2017年08月29日

『万葉集』を訓(よ)む(その1196)

 前回までで、「貧窮問答歌一首」(892番歌)を訓み終えたので、今回はそのまとめとして、892番歌の漢字仮名交じり文と口訳を示す。なお漢字仮名交じり文においては、原文で正訓字・戯訓字のものにはルビを振り、原文で仮名書きのものは仮名の下に(漢字表記)を付した。
 「貧窮問答歌一首」の漢字仮名交じり文を示すと、次の通り。

  風(かぜ)雜(まじ)り 雨(あめ)ふる(降る)よ(夜)の
  雨(あめ)雜(まじ)り 雪(ゆき)ふる(降る)よ(夜)は
  すべもなく 寒(さむ)くしあれば
  堅塩(かたしほ)を 取(と)りつづしろひ
  糟湯酒(かすゆざけ) うちすすろひて
  しはぶかひ 鼻(はな)びしびしに
  しかとあらぬ ひげかき(掻き)撫(な)でて
  あれ(我)をおきて 人(ひと)はあらじと
  ほころへ(誇ろへ)ど 寒(さむ)くしあれば
  麻被(あさぶすま) 引(ひ)きかがふり(被り)
  布(ぬの)かた(肩)衣(ぎぬ) ありのことごと
  きそへ(着襲へ)ども 寒(さむ)き夜(よ)すらを
  われ(我)よりも 貧(まづ)しき人(ひと)の
  父母(ちちはは)は 飢(う)ゑ寒(こ)ゆらむ
  妻子等(めこども)は 乞(こ)ふ乞(こ)ふ泣(な)くらむ
  此(こ)の時(とき)は いかにしつつか
  汝(な)が代(よ)はわたる(渡る)
  天地(あめつち)は ひろし(広し)といへど
  あ(吾)がためは 狭(さ)くやなりぬる
  日月(ひつき)は あかし(明し)といへど
  あ(吾)がためは 照(て)りやたまはぬ
  人(ひと)皆(みな)か 吾(あ)のみやしかる
  わくらばに ひと(人)とはあるを
  ひとなみ(人並)に あれ(我)も作(つく)るを
  綿(わた)もなき 布(ぬの)かた(肩)衣(ぎぬ)の
  みる(海松)のごと わわけさがれる
  かかふのみ 肩(かた)に打懸(うちか)け
  ふせいほ(伏庵)の まげいほ(曲庵)の内(うち)に
  直土(ひたつち)に 藁(わら)解(と)き敷(し)きて
  父母(ちちはは)は 枕(まくら)のかた(方)に
  妻子(めこ)どもは 足(あと)の方(かた)に
  圍(かく)み居(ゐ)て 憂(うれ)へ吟(さまよ)ひ
  かまど(竃)には 火氣(ほけ)ふきたて(吹き立て)ず
  こしき(甑)には くものす(蜘蛛の巣)かき(掛き)て
  飯(いひ)炊(かし)く 事(こと)もわすれ(忘れ)て
  ぬえ鳥(とり)の のどよひ居(を)るに
  いとのきて 短(みじか)き物(もの)を
  端(はし)きる(切る)と 云(い)へるが如(ごと)く
  楚(しもと)取(と)る 五十戸良(さとおさ)がこゑ(声)は
  寝屋(ねや)どまで 来立(きた)ち呼(よ)ばひぬ
  かくばかり すべなきものか
  世間(よのなか)の道(みち)

 次に、「貧窮問答歌一首」の口語訳を示すと、次の通り。

  風を雜えて 雨の降る夜の
  雨を雜えて 雪の降る夜は
  どうしようもなく 寒いので
  堅い塩を 取っては少しずつかじり
  酒の糟を湯にといたものを すすりすすりして
  繰り返し咳きこんでは 鼻汁をびしびし音を立てて啜り上げ
  たいしてありもしもない ひげをかき撫でて
  私をさしおいては 大した人物はおるまいと
  しきりに威張ってみるが そうはいっても寒いので
  麻布でつくった粗末な夜具を すっぽりかぶって
  布製の袖なしを あるかぎり全部
  重ねて着ても なお寒い夜を
  私より 貧しい人の
  父母は 飢えて凍えているだろう
  妻子は 食べ物をしきりに乞うて泣いているだろう
  こういう時は どのようにして
  お前は世を渡っているのか
  天と地は 広いというが
  私のためには 狭くなったのか
  日と月は 明るいというが
  私のためには 照ってくださらないのか
  すべての人か それとも私だけがこうなのか
  たまたまこうして 人となったのに
  人並みに 私も耕作しているのに
  綿も入っていない 布製の袖なしの
  海松のように 細かくちぎれてぶらさがっている
  ぼろ布だけを 肩に引っ掛けて
  つぶれたような家の 曲がって倒れかけた家の中に
  土の上にじかに 藁を解いて敷いて
  父母は 頭の方に
  妻や子は 足の方に
  私を囲んで座って 悲しんで嘆息をつき 
  かまどには 煙を吹き上がらせることもなく
  こしきには 蜘蛛が巣をつくり
  飯を炊く ことも忘れて
  ぬえ鳥のように 悲しげな声をあげていると 
  ことのほか 短いものを
  さらにその端を切る という諺のように
  木の若枝で作った鞭を手に持った 里長の声は
  寝床のそばまで やって来てわめき立てている
  これほどまでに どうしようもないものなのか
  世の中を生きていくということは 
ラベル:万葉集
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2017年08月24日

『万葉集』を訓(よ)む(その1195)

 今回は、「貧窮問答歌一首」(892番歌)の70句〜末句の82句までを訓む。
 まず、今回使われている万葉仮名について見ておこう。 

 片仮名・平仮名の字源となった常用音仮名では、ク音の「久」・ナ音の「奈」・ノ(乙類)音の「乃」・ヌ音の「奴」・ヒ(甲類)音の「比」が使われている。片仮名の字源となった常用音仮名では、イ音の「伊」・ス音の「須」・ル音の「流」・ヲ音の「乎」が、平仮名の字源となった常用音仮名ではハ音の「波」が使われている。その他の常用音仮名としては、カ音の「可」・ガ音の「我」・キ(甲類)音の「伎」・コ(乙類)音の「許」・ト(乙類)音の「等」・ド(甲類)音の「度」・ド(乙類)音の「杼」・ニ音の「尓」・ノ(乙類)音の「能」・バ音の「婆」・マ音の「麻」・エ音の「延」・ヨ(乙類)音の「与」・リ音の「里」・ヱ音の「恵」が使われ、準常用音仮名ではテ音の「提」が使われ、音仮名では、デ音の「【人偏に弖】」・モ音の「物」が使われている。なお、「部」は片仮名ヘの字源となった、「へ(甲類)」の常用訓仮名であるが、ここでは「べ」に流用されている。
 
 70句・71句「奴延鳥乃・能杼与比居尓」は「ぬえ鳥(とり)の・のどよひ居(を)るに」と訓む。70句は、人麻呂の「明日香皇女挽歌」(196番歌)の51句「宿兄鳥之」と表記は異なるが同句で、「ぬえ鳥(とり)の」と訓む。「ぬえ鳥(とり)」は「とらつぐみ」の異名で、「ぬえ鳥の」は、ぬえ鳥の鳴き声が悲しげに聞こえるところから、「うら歎(な)く」「のどよふ」「片恋ひ」にかかる枕詞として使われた。ここは次の「のどよひ」にかかる。「能杼与比」は、ハ行四段活用の自動詞「のどよふ」の連用形「のどよひ」を表す。「のどよふ」は、「細々とした力のない声を出す。悲しげな声でなく。」ことをいう。「居」は、ラ行変格活用の自動詞「をり」の連体形「居(を)る」。「尓」は接続助詞「に」。
 72句・73句「伊等乃伎提・短物乎」は「いとのきて・短(みじか)き物(もの)を」と訓む。「伊等」は、「程度のはなはだしいさま」をいう副詞「いと」を表す。「乃伎提」は、動詞「のく(除・退)」の連用形に助詞「て」が付いた「のきて」を表す。「いとのきて」は、通常的、一般的なものから、それだけを、格別な特色があるとして区別し強調する意味で用いる。「ことのほか。いやがうえに。普通以上に。」の意。「短物」は、「短(みじか)き物(もの)」と訓む。「短(みじか)き」は、ク活用形容詞「みじかし」の連体形で、「物(もの)」は「形のある物体一般」をいう。「乎」は格助詞「を」。
 74句・75句「端伎流等・云之如」は「端(はし)きると・云(い)へるが如(ごと)く」と訓む。「端(はし)」は「細長い物の末の部分。また、平らな物などの周辺の部分。へり。ふち。さき。」の意。「伎流」は、ラ行四段活用の他動詞「きる(切る)」を表し、「刃物などで、一続きのものに力を加えて分け離す。」ことをいう。「等」は格助詞「と」。ここの「云」は、ハ行四段活用の他動詞「いふ」の已然形「いへ」(音韻上は命令形)に完了存続の助動詞「り」の連体形「る」を補読して「云(い)へる」と訓む。「之」は漢文の助字で、格助詞「が」に用いたもの。「如」(328番歌4句他に既出)は、比況の機能を持つ漢文の助字で、「…のようである」の意であることから、比況を表わす助動詞「ごとし」にあてたもの。その活用は「〇・ごとく・ごとし・ごとき・〇・〇」で、ここは連用形の「如(ごと)く」。
 73句・74句に「短(みじか)き物(もの)を端(はし)きる」とあるのは、いやが上にも窮迫することを譬える当時のことわざで、後の憶良作「沈【疒に阿】(ちんあ)自哀文(じあいぶん)」にも「短き材(き)は端を截(き)る」とある。
 76句・77句「楚取・五十戸良我許恵波」は「楚(しもと)取(と)る・五十戸良(さとおさ)がこゑは」と訓む。「楚」は「しもと」と訓み、「木の若枝でつくったむち、または杖。」をいい、刑罰の具に用いられた。「取」は、ラ行四段活用の他動詞「取(と)る」(連体形)で、「手に握って持つ。」ことをいう。「五十戸良」は、「さとをさ(里長)」と訓む。戸令(こりやう)に「凡そ戸(へ)は、五十戸を以て里とせよ。里毎に長一人置け掌(つかさど)らむこと、戸口(ごく)を検校(けむげう)し、農桑(のうさう)を課(おほ)せ殖(う)ゑしめむこと、非違(ひゐ)を禁(いさ)め察(み)む、賦役(ふやく)を催(もよほ)し駈(つか)はむこと。…以下略…」とある。「良」は「首」に通じ、「長」を意味する。以上より「さとをさ(里長)」を「五十戸良」と表記したもの。「我」は連体助詞「が」。「許恵」は、「こゑ(声)」で、「人が発音器官を使って出す音」をいう。「波」は係助詞「は」。
 78句・79句「寝屋度麻【人偏に弖】・来立呼比奴」は「寝屋(ねや)どまで・来立(きた)ち呼(よ)ばひぬ」と訓む。「寝屋(ねや)」は、「夜寝るために設けられた部屋。寝室。」の意。「度」は、他の語に付いて、ところ、場所の意を表わす語素の「と」が連濁で「ど」となったもので、「寝屋(ねや)ど」は、「寝る所」をいう。「麻【人偏に弖】」は、副助詞「まで」を表す。「来立」は、タ行四段活用の自動詞「きたつ」の連用形「来立(きた)ち」と訓む。「きたつ」は、「来て、その場所に立つ。」ことをいう。「呼比奴」は、ハ行四段活用の自動詞「よばふ」の連用形「呼(よ)ばひ」+完了の助動詞「ぬ」=「呼(よ)ばひぬ」。「よばふ」は、動詞「よぶ(呼)」の未然形に、反復・継続を表わす助動詞「ふ」の付いたもので、「呼び続ける。繰り返し叫ぶ。大声に叫び呼ぶ。」ことをいう。
 80句・81句「可久婆可里・須部奈伎物能可」は「かくばかり・すべなきものか」と訓む。80句「可久婆可里」は、723番歌13句及び752番歌1句の「如是許」と同句で、その仮名書き「かくばかり」を表し、「これほど。これほどまでに。」の意。「須部奈伎物能」は、804番歌2句の「周弊奈伎物能」と同じで「すべなきもの」を表す。「須部」は、「なすべき手だて。そうすればよいというしかた。手段。方法。」の意の「すべ」を表す。「奈伎」は、ク活用形容詞「なし」の連体形「なき」。「物能」は用言の連体形を受けて、それを一つの概念として体言化する形式名詞の「もの」を表す。「可」は詠嘆を込めた疑問の係助詞「か」。
 82句「世間乃道」は「世間(よのなか)の道(みち)」と訓む。「世間」(804番歌他に既出)は、「この世。世の中。」の意で「世間(よのなか)」と訓む。「乃」は連体助詞「の」。ここの「道(みち)」は「道理。あり方。」の意。
ラベル:万葉集
posted by 河童老 at 20:35| Comment(0) | 小説/文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月22日

『万葉集』を訓(よ)む(その1194)

 今回は、「貧窮問答歌一首」(892番歌)の58句〜69句までを訓む。
 まず、今回使われている万葉仮名について見ておこう。

 片仮名・平仮名の字源となった常用音仮名では、ク音の「久」・シ音の「之」・ノ(乙類)音の「乃」・モ音の「毛」・レ音の「礼」・ワ音の「和」が使われている。片仮名の字源となった常用音仮名では、ス音の「須」・タ音の「多」が、平仮名の字源となった常用音仮名ではハ音の「波」が使われている。その他の常用音仮名としては、カ音の「可」・キ(甲類)音の「伎」・コ(乙類)音の「許」・ズ音の「受」・テ音の「弖」・ド(甲類)音の「度」・ニ音の「尓」・ノ(乙類)音の「能」・フ音の「布」・マ音の「麻」・モ音の「母」が使われ、準常用音仮名ではテ音の「提」が使われ、音仮名では、ド(乙類)音の「等」・ニ音の「柔」・ハ音の「播」が使われている。

 58句・59句「父母波・枕乃可多尓」は「父母(ちちはは)は・枕(まくら)のかたに」と訓む。58句は、27句と同句で、「父母(ちちはは)」は「男親と女親。両親。」、「波」は係助詞「は」。「枕(まくら)」は「寝る時に頭をのせて、頭を支える道具。」をいう。「乃」は連体助詞「の」。「可多」は、方向を示す「かた(方)」を表し、「(その方向に存在する具体的な物の名などを連体修飾語として伴って)その方向。」の意。「尓」は格助詞「に」。
 60句・61句「妻子等母波・足乃方尓」は「妻子(めこ)どもは・足(あと)の方(かた)に」と訓む。60句は、29句「妻子等波」と「ども」の表記が異なるが同句。「妻子(めこ)」は「妻と子。さいし。」。29句の場合は、「等」を万葉仮名ではなく正訓字として用いて、接尾語「等(ども)」を表したが、ここでは「等」をド(乙類)音の音仮名とし用いて、「等母」で以って「ども」を表している。「ども」は、名詞・代名詞に付いて、そのものを含めて、同類の物事が数多くあることを示すが、必ずしも多数とは限らないで、同類のものの一、二をさしてもいう。人を表わす場合は「たち」に比べて敬意が低く、目下、または軽蔑すべき者たちの意を含めて用いる。「波」は58句と同じで、係助詞「は」。61句の「足乃方」は、59句の「枕乃可多」に照応して、「足(あと)の方(かた)」と訓む。「尓」も59句と同じで、格助詞「に」。澤潟『萬葉集注釋』は61句について次のように注している。

 足の方に ー 神代紀(上)に「匍-匐頭邊、匍-匐脚邊」に注して「頭邊此云 摩苦羅陛(マクラベ)、脚邊此云 阿度陛(アトベト)」とあり、古今集(十九)誹諧哥に、
 枕よりあとより戀のせめくればせむ方なみぞとこなかにをる よみ人しらず 
とあるによりアトノカタと訓む。

 62句・63句「圍居而・憂吟」は「圍(かく)み居(ゐ)て・憂(うれ)へ吟(さまよ)ひ」と訓む。「圍」はマ行四段活用の他動詞「かくむ」の連用形で「圍(かく)み」と訓む。「かくむ」は、「まわりを取り巻く。かこむ。」の意。「居」はワ行上一段活用の自動詞「ゐる」の連用形で「居(ゐ)」。「ゐる」は、「動く物がある場所にとどまって存在する。また、低い状態になる。」ことをいう。「而」は漢文の助字で、接続助詞「て」。「憂」はハ行下二段活用の他動詞「うれふ」の連用形で「憂(うれ)へ」。「吟」はハ行四段活用の自動詞「さまよふ」の連用形で「吟(さまよ)ひ」。「憂吟」は、上の二つの動詞が複合したもので、ハ行四段活用の自動詞「うれへさまよふ」の連用形「憂(うれ)へ吟(さまよ)ひ」を表す。「うれへさまよふ」は、「悲しんで嘆息をつき、うなる。嘆きうめく。」ことをいう。井村『萬葉集全注』は63句の注として次のように述べている。

○ 憂へ吟ひ 憂フは当時下二段活用。古典大系に「平安末期ごろからウレイという形が現われる」とある。サマヨフは呻吟(しんぎん)の意。「呻(しん)。吟(ぎん)也、歎(たん)也。左万与不(さまよふ)、又奈介久(なげく)」(新撰字鏡)。
  
 64句・65句「可麻度柔播・火氣布伎多弖受」は「かまどには・火氣(ほけ)ふきたてず」と訓む。「可麻度」は、「かまど(竃)」で、「かま(釜)ど(処)」の意。土、石、煉瓦(れんが)、鉄、コンクリートなどで築き、中をうつろにし、上に鍋、釜をのせる穴をあけ、そこに鍋、釜などをかけ、下から火を燃して、物を煮炊きするようにしたもの。「柔播」は、格助詞「に」に係助詞「は」の付いた「には」を表し、場所・時・対象・比較の基準など、格助詞「に」の意味を強調または取りたてて示す。「火氣」は「ほけ」と訓み、「火の気。また、けむり。」の意。「火氣」は、古くはケブリと訓まれていたが、『萬葉代匠記』に「幽斎本ノ又ノ點ニホノケト點ゼルモ謂(いは)レタルカ」と注意しているのを受け、今はホケと訓んで七音句にととのえるのが、ほぼ定説となっている。「布伎多弖受」は、タ行下二段活用の他動詞「ふきたつ(吹き立つ)」の未然形「ふきたて」+打消の助動詞「ず」(連用形)=「ふきたてず」を表す。「ふきたつ」は「吹いて高く上げる。吹いて空中に舞い上げる。吹き上がらせる。」の意。
 66句・67句「許之伎尓波・久毛能須可伎弖」は「こしきには・くものすかきて」と訓む。「許之伎」は、「こしき(甑)」で、昔、米や豆などを蒸すのに用いた器のこと。鉢形の瓦製で、底に湯気を通すいくつもの小穴をあけ、湯釜(ゆがま)にのせて蒸した。のち、方形または丸形の木製とし、底にすのこをしいたものを蒸籠(せいろう)という。「尓波」は、64句の「柔播」に同じで、格助詞「に」に係助詞「は」の付いた「には」を表す。「久毛能須」は、「くものす(蜘蛛の巣)」で、「蜘蛛が糸を張ってつくった網。」をいうが、朽ちこぼれたさまや、人の途絶えたさま、零落したさまなどにたとえて用いることが多く、ここもその例。「可伎弖」は、カ行四段活用の他動詞「かく(掛く)」の連用形「かき」+接続助詞「て」=「かきて」。「かく」は、「組み立てたり、編んだりして作る。」ことをいう。井村『萬葉集全注』に「蜘蛛ノのノは主格と見る。」とある。
 68句・69句「飯炊・事毛和須礼提」は「飯(いひ)炊(かし)く・事(こと)もわすれて」と訓む。「飯炊」は、カ行四段活用の他動詞「飯(いひ)炊(かし)く」(連体形)と訓み、「飯をたく。」ことをいう。「事(こと)」は、用言の連体形による修飾を受けて、その語句の表わす行為や事態や具体的内容などを体言化する形式名詞で、「そういう行為、状態など」を意味する。「毛」は係助詞「も」。「和須礼提」は、ラ行下二段活用の他動詞「わする(忘る)」の連用形「わすれ」+接続助詞「て」=「わすれて」。「わする」は、「物事についての記憶をなくしてしまう。失念する。」ことをいう。
 70句以降は次回に続く。
ラベル:万葉集
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