の三首目。題詞に「思君未盡重題二首[君(きみ)を思(おも)ふこと未(いま)だ盡(つ)きず重(かさ)ねて題(しる)す二首]」とあって、本歌と次歌(867番歌)は、「あなた(旅人)を思う気持ちがまだ尽きなくて、さらに(宜が)詠んだ歌」である。
 写本の異同は、4句の一字目<知>。『西本願寺本』以下の諸本に「智」とあるが、『類聚古集』『紀州本』に「知」とあるのを採る。なお、他の異同として、『類聚古集』のみが4句の「邊多天留」を「敝太津留」としていることが挙げられるが、これは諸本の通りとした。原文は次の通り。

  波漏々々尓 於忘方由流可母 
  志良久毛能 <知>弊仁邊多天留
  都久紫能君仁波 

 本歌で使われている万葉仮名は次の通り。
 片仮名・平仮名の字源となった常用音仮名では、オ音の「於」・ク音の「久」・テ音の「天」・モ音の「毛」・ユ音の「由」・ラ音の「良」が使われている。片仮名の字源となった常用音仮名では、タ音の「多」・ル音の「流」が、平仮名の字源となった常用音仮名では、チ音の「知」・ニ音の「仁」・ハ音の「波」・ル音の「留」が使われている。その他の常用音仮名としては、カ音の「可」・シ音の「志」・ツ音の「都」・ニ音の「尓」・ノ(乙類)音の「能」・ヘ(甲類)音の「弊」・モ音の「母」・ロ(甲類)音の「漏」が使われ、音仮名では、ク音の「君」・シ音の「紫」・ヘ(甲類)音の「邊」・ホ音の「方」・モ音の「忘」が使われている。

 1句「波漏々々尓」は「はろはろに」と訓む。「波漏々々尓」は、形容動詞「はろはろなり」の連用形(副詞法)「はろはろに」を表す。「はろはろなり」は、「距離が遠く隔たっているさま」をいう。
 2句「於忘方由流可母」は「おもほゆるかも」と訓む。この句は、569番歌5句「所念鴨」と同句で、その仮名書き。「於忘方由流」は、ハ行四段活用の他動詞「おもふ」の未然形「おもは」+自発の助動詞「ゆ」の連体形「ゆる」 =「おもはゆる」の「は」が前の母音に引かれて「ほ」に転じた「おもほゆる」を表す。「可母」は、詠嘆の終助詞「かも」。
 3句「志良久毛能」は「しらくもの」と訓む。この句は、287番歌3句・574番歌3句の「白雲乃」及び668番歌3句・758番歌1句の「白雲之」と同句で、その仮名書き。「志良久毛」は「しらくも(白雲)」で、「白い雲。白く見える雲。」をいう。「能」は格助詞「の」。
 4句「知弊仁邊多天留」は「ちへにへだてる」と訓む。「知弊」は「ちへ(千重)」で、「数多く重なること」をいう。「仁」は格助詞「に」。「邊多天留」は、タ行四段活用の自動詞「へだつ」の已然形(音韻上は命令形)「へだて」+完了の助動詞「り」の連体形「る」=「へだてる」を表す。
 3句・4句の注として、井村『萬葉集全注』は次のように述べている。

○ 白雲の千重に隔てる このヘダツは、先の書簡中の「白雲天を隔つ」(他動詞下二段活用)と同じでなく、自動詞四段活用である。白雲が十重二十重に隔てとなっているの意。類聚古集に「敝太津留」とあるのは書簡に引かれて他動詞に読もうとしたもの。「心ヲ馳(は)セテ悵望(なが)ム白雲ノ天」(藤原宇合。懐風藻)

 5句「都久紫能君仁波」は「つくしのくには」と訓む。「都久紫能君仁」は「つくしのくに(筑紫の国)」。筑紫の国は筑前・筑後をさす。「波」は係助詞「は」。この句は、初二句へかえる倒置句である。
 866番歌の平仮名文及び漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。

  はろはろに おもほゆるかも
  しらくもの ちへにへだてる 
  つくしのくには

  はろはろに 思ほゆるかも
  白雲の 千重に隔てる
  筑紫の国は

  遠くはるかに 思いやられることです
  白雲が 千重に隔てている
  筑紫の国は
タグ:万葉集
posted by 河童老 at 15:32| Comment(0) | 小説/文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする