2017年10月13日

『万葉集』を訓(よ)む(その1207)

 今回は、山上憶良作の「沈痾(ちんあ)自哀文(じあいぶん)」の第三段目を訓む。
 第三段の原文は次の通り。なお、写本で二行書きで書かれている注の部分は、ここでは[一行]で記す。

吾聞 前代多有良醫 救療蒼生病患 至若楡<柎>扁鵲華他秦和緩葛稚川陶隠居張仲景等皆是在世良醫 無不除愈也 [扁鵲姓秦字越人 勃海郡人也 割胸採心易而置之投以神藥 即寤如平也 華他字元<化> 沛國譙人也 <若有病結積>沈<重>在内者 刳腸取病 縫復摩膏四五日差之] 追望件醫 非敢所及若逢聖醫神藥者 仰願割刳五蔵抄<探>百病 尋逹膏肓之隩處 [肓鬲也心下為膏 攻之 不可逹之不及藥不至焉] 欲顯二竪之逃匿 [謂晉景公疾秦醫緩視而還者可謂為鬼所【殺】也] 命根<既>盡 終其天年 尚為哀[聖人賢者一切含霊誰免此道乎] 何况生録未半為鬼枉【殺】 顏色壮年為病横困者乎 在世大患 孰甚于此
 注:【殺】とあるのは、写本では、パソコンにない【敏の「母」の部分が「ヨ」の下に「一」】という字であるが、「殺」の俗字なので【殺】で代用した。
 この訓読文を記すと、次の通り。

 吾(われ)聞(き)く、前(さき)の代(よ)に多(おほ)く良醫(りやうい)有(あ)り。蒼生(さうせい)の病患(びやうくわん)を救療(いや)す。楡柎(ゆふ)、扁鵲(へんじやく)、華他(くわた)、秦(しん)の和(くわ)、緩(くわん)、葛稚川(かつちせん)、陶隠居(たういんきよ)、張仲景(ちやうちうけい)等(など)の若(ごと)きに至(いた)りては、皆(みな)是(これ)世(よ)に在(あ)りし良醫(りやうい)にして、除愈(いや)さずといふこと無(な)し。 [扁鵲(へんじやく)、姓(せい)は秦(しん)、字(あざな)は越人(ゑつじん)、勃海郡(ぼつかいぐん)の人(ひと)也(なり)。胸(むね)を割(さ)きて心(しん)を採(と)り、易(か)へて之(これ)を置(お)き、投(とう)ずるに神藥(しんやく)を以(もち)てすれば、即(すなは)ち寤(さ)めて平(つね)の如(ごと)し。華他(くわた)、字(あざな)は元化(げんくわ)、 沛國(はいこく)の譙(せう)の人(ひと)也(なり)。若(も)し病(やまひ)の結積(むすぼほ)れ沈重(おも)りて内(うち)に在(あ)る者(ひと)有(あ)らば、腸(はらわた)を刳(さ)き病(やまひ)を取(と)り、縫(ぬ)ひ復(かへ)して膏(かう)を摩(す)ること四五日(にち)にして差(い)ゆ。]  件(くだり)の醫(くすりし)を追(お)ひ望(のぞ)むとも、敢(あ)へて及(およ)ぶ所(ところ)に非(あら)じ。若(も)し聖醫(せいい)神藥(しんやく)に逢(あ)はば、仰(あふ)ぎ願(ねが)はくは、五蔵(ござう)を割刳(さ)き、百病(びやう)を抄探(さぐ)り、膏肓(かうくわう)の隩處(あうしよ)に尋(たづ)ね逹(いた)り、[肓(くわう)は鬲(かく)也(なり)。心(しん)の下(した)を膏(かう)と為(な)す。之(これ)を攻(をさ)むれども、可(よ)からず。之(これ)に逹(はりとほ)せども及(およ)ばず。藥(くすり)も至(いた)らず。] 二竪(にじゆ)の逃(のが)れ匿(かく)りたるを顯(あら)はさむと欲(おも)ふ。 [晉(しん)の景公(けいこう)疾(や)むに、秦(しん)の醫(くすりし)緩(くわん)、視(み)て還(かへ)りしを謂(い)ふ。鬼(おに)の為(ため)に殺(ころ)さると謂(い)ふ可(べ)き也(なり)。] 命根(みやうこん)既(すで)に盡(つ)き、其(そ)の天年(てんねん)を終(をは)るすら尚(なほ)哀(かな)しと為(な)す。[聖人(せいじん)賢者(けんじや)一切(いつさい)の含霊(がんりやう)、誰(たれ)か此(こ)の道(みち)を免(のが)れむや。] 何(なに)そ况(いは)んや生録(せいろく)未(いま)だ半(なか)ば為(な)らず。鬼(おに)の為(ため)に枉(よこしま)に殺(ころ)され、 顏色(がんしよく)壮年(さうねん)にして病(やまひ)の為(ため)に横(ほしきまま)に困(たしな)めらるる者(ひと)はや。世(よ)に在(あ)る大患(たいくわん)、孰(いづれ)か此(これ)より甚(はなはだ)しからむ。

「蒼生(さうせい)」は、「あをひとくさ」とも訓み、草木の青々として生い茂ることを比喩とした表現で、「人民」の意。 
「救療(いや)す」は、サ行四段活用の他動詞。イユの他動詞形で、「病気・飢え・苦しみ・悩みなどを治す。」ことをいう。
「楡柎(ゆふ)、扁鵲(へんじやく)、華他(くわた)、和(くわ)、緩(くわん)、葛稚川(かつちせん)、陶隠居(たういんきよ)、張仲景(ちやうちうけい)」は、いずれも名医として高名だった人物。以下、各人物について、阿蘇『萬葉集全歌講義』の注を引用しておこう。

 楡柎(ゆふ) 「楡柎、黄帝時医」(周礼)。「上古之時、医有楡柎」(史記)。黄帝は中国古代伝説上の皇帝の一人。
 扁鵲(へんじやく) 姓は秦。字は越人。勃海郡の鄭(河南省)の人。史記列伝に、病人を見ただけで五臓のしこりがすべてわかり、病原の所在をつきとめることができたという、死んだと思われた虢(かく)国の太子を生き返らせるなど、その名医ぶりが見える。
 華他(くわた) 字は元化、沛国の譙の人。後漢の名医。酒を飲ませ、酔わせて開腹して洗滌したという。魏志に華他伝があり、ここと類似の伝えを載せる。
 秦の和(くわ)・緩(くわん) 和と緩は、共に秦の名医。晋の平公の病に際し、秦の景公が和に命じて診察させたという(『国語晋語』)。また、晋の景公が病の時、医を秦に求め、秦伯は医緩を使わし診させた ー 後出、二竪の逃れ匿りたるを顕はさむ、の注 ー(『左伝』成公十年)。
 葛稚川(かつちせん) 晋の人。名は、洪。字は、稚川。『抱朴子』の著者。
 陶隠居(たういんきよ) 梁の人。名は、弘景。字は通明。
 張仲景(ちやうちうけい) 後漢の人。名は、機。南陽の人。

「勃海郡(ぼつかいぐん)」は、漢(前二〇二〜後二二〇)の郡名の一つで、渤海湾に面する地方。
「心(しん)を採(と)り、易(か)へて之(これ)を置(お)き」は、扁鵲が二人の男の心臓を取り替えたことをいう(列子湯問篇)。
「沛國(はいこく)の譙(せう)」は、後漢の郡名で、現在の安徽(あんき)省亳(はく)県という。
「五蔵(ござう)」は「心臓・肝臓・肺臓・脾臓・腎臓」をいう。
「膏肓(かうくわう)の隩處(あうしよ)」は、「内臓の奥深い所」の意。膏は、心臓の下。肓は、横隔膜。今でも、不治の病気にかかることを「病、膏肓(こうこう)に入る」という。
「二竪(にじゆ)の逃(のが)れ匿(かく)りたるを顯(あら)はさむ」は、『春秋左氏伝』の成公伝十年条の逸話による表現で、その逸話について、井村『萬葉集全注』は「その大意は、晋の景公が病み、秦の医者緩(かん)がつかわされたが、景公の夢に二人の童子があらわれ、緩を恐れて肓(こう)の上と膏(こう)の下に居れば大丈夫だと相談していると見た。この夢の話を聞いて緩は、病が膏肓に入れば、『攻(をさ)ムレドモヨカラズ、逹(はりとほ)セドモ及バズ、薬モ至ラズ』と診断した。景公はこれを良医なりとして厚く礼を与えて帰したという。」と記している。
「命根(みやうこん)」は、仏語。井村『萬葉集全注』に「この世に生存する期間、体温と種々の精神作用をもたらすもとになるもの。寿命。」とある。
「含霊(がんりやう)」も仏語で、「霊魂を有するもの。」の意。
「生録(せいろく)」は、「寿命を記録した帳簿」をいうと思われるが、ここは「寿命」の意で用いている。
 以上の口訳を記すと、次の通り。

 私が聞くところでは、昔は多くの名医がいて人々の病気を治した。楡柎、扁鵲、華他、秦の和、緩、葛稚川、陶隠居、張仲景などは、皆かつてこの世にいた良医で、どんな病気も治したという。 [扁鵲は、姓は秦、字は越人。勃海郡の人。胸を切り開いて、心臓を取り出し、置きかえて、妙薬を与えたところ、すぐに目覚めて普段の状態に戻った。華他、字は元化、 沛國の譙の人である。もし病気が積み重なって体内深く潜んでいる者がいれば、はらわたを割いて病の部分を取(と)りのぞき、縫い合わせて膏薬をすり込むと四五日で治ったという。]  これらの名医を今求めたとしても到底かなえられまい。もし聖医神薬にめぐり逢えたら、どうか、五臓を切り開いて、諸々の病気を探り出し、膏・肓の奥深いところまで尋ねて行き、[肓は横隔膜である。心臓の下をを膏という。ここを治療することは不可能であり、針を刺しても届かない。薬も効かない。] 病気を引き起こすという二人の童子の逃れて隠れているところをはっきりさせて欲しい。 [晋の景公病気になった時、秦の緩が診察下がそのまま帰ってしまったという話がある。景公は鬼のために殺されたというべきだろう。] 寿命が尽きて、天寿を全うした場合でも、やはり悲しいものである。。[聖人・賢者をはじめ一切の命ある者の誰がこの死の道を辿らないでいられようか。] まして、天寿の半ばにも達していないのに、鬼に不当にも殺され、 まだ見たところ元気そのものなのに病気のために否応なしに苦しめられる人の悲しみは
いうまでもない。世に数ある不幸の中で、これ以上辛いことがあろうか。

 以下、第四段は次回に続く。 
ラベル:万葉集
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2017年10月10日

『万葉集』を訓(よ)む(その1206)

 今回は、山上憶良作の「沈痾(ちんあ)自哀文(じあいぶん)」の第二段目を訓む。
 第二段の原文は次の通り。なお、写本で二行書きで書かれている部分は、ここでは[一行]で記す。

 初沈痾已来 年月稍多 [謂經十餘年也] 是時年七十有四鬢髪斑白 筋力尫贏 不但年老復加斯病 諺曰 痛瘡潅塩短材截端 此之謂也 四支不動 百節皆疼 身體太重 猶負鈞石 [廿四銖為一兩 十六兩為一斤 卅斤為一鈞 四鈞為一石 合一百廿斤也] 懸布欲立 如折翼之鳥倚杖且歩 比跛足之驢吾以身已穿俗 心亦累塵 欲知禍之所伏 祟之所隠 龜卜之門 巫祝之室 無不徃問 若實若妄随其所教 奉幣帛 無不祈祷 然而弥有増苦 曽無減差

 この訓読文を記すと、次の通り。

 初(はじ)めて痾(やまひ)に沈(しづ)みしより已来(このかた)、年月(としつき)稍(やくやく)多(おほ)し。[十餘年(よねん)を經(へ)たることを謂(い)ふ。] 是(こ)の時(とき)、年七十有四(しちじふいうし)、鬢髪(ひんはつ)斑白(しら)けて、筋力(きんりよく)尫贏(やせおとろ)ふ。但(ただ)に年(とし)老(お)いたるのみにあらず、復(また)斯(こ)の病(やまひ)を加(くは)へたり。諺(ことわざ)に曰(いは)く、痛(ita)き瘡(きず)に塩(しほ)を潅(そそ)き、短(みじか)き材(き)の端(はし)を截(き)るといふは、此(こ)の謂(い)ひ也(なり)。 四支(しし)動(うご)かず、百節(ひやくせつ)皆(みな)疼(いた)み、身體(しんたい)太(はなは)だ重(おも)きこと、猶(なほ)鈞石(きんせき)を負(お)へるがごとし。[廿四銖(しゆ)を一兩(りやう)と為(な)し、十六兩(りやう)を一斤(こん)と為(な)す。卅斤(こん)を一鈞(きん)と為(な)し、四鈞(きん)を一石(せき)と為(な)す。合(あ)はせて一百(ぴやく)廿斤(こん)也(なり)] 布(ぬの)に懸(か)かりて立(た)たむと欲(おも)へば、翼(つばさ)折(を)れたる鳥(とり)の如(ごと)し。杖(つゑ)に倚(よ)りて且(まさ)に歩(あゆ)まむとすれば、足(あし)跛(な)へたる驢(うさぎうま)の比(ごと)し。吾(われ)、身(み)已(すで)に俗(ぞく)に穿(うが)たれ、心(こころ)も亦(また)塵(ぢん)に累(つな)がるるを以(も)ち
て、禍(わざはひ)の伏(ふ)す所(ところ)、祟(たたり)の隠(かく)るる所(ところ)を知(し)らむと欲(おも)ひ、 龜卜(きぼく)の門(もん)、巫祝(ふしゆく)の室(しつ)、徃(ゆ)きて問(と)はずといふこと無(な)し。若(も)しは實(まこと)なれ、若(も)しは妄(いつはり)なれ、其(そ)の教(をし)ふる所(ところ)に随(したが)ひて、幣帛(へいはく)を奉(たてまつ)り、祈祷(いの)らずといふこと無(な)し。然(しか)れども弥(いよよ)増(ま)す苦(くる)しび有(あ)り、曽(かつ)て減差(い)ゆといふこと無(な)し。

「鬢髪(ひんはつ)」の「鬢」は「頭の左右側面の髪。耳ぎわの髪。」をいう。「鬢」は形声文字で、『字通』に「声符は賓(ひん)。〔説文〕に『頰(ほお)の髮なり』とあり、髥(ぜん)には『頰の須(ひげ)なり』という。髮(髪)とは頭髪に属することをいう。」とある。
「斑白」は、黒髪に白髪が混じっている状態をいう。「はんぱく」と漢語訓みに訓む注釈書もあるが、カ行下二段活用の自動詞「しらく」の連用形「斑白(しら)け」と訓み、そういう状態に至ったということを表したものと見るのが良い。
「尫贏」の「尫」は「弱い」意で、「贏」は「疲れる」意。これも「わうるい」、と漢語訓みに訓むものもあるが、ハ行下二段活用の自動詞「尫贏(やせおとろ)ふ」と訓む。「痛(ita)き瘡(きず)に塩(しほ)を潅(そそ)き」は、一層痛みや辛さがひどくなる意のことわざ。「泣き面に蜂」と同じ。
「短(みじか)き材(き)の端(はし)を截(き)る」は、「貧窮問答歌」(892番歌)にも「短(みじか)き物(もの)を端(はし)きる」と詠われていた当時のことわざで、「いやが上にも窮迫する」ことを譬えていう。
「四支(しし)」は「人間の両手と両足」をいう。
「百節(ひやくせつ)」は「多くの関節」をいう。
「鈞石(きんせき)」の「鈞」も「石」も重さの単位で、「鈞石(きんせき)」は「おもり。重いもの。」の意。
 「廿四銖(しゆ)」以下の細注は、『淮南子(えなんじ)』天文訓の記載と一致する。銖・兩・斤、いずれも、令制で定められた重さの単位。
 「布(ぬの)に懸(か)かりて」は、「病床で身を起こすために梁から垂らした布に捕まることをいうか」と『新日本古典文学大系』の脚注にある。井村『萬葉集全注』は、ここを「布(ぬの)を懸(か)けて」と訓み、「膝に巻いたサポーターの類であろうか。」としながらも「よく判らない。」と述べている。
「足(あし)跛(な)へ」は、足が不自由なこと。
「驢(うさぎうま)」は、「ろば(驢馬)」の異名。耳が長いのでいう。『和名抄』に「驢 宇佐岐無麻 似馬長耳」とある。
「身(み)已(すで)に俗(ぞく)に穿(うが)たれ、心(こころ)も亦(また)塵(ぢん)に累(つな)がる」について、井村『萬葉集全注』は「身心、俗塵、それぞれ二字に分けて二句としたもの。穿と累も同様に関連させて訓み解くべきところ。俗塵は世俗の諸々の不浄の煩悩。累は繋縛の意。『諸々ノ塵累(ぢんるい)』(首楞厳経巻一)。穿と累は、穴をうがち、紐を通して繋ぐという意味になろう。」と注している。
「龜卜(きぼく)」は「亀甲を用いてする古代のうらない。亀甲獣骨を焼き、その裂け目によって吉凶を占う。東洋各地、ことに中国では殷代にさかんに行なわれた。日本上代には、神祇官に卜部を置き、陰陽寮の式卜などと合わせて、疑事を卜決した。神祇官の卜部は二〇人、伊豆、壱岐、対馬の三国から徴した。」(『日本国語大辞典』)。
「巫祝(ふしゆく)」は「神事を司る人」をいう。
「幣帛(へいはく)」は「布帛・金銭・酒食など神前にささげる供物(くもつ)。また、紙や布を切って木にはさんでたらした御幣(ごへい)。」をいう。
「曽(かつ)て」は、下に打消の語を伴って強い否定を表す。「全然、全く、」の意。
「減差(い)ゆ」は、ヤ行下二段活用の自動詞で、「病気や傷が治る。全快する。」の意。
 以上の口訳を記すと、次の通り。

 この病気になってから、年月はかなり経った。[十年余りになることをいう。] 現在、七十四歳。鬢にも髪にも白髪が混じり、筋肉の力も弱まった。単に年老いたばかりではなく、さらにこの病が加わった。ことわざに、「痛い傷には辛い塩をそそぎ、短い木材はそのまた端を切る」とはこのことだ。手足は動かず、関節はことごとく痛み、体は重くて、まるで重い石を背負っているようだ。[二十四銖が一両、十六両が一斤、三十斤が一鈞で、四鈞が一石であるから、合計百二十斤である。] 布につかまって立とうとすると、翼の折れた鳥のようで、杖にすがって歩こうとすると、足のなえたロバのようである。私は身心ともに世俗の煩悩によって穴をあけられ紐を通して繋がれているようなていたらくであるから、禍いの潜んでいるところ、祟りの隠れているところを知りたいと思って、あらゆる占い師や祈祷師の家を訪ねた。本当か嘘か知らないが、その教えのままに幣帛を捧げ、必ず祈祷した。けれども苦痛が増すことこそあれ、癒されることは全くなかった。

 以下、第三段以降は次回に続く。 
ラベル:万葉集
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2017年10月05日

『万葉集』を訓(よ)む(その1205)

 今回から数回かけて、山上憶良作の「沈痾自哀文」と題する文を訓む。「沈痾(ちんあ)」は、「いつまでも全快の見込みのない病気。ながわずらい。痼疾。宿病。宿痾。」をいう。阿蘇『萬葉集全歌講義』は、「『沈痾自哀文』は、憶良が重い病の床にあって死を予期し、われと我が身を哀れむ文である。」と述べて、全体を前後二部に、更にそれを各々三段に分けて六段構成と見ている。長い文章なので、『萬葉集全歌講義』の論に従って、一段ずつ訓んでいくことにしよう。第一段の原文は次の通り。なお、写本で二行書きで書かれている部分は、ここでは[一行]で記す。

 竊以、朝夕佃食山野者、猶無灾害而得度世。[謂常執弓箭不避六齊、所値禽獣、不論大小、孕及不孕、並皆殺食、以此為業者也。] 晝夜釣漁河海者、尚有慶福、而全經俗。[謂漁夫潜女、各有所勤、男者手把竹竿、能釣波浪之上、女者腰帶鑿籠、潜採深潭之底者也。] 况乎、我従胎生迄于今日、自有修善之志、曽無作悪之心。[謂聞諸悪莫作、諸善奉行之教也。] 所以礼拜三寶、無日不勤、[毎日誦經、發露懺悔也。] 敬重百神、鮮夜有闕。[謂敬拜天地諸神等也。]嗟乎媿哉、我犯何罪、遭此重疾。[謂未知過去所造之罪、若是現前所犯之過、無犯罪過、何獲此病乎。]

 この訓読文を記すと、次の通り。

 竊(ひそ)かに以(おもひ)みるに、朝夕(てうせき)山野(さんや)に佃食(かり)する者(ひと)すら、猶(なほ)灾害(さいがい)無(な)くして世(よ)を度(わた)ることを得(う)。[常(つね)に弓箭(きゆうせん)を執(と)りて、六齊(ろくさい)を避(さ)けず、値(あ)ふ所(ところ)の禽獣(きんじう)は、大(おほ)きなると小(ちひ)さきと、孕(はら)めると孕(はら)まぬとを論(ろん)ぜず、並(なら)びに皆(みな)殺(ころ)して食(く)らひ、此(これ)を以(も)ちて業(なり)と為(な)す者(ひと)を謂(い)ふ。] 晝夜(ちうや)河海(かかい)に釣漁(てうぎよ)する者(ひと)、尚(なほ)慶福(けいふく)有(あ)りて、俗(よ)を經(ふ)ることを全(また)くす。[漁夫(ぎよふ)潜女(せんぢよ)、各(おのおの)勤(つと)むる所(ところ)有(あ)り、男(をとこ)は手(て)に竹竿(たけさを)を把(と)り、能(よ)く波浪(なみ)の上(うへ)に釣(つ)り、女(をんな)は腰(こし)に鑿(のみ)と籠(こ)を帶(お)び、潜(かづ)きて深(ふか)き潭(ふち)の底(そこ)に採(と)る者(ひと)を謂(い)ふ。] 况(いは)むや、我(われ)胎生(たいしやう)より今日(こんにち)にいたる迄(まで)に、自(みづか)ら修善(しゆぜん)の志(こころざし)有(あ)り、曽(かつ)て作悪(さあく)の心(こころ)無(な)し。[諸悪莫作(しよあくまくさ)、諸善奉行(しよぜんぶぎやう)の教(をしへ)を聞(き)くを謂(い)ふ。] 所以(このゆゑ)に三寶(さんぽう)を礼拜(らいはい)し、日(ひ)として勤(つと)めざること無(な)く、[毎日(まいにち)誦經(ずきやう)し、發露懺悔(はつろざんげ)す。]  百神(ひやくしん)を敬重(けいちよう)し、夜(よ)として闕(か)くること有(あ)ること鮮(すくな)し。[天地(てんち)の諸(もろもろ)の神等(かみたち)を敬拜(けいはい)することを謂(い)ふ。]嗟乎(ああ)媿(はづか)しきかも、我(われ)何(なに)の罪(つみ)を犯(をか)してか、此(こ)の重(おも)き疾(やまひ)に遭(あ)へる。[未(いま)だ過去(くわこ)に造(つく)りし所(ところ)の罪(つみ)か、若(も)しくは是(これ)現前(げんぜん)に犯(をか)す所(ところ)の過(とが)なるかを知(し)らず、罪過(ざいくわ)を犯(をか)すこと無(な)くして、何(なに)そ此(こ)の病(やまひ)を獲(え)む、と謂(い)ふ。]

「佃食(かり)する者(ひと)」は「狩をして鳥獣を食べている者」をいう。「佃」は「田を耕す。狩をする。」意。
「六齊(ろくさい)」は、仏語で、「特に身をつつしみ持戒清浄であるべき日と定められた六か日。一般に月の八日・一四日・一五日・二三日・二九日・三〇日。」をいう。
「値(あ)ふ所(ところ)の禽獣(きんじう)」は「出会った鳥や獣」の意。「値」には「持つ。当たる。あたい。」の他に「会う。」の意もある。
「俗(よ)を經(ふ)る」は「世(よ)を度(わた)る」に同じで、「世渡り、すなわち生活をすること」をいう。
「胎生(たいしやう)」は、卵生・湿生・化生と並ぶ四生の一つで、「母胎から生まれること」をいう。
「修善(しゆぜん)の志(こころざし)」は「身を修め善行を積む意志」の意。
「作悪(さあく)の心(こころ)」は「悪行を行う心」の意。
「諸悪莫作(しよあくまくさ)、諸善奉行(しよぜんぶぎやう)の教(をしへ)」は、法句経や阿含経他の仏典に多い「諸悪なすことなかれ、諸善奉行せよ、という教え」をいう。
「三寶(さんぽう)」は「仏・法・僧。すなわち仏と、その教えと、その教えを守って修行する僧」の三つをいう。
「發露懺悔(はつろざんげ)す」は、「犯した罪を自ら明らかにして悔い改める」ことをいう。

 以上の口訳を記すと、次の通り。

 密かに思うに、朝に夕に山野で狩猟をする人でも、災害にも遭わずに暮らしてゆける[いつも弓矢を手にし、六日の斎日も慎むことなく狩をして、出会った鳥獣は、その大小を問わず、子を孕んでいるかどうかも構わず、皆殺して食べ、それを仕事として生活している者をいう]。昼夜、川や海で漁をしている人でも、幸せにその人生を送っている[漁夫と海女と、それぞれに仕事がある。男は竹竿を手にして波の上で釣りをし、女は鑿と籠を腰につけて海底深く潜って貝を採るものをいう]。まして、私は、母の胎内から生まれてから今日まで、進んで善行を積もうという意志を持ち、全く悪行をなす心を抱いたことがない[「諸悪なすことなかれ、諸善奉行せよ」の教えを守っていることをいう]。そこで、私は、仏・法・僧の三宝を礼拝し、日々の勤行を怠ることなく[毎日経を誦んで、犯した罪を顕し、罪を悔い改める]、諸神を尊み拝むことを欠かす夜もない[天神地祇の諸神を敬拝することをいう]。ああ、恥ずかしいことよ。私は、何の罪を犯してこんなに重い病にかかっているのか[過去に犯した罪によるものか、今現在犯している罪なのか、わからない。罪を犯すことなく、どうしてこのような病にかかることがあろうか、というのである]。

 以下、第二段以降は次回に続く。
ラベル:万葉集
posted by 河童老 at 18:37| Comment(0) | 小説/文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする